#109 ネタのタネは飯の種
今回もよろしくお願い致します。
やがて本膳料理を食べ終えた言継卿は、百ちゃんが差し出した懐紙で目元をぬぐったり、鼻をかんだりして体裁を整えると、私に向かってにっこりと笑った。
「今日はホンマに世話になったわ。あんさんのお陰で師匠と会えて、己の過ちにも気付けた。お礼に、何か出来る事は無いやろか?」
突然の申し出に、私は狼狽しながら考え込んだ。
候補その一、献金の減額。
一見妥当だが、献金額は大名家の面子に関わる大問題だ。『今川の献金はこれっぽっち?あの今川が?へえー…ケチ臭い事。』とか言われたら、沽券に関わる。具体的な内容は義元殿にお任せした方が無難だろう。
候補その二、官位官職の推薦。
言継卿の口利きがあれば、五郎殿の任官もスムーズに進むだろうが…あいにく私にはどの官職が五郎殿にピッタリだとか、その辺の知識が無い。義元殿の構想と食い違ったりすると後が面倒だし…これも却下で。
候補その三、お金かお宝を要求する。
うん、論外。朝廷にお金が無いから地方大名にたかりに来てるのに、その相手に『誠意を見せて(はぁと)』が通じる訳も無い。
うーん、うーんと考え込んだ挙句、思いついたのは…。
「では、権中納言殿がこれまでに訪れた、諸国の様相をお話いただけますでしょうか。」
これ位なら、幼妻の好奇心に答えると思って快諾してくれるだろう。
そんな私の予想は、
「それはあかんな。」
言継卿のキッパリとした拒絶反応の前に、もろくも崩れ去った。
「おい莫迦弟子…。」
「いーや師匠。こればっかりはあきまへん。わてら公家には武力も無い、財力も無い。そんなわてらが武家や商人と渡り合うためには、有職故実やら他所で仕入れた風聞やらを小出しにせんとやっていけまへんのや。なんぼ世話になったかて、易々と教える訳には行きまへん。」
終始もっともな反論に黙り込んでいると、言継卿は意外にも「せやけど」と続けた。
「あんさん、何やけったいな夢を見れるらしいなぁ。その夢の話がおもろかったら、わてもちっとは話したるで。」
「!どこでその話を…。」
「それも易々とは口に出来んっちゅうこっちゃ。…どや?何や思い出されへんか?」
からかうような口振りとは裏腹に、真剣な眼差しを向ける言継卿を前に、私は少し悩んでから、ゆっくりと頷いた。
「かしこまりました。では父より賜りし霊刀、東条源九郎の力を借りたいと存じます。…しばしお待ちを。」
私は勿体ぶった言い回しを繰り出しながら、腰帯から引き抜いた『東条源九郎』の柄を右手に、鞘を左手に握って、両目をつぶって瞑想のポーズをとった。半分は演出のため、もう半分は乏しい史実知識をそれらしくストーリー仕立てにする時間を稼ぐため。
それほど長い時間ではなかったが、三人の視線を肌で感じた。
「若奥様…。」
「大事無いわ、百。…お待たせいたしました。」
小声で呼びかけた百ちゃんをやんわりと制止して、目を開けて『東条源九郎』を腰帯に差す。恐らく私のヒントになるような情報を耳打ちしようとしてくれたのだろうが、そんなカンニングは言継卿には通用しないだろう。精度が低いとはいえ、前世で得た知識をそれとなくぼかして『未来視』として披露した方が、喜んでもらえる可能性が幾らかあるはずだ。
そう踏んだ私は、なるべく神秘的に見えるように口調や声色を調節しながら、これから京で起こるであろう一連の流れを、さも今『見えた』風を装って話し始めた。
京に向かう軍勢が見えました。
旗印は二つ、足利二つ引両と永楽銭。
競い合うのではなく、足並みを揃えて…。
次に見えたのは燃える寺、大きな寺にございます。
そして永楽銭の旗が倒れ、代わりに…桔梗の紋が翻る…。
終わりの合図代わりに、肩の力を抜きながら長いため息をつくと、言継卿と越庵先生は揃って腕を組み、考え込んだ。
私は、『未来視』に検討の余地があると見なされた事に安堵すると同時に、二人の仕草がどこか似ている事に気付き、こっそり微笑んだ。
「うーん…よう分かれへんなあ。永楽銭の旗印っちゅうんは、尾張の織田の事やろ?それが足利二つ引両の軍勢と一緒に上洛して、寺が燃えて、ほんで織田が倒れて…桔梗の旗印てどこの誰や?見たことも聞いた事もあらへん。」
言継卿の感想に、背中を冷や汗が伝うのが分かった。
私のミスは大別して三つ。『足利二つ引両』の正体、寺の名前、『桔梗紋』の主を明言しなかった点にある。
元々私が伝えたかったストーリーはこうだ。
『征夷大将軍足利○○(名前忘れた)を擁した織田信長が上洛し、京を手中に収める。しかし信長は本能寺の変で討たれ、重臣明智光秀が取って代わる。』
しかし、『足利二つ引両』を使う大名家は、日本中に腐るほど、とはいかないがそれなりにある。今川だってそうだ。よって、旗印だけでは本家本元であると特定してもらえない。
お寺だって、京都にはたくさんある。清水寺とか…あれ、京都で合ってたよね?
