#106 最後の一局
諸事情によりだいぶ間隔が空いてしまいました。
改めてよろしくお願い致します。
天文24年(西暦1555年)10月 太原雪斎の屋敷
「まさかこうして、畳の上でお迎えを待つ身になろうとは。拙僧の来し方を思えば、身に余る仕儀にございます。」
決して大きくはないが、よく通る声色で、病床に半身を横たえた老僧――今川義元の重臣、太原雪斎が言った。
その権勢に見合わない質素な作りの屋敷の一室、どこか冷ややかな日差しが障子越しに照らす部屋の中、火鉢と盤上遊戯を挟んで、気品ある老尼僧と向き合っての事だった。
「仏門の身としては、そうかも知れません。されど、武士としては…今川に、太守様に忠義を尽くして参られたではありませんか。」
そう返しながら老尼僧――今川家現当主義元の義母、寿桂が手持ちの駒を盤上に置き、黒と黒に挟まれた白の列をひっくり返す。
「言うまでもなく。今の拙僧は太守様のご厚情あればこそ…されど、それはこの世にある限りの事。拙僧はあまりに俗世の罪業にまみれ申した。涅槃に至る事、もはや叶いますまい。」
「…なればその罪業、多少なりともわたくしが引き継ぎましょう。」
掌中で御世論の駒をさすっていた雪斎は、その言葉に手を止め、険しい顔付きで寿桂をにらんだ。
「拙僧に心残りのある事…お気付きにございましたか。」
「一手一手にかける時が長く…攻め手も鋭さを欠いておられますゆえ。」
言われて駒を握りしめた雪斎が改めて盤面を見渡すと、局面は中盤から終盤に差し掛かっており、位置取りも、枚数も、黒が優勢となっていた。
「…お恥ずかしい限りにございます。床に伏してからというもの、あれもこれもと今川の行く末が気にかかり…。」
「そのような有様では、落ち着いて三途の川を渡る事も難しいでしょう。せめてわたくしに重荷の一つでも託してくださいませ。」
寿桂の懇願からややあって、雪斎は盤面の中ほどに白を置き、黒を数枚取り返した。一見地味な反撃だったが、それがこれからの反撃の布石である事を、寿桂は即座に看破した。
「先だって、甲斐の武田より太守様に申し立てがございました。武田はかねてより今川に助勢して参ったにもかかわらず、なにゆえ此度、今川は武田に助勢せぬのか、と。」
「太守様は何と。」
剣吞な空気の中、二人が交互に駒を置き、駒を取り合う音が部屋に響く。
「武田が今川に助勢した折は、武田にも相応の利があったはず。当方は三河の泰平に馳走しているため、武田への加勢は致しかねる。越後勢が甲斐にまで迫るようであれば、喜んで兵を出そう、と。」
雪斎の言葉に、今度は寿桂が手を止める番だった。
今川と武田の関係は、北条とのそれと同様に複雑だ。義元が妻を武田から迎えるまで、今川と北条は手を組んでしばしば甲斐に攻め込んだ。しかし北条と河東を巡る戦を始めて以降、武田は今川にとって重要な同盟国となる。
そして、義元の妻がこの世を去り、相互に輿入れする形で今川、北条、武田が手を結んで以降、義元の外交方針にも変化が現れていた。端的に言えば、武田の軍事行動への支援が目に見えて乏しくなったのである。
さりとて、北条に対しては積極的に軍事支援を行っているかと言えばそうでもない。
北条からは支援要請は来ず、武田は助勢を懇願する。その違いはどこにあるのか?
「駿、甲、相の盟約は、今川、武田、北条のいずれにも大きな利をもたらし申した。いずれも背後にかまう事無く、三河、信濃、関東の経略に注力できるようになりましたゆえ。」
雪斎の言葉に浅く頷きながら、寿桂は盤面に駒を置き、数枚の白を黒に変えた。
「されど、三家の相手が等しく大敵であるとは言いかねまする。今川は尾張の織田、武田は越後の長尾、北条は関東の群雄に対している。」
「一見、北条の分が最も悪いのでは?」
寿桂の問い掛けに、雪斎は盤面をにらんだまま、首を横に振った。
「関東の群雄にも勇将豪傑ありと聞き及んではおりますが…関東公方や関東管領といった旗頭を欠いた現状では、合力して北条と戦う事は出来ますまい。それに引き替え、北条はしばしば検地を催して己の力量を知り、武備の充実に余念がありませぬ。時を追うごとに、北条の領国は広がる一方かと。」
「今川は?」
「拙僧も参陣しながら未だに尾張一国を経略出来ていない…その不手際は認めましょう。されど、織田上総介(信長)は尾張一国の主にあらず。これまで同様に調略を続ければ、遠からず孤立して今川の軍門に降りましょう。」
「…では、なにゆえ武田のみが?」
寿桂の問い掛けに、雪斎は盤上の一角へと白を打ち込み、そこから複数の方向へと駒をめくった。その様は、あたかも堅牢な石に深々と亀裂が走るかのようだった。
「甲斐、信濃は共に山の中。攻め入るに難く、他国へと討ち入るも難しい地勢にございます。それゆえに、武田大膳大夫殿は上野と北信濃に兵を集める事が出来るのですが…そこに立ちはだかる越後の守護代殿が、なかなか手強い。」
「しかし太守様はそこに加勢しようとはなさらない。それはなにゆえ?」
