#010 私たちはどう生きるか
いつもより若干長くなりました。
「者ども大儀。早速始めようじゃねぇか。」
座敷の上座にあぐらをかいた父上が言った。
斜め横に私。口紅はとっくに拭われている。
廊下をはさんだ地べたにむしろが敷かれ、百ちゃんが座らされている。上半身を縄で縛られた状態でだ。周りを大勢の武士や侍女が、腰を低くした体勢で取り囲んでいる。
私が池を覗き込んだ時、危険と判断した百ちゃんは私の両肩を掴んで引き戻そうとした。それをたまたま見付けた警護担当が、百ちゃんが私を突き落とそうとしていると勘違いして百ちゃんを拘束。騒ぎを聞きつけた父上が出張ってきたというわけだ。普段は仕事仕事で滅多に顔を出さないくせに、こういう時だけフットワークが軽いんだから。出来る事なら今すぐ帰って欲しい。もしくは私が自室に戻りたい。
裁判長、父上。被告人、百ちゃん。被害者、私。現代の裁判に例えるとこんな感じだろうか。問題はそもそも私が被害者ではないことと、百ちゃんに弁護士がついていないことだ。
「最初に見付けた奴に聞くぞ。そこの侍女が結を池に突き落とそうとした。間違いねぇか。」
「大林藤四郎、謹んで申し上げる。」
百ちゃんを曲者呼ばわりした若侍――藤四郎がにじり出て言った。
「それがし、奥の間警護のため見回っておりました所、思いがけず姫様の危急に気付き候。取り急ぎ下手人を取り押さえた次第にございます。」
だから突き落とされそうになんてなってないってば!
「大殿!お耳に入れたきことが!」
私が父上に異議を唱えるより早く割って入る声があった。人の輪の中からにじり出てきたのは私付きの侍女の一人。名前はえっと…誰だっけ。
「姫様側付きの侍女、菊と申します。その者は姫様のお側に侍って間もなく、半日とおかずして姫様のお召しに与る寵愛ぶり。何か怪しげな術を使ったに相違ございませぬ。」
私がたぶらかされてたって言うの⁉
呆然としている間にとんでもない証言は続く。
「何せその女は風魔の乱破。手練手管は幾らもございましょう。」
「なるほど、それで合点が行き申した。確かに姫様を池に連れ出さんとする折、何やら妙な術を使っておったような…。」
藤四郎が百ちゃんに不利な証言を追加する。
その上、と菊は前置きをして、
「噂によればその女は人買いより風魔が買い取ったとのこと。賤しき出自、浅ましき性根に違いありませぬ!」
人買い?百ちゃんが、買われた?モノ、みたいに?
動揺して百ちゃんを見ると、彼女はうつむいたまま「その通りにございます」と言った。
「わたくしは生来他国の生まれ。戦に遭って二親をなくし、人買いに拾われました。百という名も生まれついてのものではございません。当地で風魔党首領の目に留まり、百文で買い取られたのが名前の由来にございます。」
名前の話題になると百ちゃんの口が途端に重くなる理由が痛いほど分かった。戦国時代に人身売買があったなんて思いもしなかった。私はクソオヤジとクソババアに曲がりなりにも育ててもらったけど、百ちゃんは両親も、本名も奪われてしまったんだ。たったの――正直戦国時代の貨幣価値は分からないけど端金だということは分かる――百文で。
「…なるほど、認める訳だな?」
父上の言葉に、百ちゃんはゆっくりと頷いた。
「主筋の姫に手出しするなんざ言語道断。即刻里に送り返す。後の処分は風魔に任せる。」
そこまで言って、父上は私の方に視線を向けた。
「それで良いな?結。」
良かった、私にはお咎めなしだ。会えなくなるのはさみしいけど、百ちゃんは有能だから殺されることはないだろう。そう思いながら百ちゃんの方を見ると、
目が、合った。
「お待ち、ください。」
一瞬、自分の声だとは気付かなかった。一拍遅れて、無数の視線が自分に注がれている現状に気付く。
「ほぅ、年端もいかねぇ餓鬼が、俺の仕置にケチつけようってのかい。」
中でも強烈なのは目の前の父上から感じるプレッシャーだ。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚える。
そうだ、今からでも撤回するんだ。政治や軍事に口出しせず、父上に逆らわなければ一生安泰なんだ。今度こそ私は幸せになるんだから。
でも。
彼女は私だ。
「百が認めたのは自身の出自についてであって、私を突き落とそうとしたとは申しておりません。そもそも私は池を覗き込んでいた所を百に引き戻してもらったのです。むしろ命の恩人です。」
まずは私が被害者ではないこと、つまり百ちゃんは加害者ではないことを主張する。それから、それから――そうだ、さっきの証言。
「そなた、藤四郎、と申しましたね。」
藤四郎の証言に矛盾があった。
「百が私に術をかけて連れ出そうとした、と言いましたね。なにゆえその時声を上げなかったのです?」
私の指摘に勢い良く顔を上げた藤四郎が、目を泳がせる。いや、泳がせるというよりしきりにどこかに視線を飛ばしているような…。
そう言えばさっきの妙に息の合ったやり取り…もしかして。
「先ほどからしきりに見つめ合っておられますが、もしや藤四郎と菊は昵懇の間柄では?」
二人が一瞬顔を見合わせ、さっと逸らす。どうやら当たりみたいだ。
「誰か、二人の間柄を承知しているものは?」
私が促すと、別の侍女二、三人がにじり出た。
「お役目の合間に、二人が物陰で逢引していたことが幾度か…。」
「わたくしも、お見かけしたことが。」
「わたくしも…。」
風向きが変わったのを肌で感じる。百ちゃんを取り囲む人の目が、今や藤四郎と菊の二人に集中している。
「なるほど。どうやら結の言い分はずいぶんと理に適ってるみてぇだな。」
びっ…くりした。そうだ、すぐ横に父上がいたんだ。
まさか私忘れてた?父上の存在を?
「改めて沙汰を言い渡す。側付き、百。その方が結を池に突き落とそうとした、との言い分は藤四郎の虚言と認める。よってお咎めなし、放免致す。藤四郎、後日、上役より沙汰を申し渡す。謹んで受けよ。側付き、菊。その方の仕置は侍女頭、梅に任せる。」
父上の指図を受けた部下が、小太刀で百ちゃんの縄を切った。
つまり――全面勝訴だ。
よかったぁ…。よかったよぅ…。
お読みいただきありがとうございました。




