#101 伊勢を発(た)ち今かわ渡る雲はやし何処(いずく)にとりて嵯峨みえるかも
大変お待たせ致しました。
特別編をようやく投稿させていただきます。
リクエストにご応募いただき、誠にありがとうございました。
永正16年(西暦1519年)正月 駿府館
今川家当主、氏親の屋敷の一室で、熱を発する火鉢を中心に座る、三人の男女がいた。
白髪交じりの、それでいて眉の吊り上がった、精気に満ち溢れた顔つきの老女。
老女とどこか似通った雰囲気の、禿頭の老人。
そして、寝床に半身を横たえた、身重の女性である。
「義叔父上、本日はわたくしの見舞いにわざわざお越しくださり、お礼のしようもございません。はるばる韮山から、ようこそお越しくださいました。」
「何の何の。姉ちゃんのためなら富士川も一っ飛び、甥っ子姪っ子のためなら、もう一っ飛びや。カッカッカ…。」
「ドアホ!」
身重の女性に朗らかに語りかけていた老人の後頭部を、老女が平手で叩き、小気味よい音を立てた。
「あいたた…。何すんねん、姉ちゃん。」
「富士川を越えるんはいっぺんでええ。もういっぺん越えたら、伊豆に逆戻りやないの。それから、姉ちゃんやの、甥っ子姪っ子やの、気安う呼ばんといて。あんたは今川家御一家衆の伊勢宗瑞。うちは当主様の母親、北河殿。ここにおわすは当主様の正妻、南殿やで。」
老女…北河殿が並べ立てた仰々しい肩書きとは裏腹に、悪びれる様子もなく頭をさする義叔父…伊勢宗瑞の仕草に、南殿は忍び笑いを漏らした。
「せやけど姉ちゃん、ここには身内しかおらへんで。広間で堅っ苦しい挨拶してきたばっかりやし、こんな時くらい足を伸ばさせてえな。」
そう言うなり、足を崩して床に寝そべる宗瑞に、これが先ほどまで広間で堂々たる風格を放っていた老将と本当に同一人物だろうかと、南殿は首を傾げた。
「南殿も、ほれ。わしを助けると思って、足を伸ばしてくれへんか?」
おどけた調子で頼み込む宗瑞に、南殿は苦笑しながら体を横たえる。
もしかして宗瑞殿は、身重の自分が気兼ねなく姿勢を崩す口実のために、率先して足を崩したのでは?そんな疑問が南殿の脳裏をかすめた刹那、北河殿が深々とため息をついた。
「あんたは昔っからよう口が回りよる。宮仕えしとる内に丸うなった思とったけど、とんだ見込み違いやったわ。それどころか、今や伊豆と相模の国主にまでなってもうて…。」
「何を言うとんねん。わしは今でも今川の御一家衆やで?」
「その建前すら守れんようになっとったら、とっくに門前払い食らわしとるさかいな。」
遠慮なく言葉の応酬を繰り広げる姉弟に、南殿が目を丸くしていると、北河殿と宗瑞は示し合わせたかのように振り返った。
「「どないしたん?」」
「ッ…いえ、左様にお年を召されても、ご姉弟仲睦まじく、誠に結構な事と思いまして…。それに引き換え、わたくしと申せば…殿のお役に立てているとはとても…。」
「何を言うてはりますの。嫁いで来てくれてからこっち、元気なややこを何人も産んでもろて…。」
「ですが、竜王丸殿(氏輝)を除けばみな女子。殿が他の方々との間にも子をもうけておられる事を思うと、胸がふさがれるような心地がして…。」
南殿が肩を落とし、膨らんだ腹を撫でると、姉弟は無言で視線を交わし、瞬く間に居住まいを整えた。
「南殿。今日はわしらの昔語りに付き合うてくれへんか?」
「昔語り…?」
聞き返す南殿に、宗瑞は深々と頷いた。
「西国のちょっといい家の次男坊が、どないして坂東二か国の主になったかっちゅう話や。」
「大体うちのお陰やけどな。」
「姉ちゃん、それは言わんとってえな…。」
南殿が笑いを噛み殺すのを見計らうかのように、姉弟は自分達の半生について語り始めるのだった。
