#107 それは、命をつなぐための。
今回もよろしくお願い致します。
弘治2年(西暦1556年)11月 駿府館
まだ日も高い内から自室で布団に寝転んだ私は、何をする気にもなれず、時折寝返りを打ったり、ため息をついたりしながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
障子と襖が閉じられた部屋の中には、私以外に側付き侍女が一人だけ。
何か頼めば文机でも白湯でもお菓子でも持って来てもらえる贅沢な環境にあって、五郎殿の妻としての仕事に取り組めない現状を嘆きながら、半ば現実逃避のように、正月以来のあれこれを回想していた。
屋敷の敷地内で集団生活を送っていた侍女の内、嫁入りした子達が駿府館の外に住居を構え、入れ替わるように、新規採用した新米侍女達が、住み込みで働くようになった。
幸いにも、妊娠した侍女達のお腹が大きくなるまで時間があったため、新米の子達は先輩の指導を受けながら、少しずつ屋敷での務めに慣れて行った。
そして三か月が過ぎ、新米侍女がそれなりに仕事をこなせるようになって来た頃、私に大事件が起きた。…婉曲表現を用いるならば、私も子供を産める体になる準備が始まったのである。
前世、現代日本でも大っぴらに話せる事では無かったが、戦国日本では尚更厳しかった。私の体に起こった変化に気付いた侍女頭お梅の指示により、私は自室での絶対安静を余儀なくされたのである。
とは言ったものの、こうした展開はある程度予想済みだった。
小田原にいた頃から学習した事だが、この世界では女性に対する『ケガレ』意識が非常に強い。個人差も非常に大きいのだが、酷いケースだと『女性は成仏出来ない、子供を産んでも産まなくても地獄行き』みたいな事を平気で言う人もいる。
ちょっと交流すれば分かるのだが、別に精神に異常があるとか女性に恨みがあるとかそんな事も無い。つまり、純粋な真理としてそう信じているのだ。その裏付けの最たる物が、一定の年齢に達した女性がほぼ例外なく定期的に流す血という訳だ。
あいにく、専門的な医学知識を持たない私では、それが人類存続のために避けては通れない現象であると理路整然と説明する事は出来なかった。もし出来たとして、その場合は、どうしてそんな事を知っているのか、と怪しまれただろうから、どの道結果は同じだったろうが。
不幸中の幸いというべきか、お梅を始めとした女性陣からは、密やかにお祝いの言葉を貰った。現代医学の知識はなくとも、女性が妊娠可能となる条件については、古来から女性の間で語り継がれて来たらしい。
臼川越庵先生の弟子に少なからず女性がいた事も幸運だった。越庵先生は実力とやる気があれば性別も出自も問わない主義だったため、ローテーションで私の容態を見られる程度の人員が揃っていたのだ。
半年ほど経って症状が重くなった頃からは、献立を考えてくれたり、症状を緩和する漢方薬を用意してくれたり、単純に話を聞いてストレス発散に付き合ってくれたりと、彼女達にはお世話になりっぱなしだった。
一方で、百ちゃんには申し訳ない事をしてしまった。
私の側付きになって以降、一度も体調不良を理由に休みを取っていない事実に気付いた私は、もしや風魔の秘薬でもあるのではないかと無邪気に聞いてみたのだが、私の不用意な質問に対し、百ちゃんが見せた表情は厳しかった。
「仰せの通り、風魔の秘薬には新月丹と申しまして、月の物を止める薬もございます。女乱破は色で男を惑わす事もございますゆえ、風魔の女乱破は皆、新月丹を飲んでおります。」
「新月丹…それを分けてもらう訳にはいかないかしら?」
「恐れながら、若奥様の頼みでもこればかりは…。」
百ちゃんが私の頼みを断るという、これまで全く無かった訳ではないが珍しい事態に目を丸くしていると、百ちゃんはしばらく迷う様子を見せてから、その理由を教えてくれた。
「わたくしが風魔の里におりました頃、腕利きの女乱破がおりました。わたくしの指南役と呼べるお方で…月に一度、新月丹を飲んでおられました。今のわたくしと同じ歳の頃、顔に隠しようのない怪我を負って以来、後進の指南にあたっておられたのですが…月の物が全く来なくなってしまわれたのです。新月丹を飲んでいないにもかかわらず。」
私は自分の喉がゴクリと音を立てたのを聞いた。
新月丹とやらが人体のどこにどう作用するのかは分からないが…一定の期間を超えて服用すれば、二度と子供が産めない体になる劇薬であるという事だけは分かった。
であればなるほど、私は飲む訳には行かない。私はあくまで避けられない辛さを軽減したいだけだからだ。
「肝心な時にお役に立てず、申し訳ございません。出来る事なら、若奥様の痛みを代わって引き受けて差し上げたい…。」
「何を莫迦な事を!あなたはいつも、私のために身を削ってくれているではないの!」
思わずお腹の痛みを忘れて叫ぶと、百ちゃんは目を潤ませて「有難き仕合せにございます」と、小さな声で言った。
