始まりの日
朝日が真上から建物を照らし、その裏に広がる路地には影が差し、捨てられた物がゴロゴロと転がっていたり、呆けた乞食がところどころにみえる。
ハベルとハリーは、その日も明るい場所で食い物を盗もうと、暗い路地のおくまったところにある壊れたユピテルの乗合馬車から、晴れた空を見上げて、ハリーが「盗み日和だ」などと宣言する。そうしてハベルが大きく頷くのだ。
近くの段ボールの中にいた、たわごとをブツブツと唱えていた乞食は口をつぐみ、虚なまなこで子供たちをジロリと見ると、すぐに目を逸らして再び虚空を見つめる。その様子を見たハベルは気味悪がるが、全く気にかけていないハリーから指示が飛んできて、今あったことをすぐに忘れるのだった。
ハリーとハベルは、そのあとすぐに町へ出ると人混みの間からひょこひょこと顔を出しては、今日の獲物になるものを探す。最近は盗みをしているのがバレてきているようなので、慎重に場所を選ばなくてはいけない。もしも間違えてしまったら、あっという間に捕まって殴られた挙句にどんな目に遭うか分からない。でもきっと恐ろしい目にあうに決まってる。ハベルもハリーも盗みが特別上手いわけではないから、盗む場所を選ぶのに時間をかける。できるだけ見返りの大きい場所を選びたいが、かといって町の宝石店や料理店なんて、絶対に無理だ。あんなのは怪盗がいくとこであって乞食の俺たちがどうこうできるとこじゃねぇ、とハリーが言っていたし、ハベルだってそれには同感だった。
そうして見ていくと、もよりの駅から百メートルもなく、隣に大きな郵便局があって影になっている一本道にある屋台が狙い目になる。悪党や貧乏が営む店ばかりが立ち並んでいるので安く、質より量のお店ばかりで、一つや二つ無くなったって気付きやしない。上手くいけば贅沢だってできる。とはいえ、盗むのが簡単かと言われれば、特別簡単というわけではない。他よりも少しはやりやすいくらいで、眉を顰めて周囲をうかがっているような用心深い男が営んでるところだって少なくない。
だが、こちらも何年も盗みをしてきた泥棒だ。間抜けな店主を見つけるくらいなら、できるのだ。間抜けなやつなら、盗むのだってとびきり簡単になる。例えば裏路地のゴミを顔に当てて、目眩しをしているうちに、いくつかのモノをとるだけでいい。要するに、通りの端っこで客がいなくてタバコを吸ってるあの串焼き屋が狙い目だ。店の外で椅子に座っているから、屋内に死角ができている。ハベルが先にそれを見つけると、ハリーもすぐに見つけたのかお互いに頷く。今日の盗む場所が決まった。
抜き足差し足、忍び足...まるで忍びのように動き、悟られないように物音一つ立てずに近づいて...いくのではなく、あくまで堂々と、通行人に紛れて目標に近づいていく。
こんな人目の多いところでコソコソとしていたら、思惑とは反対に酷く目立つ。だからこそ、盗むその直前までは、客としていることが大事だ。その屋台に近くなると、ハリーの合図を待ちながら、ふと辺りを見渡す。
「...っ」
屋台テントから垂れる幕の裾に手の届く距離に来ると、通りにかかる木々から差し込む木漏れ日に目を細める。日差しが真上から差し込んでいたのが、いつの間にか斜め前にきており、屋台に目を向けると自然と太陽が視界に入ってくるので、木々の隙間から日差しが差し込み、それを紛らわすのに目を細めてしまい、少し視界が悪い。ハリーを見ると、屋台裏に待機しており、こちらに視線を送ってきたところだった。
ハリーとは、この盗みについて、こんな話をした。「俺たち、まったくついているよ。」とハリーが意気揚々と話します。「西に悪徳魔法使いが現れたってので、自警団は駆り出されちまったらしい。おかげで裏通りの屋台で好きに盗みができる。」
「じゃあ、どうやって盗む?」とハベル。「僕たちが騒ぎを起こして飛んでくるのは、自警団だけじゃないんだよ?」
「さて、何にしても、いない方がマシさ。」ハリーは、自信満々に答えます。「例え盗んだのがバレたって、俺らを捕まえるのなんてできっこないさ。俺らの秘密基地はここから五キロも離れてる。その間にどれだけ道を通るか、俺たちですら分からないくらいだもの。」
「なら、いつもの通り、君が気を引いて、僕が盗むかい?」とハベルがいいます。
「そうしよう。今日はきっと楽しくなるぞ?」そういって、本当に楽しそうにしているハリーが答えると、この話を締めくくられた。
そうして、ハリーが裏路地で拾ってきたネズミを、屋台の裏に放つと、ネズミはしばらく視線を彷徨わせた後、ハベルたちの思惑通り、椅子に座る店主の元へ、勢いよく走っていきます。
「あぁ、あぁ、なんてこった。こりゃネズミか?」すると、それに気がついた店主は、少し眠っていたのか、重そうな瞼を擦って、よく見ようとしている。