北河殿と伊勢宗瑞は、室町の公方様に仕える奉公衆の一人、伊勢盛定の子である。
盛定は伊勢氏本宗家、伊勢守家…の庶流である備中伊勢氏…のそのまた庶流にあたる。地侍にはほど遠いが、高貴の出と言い切るには差し障りの多い出自だ。
ともあれ、元服した宗瑞――当時は新九郎盛時を名乗っていた――は、幕臣として東奔西走の日々を送り…
「ま、このへんは端折ってもかまへんやろ。似たような名前がぎょうさん出て来るよって、おもろないしな。」
「あんた、ホンマに官位やら官職やら嫌いやな。それでよう宮仕えが務まっとった思うわ。」
一方、北河殿は駿河の守護、今川義忠に嫁ぎ、京での暮らしに劣らぬ優雅な生活を送っていた。
嫡男竜王丸を産み、順風満帆だった人生を波乱が襲ったのは文明8年(西暦1476年)の事。遠江に遠征していた義忠が、帰国の途上、塩貝坂にて討死してしまったのである。
この非常事態に、後継者を巡って今川家中は割れた。
僅か四歳の嫡男、竜王丸か、義忠の従兄弟、小鹿新五郎範満かに別れて。
「小鹿新五郎殿は、それほど家中の人望が篤かったのですか?」
「年齢の頃は二十歳半ば過ぎ、戦で采配を振るった事も多く…御一家衆の中では頼りになるお方や思うとりました。まさか跡目争いに名乗りを上げるとは思いもしませんでしたけど。」
武力衝突すら発生した今川の家督争いを決着させたのは、家中の人間ではなかった。関東の名門、扇谷上杉家の筆頭格、太田道灌である。
「なにゆえ、今川の跡目争いに扇谷殿が…?」
「その頃関東では、古河公方様やら扇谷殿やらが大いに揉めとった。扇谷殿にしてみりゃ、駿河まで揉めるんは具合が悪いけえの。ほんで、家中でも一番の腕っこきを差し向けて来たっちゅう訳や。…新五郎殿の奥方は扇谷殿の縁者やったしな。」
道灌は辣腕を振るい、小鹿新五郎を当主の座につけた。これによって、北河殿と竜王丸の母子は駿府館を追われ、片田舎への隠棲を余儀なくされたのである。
「あの道灌っちゅうんは、今思い出してもハラワタ煮えくり返るわ。警固の名目でうちらを館に押し込めといて、小鹿に同心せん連中を片っ端から脅して首をタテに振らせたんや。ようやく広間に呼び出されたと思うたら、家中一同、小鹿新五郎殿に忠節を尽くしますと来たもんや。」
「ありゃあ見事やったのう。姉ちゃんから話を聞いた時は、さすが音に聞こえた名将やと感心したもんじゃ。」
「なあにが名将じゃ。『関東不穏に候えば、重んじるべきは血筋よりも器量の大きさ。かくなる上は館を出て、若君と御身の安泰を図るが得策と存じます。』…うちらがそうせざるを得んように事を運んだんは、おのれらやろうがい!」
「は、義母上…それで、館を出てからはどのように…?」
今川の家督争いに一応の決着を付けた道灌が駿河を去ると、その裁定に不満を募らせていた者達が再び動き始める。
だが、その旗頭となるべき竜王丸は、いつしか母と共に隠棲先から行方をくらまし、京に身を寄せていた。
「なにゆえ駿河で再起を図ろうとなさらなかったので…?」
「一にも二にも、殿をお守りするためや。誰が味方かよう分からん内に兵を挙げても、小鹿に潰されてお仕舞いや。万に一つ館を取り返しても、また坂東から道灌あたりが出張って来たら勝ち目があらへん。せやから、小鹿の手の届かん所まで逃げたんや。」
十年後、ついに大きな転機が訪れる。太田道灌が主君に謀殺され、坂東一帯が混乱の坩堝に叩き込まれたのである。それは同時に、家中に不安要素を抱える小鹿新五郎が、後ろ盾を失った事を意味していた。
長享元年(西暦1487年)、北河殿の要請を受けた伊勢新九郎盛時は、公方の内諾を得て駿河に下向。同志を募り、兵を集め、駿府館に攻め込んだ。
一か月に及ぶ戦いの末、盛時は小鹿新五郎とその甥、孫五郎を討ち取る。
