一反木綿は家出中
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしは気ままな一反木綿。
空の海を泳いでる。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしはのんびり一反木綿。
出雲の国から北を目指して家出中。
たくさんの野を越え、川を越え、山を越え。
雨にも負けず、風にも負けず……いやいやいや、うそうそうそ。風には負けちゃうね! だってわたし、一反木綿!
そんなわたし、一反木綿。
今、どこにいるんだろう?
神のおわしました出雲の国の大社。
我らが主のお衣装となるべく、丹念に紡がれ、織られ、清められ、祈られましたわたしは、一反木綿のあやかしとなりました。
とっても素敵でありがたい一反木綿。
たくさんの人々の想いを紡いで生まれた真白の糸で織られたわたし、一反木綿。
なのにどうして、縁起が悪いと悪口を言われなきゃいけないの!
わたし、知ってるんだからね! 縫殿の御方々が出来上がって舞い上がったわたしを見て、これは主様に献上できない失敗作だって罵ったの!! 障子に目あり、一反木綿に耳ありだからね! むしろそのまま火に焚べて供養してやろうとしてくれちゃったのも聞いたんだからね!
だから私は一大決心したのです。
こんな産んだ子の世話もまともにしてくれない、情けない出雲大社、出てってやるって!
そうして出雲大社を飛び出したわたしは、こうして今、日の出るお国の上空を漂っていたのですが。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
見渡す限りは緑一面の青々とした小山。
その中に、ぽつんと見える白いもの。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ちょっと興味が惹かれてしまったわたし、一反木綿。
風に逆らってちょいとその白いものに近づいてみれば、わたしと同じ、一反木綿!
蒼い空と緑の野山。
そこに広がる白い木綿。
でもなんだろう?
この木綿は、わたしとちょっと違う気がする。
わたしはその白い木綿の子の隣に腰かけた。
腰かける? いやいやいや、わたしに腰はないのです!
くたりと一緒になって干されてみたよ!
隣から感じられる気配はなんだか不思議。
わたしのように沢山の願いが込められていたものの、抜け殻みたい。
(ねぇ、あなたは起きないの?)
抜け殻の木綿は返事をしない。
なんだかつまんない。こんなところに干されてばっかじゃあ、退屈じゃないのかな?
「あれ? 衣一枚増えてる?」
「何言ってやがる。勝手に増えてるわけねぇだろ」
薄色の単を着た真っ白な髪の女の子と、これまた真っ白な毛皮の大きな熊が、山道の向こうから帰ってきた。
この衣は彼女のものなのかな?
名残惜しいけど、さようなら。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしは気ままな一反木綿。
誰かの持ち物になるなんてまっぴらごめん!
「あっ、飛んでいっちゃう!」
「いや待て。ありゃあ一反木綿だ」
「いったんもめん?」
「反物のあやかしだ。強い願いを織り込められた果ての……まぁ、付喪神のたぐいに近いな」
「へぇ。じゃあもしかして、この白染めにつられてきちゃったのかな?」
「さてな」
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
もうちょっとおしゃべりができる同胞に出逢いたいわたし、一反木綿。
女の子と熊の声はあっという間に遠くになっちゃった。
わたしの家出はまだまだ続く。
出雲の大社からたった一反の木綿が家出したところで、探しに来る酔狂者なんているわけないし。
だからわたしは飛んでいく。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしの旅路はどこまで続く?
この風が続く果てまでも!
風の向くまま気の向くまま、わたしは流れ流され飛んでいく。
今はどこを飛んでいるのかな?
南風に吹かれたら温かい場所へとゆくし、北風が吹いたら雪景色だって見えちゃいます。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしは自由な一反木綿。
今日はとっても大きな湖を見つけちゃった!
きらきらゆらゆら輝く水面はとっても綺麗。
わたしもさらさら、さらさら、ああやってしづやかにたなびいていたいなぁ。
そう思いながら湖を見ていれば、その端っこに一人の女の人が泣いているのを見つけちゃった!
「どこなの……どこなの……」
なんだか懐かしい気配を感じてしまって、女の人に近づいてみたら、何かを探しているみたい。
何を探しているのかしらと気になっちゃって、ひらりんひらりん近づいちゃう。
そうしたら、ふっと女の人が顔をあげちゃって。
「お前は……わたくしの羽衣かい?」
(羽衣じゃないよ、一反木綿だよ! そう言ってもきっと聞こえないだろうけど!)