それを見たハベルは、屋台の隙間から手を伸ばし、大きな串焼きを二つ掴んで、持っていた小袋に入れ、店主の方を見ると、まだネズミに気を取られていたので、おまけに芋を両手にいっぱい掴んで、これも袋に押し込み、すぐにその場を離れます。先に裏路地の入り口で待っていたハベルの持ついっぱいに膨らんだ袋を見ながらニヤニヤとするハリーと合流すると、すぐさま走り出した。
気になって振り返ると、すでにネズミはいなくなり、再びタバコを吸いながら、うつらうつらとしている店主の様子が目に入るのだった。
「やったな。」裏路地を通って、日が暮れるあたりで秘密基地へと帰ってから、二人の子供たちは、馬車の中に入ってきて、串焼きと芋を頬張り、こんな話をしました。
「いやあ、こんなに上手くいったのは、いつぶりだろうか?」とハリー。「いつもは、見つかってしばらく撒くために逃げなきゃならなかったのに、今日はどうだ、まだ太陽が見えるってのに帰ってきちまった。」
「ははっ、まったく、ほんとうに今日はついてるね」とハベルが言いました。
「こりゃあいいや、こんな上手いもん食ったのも久しぶりだ。いい加減、カエルだのナメクジだの、雑草だのを食うのにも嫌気が差してきてたんだ。」串焼きを口いっぱいに頬張りながら、ハリーがいいます。
「仕方ないさ、そんなとこしか盗める場所がなかったんだし。」とハベル。「今日だって、君がいきなり肉を食おうなんて言わなかったら、きっとまたナメクジを食べてたさ。」
「言ったろ、盗み日和だって。というのも昨日の夢に出てきた悪魔が囁いたのさ。」とハリーが言います。ハリーという子は、決して人を殺すのが好きなわけでもないのに、戦争や殺しといった話が大好きで、すぐにそういった話を絡めてくるのです。そして、そういう時に決まって出てくるのが、ハリーが昔から憧れ続けている悪魔なのです。なぜ憧れているのかは、悪魔というのが魔法を使えるからです。正しくは、悪魔になることで魔法を使えるようになることに憧れているのです。
「肉を食え、なんて言ったのかい?それは、なんだかよく分からないね。だって、悪魔ってのは、悪いやつだろ、僕らが満足するようなことは言わないはずだよ。」ハベルは、そう返します。
「たしかに、肉については言ってなかったなあ。だけども、あの通りに導いてくれたのは、夢の中の悪魔さ。とにかく、この串焼きがここにあるのは、全部あの悪魔のおかげなのさ。」ハリーは、いつも通りの調子でまくし立てます。
「さあね、きっとそうなら、君にはいい話かな?」しかし、同じようにハベルはいつもと同じように流すのです。
「なんだ、つまんないやつだな。お前だって悪魔に会いたいだろ?」そうハリーがいいます。
「ううん、魔法は使ってみたいけど、会いたくはないさ。」とハベル。「だって会ったらきっと魂を抜かれて、残った体を頭から食べられちゃうだろうし」
「まったく、バカだな。そしたら上手いこと魔法だけもらって逃げればいいだけだろ。」とハリーがいいます。「俺とお前なら、そのくらいどうってことないさ。」
「ふふっ、そうかもね。」そうハベルが返すと、二人は自然と静かになり、体を寄せ合って眠りにつきました。
次の朝になってみると、馬車の窓に、ざあざあと降り続く、ひどい雨が叩きつけられており、その音で二人の子供は目を覚ましました。
「ああ、うるさいな。」先に起きていた、ぶつくさと文句を言うハリーは、荷台に押し込んでおいたカッパを広げて、床に敷きます。こうしないと、馬車の床に空いた穴から入ってきた水の上に座ることになるからです。カッパを敷く頃には、すでに雨水は馬車に入ってきており、床の色が少し変わっておりました。
「しばらく止みそうにないね。」とハベルが言います。
その言葉の通り、雨は昼を過ぎても降り止まず、そのまま日が暮れる前まで雨足は強いままでした。馬車の中は、大きな窓がついた四つのドアに囲まれた、子供二人にとっては広々とした空間でした。長い腰掛けが向かい合わせに二つ取り付けられており、片方だけ荷物を入れられる場所があります。腰掛けに登ると、外の景色が見えるようになります。あまり背の高くない二人ですから、中から外を見るのも、外に出るのにも、いっぺんは腰掛けに登らなくてはいけません。どれも木でできた古ぼけたものばかりで、コケやらカビやらたくさんあって、雨が降った時には、特にしけったにおいが強くなるのです。そのにおいが嫌で嫌で、寝る以外の時は、決まって外にいるのですが、今日のように雨が降っていては、仕方がないと、中で過ごすのです。ここら辺にいる乞食たちは皆、そうやって雨をしのぎます。金の亡者たちが、ここらに物を捨てていくため、意外とハベルたちのように馬車に住むのは珍しくなく、雨風をしのぐ場所はたくさんあるのです。