しかし駿府全域の制圧には至らず、竜王丸は対岸の丸子に本拠を構え、敵対勢力の攻略を段階的に進めていく事になる。
竜王丸が元服し『氏親』を名乗ったのは明応4年(西暦1495年)。本拠を駿府に移したのは永正元年(西暦1504年)、南殿を妻に迎える前年の事だった。
北河殿と伊勢宗瑞の昔語りが一段落すると、南殿はうつむいて弱音をこぼした。
「殿は、左様に過酷な道のりを経て、駿河、遠江の国主となられたのですね。それに引き換え、わたくしは…。」
次の瞬間、北河殿の平手が甲高い音と共に額を打った…宗瑞の額を。
「痛ぅ‼…なんでわしをしばくんや⁉」
「南殿を元気づけよ思て昔語りしたっちゅうに、逆に落ち込ませてどないすんねん、ドアホ!」
呆気に取られる南殿の手を、北河殿は優しく包み込むように握った。
「気に病む事はなぁんもないで。うちが言いたかったんはな、命さえありゃ何とかなるっちゅうこっちゃ。男子が一人しか産まれんでも、親類に家督を取られても、元服が二十と三でも、婚礼が三十路でも、殿は立派な当主になりはった。…南殿は京から海越え山越え、はるばる駿河まで来てくれはったやないの。あんさんの子ぉらもきっと立派にお育ちになる。ええか、命を粗末にしたらあかんで。」
北河殿の気迫に、南殿がコクコクと頷いていると、宗瑞が小さく、遠慮がちに咳払いをした。
「あー、そろそろわしの話をしたいんやけど、かまへんやろか。」
「他所の不幸につけ込んで国を盗った泥棒が、何か言うとりますなぁ。」
「そら無いで姉ちゃん!」
大げさに嘆いてみせる宗瑞に、南殿は声を殺して笑った。
北河殿とその子、竜王丸が駿河における優勢を確立した事を見届けた後、盛時は京に戻った。
しかし、運命は彼を再び駿河へと呼び寄せる。
延徳3年(西暦1491年)7月――隣国の伊豆、堀越で、お家騒動が勃発したのである。
「その頃坂東には古河と堀越、二人の関東公方がおわしたんやけどな。堀越公方様は元を辿れば公方様の兄君やったんや。京の細川殿と謀って、二人の息子…潤童子殿と清晃殿を、自分の跡取りと京の公方様に据えよう思とったんやけど…4月に亡うなってもうてな。」
「それがなにゆえお家騒動に?」
「堀越公方様にはもう一人、腹違いのお子がおわしたんや。茶々丸殿言うてな、嫡男やったのに廃嫡されてしもて…よっぽど堀越公方の座が欲しかったんやろな、潤童子殿とその母君を、斬り殺してしもたんや。」
皮肉にも、堀越公方の計画は半分だけ成功していた。明応2年(1493年)、京で仏門に入っていた清晃が細川の手引きによって還俗、新たに公方の座についたのである。
十一代将軍、足利義澄は、実母と兄を殺害した茶々丸の討伐を、隣国駿河の国主、今川氏親に命ずる。その助勢として派遣されたのが、伊勢新九郎盛時だった。
「義叔父上も苦労なされたのですね。義母上と殿のためとは言え、京と駿河を行き来なさって…。」
「騙されたらあかんで、南殿。この国泥棒はな、京からガラの悪い連中をぎょうさん連れてきよったんや。駿河に着いてからも、えろう手際よく兵をまとめよってなぁ…。」
「いやいや姉ちゃん。買い被りすぎやて。現にわし、茶々丸殿を取り逃して髷を落とす羽目になったやんか。京にも戻れんようになってしもたし、ホンマ一世一代の不覚やで~。」
「言うとき。あんたの魂胆はお見通しや。茶々丸殿が行方をくらまして、伊豆がぐちゃぐちゃになった方が都合が良かったんやろ。」
「…あー、わしが早雲庵宗瑞を名乗ったんはこの時の事でなあ…。」
今川を後ろ盾に伊豆に攻め入った宗瑞は、やがて半ば独立勢力としての活動を開始した。ある時は甲斐に出兵して茶々丸を討ち、またある時は小田原城を奪い…いつしか伊勢宗瑞は、伊豆と西相模の主となっていた。