「聞こえておるよ。お前はわたくしの羽衣じゃないんだね」
くるりんくるりん、ふよっふよっ!
なんてこと、なんてこと!
この人、私の言葉がわかるみたい!
「おいで。お前は良い織りだね。とても腕のいい織り姫が織ったのかね」
出雲の大社の人はわたしのことを不気味がったのに、わたしに手を伸ばしてくれる不思議な人。
わたしはそよそよと近づいて、くるりんと彼女の身体にそっと巻きついてみた。
「人懐こい木綿だね。絹ほどの細やかさはないけれど、とても優しい手触りだ。ねぇお前、わたくしの羽衣がどこにあるか知らないかい」
(さぁ、どこだろう? わたしもたまたま通りかかったばかりだから)
「この湖で水浴びをしている間に、どこぞへと飛んでいってしまったようだ。あれがないと天上へと帰れない。どうか一緒に探しておくれないか」
(見つかるかなぁ? 家出しちゃったのかもしれないよ?)
「なんと。そんなことがありえると?」
(わたしも家出中だもの! あなたの羽衣も家出してるかもね!)
「そんな、まさか……」
項垂れちゃう天女様。
そうだよこの人、出雲の大社の空気と同じ気配がするんだ!
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
天女様の御体に巻きついて風に揺られていれば、天女様はおもむろに顔を上げまして。
「……千年もわたくしの羽衣をやっていれば、家出したくなる時もあろうか。なぁ、お前。家出した羽衣は戻ってくると思うかい?」
(さぁ、どうだろう? あなたが良い人なら帰りたいと思うんじゃないかな)
「そうか……ではそう在れるよう、精進しようではないか」
天女様がふんわりと微笑まれた。
そのご尊顔はとても麗しく、一反木綿のわたしも魅了されてしまいそう!
わたし、一反木綿! こんな素敵な人の御体に巻きついちゃって大丈夫!?
「ところでお前、これも何かの縁。行く所がなければ、わたくしに少々付き合っておくれぬか」
(おつきあい?)
「わたくしは今、全国行脚の途中でな。大日孁貴よりの言伝を道祖神どもに伝える役目を負っているのだ。渡来の神は気難しいものが多い故、羽衣もあきあきしてしもうたのだろうよ」
天女様、とっても大変な人!
でもわたし、一反木綿。そんなわたしが何かお役に立てるんですか?
なーんて思っていたら。
「お前、わたくしの羽衣になっておくれ。わたくし一人くらいなら、お前でも運べよう」
(なんだってー!)
びっくりしちゃって、わたしはうっかり伸びきっちゃう!
木綿の羽衣なんて前代未聞! こういうのは絹のお姉様方の御役目でしょう!
わたしはパッと天女様から離れちゃう!
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしは気ままな一反木綿。
誰かに縛られるなんてまっぴらごめんなの!
「なぁ、お前。一人の旅ほど虚しく、寂しく、ひもじいものはない。どうか哀れなわたくしのために、私の手足となってくれないか」
む、むむむむ……!
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしは自由な一反木綿。
昨日のわたしは絶対に、絶対に断っていたけれど……
(ちょうどわたしも、一人旅に飽きてきたところ! あなたの羽衣が見つかるまで、お供してあげるよ!)
「おお、それは助かる。ありがとうな、一反木綿」
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
わたしは天女様に巻きついた。
一反木綿で飛翔する天女様なんて、きっと前代未聞だよ!
「これからよろしくな、一反木綿」
(こちらこそよろしく、天女様!)
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
天女様の羽衣になっちゃったわたし、一反木綿。
天女様のお役目をお手伝いしつつ、家出しちゃった羽衣を探して旅立ちます!
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
ひらりんひらりん、ふよんふよん。
出雲の大社から家出しちゃったわたし、一反木綿。
天女様と羽衣が再会して、お役御免になったなら。
その時はわたしも一回くらい、出雲の大社に里帰りしてみてもいいかもね?
もしかしたら、わたしを探してくれている誰かがいるかもしれないから!
【一反木綿は家出中 完】