明るい場所で住むものたちからすれば、快適とは言い難いところですが、ここに住むものたちの中には贅沢を言うものはいないのです。なにせこれ以上の生活を知るものはいないのですから。本を読むことも、働くことも、子を残すこともないですが、束縛のない生活は、ある意味幸せなのかもしれません。とにかく、ハベルとハリーにとって、この世界は本当にうまくできている、ということです。
この馬車の中には、一日くらいは潰せるものがいくつも転がっています。ハリーの顔よりも大きい本が山のようにあったり、カッコいいマントや旗といった装飾品の他、弾の出ない拳銃に、木馬や鏡なんかもあります。特にこの本の山は、ハリーのものがほとんどで、それもほとんど魔法に関しての本ばかりでした。ハリーは、当然、腰掛けの上に仰向けに寝そべり、積み重ねた本の一番上をとって読み耽っていました。ハベルは、というと、こちらは、特にやることもなかったので、昔に使われていた金貨や銅貨といった硬貨を集めておいた缶詰めを取り出しては、中身を取り出して弄って、暇を潰していました。
「決めたぞ。」ふと、ハリーがいいました。ハベルがハリーの方を向くと、その顔は、いかにも何かを企んでいる、といった様子です。
「何を決めたの?」とハベルが返しますと、ハリーが次のようなことを話しました。
「いいか、魔法ってのは、火を焼く炎や、大地を支える大海を操り、死んだものを蘇らせ、昼と夜、天と地をひっくり返らす、そんなどんなことでも可能にするものだろう?」
「なら、お金も出せるかも」とハベルが答えます。
「つまらねぇこと言うんじゃないって。そんなもん使うんなら、馬の小便飲む方がマシだね。」とハリーが吐き出すように答えると、ブツクサと言いつつも、そのまま言葉を続けます。「そんなことじゃないんだ、俺が言いたいのは。魔法を使えるようになりたいのさ、もちろんお金を出すなんてちゃちなもんじゃない、本当の魔法を。」
「どうやって使えるようになるっていうの?」とハベルはいいます。いつもハリーが突拍子もないことを言うのは知っていましたが、なにかいつもより気迫がこもっているように感じたものですから、ハベルは硬貨を弄るのをやめて、ハリーの方に向き直りますと、ハリーが話し始めました。
「悪魔に会うのさ!」その言葉は、雨の音で外に漏れることはないけれど、中にいたハベルの耳には、たしかに聞こえました。
「悪魔に会うって、どうやってさ。」ハベルは驚きつつも、真面目になって、すぐに答えます。ハリーが、ふざけているようには見えなかったからです。
「へへ、これをみてくれよ。」そういってハリーが懐に手を入れて、ある一つの本を取り出しました。「こいつがあれば、十中八九、悪魔に会って、それから魔法を教えてもらえる。」そして、その本を開いて、ページを巡っていき、ある一ページで止めると、その部分を見せました。「『東に向いて日がかかる塔の天辺にいる、天を支える巨人は金の林檎を盗むものには悪夢を与え、それを返したものに魔法を与える。』こいつは引っかかる、って思ったのよ。こんな話、眉唾物だと思うのも分かるが、鼻から嘘っぱちだと決めるには、惜しい。なんせ、今朝、この本に載っているものが、見つかったからな。」
「へぇ、一体、何を見つけたのさ。」ハベルは、気になって返します。
「これよ。」そう言って、ハリーはさっきと違う、もう一つの方のポケットを探って、手のひらに収まる大きさのチェスのコマのようなものを出しました。「これもこの本にあった話なんだけど、大雨で目が覚めた日に、黒いポーンを見つけたらば、塔に入ることができるんだ。だから今朝、雨が降っているのに気がついて、これは違いないと思って、馬車の周りをよく見てみたらよ、これがあったってわけよ。」目を輝かせたハリーが捲し立てます。その様子があまりに嬉しそうだったものですから、ハベルは「どこにでもありそうなものじゃない」と言う言葉は飲み込んで、静かにハリーの言葉を聞きました。
「こりゃあ、ボーマンの塔に登ってみるくらいの価値がある。」
「どうしてボーマンの塔なんだい?」と言葉を挟みます。なにせ、ボーマンの塔というのは、ボーマンという、それはそれは悪徳な商売を嗜んでいる男で、彼からは、林檎ひとつ買うのにも、山のような金貨が必要になるのです。そんな男が、商売をするために建てた塔なのです。
「あそこなら金の林檎くらい、ありそうだろ。それに、ここから見れば西にある塔だけど、ヘンゼルの噴水(※この町の中心)から見りゃあ、日が沈む時に、ちょうど東にある。」とハリーが答えました。
「そしたら、いつ行くの?」ハベルは、はやる気持ちを抑えつつ、話の続きを促します。
「はん、今に決まってる!」そうしたら、ハリーがそう言いました。
「いま!?」とハベルが驚いていると、ハリーが話を続けます。
「雨が降ってりゃ視界が悪い、こんなに忍び込むのにうってつけな時はねぇ。」