それと、桔梗紋の知名度が予想以上に低い。明智光秀と言えば、織田信長とは正反対で、名門の出身で京でもよく知られている、みたいなイメージがあったんだけど、どうやらそうでもないみたいだ。
この様子では、恐らく及第点はもらえないだろう…と落ち込んでいると、言継卿は突然満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「おもろい!何や分かりそうで分からへん所が実にええ!約定通り、わてが知っとる事を教えたる。」
「よ、よろしいのですか?」
思わず聞き返すと、言継卿は芝居がかった所作で扇子を開き、口元を隠して眉をぴくぴく動かした。
「わても口寄せ巫女に修験者、悟りを開いたっちゅう坊さんにぎょうさん会うて来た。中身は大方おんなじや。帝がもっぺん日の本を治めるっちゅう途方もない話か、どこそこの大大名が公方様に代わって『天下』を治めるっちゅう夢の無い話か。あんさんはどっちでもない。そやさかい気に入ったんや。」
要するに、過剰に非現実的でも現実的でもなかったために、山科卿のお眼鏡に叶ったという事らしい。
何とか関門を突破した私は、再び部屋の外で待機する侍女を呼びつけ、言継卿に提供するお酒とおつまみ、それに、貴重な情報を書き記すための筆記用具を持って来るよう指示を出したのだった。
やがてお酒とおつまみが運ばれて来ると、言継卿は盃をちびちび傾けながら、諸国の情勢を語り、私はそれを可能な限り正確に書き留めた。
とは言え、地方から京までの物理的な距離の関係上、全てがフレッシュなニュースとは言えず、内容も百パーセント正確とはいかなかったが、それでも、国名とおおまかな地理情報しか読み取れない地図とにらめっこしているよりははるかに有意義だった。
ちなみに、私が見聞きした情報を義元殿や五郎殿に話しても大丈夫かと確認すると、言継卿は意地の悪い笑みを浮かべた。
「わては嘘は言っとりまへんけど、一切合財を詳らかにしとる訳でもあらしまへん。せっかく帝に馳走してくれはる方々のもてなしを受けたっちゅうに、下手打って恨まれでもしたら一大事やさかい。」
つまり、政治的、軍事的に重要な情報は伏せたままにしているという事だ。
私は一瞬落胆したものの、すぐに思い直した。
言継卿の情報には古い物や真偽不明の物が多い。
仮に私が『織田家の弱点』なんかを聞き出したとして、それを基に義元殿が作戦を立て、戦に臨んだとしよう。…もし私が掴んだ情報が間違っていたら?私一人の命では到底償いきれない、大失敗につながる可能性があるのだ。
そんなリスクを侵すくらいなら、現在の――より正確に言えば数年前までの――大まかな勢力図を把握出来る現状は、インチキ未来視の対価としては上々の部類に入るだろう。
ともあれ、言継卿からある程度の情報を聞き出す事は出来た。
まずは東北地方。
十年ほど前までは伊達稙宗――名字からして伊達政宗の父か祖父と思われる――なる大名が随一の権勢を誇っていたらしいのだが、嫡男との家督争いがもとで見る影も無く衰微してしまい、現状は大小の勢力が鎬を削っているらしい。恐らく、息子か孫の代まで情勢が大きく動く事は無いだろう。
関東、東海、甲信地方は今川とつながりが深いため、省略された。
…暗に『それくらいご自分で調べなはれ』と言われた気がしないでもないが。
さて、北陸地方だが…少し気になる情報を入手した。
越後の守護代、長尾殿が上洛し、帝に拝謁したというのである。と言っても、それほど大勢の兵を引き連れて来た訳でもなく、長居せずに帰国したとの事だが、私敵治罰の綸旨を賜ったという事実は、実力第一の戦国乱世と言えど軽視出来ない。
