#011 人間関係の第一歩は相手の名前を憶えること
今回もよろしくお願い致します。
父上の裁定が下ると、集まっていた家臣たちは解散していった。私は百ちゃん共々残るよう言い渡され、二人揃って父上の前で正座している。
「この俺の仕置を覆すたぁ大したもんじゃねぇか、結。」
手元の扇子を閉じたり開いたりしながら、父上が唸るように言った。
マジでやらかしたかも知れない。でも、百ちゃんを助けられたことに後悔は全くない。
「…ここに気が利く若ぇのと、勤めて長いが今一つ気の利かねぇ古株がいるとする。」
父上が突然語りだす。
「それぞれ同じように務めを果たしたとして、俺はどっちを褒めると思う?言ってみな。」
急にクイズ⁉兄上たちと違って政治や軍事に関する教育は受けてないんだけど⁉普通に考えたら無能なロートルよりも、有能な若手なんじゃあ…。
「答えはどっちもだ。」
ハイ出た意地悪問題!ズルい!汚い!どっちを、って聞いたじゃん!どちらか一方とは言ってないって、そんなのアリ⁉
「気の利く若ぇのは確かに目立つ。どこの家でも重宝されらぁな。だが、一つの役目を長年勤めるってのも、誰にでもできることじゃあねぇ。」
父上の言うことには強い説得力があった。
「能があろうとなかろうと、誰にも一端の意地がある。家中を平らかに保つってのは中々骨の折れるこった。だが、人に指図する身分なら、手下の心中を察しなけりゃならねぇ。」
鈍い私にもようやく分かった。多分初めて、父上からされる説教だ。この前の件といい、私が侍女たちの手綱をちゃんと握っていればこんなことにはならなかった。侍女の間でイジメがあろうがどうでもいいなら、これまで通りでいい。でも、それが嫌なら侍女頭任せにせず、私も積極的に関わっていかないとダメなんだ。
「…結。もうすぐ夕飯の支度だ。下がって良し。」
父上の言葉に思わず顔を上げる。まさか百ちゃんを私の目が届かない所で処罰するつもりじゃ。
父上は私の表情を読み取ったのか、深くため息をついた。
「心配すんねぇ。お咎めなしの仕置に二言はねぇ。ちぃと今後のことを話すだけだ。どの道今日はこのまま夕飯の支度には行けねぇだろうよ。」
「姫様、心配ご無用にございます。」
百ちゃんにまで言われたら、引き下がるしかない。私はもう一度頭を下げると、席を立って部屋を辞した。
まずは…うん。侍女頭、じゃない、お梅に相談して、百ちゃん以外の侍女のことを知ることから始めよう。今日みたいなことが二度と起こらないように。
「面倒かけたな、百。顔上げな。」
結が部屋を去ってしばらくしてから、氏康は口を開いた。その言葉に従い、百が頭を上げる。
「もったいないお言葉にございます。よもや、大殿に再び見える日が来ようとは…。」
思えば奇妙な縁だ、と氏康は思った。5年前、河越城を巡る戦に北条が勝利した際、少なからず貢献したのが風魔党、その中にいたのが百だった。十になるかならないかの小娘が、大人に混ざっていたために印象に残ったのだ。そして今回風魔党に人員の派遣を求めた結果、やってきたのが彼女だったというわけだ。
「どうだい、俺の娘は仕えるに値する相手かい。」
「主筋の姫を値踏みするなど、論外にございます。何よりわたくしは風魔の乱破。務めとあらば身命を賭して…。」
「おーおー、あのハナタレ娘が一丁前の乱破になったもんだぜ。俺の目は誤魔化せねぇぞ。てめぇの目が真っ赤になってんのがよぉく見える。」
百は体を震わせながら鼻をすすった。
「わ…わたくしは、幸せ者にございます。わたくしの、つまらぬ身の上話を。姫様は、とても楽しそうに…お聞き、下さって…。」
「だが、今日はそれが裏目に出たってこったな。」
氏康は腕を組んで考え込む。あの様子なら結も反省し、侍女をまとめようとするだろう。だがそこに嫉妬の的になっている百がすぐ戻るのはいささか具合が悪い。しばらく間を置く必要があるだろう。
「百。近々風魔に使いを出す。てめぇを正式に結の側付きにするとな。もちろんその分の銭は即金で払う。その代わりといっちゃあなんだが、三月ばかり諸国を見て回ってこい。表向きは病の療養とでも言やぁいい。」
「諸大名の情勢を探れとの仰せにございましょうか?」
一瞬で険しくなった百の視線に首を振りつつ、氏康は続ける。
「そっちはもう別の乱破に任してある。てめぇは別のことを探りな。その地の風土、変わったメシ、祭り…数え六つの小娘が喜びそうな話をな。」
「…ご厚情、重ね重ね…。」
またも深々と頭を下げる百を見下ろしながら、氏康はにやりと笑った。
「こっちこそ礼を言うぜ。今日は良いもんが見れた。結があそこまで我を通そうとするなんざ、初めてのこったからなぁ。」
お読みいただきありがとうございました。