後編
王女は追いかけてこようとする大人達を振り切るように、生垣で仕切られた通路に突っ込んで行く。
「王女様!?」
「マリーって呼んでってば!」
驚き目を白黒させるこちらなどそっちのけで、駆け続ける。
普通、貴族の令嬢は走らない。少なくとも今まで見て来た令嬢達はそうだった。それなのに王女は走っているし、何なら速い。足に自信のあるテオは付いていけているが、普通の令嬢ならば当然、男子でも運動が得意でなければとっくに置いて行かれているだろう。しかも、王女は複雑に入り込んでいる道をあっちこっちと迷うことなく走り抜けて行っている。
やっと立ち止まった時にはもう、テオには自分がどの辺りに居るのか分からなくなっていたし、大人達とは完全にはぐれていた。
「ふぅ、まけたわね……」
マリーは額の汗を拭う真似をする。
「あの、王女さ——」
「だからマリーだってば」
むくれ顔で訂正された。
「でも……」
「私たち、友だちになるのよ。なら、そうよんでもおかしくないでしょう?」
じっと見上げてくる王女に、テオはまごつく。
「マリーよ、テオ」
「ま、マリー様?」
「ん-……ホントは“さま”もいらないんだけど、今はそれでゆるしたげる」
そう言ってマリーはにんまりと笑った。
「それじゃあ、こっちよ」
「こっち?」
指差されているのは生垣で、テオが戸惑っている内にマリーは屈んだかと思うと、僅かに開いていた隙間に身を滑り込ませていった。
やはり王女らしからぬ行動に面食らいながらも、テオも追従する。枝や葉っぱが身を掠めるが、思ったよりは進行の邪魔にはならず、潜り抜けられた。
「ここね、私のひみつのばしょなの」
先に抜けたマリーは立ってテオを迎えてくれ、得意げに笑っている。テオも立ち上がり、きょろきょろと見回した。
生垣に円形に囲われた空間はあまり広くは無いが、子供二人がのびのびと転がっても大丈夫なくらいはある。大人の背丈以上ある木々が二人の姿を隠してくれ、自分達から出て行かない限り、そうそうに見付かる事は無いはずだ。まさしく、秘密の場所である。
「それじゃあテオ、ここでお話ししましょう」
「ここで、ですか?」
「そうよ。ここならテオも、人の目を気にせずお話しできるでしょう? ほら、はやく」
その場に座り込み、隣をたすたすと叩く姿に困惑してしまう。しかし叩く手は止まらず、どうやらテオが座るまで続けるつもりらしい。仕方なしにテオは動くと、そろそろと隣に腰を降ろした。
マリーはそれを満足げに見ていたかと思うと、ふっと表情を曇らせた。
「まずは、あやまらないとね。いやな思いさせて、ごめんなさい」
「え? いや、その……」
まさかそんな行動をされると思っておらず、狼狽えてしまう。
「あの人ね、むすこさんがいるから、テオがじゃまなのよ」
「え?」
「自分のむすこを私とけっこんさせたいから、私に近づく男がじゃまなの。だからああやって口出しして、テオをやめさせようとしたのよ」
「はぁ……」
つい生返事が出る。
テオにはどうしてそれが自分の排除に繋がるか理解できなかったが、“御友人”という名目とはいえ近付く事を許された異性は、“婚約者候補”として受け取られてもおかしくない。例えそれが、ちょうど良い女子がいなくなってしまった故の措置でも。
「だとしても、あの人のむすことはけっこんしないわ! あの人がしゅうとめになるとかゾッとするし、大体、あの人のむすこってお父さまと同い年なのよ!」
確かにそれは勘弁して欲しい案件だ。
テオも同情し、ぷりぷりと怒り続けるマリーの文句をひとしきり聞いてやる。それで大分気が収まったのか、マリーは最後にふんすと鼻息を吐き出しておしまいにした。
「そんなことより、テオ」
気持ちも表情も切り替えたマリーが、こちらを向く。
「はい?」
「何でテオはおしゃべりがにがてなの?」
直球な質問に、テオは言葉に詰まる。
お喋りは苦手では無かった。むしろ「良く口が回るもんだわ」と母にも呆れられていたくらいだ。しかし、今は言葉を紡ぐのに苦労している。
「にがてなのなら、何かりゆうがあるんでしょう? 私に教えてくれたりする?」
こてんと首を傾げる王女の瞳には自分を馬鹿にしたり、貶めようとする意思は感じられない。父や兄達に隠れて時折向けられた色が、そこには無かった。
テオは意を決し、深呼吸をしてからゆっくりと口を開く。
「——私は、下町で育ち、ました」
「下町? でもテオはきぞくよね?」
「父は貴族……エティエヴァン家・現当主で、間違いありません。でも母は平民、です」
どこにでもよくある話で、使用人だった母は父のお手付きとなった。その時には既にクロヴィス達の母である奥方は他界していたので不貞ではない。しかし隔てた身分があり、よく思わない者もいると理解していた母は、身ごもったと気付いてすぐに自分と子の安全を確保する為、逃げ出すように屋敷を辞した。