ただ、どうして長尾殿がそれほど厚遇されたのかと聞いてみると、お飾りに成り下がった越後守護、上杉氏に代わって、ちょくちょく朝廷に献金してくれるから、らしい。
上杉、長尾とくれば、十中八九長尾景虎、後の上杉謙信だろう。武田と長尾が北信濃で小競り合いを繰り返している、くらいの風聞は私の耳にも届いている。
名乗りを改めた経緯についてはよく覚えていないが、多分越後守護の上杉氏の養子になったとか、そんな所だろう。戦国最強の代名詞みたいな人なので、五郎殿や北条氏康と戦う事になってほしくはない。せいぜい武田信玄には頑張ってもらいたい。
そして、天下――京を中心とした近畿地方あたり――についてだが、朝廷はともかくとして、室町幕府の状態は想像以上に劣悪だった。
何せ足利将軍家に実力がまるでなく、あっちの大名家に乗っかったり、こっちの大名家に擦り寄ったりといった行動を繰り返していて、京を脱出して別の場所に御所を構える事も珍しくないというのだ。現に、京を実効支配しているのは三好一族――室町幕府で管領を務めた細川家の、そのまた家臣の家だと言うのだから、乱世を象徴するような話だ。
それを言い出したら、私の実家も経歴詐称しているのでどっこいどっこいだが。
何となく、室町幕府は戦乱に苛まれながらも京で踏ん張っているようなイメージがあったので、言継卿の話は意外だった。
直近で大きな動きがあったのは中国地方。
西国有数の大大名、大内の重臣である陶なにがしが謀反を起こして主君を自刃に追い込み、家中の実権を握ったのも束の間、厳島で敗戦の憂き目に遭い、主君の後を追う羽目に陥ったとの事だ。
ちなみに厳島で大内を破ったのは毛利。当主は毛利元就と見て間違いないだろう。
四国と九州方面では大小の勢力が割拠しているとの事で、今のところどこかの一人勝ちという事態にはなっていないようだ。
九州の諸大名が南蛮貿易に力を入れているという話も聞けたが、数年前に百ちゃんからもたらされた情報の正確性を裏付けるものと言えるだろう。
「にしても…噂に違わず聡い若奥様やなあ。」
「噂?」
私がオウム返しに聞き返すと、言継卿はようやくネタばらしをしてくれた。
「商人の口から口へ、あんさんの噂は駿河から京まで伝わっとりますのや。友野屋と組んで株札の仕組みを広め、小田原から嫁いで半年で巨万の富を築いた、妙善院殿(日野富子)の生まれ変わりや、てな。わてはそうは思いまへんけど。あんさんが妙善院殿の生まれ変わりやったら、今川の行く末は…いや、縁起でもない話はこの辺で。」
何だか引っかかる言い回しに眉をひそめていると、言継卿はわざとらしく咳払いをした。
「実はわても株主をやっとってな。つるんだ商人がうまいこと行ったお陰で、だいぶ懐が温うなっとんねん。せやけど、それ見て真似した公卿のお歴々が…何ちゅうか、その、うん、よろしないねん。そしたら今度は、わてが何や呪いを使うとるんちゃうか、て陰口を叩かれてもうてな…。」
つまり、株札に手を出したお公家様の中で言継卿だけが成功したせいで、同僚から妬みを買っているという事か。
まあ、身分へのこだわりがさほど無い上に、庶民の生活に知見を持つ言継卿と、産まれてこの方宮中しか知らないお公家様とでは、運用能力に差が生じるのも無理はないだろう。
…ところで、さっきから言継卿がチラチラこっちを見ているのは、私に解決策を提示してほしいというメッセージと解釈して良いのだろうか?