「で、でも、なんの準備もしてないじゃないか」まさか、今行くなんて思っていなかったハベルは、先程、ハリーを急かしていたのとは裏腹に、大慌てで言います。
「準備もクソもあるか、そんなもんなくったって、俺とお前がいれば、なんとかなるのさ」そういうと、ハベルの返事は待たず、ハリーは馬車を出て行きました。
「適当だなぁ、もう塔に行ったって、どうやって入るつもりなんだか」なんて言うハベルですが、ブツブツ言いながらも、結局は心配でしっかりとハリーのあとを追うのでした。
雨が降る裏路地を、右に左に曲がりながら、建物の間からちらちらとのぞく塔を目指す子供たちは、障害物の多い道なのにも関わらず、ピョンピョンと飛び跳ねたりして軽快に避けて、グングンと進んでいきます。道に転がる錆びついたゴミ箱や自転車や、大きな配管など、大人の半分もない背丈の子供たちにとって、基本的に何もかも自分たちより大きいものばかり。盗むのには、背が低いのは有利なのですが、当然、不利に働く場合もあって、こういった場合は、どうしても大人の方が速くなってしまいます。
しばらくごちゃごちゃした路地を進んでいたら長い長い一本道に出ました。まっすぐ先には、目指していた塔が、目に入ってきました。
「ワクワクしてきたな!」それを前に、ハリーは本当に楽しそうにして言います。
「そうだね!でもハリー、入り方を考えないと、正面からじゃ、まずいよ」
「おっと、そうだな...そしたら、ハベル、入り口にいる二人の気を引いてくれないか、その間に俺がなんとか入れるようにしてやる。」少し悩んだ様子を見せたものの、ハリーは答える。
「わかった。」ハベルはそう答えると、ハリーは塔の方へ走りっていきました。それを見ながら、ハベルは少し考えて、とりあえず、いかにも雨宿りをする子供のようにして、塔の入り口に走って行くことにしました。ところが、走り出したところで、ハベルの目の端に息を荒くして、うずくまっている老婆を見つけました。立ち上がれるような様子ではなく、今にも倒れそうなその老婆を見たハベルは、塔の方へ走り去っていくハリーの方を向いて、塔の入り口を一度振り返って少し悩んだあと、老婆の方へ駆け寄りました。
「お婆さん、大丈夫ですか?」とハベルは、老婆の横へ座り、声をかけます。近くで見ると、その老婆は、しわくちゃな手を真っ青にして、震えておりました。その様子に驚いたハベルは、急いで暖めなくては、と思いました。そうして、ひとまず自分の着ていたダウンを被せてあげました。これでハベルは肌着一枚という格好になってしまいましたが、目の前の老婆に何もしないより、よっぽどマシでした。
「と...へ」と、そこで老婆が何か呟いているのに気がつきました。
「お婆さん、どこかへ入りましょう、今のままではダメです。」ハベルは、そういって老婆を背負いました。力なくへたり込んでいた老婆は、ハベルが背負うと、しっかりと首にしがみついて落ちないようにしています。ハベルは、思っていた以上に強い力に驚き、少しの間、止まってしまいました。
「と、塔へ、私を連れておゆきなさい。」と、頭が耳元へ来たことで、老婆の言っていたことが、ハベルにようやく聞こえました。
「塔ですか?あそこの塔へ、行きたいのですか?」その内容を知って、さらに驚きつつ、ハベルは冷静になって聞き返します。なにせ老婆の衰弱している様子をみると、とても悠長にしている暇はないですが、それでも行きたいというのが、あの塔ならば、老婆には確認しなくちゃならない。あの塔がボーマンの塔であるということを、知った上で言っているのか、どうか。
「そうですよ、少年。あなたは...あそこへ行かなくては、いけない。」途切れ途切れに、大変つらそうな老婆でしたが、その口調からは強い意志が感じられました。どうやら、何か思惑があるみたいです。
「...僕は?いえ、お婆さん、今はあなたの心配をしているのです。あの塔へ行こうと、あなたが暖まれる場所なんて、ないかもしれないですよ。それなら、いっそあなたの家へ連れて行ってもいい。」ハベルは、ひとまず天井のある壁際により、降雨から逃れて、老婆からよく話を聞きます。ハベルは、ハリーとボーマンの塔に忍び込むためにここへ来たのに、もしも本当にこの老婆を家に送ることになったら、ハリーには、恨まれるかもしれない。そのことが気がかりでしたが、後で事情を話せばハリーも老婆を助けることを分かってもらえるだろう。今までハリーとの盗みを途中で投げ出すようなことも、ハリーの意見に逆らうこともなかったハベルでしたが、この時、初めてそれらのことを忘れて、他のことを優先することにしました。弱った人間を助ける方が大事だと判断したのです。心優しいハベルは、それほど、老婆を心配していたのでした。