そこから母一人、子一人、下町で貧しいながらも仲良く暮らしていたのだが、母が病気になってしまったのだ。唯一の働き手である母が臥せればたちまち生活は困窮したし、万が一他界してしまえば孤児になったテオの将来は暗いものになる。それを憂いた母はやむを得ず、父の情けに縋る事にした。
「母の手紙を受け取った父は、すぐに迎えに来て、くれました。そうして俺——私は、引き取られ、教育を受けさせて、貰ったのです」
言葉、礼儀作法、ダンス、算術、歴史、剣術、乗馬。
惜しみなく与えられる教養はどれも慣れないものばかりだったが、これが母の望みであるならと一生懸命取り組んだ。
まだ言葉遣いは拙いし、立ち振る舞いも未熟だが、これでも大分上達したのだ。少なくとも宮殿に上げても良いと思われる程度にはなったのだと、自信を持ちたい。
「そうだったの……」
マリーの小さな手がそっと伸びてきて、テオの頭を撫でる。
「がんばったのね、テオは」
柔らかな感触と褒め言葉に、テオは目をしばたかせてしまう。
自分より小さな子に頭を撫でられているのに、不思議と嫌な気にはならない。
「私もね、ことばがおそかったの。ほかのことばを知っていると、新しくおぼえるのって大へんなのよね。でもテオはがんばった。えらい、えらい!」
いやに実感の篭った言葉に困惑しつつも、自分の苦労を分かってくれる人の存在は素直に嬉しかった。
聞き苦しいだろうに、遮る事も正す事もせず、最後まで話を聞いてくれた事が、ただただ嬉しかった。
「きっとお母さまも、テオのがんばりをよろこんでいるはずよ」
「はい、喜んで、くれています」
「ん?」
王女が動きを止める。
「えーっと、テオ? その……しつれいだけれど、お母さまって……?」
「生きて、ます」
「生きてるの!?」
ぎょっと目を剥く王女に、テオは頷く。
「母は断った、のですが、父に無理矢理、一緒に屋敷へ連れて行かれ、医者にも診て貰えて、すっかり元気になり、ました。今は、いつ屋敷を抜け出そうか、計画している、ようです」
母の言い分としては「息子はともかく、自分がこれ以上お世話になる訳にはいかない」との事だが、父の方に逃がすつもりがさらさら無いようで、今のところ母の脱出計画は全て未然に防がれている。
息子の目から見ても二人は想い合っているのがありありと感じ取れるので、いい加減諦めれば良いのにと思っているぐらいだ。ただ、義兄や義姉がどう思っているかは知らない。
「そう、げんきなの」
まばたきを繰り返しながら噛みしめていたマリーが笑顔に変わる。
「なら、よかったわね!」
「……はい——みゅむっ!?」
口先だけではなくそう思ってくれているのが分かって、テオが顔を綻ばせた途端、両頬をマリーに挟まれた。
「テオがわらった!」
「ふぇ?」
「はじめてわらってくれたわ! もっとわらえばいいのに!」
ぐにぐにと頬をもまれ、眉間に皺を寄せてしまう。
「そんなに笑えない」
「そう、それ!」
パッと手が離れ、続いて人差し指が顔の前に突き付けられた。
「ことばも私と二人の時は、気にしなくていいわ! ことばづかいなんて、その内みにつくし、それまであまりしゃべらないのもさみしいでしょう? テオは私の“ご友人なんだから、私とお話しするのをゆうせんしなくちゃ!」
テオはその言い分に面食らう。
自分より年下で、背だって小さいのに、何だか彼女がとても大きく見えた。
何人もの子供達が彼女の元を去ったと言っていたが、そいつらは皆、馬鹿だと言ってやりたい。この子はこんなにも広い心を持って、相手を慮る事もできて、慈しむべき存在だ。そんな事にも気付かず、表面の奇抜さだけを受け取って背を向けるなんて、勿体ないにも程がある。
でも、そのおかげでテオは彼女に会えた。だから節穴共には感謝をするべきだろう。
「——本当に、本当に俺が“御友人”で良いのか?」
頬を挟む手を剥がしながら、飾らず、慣れ親しんだ自分の言葉で尋ねる。
「この通り、礼儀も知らねぇ下町のガキだけど、それでも良い?」
少し前まで家名も違い、“ド”なんて貴族を示す音も入っていなかった。こんな綺麗に仕立てられた服も着ておらず、薄汚れた服を着て、街中を同じような恰好をした仲間達と駆けずり回っていた。
それでも、分不相応かもしれなくても、彼女にそばに居る事を認めて欲しいと願う。
「もちろん!」
その願いは満面の笑みと共に許された。
「私はテオとお話ししたいんだもの!」
二人の望みは同じ。
たったそれだけの事が嬉しくて、楽しくて、少しだけ面映ゆくて、二人は両手を繋いで笑い合った。
「そんじゃ、話をしよう。何だっけ? さっき言ってた、オスカル様? だっけ? その話でも——」
「そう! オスカルさまよ!」
前のめりにマリーは叫ぶ。
「あのね、あのね、オスカルさまっていうのはね!」
その時のテオは、それが禁句であると知らなかった。
