#102 白黒つけたいお年頃
今回もよろしくお願い致します。
天文24年(西暦1555年)9月 駿府館
「本日は若君と若奥様にお知恵を拝借するため、お屋敷に参上した次第にございます。」
客間で一通りの挨拶を済ませて早々、お客様――松平竹千代殿はそう切り出した。
大事な要件との事で、私と五郎殿が確実に在宅するよう、事前にこれでもかと念押しした上での来訪である。
「我らに相談とは…一体何事であろう?」
五郎殿が警戒心むき出しで聞き返すと、竹千代殿は一拍置いて――主に私の方に視線を飛ばしながら――一息に言い切った。
「太原雪斎殿の無聊を慰める術をご教授願えませんでしょうか…!」
竹千代殿の訴えに、私はある面では納得すると共に、別の面においては、新たな困惑を抱える事になったのだった。
太原雪斎殿は、幼少期以来義元殿の教育係を務め、家督を巡って争いが勃発して以降は、その腹心として今川を支えて来た重鎮である。
義元殿の治世が安定しつつある昨今は、五郎殿をはじめ、未来の今川を背負う若武者の指導にも関わっている。三河の国衆の息子でありながら、今川の保護下で成長してきた竹千代殿も、雪斎殿の薫陶を受けて来た一人だ。
しかし、その雪斎殿も今年で60歳。先日急に昏倒し、急死は免れたものの、病床に寝たきりになっている。越庵先生の診察によれば、内臓に重篤な疾患が存在するため、服薬によって病状を緩和する事は出来ても、完治はまず不可能との事だった。
つまり――雪斎殿はいわゆる『お迎えを待つ身』になっており、私達に出来るのはその余生を少しでも楽しませる事ぐらいである、という訳だ。
そういう意味では、竹千代殿の訴えに何ら不審な点は無いのだが…。
「過日の我らへの仕置、誠に感服仕りましてございます。若君と若奥様の手をお借りすれば、何か妙案が浮かぶやも知れぬと思い…。」
「お話は分かりました。されど…少し、お伺いしたい儀がございます。」
切々と言葉を紡いでいた竹千代殿は、私の発言に身構える気配を見せた。私も、慎重に問いかける。
「竹千代殿のご実家は三河の岡崎でいらっしゃるとか。いずれ生まれ故郷に戻り、岡崎城の主となるお積もりはございませんか?」
なぜ私が竹千代殿にこんな質問をするのか。それは、雪斎殿と竹千代殿の関係を知るにつれて湧き上がって来た、ある疑惑に起因するものだ。松平竹千代殿は、実は徳川家康の若き日の姿なのではないか、という。
根拠は例によって、前世の幼少期に通っていた図書館にあった児童向け歴史漫画シリーズだ。
私の記憶が正しければ、徳川家康の幼少期~青年パートはこんな感じだ。
幼い頃の家康は故郷、三河から今川の人質にとられ、家臣を戦で酷使されるなど、辛い日々を送っていた。しかし、彼の天下人としての器を見抜いた太原雪斎に教育され、めきめきと頭角を現していく。やがて桶狭間の戦いに今川方として参陣した家康は、今川義元の死によって混乱する故郷、岡崎に戻り、今川からの独立を果たす。織田信長と対等の同盟を結び、天下統一に向けて飛躍していくのであった…。
無論、私もこれが百パーセント事実だとは思っていない。以前『桶狭間合戦』の様子を得意気に父上に披露して手厳しいツッコミを幾つももらった経験上、漫画での描写に多少の誇張や省略があるのだろう、とは思っている。
しかし、『ヤング徳川家康』と松平竹千代殿に、一致する部分が複数存在する事実は見逃せない。
だから早い内に見極めておく必要があるのだ。竹千代殿と徳川家康が、同一人物なのかどうかを。
あの漫画が主人公の名前を『徳川家康』で統一せず、幼名も書いてくれていたら話は早かったのだが…。
「拙者が三河に戻り、岡崎城の主となる…?若奥様、誰がそのような世迷言を…?」
困惑した様子の竹千代殿に、しかし私は警戒を緩める事は無かった。
もし本当に徳川家康であれば、この程度の芝居はお茶の子さいさいだろうからだ。