「ええ、しばらくは、暖まることはないでしょう。ですが、神託によって選ばれた子であるあなたは、私を連れて、あの塔へ入らなくてはならないのです。そのように、運命が決められているのです。」と老婆は言います。家の話は、どうやら無視されてしまいました。
「う、運命?」ハベルは、急によく分からないことを口走る老婆の言葉に驚いてしまいました。
「そう、運命です、ハベル=ペルセウス・コルノフォレン。あなたには、やってもらなくてはならないことがあるのですから。」と老婆は話を続けます。「もう一度言いますよ、今すぐに塔へおゆきなさい。きっと、あなたにとっても望むべきものが待っています。」
「望むべきもの...って、あっ」ハベルは、その単語から、老婆を見る前まで、やろうとしていたことを思い出しました。なんと、塔の前にいる人たちの気を引くというのを、すっかり忘れてしまっていたことに気がつきました。幸い、ハリーと別れてからそれほど時間は経っていないので、ハリーが文句を言ってくることもないでしょう。
「...いいよ、お婆さん、連れて行ってあげる。でもあの塔に入った後、どうなっても知らないからね。」そして、同時に一つの案が思い浮かんだのです。きっとこのお婆さんが、塔へ行け、とこんなにも急かすのは、あの塔の関係者かなにかだからだ。ならば入り口に立っている人間の気を逸らすのには十分だろう、と。ハベルはとても賢い子でしたが、その後のことを考えるのが苦手なので、この時は、これで何もかもうまくいくと思っていました。ハベルは、あろうことか、神託がどうの...という話は、すっかり聞き逃してしまっていたのです。そのせいで、あんなことになるとは、この時は知る由もないのです。
「くどいですよ、早くおゆきなさい。」ハベルの言葉を聞いても、老婆は、そう言いました。
ハベルは、老婆を背負いなおすと、塔へと続く雨の降る道へ、勢いよく飛び出します。
時を同じくして、もう一人の少年も、また動き出しておりました。
「...遅すぎる。何を道草食ってるんだ、あいつは。」と、一人ぼやくハリー少年。「もう待ってらんないぜ、あいつを待ってたら、俺の魔法が逃げちまう。」
そう言って、ハリーは一人で盗みをすることにしたのです。そう決めることに、あまり迷いはありませんでした。なぜならハリーは、ハベルと出会う前から盗みをしていて、その時は全て一人でなんとかしてきたものですから、大抵のことは一人でなんとかできると、考えているのです。そして、運命の悪戯なのか、はたまた、何かがそうさせているのか。とにかくハリーは、この時、ハベルを待つことに耐えられませんでした。
そうして塔へ忍び込むことにしたのですが、塔を見やると、当然、まだハベルは何もしていないのですから、衛兵が二人いるままです。ハリーは、衛兵が見える位置の壁に張り付いたまま、腕を組んで、どうしたものか、と悩むことにしたのですが、ふと視線をやった先に、たまたま開け放ったままの窓が見えました。
「あれだ。」ハリーは、それを見つけた途端、ニンマリとしました。直感を最も大事にするハリーですから、少し様子を見て、誰かがいる様子がないことを確かめると、すぐに動きました。その窓の下の壁へと、物音一つ立てずに近づいていき、誰も見ていないことを確かめると、塔の壁についたパイプを、まるでターザンのようにして飛び移り、あっという間に窓のところまでやってきました。中を覗くと、やっぱり誰もいないようで、ガランとしていました。
「こんなに簡単なら、衛兵の気をそらす必要なんてなかったな。」ハリーは一人ほくそ笑んで、そう言いました。ハリーはハベルが唯一の知り合いであり、親友でもあるので、なによりも大切にしていましたが、この時からは、ハベルのことをすっかり忘れて、魔法が手に入るかもしれないと、ただ浮かれているだけでした。
そこからも、不思議なほどに、何もかもがうまくいったのです。どういうわけか、どうやっても逃れようのないほど沢山いる衛兵や役人の目から逃れ、かいくぐり、誰かに見つかることもなく、ハリーは商品の詰まった倉庫へと、辿り着きました。そこには、お目当ての黄金のリンゴの山があり、そこから一つ掴むと、頂上を目指しました。
そして、すんなりと、まるで導かれるかのように、その部屋へとやってきました。普段のハリーならば、用心深いものですから、ここまであっけなく進めることに違和感を覚えるはずなのですが、どうゆうわけか、そういうものだ、と納得していたのです。
「世迷い人が、また来よったか。」そうして天の蒼穹を支える巨人アトラスのいる部屋に入ってしまったのです。巨人は、扉が開いた音で、誰かが入ってきたことに気が付きましたが、想像もつかない、重さなどでは表せない空を支えているため、客人の顔を見れません。
「あんたが、俺に魔法をくれるのか?」己の何倍もある巨人を前にしても、ハリーはこれっぽっちも臆することはありませんでした。どんな大人でもアトラスを前にすれば、尻込みしてしまうものですから、それだけ気が人一倍強いのです。