伊勢宗瑞はその後も、関東で紛争が発生する度に、その間隙を突くように立ち回り、勢力を拡大していく。旧来の支配者――扇谷や山内といった名門は当然これを危険視し、糾弾しようとしたのだが、宗瑞が今川の御一家衆としてしばしば氏親の名代を務めているとあっては、正面切って批判する事は出来なかった。
かくしてここに摩訶不思議な大名が誕生する。
二か国の主でありながら今川の御一家衆であり、出家の身でありながら俗世の業を重ね、無位無官のまま立身出世を果たした老将…伊勢新九郎早雲庵宗瑞である。
「義叔父上は初めから、伊豆と相模を盗るために駿河にお越しになられたのですか?」
宗瑞が昔語りを終えると、南殿は恐る恐る聞いた。
「…確と思い定めとった訳やあらへん。せやけど、初めて駿河に来た時、妙な感じがしたんや。見ず知らずの地じゃっちゅうに、妙に水が合うっちゅうか…京に戻ってからも、東の方から誰かに呼ばれとるような気がしてしょうがなかった。そこへ、もういっぺん今川に助勢せえゆうお達しが出た。…せやから決めたんや。山名も細川もない東国で、おのれの腕一本でどこまでのし上がれるか、試してみよう、てな。」
「あんたの身勝手で滅ぼされた東国のお歴々や、足軽衆の食い扶持扱いされた百姓一同にはホンマ同情するわ。」
北河殿の言葉に南殿が目をやると、年老いた女主は、弟の野望が理解しかねるとばかりに、首を左右に振った。
「せやけど…駿河に来てからこっち、あんた心底楽しそうやったからなぁ。小さい頃みたいに。殿も散々世話になったし、勘弁したるわ。」
「姉ちゃんにそう言ってもらえりゃ、わしも安泰や。」
「呑気な事言うとる場合ちゃうで。うちや殿が生きとる内はまだええ。今川とあんたんトコとの血縁が薄うなったらどないする積もりや。『他国の凶徒』を打ち払え言うて、扇谷殿あたりが檄を飛ばしてもおかしないで。」
北河殿の忠告に、南殿は小さく頷いた。
現状、伊勢宗瑞の領国は伊豆、相模に相当するが、この地に縁もゆかりも無い宗瑞がこれだけの領地を治めていられるのは、一連の戦乱の中で宗瑞が現地の国衆と個別に関係を結んだ事と、今川が宗瑞の後ろ盾になっている所が大きい。それ即ち、宗瑞が実力で切り取って来た領地の正当性が、伊勢や今川の代替わりで容易く揺るがされうるものである事を意味していた。
「姉ちゃんの心配もごもっともやけど…まあ、何とかなるやろ。氏綱がなんやおもろい事考えてるみたいやしな。あとは…南殿のお子とわしの孫が夫婦になるっちゅうんはどうや?去年産まれた満ちゃんと、うちの孫(氏康)あたり、年齢も近うて丁度ええ思うねんけど…。」
「それにつきましては。」
心なしか震える声で、しかしきっぱりと、南殿は宗瑞の発言を遮った。
「縁組は家中の一大事にございますれば、義叔父上のみならず、殿や義母上ともよく相談の上、決めさせていただきます。…今川家当主の、妻として。」
南殿の言葉に、宗瑞は歳不相応の鋭い眼光を向けた。
沈黙したままにらみ合う内に、先に鼻を鳴らしたのは宗瑞だった。
「くっくっく…カッカッカ!こりゃあ頼もしい御前様や!」
「ホンマ…よう言うてくれはりました。」
北河殿が言葉少なに微笑むと、宗瑞は今一度居住まいを正し、南殿に向かって平伏した。
「身の程を弁えぬ非礼、お許しを。この伊勢宗瑞、今川の御一家衆として、身命を賭して殿にお仕えする所存にございます。」
そう言って顔を上げるなり、宗瑞はまたも唇を歪めて笑った。
「せやけど、わしが死んだ後の事は何とも言えへん。氏綱も抜け目の無い男やさかいな。…よろしゅうお頼申します。」
警告と激励が入り混じった義叔父の言葉に、南殿は強張った笑顔で、会釈を返したのだった。