「駿甲相の盟約を、一年でも長く永らえるためにございます。先ほど申し上げた通り、北条の関東経略には幾十もの年月を要するでしょう。今川の行く手には尾張、美濃、伊勢と道が開け、交通の便も良うございます。されど、武田が信濃一国を攻め取ったとて、甲斐より遠く離れた雪国…越後を望みましょうや。」
「武田が今川か北条…いずれかの領国に目を向ける恐れがあると?」
「乱世の習いなれば…それゆえ、太守様は武田と長尾の戦を長引かせようと考えておいでにございます。」
「武田が今川と手を切る恐れは?」
「武田は味方より敵の方が多うございます。今川が頼りにならぬからと手を切れば、常に駿河との国境に気を払いながら、信濃で長尾と渡り合わねばなりませぬ。左様な事では、武田は立ち行かぬかと…。」
義元の深謀遠慮に舌を巻いていた寿桂は、「なれど」という言葉に眉根を寄せた。
「大膳大夫殿は飢えと水害に苦しむ甲斐国をまとめ上げ、瞬く間に信濃半国を手に入れた稀代の名将。あのお方と今川が渡り合えるのは、太守様と寿桂様がご存命であられるがゆえの事にございます。」
「…五郎殿には荷が重いと?」
「若君の才覚、器量、共に疑いの余地はございません。されど、経験ばかりはいかんともしがたく…。いずれ今川の太守となられた後、武田と手切れになりはしないかと…。」
雪斎の危惧を聞いた寿桂は、いつしか白が勢いを盛り返した盤面に、慎重に駒を置いた。
「お話くださり、かたじけのう存じます。雪斎殿の心労、ごもっとも…なれば、わたくしも今川のため、今少し生き長らえねばなりませんね。」
「…心苦しい限りにございます。苛烈な半生を送って参られた寿桂様に、更なる重荷を負わせる事になろうとは…。」
「雪斎殿が気に病む事はありません。…むしろ、わたくしは待ち望んでいたのやも知れません。」
予想外の返答に雪斎が視線を上げると、普段の様子からは想像もつかないような、穏やかな表情の老婆がそこにいた。
「増善寺殿(氏親)、臨済寺殿(氏輝)、定源寺殿(彦五郎)、恵探殿…そして福島一門を始め、家督争いや河東を巡る戦で落命した人々の冥福を祈りながら余生を送る事が、わたくしに課せられた務めと心得ておりました。けれども…北条より嫁いで来たあの子と共に過ごす内に、考えを改めたのです。」
最終局面に入った盤面越しに寿桂の表情を見ながら、雪斎は次の言葉を待った。
「この子と五郎殿が共につくる、新たな今川を見てみたい…と。折り目正しく、我が儘も言わぬ大人しい子かと思えば、八百長試合で夫を打ちのめし、商人と誼を通じて財を成し…さりとてその銭の使い道は、己の楽しみではなく、専ら家臣領民のため…わたくしには思いもよらない事を次々と成し遂げる。この、御世論のように。」
雪斎が最後の駒を置いたのは、寿桂の言葉を噛み締めるかのような、長い沈黙の後だった。
黒を二枚だけひっくり返してから、白が上向きになっている駒を一枚一枚、横の小机に移動させ、勝敗を確かめる準備を始める。
「寿桂様の存念、とくと伺いましてございます。なれば、そのご厚意に甘えさせていただきましょう。今川の行く末を、何卒お見守りください。」
「承知いたしました。わたくしは兵を率いて戦場に立つ事は出来ませんが…持てる手立ては全て使いましょう。」
「お頼み申し上げます。拙僧も太守様も、『あの者達』には随分と助けられましたゆえ。」
「…わたくしが言えた義理ではありませんが…『あの者達』の手を借りずとも戦に勝てればよいのですが…。」
「それは難題にございますな。戦は『正』と『奇』が入り乱れるもの。善は善、悪は悪と、割り切れるものではございません。…ちょうどこのように。」
雪斎に促されて寿桂が手持ちの駒を数えると、三十二枚。
雪斎の持ち駒も三十二枚。
つまり、引き分けである。
「まあ、かような事が…。」
「真に有難き巡り合わせにござる。寿桂様との対局をこれまでにせよとの、御仏の思し召しにございましょう。」
そう言うと、雪斎は居住まいを正し、寿桂に深々と頭を下げた。
「拙僧に代わって今川を支えんとの気構え、感服仕りましてございます。せめて御身の健康と長寿をお祈り申し上げます。」
「ご心配には及びません。わたくしの助力なくとも今川を背負えるようになるまで、身命を賭してお二人を支えましょう。…ですから、雪斎殿もお体を大事になさってください。あるいは病が失せ、また戦場に出られるやも…。」
「左様にございますな。その折には、この御世論を持って参りましょう。参陣した諸将の中で最も上手なのは誰か、考えるだけで胸が踊りまする。」
「まあ、ふふふ…。」
忍び笑いを漏らす寿桂に、雪斎は大きく口を開け、呵呵大笑した。
それはまるで、かつて戦場で采配を振るっていた頃に戻ったかのようだった。
一か月後、太原雪斎はこの世を去る。
享年六十歳。
今川義元を幼少期から支えた老僧の棺には、飾り気の無い盤と、予備を含めた駒など、御世論一式が収められていたという。
お読みいただきありがとうございました。