「ふむ、魔法だと?お前は、なぜ魔法を求める。」今まで数え切れないほど、ここへきた人間たちは、皆それぞれ違うことを言いましたが、必ず最後には、その言葉を言います。「私の願いを叶えてくれ」と。それはひとえに、この巨人が人の願いを叶えることができるからです。不死の神でさえ、天を支えるのには、命を削られる。いくらアトラスが無敵に近い力を持っていようとも、何もしなければ、いずれ力尽きてしまうだろう。しかし、この仕事を与えた神は、一生を命じた。天を一生支えることが、この巨人の使命なのだ。そして神は、この巨人に仕事を与えた時に、命をつなぐため、一年に一度、黄金のリンゴがなる一つの樹を与えた。しかし、アトラスは天を支えるために、体を使っており、そのリンゴを一人で食べることはできません。そこで、アトラスは人に頼ることにしました。欲望でできた人間は、アトラスを見てこう言います。「私の願いを叶えてくれるならば、いいでしょう。」と。アトラスは、それに応じました。すると、たくさんの人間たちが、足繁く通うようになったのです。そして、お互いに利がある契約のようなものが結ばれ、一つ食べれば百年生きれるリンゴが、たくさん手に入りました。しかし、その願いで巨大な軍団を率い、帝国を作り、莫大な富と名声を手に入れた人は、そのうち、その願いは、いずれ家の埃をとるなどの些細なものになり、やがて人はアトラスの前に現れなくなりました。アトラスは、大量にあるリンゴを見て、何も気にしておりませんでした。これがなくなる前に、また人が来るだろう、と。ところが、そのうち大量にあったリンゴが、底をついても、巨人の元へ訪れるものは誰もおりませんでした。それもそのはずで、欲望に満ちた人間は、全ての願いを叶えたのち、己で独占するために、また、己を脅かす存在を無くすため、アトラスの存在を隠したのです。やがて、その人が死んだ時、この巨人のことを知る人がいなくなってしまったのです。
そして巨人にとっても途方もない時間が過ぎました。アトラスは、千年、二千年と経っても死ぬことがないので、決して逃れられない使命に嫌気がさしていましたが、ある日に、全身を黄金で包んだ、ひとりの男が現れました。名をボーマンといい、今では人間の間で、悪徳商人...または悪徳魔法使いとして知られている人です。この人間は、ある一つの願いを叶えると、それからは願いを言うことなく、一年に一度なる黄金のリンゴを毎年運んでくるようになりました。やがで黄金のリンゴは、山のように積まれ、アトラスは最悪なことにこのボーマンという人間と同じく、一生の命を得たのです。叶えてはいけない願いを叶えた巨人アトラスは、またも同じ失敗をし、永遠の命を1人の人間に与えたことで、辛く苦しいこの使命を永遠にやり続けなくてはいけなくなったのです。
だからこそアトラスは、それからは、この使命から逃れる方法だけを探しているのです。適当な人間をこの部屋まで導き、この場所で黄金のリンゴを貰う代わりに、その人間を使って逃れようとしているのです。
「そんなの、何だっていいだろ。」そんなことをつゆほどを知らないハリーは、そう言い返しました。「いいから、教えてくれよ。金のリンゴだって、ちゃんと持ってきたんだぞ。」
「口の悪い、お前は子供だな?それもうんと小さい...何ということだ、ついに年端もいかぬ子供を引き寄せてしまうとは。」嘆く様子を見せるアトラス。「だが、もはやこれが相応しくないとも、言い切れん...よかろう、願いを叶えてやる。だが、その前に、質問に答えよ。我が三つの問いに正しく答えれば、黄金のリンゴを代償に、瞬く間に魔法を扱えるようになるだろう。」
「だったら、さっさと聞いてくれ、どんな質問だよ?」空腹の熊の目の前に、まるで脂ののった鮭が置かれたように、ハリーは、もうすぐ魔法が手に入ると思うと、気持ちを抑えることができず、語気を荒げてしまいます。
「では、問おう。
お前は、己の人生に不満を抱くか?」恐ろしいほど静かに、アトラスは問いました。
「不満だって?むしろ不満しかないね、俺は、この腐った生活を終わらせたいんだよ。」ハリーは吐き捨てるように言いました。
「ふむ、では次の問いだ。
お前は、欲望と愛、どちらを優先する?」とアトラスは同じ調子で問いました。
「あ?そんなのーーー」欲望に決まってる...と言いかけてハリーは一度口を閉じました。ふとハベルの顔が浮かんだのです。ハリーにとって、生まれて初めて愛情といってもいい感情が、ハベルと出会って芽生えたのです。ハリーにとって、唯一無二の存在であり、かけがえのないものです。だからこそ、もしもハベルの身に危険が迫ったら、己の身をていしてでも、助けるつもりでした。ですが、その天秤は、片側に魔法という言葉が乗ると、揺れ動いてしまいました。ハリーにとって、魔法とは、この世界に堕ちてから、救われるための希望でした。ハベルと出会うまでは、それが唯一の光だったのです。「...欲望だ。」