天文24年(西暦1555年)7月 駿府 寿桂の屋敷
「…その後、今川と北条の間で縁組がなされたのはあなたも知っての通りです。義叔父上の仰った通り、わたくしの三女を義叔父上のお孫様に嫁がせる事になり…そして、あなたが産まれた。」
寿桂様が言葉を切ると、私は自分が呼吸を忘れていた事実に気付き、大きく深呼吸した。
いやー…すごい。
壮大過ぎる。
パラレル戦国時代とは言え、今川と北条の因縁に関する作りこみが半端じゃない。
話に出て来た『北河殿』も、今川氏親の母親で伊勢宗瑞(北条早雲)の姉とか、歴史の教科書に載りそうなレベルですごいキャラクターだ。
伊勢宗瑞殿の頭パンパン叩いてたらしいし。
「時に、寿桂様。その頃身籠っておられたのは、もしや御一家衆の瀬名家に嫁いだ伯母上では?となれば、同じ年に産まれた父上(義元)も、宗瑞殿とお目にかかった事がおありで…?」
興奮の色が滲む口調で五郎殿が質問すると、寿桂様は顔を曇らせながら首を左右に振った。
「その年、義叔父上は体調を崩され、8月に身罷られました。太守様(義元)とお目にかかる事も無く…。やがて増善寺殿(氏親)もこの世を去り…弟君と息子に先立たれた北河殿も、北条の当代殿(氏康)が元服なさる頃に…。後は知っての通りです。輿入れから間も無く駿河で再びお家騒動が起こり、今の太守様が家督を継がれた。一時は北条と手切れとなり、河東を巡って争った。そして…あなたが、北条の姫が、今川に嫁いで参られた…。」
私を見つめる寿桂様の視線に、何と返したものか、私は迷った。
血のつながりが同盟を保証しないという事実は、母上の輿入れとその後の経緯で証明されてしまっている。それなのに、私が軽々しく、『今川と北条の同盟は不変です』なんて言っていいものだろうか?
「本日は昔語りをしていただき、誠にかたじけのう存じます。」
私の思考を断ち切るように口を開いたのは、五郎殿だった。
「これからも北条と合力し、今川を盛り立てて参ります。寿桂様におかれましては、今後とも我らにご指導ご鞭撻くださいますよう、よろしくお願い致します。」
そう言って頭を下げる五郎殿に、私も追従する。
「ご立派な心掛け、恐れ入ります。この老骨に出来る事でしたら、何なりとお申し付けくださいませ。」
寿桂様の言葉に、一つ、新しい重荷を背負わされたような感覚を覚えながら、私達は屋敷を後にしたのだった。
義理の孫と血のつながった孫、紆余曲折を経て巡り合った夫婦が去った部屋で、寿桂は物思いにふけっていた。
息子が今川の家督を継ぎ、娘が北条に輿入れしたあの頃。
北条と今川はいつまでも共存共栄の間柄でいられるものと、心のどこかで思い込んでいた――宗瑞の忠告にもかかわらず。
河東を巡る戦いで、それが大きな思い違いだと思い知らされた。
今回、再び北条との縁をつなぐ事は出来た。
だが、また今川と北条が手切れとなれば――結はどうなる?
『気に病む事はなぁんもないで。うちが言いたかったんはな、命さえありゃ何とかなるっちゅうこっちゃ。』
『まあ、何とかなるやろ。』
不意に聞こえた懐かしい声に、寿桂は部屋の中を見渡した。
誰もいない。
駿府に嫁いで来て以来、今川のしきたりを教えてくれた義母も。
常日頃から立場を使い分け、油断ならない微笑を浮かべていた義叔父も。
ただ、二人の血を受け継ぐ若き男女が座っていた座布団が、そこにあった。
「分かっております。義母上、義叔父上。わたくしはわたくしに出来る事を致しましょう。ですから…どうかあの二人の行く手に幸あらん事を…。」
寿桂の独白に答えるように、寺の鐘が鳴り響いた。
強い風が一瞬、寿桂の頭巾を揺らし、またどこかへと去っていった。
お読みいただきありがとうございました。