家族以外にその話を聞いてくれる人はおらず、その家族にさえ「一生懸命話すマリーが可愛い」と耳半分で聞き流されていたマリーにとって、ようやく現れた話し相手を逃すはずが無かった。
流れ出てくる言葉は止まる事を知らず、延々と語り続けるマリーに最初は微笑ましく聞いていたテオも次第に「あれ? これヤバくね?」と気付き始めたが、時既に遅し。
方々を散々捜し回った人々に見付け出された時、テオはマリーの勢いに気圧され、聞き疲れてぐったりとしていた。
「あら、ここ、懐かしいわね」
庭園の散策中、ふいにマリーが足を止める。
「私の秘密の場所」
「ああ、本当ですね。懐かしい」
テオも同調し、今では視線を動かすだけで天辺を見られるようになった生垣に目を細めた。
きちんとこまめに手入れをされた生垣には、あの時のような隙間は無く、あったとしても成長した今では潜り抜ける事はできないだろう。
「姫様の長い話を聞かされ続けて、気付けば夜になっていた場所です」
まさか庭園で月を見る羽目になるとは思わなかった。
あの時の自分に忠告したい。「オスカル様の話をしろ」とは決して言ってはいけない、と。
「仕方ないわ。オスカル様の事は一晩では語り尽くせないもの」
「そうですね。十年経ってもまだ語り続けていますしね。いい加減、飽きて頂いても良いのですが?」
「飽きるわけが無い!」
マリーはきっぱりと言い切った。
「というか、テオ。少々質問があるのだけれど?」
「何でしょう?」
じろりとした目を向けてくる主に、テオは首を傾げる。
「あなた、私が言った通り、言葉遣いは身に付いたようだけど、何故か私に対する言葉遣いだけ、年々荒くなっていく気がするの。どうしてかしら?」
「それはご自分の胸に聞かれてみてはいかがでしょう?」
「聞いてみたけど、分からないそうよ」
両手を胸元に当てたマリーに睨み付けられたテオは、やれやれと首を振る。
「それは残念ですね。もう手遅れです」
「何が!? ……はっ!? まさか大きさの事を言ってるんじゃないでしょうね!?」
「慎み!」
テオの大喝一声が響く。
どこに人の耳目があるか分からない所で、きわどい発言は止めて欲しい。
「そうよ、テオ。あまり下品なのはすみれコードに引っかかるわ」
「俺はお前のアホな言動をすり抜けたい」
テオは項垂れて息を吐く。
そのわずかに位置を下げた頭に、マリーの白い手が乗る。
「昔から決まってたわ。離れられない、離さない、もうダメよ」
「怖っ! 何の宣告!? 呪い!?」
テオは頭を下げたまま慄いた。
「やぁね。テオがいなきゃダメって話でしょう。一人じゃ寂しいけれど、誰かを見付けたら楽しくなるの」
マリーの手が離れたので頭を上げると、ピッと人差し指が突き付けられた。
「そして今はテオが居る。だから離れられないし、離さないのよ!」
そう言って得意げに笑うマリーに、テオは絶句してしまう。
全く以って卑怯だ。
いつだって彼女はこうやって自分を翻弄する。それが無意識なのか、わざとかは知らないが、小悪魔のようである。
そこでテオはふと思い出す。
「そういや、初めて会った時の『天使の歌が~』って叫んでたよな? あれは何?」
「あらやだ、覚えてたの?」
「あんな強烈な出会いを忘れられるか」
後にも先にも、あれだけ衝撃的な出会いは無い。良い意味でも、悪い意味でも。
「そうね……、そう……」
マリーは人差し指を顎に当てて思案していたが、手をぱちんと打ち鳴らした。
「知ってた? あの日は夏至の前日だったのよ」
「いや、だから何だし?」
「夏至の前日なの」
「説明になってない」
聞けば大体(望んで無い程長く)解説してくれるのに、何とも歯切れの悪い返答だ。訝しげに目を眇めれば、マリーはふふっと軽く笑った。
「それ以上は秘密!」
そう言ってそのまま振り返ることもせずに歩き出してしまう。
しかしながらこれもいつもの事と、テオは肩を竦めてため息をつくと、足取り軽やかな主の後を追った。
「夏至の前日に出会った人は、いつかかならず結ばれるという……ってね」
ぽそりと呟かれたマリーの言葉は、後ろを歩く護衛の耳には届かなかった。
【すみれコード】
清く正しく美しく生きる妖精さん達には言ってはいけない言葉がある。年齢とか下ネタとか。
お下品な言葉はこのコードに引っかかります。
【離れられない、離さない、もうダメよ】
ミュージカル『〇ー・アンド・マイガール』でヒーローとヒロインが歌う曲。
二人の愛、ハッピーな歌なので、決して呪いでは無い。
【ミッドサマー・イブ】
ミュージカル『PUCK』の代表曲。作曲は某有名歌手。
そして初演で歌ったのが、アニメで十字傷のある剣客の声をやった人。滅茶苦茶上手い。さすが歌の妖精。
お読み下さり、ありがとうございます。
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