しかしハリーは、少し悩んだだけで、結局、魔法への誘惑に勝つことはできませんでした。なにせ、魔法を手に入れてもハベルが消えるわけがないと、思ったからです。
「ふむ、では最後の問いだ。
悪に手を差し伸べ、命を救うか。正義を払い、悪人を殺すか。お前はどちらを選ぶ。」アトラスは問います。
「はぁ?なんだそれ。まるで悪人を助けるのが正義みたいな話だな?」ハリーは、アトラスにいいますが、それには答えてくれませんでした。どうやら、質問に答える以外、彼が口を開くことはないようです。「...俺は...俺は殺しはしねぇ。だから、俺が選ぶのは、悪に手を差し伸べる方だ。」
ハリーは、選び、口にしました。すると手にあったリンゴが眩く光りました。輝くリンゴは、少しの間光ったかと思うと、次には手の上から消え失せ、その部屋に、静寂が訪れます。それから何の音も、動きもありません。アトラスは、リンゴが消えた時に、少し狼狽えたように見えたくらいで、ハリーが答えたのに、何かをする様子も、答える様子もありません。当然、ハリーは魔法が使えるようになった感じはありません。
ハリーは確かに覚えていました。アトラスは、質問に正しく答えれば、魔法が使えるようになる、と言っていたことを。しかし、ハリーが全ての問いに答えてリンゴが消えても、何の反応もありません。
「お、おい、俺、何か間違ったのか?」ハリーは、狼狽えて、ついにアトラスにそう問いかけました。
「いいや、何も。
お前は、嘘偽りなく、我が問いに答えた。」アトラスは言います。
「なら、なんでーーー」
「...魔法は与えた。
だが...恐ろしいほどに邪悪な心が、魔法を受け入れることを阻んだのだ。」アトラスは、ハリーの言葉を遮って、そう言いました。
「じ、邪悪だって!?この、クソッ!
バカにしやがって、あんたは鼻っから魔法をくれるつもりなんてなかったんだろ?そういうことだろっ!」ハリーは喚き散らしながら、アトラスを罵りました。
「...本当に恐ろしい子だ。お前に与えるものなど、もはやない。一度でも貴様の願いを聞き入れた恩を知らぬとぬかすならば、ここから立ち去り、二度と我が前に現れるな!」怒気を込めたアトラスの言葉が、部屋にこだましました。恐ろしいほどに大きな声で、天井が落っこちてくるのではないかと、思ってしまうほどです。流石のハリーも、それには萎縮してしまい、体を震えさせた後、後ろを振り向いて一目散に部屋を出て行きました。
「...我輩は、間違った者を受け入れてしまった。ボーマンとの契約ばかりで、人を見抜く力が衰えてしまっていたようだ...あれだけ濁った魂を見逃してしまうとは...」アトラス以外、だれもいない部屋で、そう呟きました。「ーーー何もないといいのだが。」
その頃、ハベルはまだ塔の前におりました。背にいる老婆が、先程、塔の前の衛兵に一言二言、伝えると衛兵は、顔色を変えて急いで頭の中へと消えていきました。しかし、老婆が特別変わったことを言ったわけではありません。ただ、アトラスに会いたい、と。そしてこの老婆めとの約束を取り次いで欲しい、と言ったのでした。衛兵の態度たるや、相当な変わり様でしたから、ハベルは予想通りにこの老婆が、きっとすごい人なのだと思いました。しばらく待っていると、門が開いて、中から先程の衛兵が慌ただしく出てきて、中へ招き入れてくれました。老婆に対してひどく気を遣っている様子で、階段をいくつか上り、廊下を右に左に曲がり、扉をいくつか通ったりする間、一切目を離さないのですから、ハベルは、それがとても気になりました。長らく歩いていると、他よりも一際大きな扉の前に来ました。ハベルの十倍はありそうな高さですし、端から端まで歩くのに二十歩は歩かないといけない幅でした。
「ここに入るのです。」と老婆は言いました。
「ここはなんの部屋なんですか?」ハベルは、気になって聞きました。ここに来るまでに、塔の中には数え切れないほど扉がありましたし、扉の向こうには、当然部屋があるわけですから、どうしてこの部屋なのか、ここが何の部屋なのか気になりました。ふと、扉の横の壁に飾られた石造りの板を見つけたのですが、「天を支える巨人」と、そこにはそれだけ書かれていました。
「愚か者たちが彷徨い、勇敢で臆病な者の願いを叶える部屋です。あなたに、最も必要な、通らなくてはならない部屋なのです。」と老婆は言います。「この先、あなたを待ち受ける運命を、あなたが決めるのです。この部屋に入れば、あなたは逃れることができない、巨大な運命の渦に飲み込まれます。反対に、あなたがこの部屋に入らなければ、それから逃れられます。この先も二度と関わることはないでしょう。」