「故郷から引き離され、駿河に留め置かれ…太守様に不満を抱かれた事もおありでは?」
「滅相も無い!太守様には実の子、若君の弟のごとく扱っていただき…感謝の申しようもございませぬ!」
予想以上に今川に好意的なコメントが返って来た事にびっくりしていると、竹千代殿は珍しく怒りの感情をむき出しにして、私に向かって反論して来た。
「そもそも拙者が駿府に参りましたるは、松平家を守るためにございます。三河が落ち着かぬ中、松平の嫡男として家督を継いだ拙者が無事元服出来るようにとの、太守様のお取り計らいにございます。太守様はそのために、今は亡き父上に代わって岡崎の治世を担い、法外な身代金までお支払いくださり…!」
えっ、えっ、何それ、知らない。
私が内心の動揺を悟られまいと、辛うじて無表情をキープしていると、竹千代殿は肩で息をしながら続けた。
「岡崎にいた頃は気の休まる時がございませなんだ。祖父は家中の謀反で命を落とし…実家が織田についたからと、母上まで岡崎を去る始末。兄弟もおらず、親族も当てにならぬとあっては、岡崎に安住する事など、とても出来ませなんだ…。」
うーん、案の定と言うか、意外と言うか…三河武士は松平家に絶対の忠誠を誓う、ってイメージがあったけど…どうやらその辺も怪しそうだ。
「太守様の差配で関口殿の後見を賜ってよりこの方、拙者は平穏な日々を送り、御一家衆との縁組まで手配りしていただき…たとえ今川のためであろうと、太守様には一生をかけてもお返し出来ぬ程の御恩があり申す。それを違えて岡崎の主となるなど、夢にも思いませぬ。」
鼻の穴から蒸気を吹き出しそうな形相を見て、私は強烈な罪悪感に襲われた。
確かに、基本的に今川のためとは言え、竹千代殿に対する今川の扱いは『人質』というより『お客様』だ。将来の今川を支える人材として、手塩にかけて養育しているようにしか見えない。
ここは妙な疑いを持った事を、素直に謝罪すべきか…。
「竹千代。」
突然口を開いたのは、それまで黙って横で聞いていた五郎殿だった。
「そなたの今川に対する忠節、誠に頼もしく思うぞ。あらぬ疑いを抱いた事、相済まぬと思うておる。」
「…い、いえ、拙者こそ、若奥様に出過ぎた口を…。」
「されど。」
感情の読めない、平坦な声色のまま、五郎殿は続けた。
「先だってお主が申した事…果たして、岡崎でお主の元服を待つ松平譜代の面々の前で言えようか?」
ひゅっと音を立てて息を吞む竹千代殿を横目に、私は五郎殿の問い掛けの意味を必死に考えた。
竹千代殿の認識に間違いが無ければ、つまり、今川によほど悪辣な意図が無ければ、今川が竹千代殿を養育しているのは、今川家と松平家の双方にメリットがあるためだ。
松平家は今川の傘下に入って指図を受ける代わりに、今川に存続を保証してもらえる。
今川家は御一家衆から竹千代殿に輿入れする事で、兄弟がいない五郎殿に疑似的な親族を用意する事が出来る。
ここで忘れてはならないのが、竹千代殿はいずれ元服し、名実共に松平家の当主となる、という点だ。
今川では有力家臣が駿府館の周りに屋敷を構えるのが一般的なので、竹千代殿も原則として駿府で生活する事になるだろうが、さすがに自分の本領に一度も顔を見せないというのはまずいだろうし、軍役を果たすために岡崎に行く事もあるだろう。
…もしそこで、竹千代殿が『三河は嫌い、駿府の暮らしに何の不満も無い』なんて公言したら…。
「若奥様!申し開きのしようもございません…!」
大声に驚いて視線を向けると、竹千代殿は床にこすりつけるように頭を下げていた。
「若奥様の深謀遠慮に気付く事が出来ず、不覚にございました。この竹千代、若奥様の忠告なかりせば、岡崎で拙者の帰りを待つ郎党の心中を推し量れず、見限られる所にございました。」
どどどど、どうしよう。めっちゃ勘違いされてる。
とは言え、『違います。あなたが将来今川を見限る人かどうか、確かめたかっただけなんです。』なんて言える訳ないし…!