「それは大変なご苦労を…何か私に出来る事があれば…。」
社交辞令を口にしながら、私は乏しい財テク知識を振り絞って解決策を模索した。
出来るだけ多くのお公家様が儲ける方法…でもお公家様の中には、商人と対等のやり取りをしたくない人が多いだろうし…持ってるだけでお金が手に入る株札があれば、いやそんな便利なもの、ある訳が…。
「あるかも知れません。」
興奮を隠しきれない様子の言継卿に、思い付きを頭の中で整理しながら、即興のプレゼンに臨む。
「まず、権中納言殿には商会を立ち上げていただきます。権中納言殿の持ち株は出来るだけ少なく、元株のみ手放す事のございませんよう。次に、出来るだけ多くの方々から出資を募ります。」
「みんな株主になったらええっちゅう事かいな。せやけど、わざわざ商人との寄り合いに顔出したないっちゅう者もおるやろし、あんまり株主が大勢おると、商会のかじ取りが難しゅうなってまうで。」
「仰せの通りにございます。それゆえ、商会を立ち上げて後に出資された方にお渡しするのは株札ではなく、証文にございます。…お借りした銭の額に応じて、半年に一度、あるいは三月に一度、商会の儲けの一部をお支払いすると。そして、集まった銭を見込みのある商人に預け、その銭を元手に儲かった分を返させるのです。」
つまり私が提案したいのは投資信託モドキだ。これなら、出資したお公家様は証文を持っているだけで、定期的に不労所得が手に入る。
「なるほど…せやけど、商いが常に上手く運ぶとは限らへん。儲けが出えへんかったら、どない言い訳したらええんや?」
当然の疑問だ。
「証文にこう書いておくのです。必ず儲けを保証するものではありません、と。十か条か二十か条ほど書き連ねる間に、密かに紛れ込ませるのがよいでしょう。どうしても首が回らなくなれば、残った銭を分配して商会を畳めばよろしいかと。」
思い出すなあ、スマホアプリの長い長い注意事項。幸い前世でトラブルの当事者になった経験は無かったものの、法人側が用意しておいた但し書きに泣いた利用者も少なくないと聞いている。
あんなに長い箇条書き、隅から隅まで読み込んで正確に把握出来る人の方が少数派だと思うな、私は。まあ、今回はそのテクニックを利用させてもらおうとしている訳だが。
「ふっ…ほっほっほっほっほ。やっぱりおもろいお方や。」
私の話を聞き終えてしばし、考え込んでいた言継卿は甲高い声で笑うと、あぐらをかいたまま深々と頭を下げた。
「せっかくの知恵、有難く使わせてもらうわ。おおきにな。」
「あ、いえ、そんな。恐れ多い…。」
「若奥様、ご無礼仕ります。」
私が慌てふためいていると、障子の向こうから侍女が呼びかけた。
「そろそろ日が落ちて参りました。御黒木様も心配しておいでで…権中納言殿のご都合はいかがかと。」
「おう、ホンマや。そろそろお暇せんとあきまへんな。」
言継卿は軽快な動作で立ち上がると、障子の前まで歩き、振り返って越庵先生にお辞儀をした。
「今日は師匠にお会い出来て、ホンマに有難い事やったわ。また折を見て駿府館にお邪魔しますよって、ご指導のほどよろしゅうお頼申します。」
「…ふん、一度弟子入りを認めた以上、最後まで面倒を見るのが師匠の役目。腕がなまっておらぬかどうか、厳しく確かめるゆえ、その積もりでおれ。」
「おお怖。…若奥様。何から何まで世話になったなぁ。一旦大広間に戻って若君に挨拶するさかい、見送りはその後に…。」
「は、はい。かしこまりました。」
「それから、」
言継卿は何か言いかけると、虚空に視線をさまよわせてから、一つ一つ言葉を選ぶように続けた。
「商いの相談に乗ってもろた礼がまだやったな。治部大輔殿か寿桂殿にこう伝えてんか。『駿河に荷を運ぶ船を、熱田の港で数多見かけた』と。」
「何か、直にお話出来ない訳でも…?」
お礼というワードと、回りくどい言い回しが結びつかずに混乱していると、言継卿は唇の一方をゆがめ、小さく首を振った。
「誰が、誰に、いつ、何を、どんな風に言うたかが肝心なんや。ええか。わては酒で口が軽うなってもうて、つい若奥様に口を滑らせてしもた。『駿河に荷を運ぶ船を、熱田の港で数多見かけた』。…間違わへんよう気い付けや。」
半ば無意識にメモを取る私を残して、言継卿は大広間に戻っていった。
その日の宴会は成功だったと見なされ、私は報告の席で義元殿と寿桂様にお褒めの言葉を頂戴した。
言継卿はそれ以降比較的短いスパンで屋敷を訪れ、五郎殿と会談したり、越庵先生にしごかれたりと、私達と交流を深めていった。
そして、言継卿に同道した御黒木様が微笑みを浮かべるたびに、私はどことなくくすぐったい気持ちになったのだった。
言継卿のメッセージを伝えた際、義元殿と寿桂様が顔を強張らせた理由を私が知るのは、もう少し後の事になる。
お読みいただきありがとうございました。