「...何の話をしてるんですか?僕はあなたが暖まれる場所を探しているんです。よくわからないことをおっしゃらないで、風邪をひいてしまいますよ。」ハベルは、本当にこの老婆が何を言っているのかわからなかったものですから、少し恐怖しつつも、変わらず老婆の冷え切った体を暖めようと頭を働かせました。「それで、そこの衛兵さん。この方が暖まれる場所を教えてくださいますか?どうやらまともに考えがつかない様ですので。」ハベルは声を小さくして、横をついてきている衛兵に耳打ちしました。
「...」しかし衛兵は、ハベルの言葉に耳もくれず、全くの無視でした。変わらず老婆をじぃーっと見つめて、他のことは全くどうでもいいといった様子でした。
「さぁ、少年や。こればかりは決めてもらねば、困ります。私を狂った女と見るのは構いませんが、あなたにとって最も大事なことなのですよ。」と老婆が言います。その様子はとても真剣で、嘘やらデマカセを言っている様には見えません。
「分かりました。ですがあなたの戯言を聞き入れるわけではありません。この部屋に入るだけで、そのあとはすぐに暖まれる場所に行ってもらいます。それでいいならば、部屋に入りましょう。」ハベルは、渋々といった感じで返しました。決して意見を曲げない、という意思を老婆から感じたから、いたずらにここで時間を使うのは良くないと判断した結果です。
「いいお返事です。...ここまでの案内ご苦労様でした。とても感謝していますよ、ではお行きなさい?」と老婆が、近くにいた衛兵を退かせました。
「ありがとうございました。」ハベルはそういうと、すぐに扉の取っ手に手をかけ、グッと押し込みました。ただでさえ大変に重い扉でしたから、老婆を背負ったままだと、至極苦労しました。ゆっくりゆっくりと扉を押し、ようやく片方の扉を開くと、ハベルは額から汗をかき、肩で息をしていました。
「で、ては行きましょう。」そういってハベルは老婆を背負い直すと、部屋へと足を踏み入れました。暗くじめっとした室内は、高い天井近くに仄かに灯る松明が一つ二つだけあるだけで、全く見通しがききませんから、どれくらい大きな部屋なのか全く想像もつきませんでした。そのまま部屋に体を入れると、空気が変わったのがわかりました。ブルっと身震いするような、肌寒さで、床が石でできているせいで、コツコツと足音が響くからか余計に寒く感じました。これでは全く暖まれるとは思いません、それどころか全く冷えていなかったハベルの体も冷えてしまいそうです。なんだか部屋の奥からは不気味な雰囲気が漂ってきていて、ハベルは一刻も早く部屋を出たいと思いました。
「これでよかったのですか、もう部屋から出てもいいでしょうか?」ハベルは口早に、背にいる老婆に聞きました。なにより、先ほどから外に置いてきたハリーのことが気になりました。
「いいえ、もう少し奥へ行くのです。」と老婆。「あの松明の下へ行くのです。そうすれば全てが始まりますよ。」
「...はぁ、本当に何を企んでらっしゃるのですか?」ハベルは、とにかく奥へ行きたくありませんから、ゆっくりと進みながら、何度も聞いたと理解していながらも、もう一度老婆へその質問を投げかけました。
「これ以上、何が聞きたいのですか?」と老婆。「あぁ、もう良いでしょうか...えぇ、えぇまあ、それは...よろしい。」
ブツブツと、老婆がつぶやきました。その声は極めて小さく、耳元に彼女の口があるはずなのに、何を言っているのか聞き取れませんでした。ですが、おそらくは見えない何かと会話をしているようです。信じられませんが、この老婆は気が触れた者のように、ハベルではない何かに話しかけているです。
「では、ハベル。あなたが無事にいることを心から願っておりますよ。」と、老婆は先ほどとは打って変わり、聞こえるように言ってきました。「先に行った、あの少年も、きっと懸命に生きていることでしょう。あなたも、決して諦めないことです、そうすればまたいずれ、時が来れば...」
老婆の戯言を聞き流しながら...というよりその声はハベルの耳には届いておりませんでした。ハベルは、意識がぼぅとして、真っ直ぐと歩くことしかできませんでした。ハベルが歩いていると、目の前には徐々に巨大な何が、うっすらと見えてきました。暗がりの中でよく見えないけれど、十メートルもないところにそれは置いてありました。
大人の男が縦に十人並べたのと同じ高さの、服を着た何かが、そこにいる。そこで急に目の前が白み始め、ハベルの意識は途切れた。
「予言の子よ。どうか私達を救っておくれ。」
その声をかけた少年は、その声を聞くことはなく、すでに、そこから姿を消した後だった。
残酷にも、二人の少年は、運命の渦に飲み込まれていったのです。