「新月丹の効き目はよく分かったわ。もう分けて欲しいとは言わない。…私のために、本当にありがとう。」
こうして危ないおクスリに関する一件は、一応の決着を見たのだった。
さて、肝心の『お仕事』についてだが、私の不在による悪影響は想像以上に少なかった。それもこれも、侍女頭のお梅、そして副頭のお銀と雛菊のお陰だ。
お梅が中心となって侍女や屋敷の下人達を差配し、小田原以来のサブリーダーであるお銀と、今川のしきたりに精通した雛菊がこれをサポートするという体制が、思いのほか上手く機能していたのである。
さすがに大事なお客様への応対や、株主総会に代理人を送る際の方針決定などについては、たとえ床に伏せっていても、根性で指示を考え、出さなければならなかったが、それ以外に苦痛に感じる事はほとんどなかった。
『お仕事』と言えば、『今川五郎氏真の妻』という立場はイコール私の仕事でもある訳だが、月に一度――厳密に言えば初期は不定期に――やってくる面会謝絶状態により、一緒にご飯を食べたり、同じ部屋で寝たりといった夫婦の時間は、当然減った。
正直、こうした突然の変化に、五郎殿との関係にヒビが入るのではないかと危惧していたのだが、五郎殿の対応は私の想定の斜め上を行っていた。
五郎殿が選んだのは見て見ぬふりでも、直接会いに来る事でもなく、定期的に手紙を書いて送る事だった。
手紙には、屋敷の事は気にせず静養に努めるように、という労りの言葉や、戦や政とは関係の無い、日常のちょっとした出来事が書かれており、無気力状態の私にとって少なからずストレス解消になった。また、手紙には一度ならず、軍略を学び、剣の腕を磨いても、妻の苦痛を取り除けない自分が口惜しい、といった内容が記されていた。
…前から思っていた事だが、五郎殿は女性に対して理解があり過ぎじゃなかろうか?現代日本でさえ、『病気でもないのに騒ぎ過ぎ』とか、『女はいいよな、毎月休みを取れて』とか言われたのに。
もしかして、五郎殿も未来からやって来た転生者?いや、普段の言動からしてそれは考えにくい。
となると、やっぱり兄弟が妹だけだったから、いい意味で女性慣れしているのだろうか。
そんな益体も無い思考で暇を潰していると、障子の向こうに人影が差した。
「若奥様、梅にございます。お休みの所申し訳ございません。寿桂様より火急の知らせが…。」
「寿桂様から?…分かったわ、入って頂戴。」
私はそう言ってから、お梅が入室する間に身を起こし、正座の姿勢をとった。
「若奥様、どうかお体をお休めになって…。」
「少しならば、大事無いわ。寿桂様の言付けとなれば、心して聞かなくては。…それで?」
私が促すと、お梅は深呼吸を一つしてから、寿桂様からの書状を差し出した。受け取って開き、内容を確認する。
「…ふた月ほど前に京から駿府にお越しの、山科殿を接待する準備を整えるように、とのお達しね。」
「山科様とは…?」
「寿桂様の妹君のご子息にして…内蔵頭権中納言であらせられる、との事よ。」
息を吞むお梅を前に、私は喉を鳴らした。
無理もない。これまで私達が接して来た戦国大名とは、全く毛色の異なるお客様だ。
普段から駿府で生活を送っている人々と異なり、京からやって来たとなれば、半端なおもてなしは出来ない。
「詳しい日取りは吉兆を占ってから、追って知らせが来るそうよ。今日明日とはならないでしょうけれど…失礼のないよう、屋敷の内も外も、見苦しい所の無いようにしておいて。」
「かしこまりました。当日の献立については…?」
「寿桂様がこの書状に、山科殿の好物や苦手な物を列挙してくれているわ。好物をいつでも仕入れられるように、馴染みの魚売りや猟師に話を付けておいて。…多少心付けがかさんでも構わないわ、大事なお客様だもの。」
喋っている内に頭がふらつき始めた私の肩を、お梅が慌てて支えた。
「ご無礼仕ります。わたくし共で出来る事はやっておきますゆえ、今はお体をお休めください。」
お梅に小さく頷き返して、布団に潜り込んだ私は、一礼して退出するお梅を見送りながら、寿桂様の書状の内容を反芻した。
山科権中納言殿は、表向き寿桂様と暮らしている母親を訪問するために駿河にやって来た事になっているが、本当の目的は財政難に悩む朝廷のために、全国各地の大名から献金を集める事らしい。今川家の献金は義元殿が負担するが、滞在中に悪い印象を持たれると朝廷での評判が悪くなるため、丁重におもてなしするように――といった内容が遠回しに書かれていた。
今川家に嫁いで二年あまり、駿府館の周りに住むお公家様を接待した経験もあるため、全くの手探りではない。しかし、京からやって来たばかりのお公家様を接待するとなれば、相応の準備が必要となるだろう。
私は山科殿をおもてなしする算段を整えながら、一刻も早くいつもの体調に戻りたいと、奥歯を強く噛み締めるのだった。
お読みいただきありがとうございました。