「そこまでへりくだらずともよい。過ちを犯す前に正せる事ほど有難い事もなかろう。重ねて申すが、そなたの忠節を疑ってはおらぬ。雪斎の見舞いの事、我らもよくよく相談してみよう。そなたも、恩師を気遣うは見上げた心掛けではあるが、年末には元服、年明けには瀬名との婚礼を控えた身であろう。ゆめゆめ支度を怠るでないぞ。」
五郎殿のそんな言葉で、私の発言の真意はウヤムヤになり、面談は会食の段階へと移っていった。
私は事前に聞き取ったリクエストに従って、竹千代殿の好物だという鯛を、刺身や散らし寿司など様々な調理法で提供し、どうにか上機嫌で帰宅してもらう事に成功したのだった。
竹千代殿が帰宅して間も無く、私は五郎殿と膝詰めで向かい合っていた。気分はさながら、先生のお説教を覚悟して待つ小学生だ。
理由は分かり切っている。私が竹千代殿の忠節を疑うような発言をしたからだ。
「結よ、なにゆえ竹千代の逆心を疑ったのじゃ?」
怒りよりも、いぶかしむ雰囲気を強く醸し出して、五郎殿が聞いた。
「竹千代は父上に駿府へ招かれてよりこの方、儂の兄弟同然に育てられた。いささか果断に欠けるきらいはあるが、折り目正しく、文武の稽古に余念がない。」
うう、聞けば聞くほど竹千代殿が今川を見限る理由が見当たらない。
「されど…お主が理由も無く他人を疑うとも思えぬ。訳があると申すのであれば、儂に教えてくれぬか。」
前世、私の訴えをまともに聞いてくれなかった大人達とは真逆の真摯な眼差しで、五郎殿は私に問いかけた。
…こうなったら仕方ない。例によって、リアルな夢を見た、という体で行こう。
「実を申しますと…私はしばしば奇妙な夢を見る事がございます。それも、逆夢となるであろう夢を…。」
「逆夢を見る?例えばどのような…。」
「小田原にいた頃夢に見ましたのは、尾張の桶狭間なる地で太守様が…義父上がお討死あそばされる情景にございました。」
「なんと!父上が…?」
驚愕の色を隠せない五郎殿を、私はそっと片手を上げて制した。
「されど夢の中の『治部大輔殿』は…死地に陣を敷き、勝敗も決さぬ内に酒盛りを始めるなど、真の義父上とは似ても似つかぬお方にございました。駿府にて義父上にお目通りして、あれは逆夢であったとの思いを強くした次第にございます。」
「…ふむ、左様か。では、竹千代の逆心を疑ったは…やはり逆夢ゆえの事か。」
いきなりスピリチュアルな話を信じてもらえた事に若干戸惑いながらも、私は改めて『ヤング徳川家康』について語った。
…話の途中から、五郎殿の困惑が深まっていく様子が手に取るように分かった。
「竹千代が優れた才覚の持ち主である事、疑うべくも無い。されど、三河の国衆が今川を恨んでいるかと申せば…敵地に最も近い大名や国衆が先手を務めるは、戦の習いゆえのう。父上が戦支度や論功行賞に、何ら手を打っておらぬとも思えぬし…。」
あ、そうか。今川と織田が西三河から尾張にかけて交戦状態にあるから、自然と三河の国衆が先鋒を務める事になる訳だ。確かにそれで三河の国衆が今川を恨むのは不自然だ。
現代風に言えば、地方の事業所が降って湧いた特需で休日返上の連続勤務になって、出勤した分だけ手当ももらえてるのに、本社に文句を言う、みたいな…いや、違うな。戦国時代と現代では命の価値も、『仕事』の内容も違いすぎる。
「…話は分かった。そなたの申す通り、恐らく逆夢であろう。血縁に頼って竹千代を粗略に扱えば、今川を見限り、織田に寝返るやも知れぬ、とな。」
義元殿同様、私のポンコツ未来知識をポジティブに解釈してもらえた事に安堵していると、五郎殿は「それはさておき」と膝を打った。
「雪斎への土産を考えねばのう…今日明日という事もなかろうが、あまり時をかける訳にも行かぬ。」
「雪斎殿がお好みの遊戯や、菓子などはございませんでしょうか?」
私の質問に、五郎殿は思案顔で、片手に持った扇子をゆらゆらと揺らした。
「碁を嗜んでおると聞いたが…病床で長考するは体に障る。何か、もっと手軽な遊戯でもあればよいが…。」
囲碁かあ。あれ、前世からよく分からなかったんだよなあ。
白と黒の碁石をお互いに置いていく、位は分かるけど、どうなったらどっちの勝ちになるのかとか、全然分からなかった。
今世では花嫁修業の一環として一通り叩き込まれたけど、同じ白と黒なら私はやっぱり――
「…五郎殿。私に一つ、考えがございます。」
現代日本で、老若男女、多くの人に親しまれた、シンプルにして奥深いボードゲーム。
それが雪斎殿にも気に入ってもらえる事を願いながら、私は友野屋殿に書状でお願いする内容を、頭の中で組み立てていった。
お読みいただきありがとうございました。