中編
ここで出て来るローブはドレスを指しています
雲一つなく、晴れやかなある日。ついにマリーは念願の外出を果たした。
お忍び用の落ち着いた瑠璃色のローブに白いフィシューを身に着けたマリーは馬車に揺られながら満面の笑みを浮かべる。その向かいには騎士服ではなく、深緑のジュストコールにジレ、キュロットという装いのテオが居た。
「ああ楽しみ! ねぇ、テオ! 今日はテオも存分に楽しんでね!」
いつもマリーの付き添いばかりで、テオはあまり休みを取れていない。だから今日は自分だけでなく、テオの気分転換にもなれば良いと思う。
「お前と居て楽しめる未来が想像できない」
「何ですと!?」
労わってあげたのに、何という言い草か。
マリーは口を尖らせる。
「じゃあ別行動したって良いのよ?」
「んな事出来るか!」
目を剥いたテオが叫んで震える。
「お前は俺を殺したいのか?」
「あら? 私と離れたら死んじゃう病なの?」
「そうだな」
ふざけて口にした言葉に同意を返され、マリーの頬が一瞬で熱を持つ。
「お前から目を離したら必ず問題を起こすし、そうなった場合、俺が責任を取らされる。物理的に首が飛ぶ! だから俺を殺したくないなら、お前は絶対はぐれるな、知らない人に付いて行くな、拾い食いもするな」
「テオ……」
ビシッと突き付けられた人差し指を払いのけて、半眼でテオを見る。頬の熱はとうに引いている。
「私、もう十六なんだけど?」
「おかしいな。十年前くらいから言動が変わってない気がするんだが?」
「気のせいよ」
ぷいっとマリーは顔を背ける。
テオはその仕草こそが変わっていないのだと言いたかったが、空気を読んで飲み込んだ。
「テオはもう少し私を信用しても良いと思うわ」
「この件に関している時のお前に信用は無い」
「なんと!?」
ばっさりと断じられ、マリーは仰け反った。
ここまで言われるとは、そろそろ言動を改めた方が良いかもしれない——が、そんな気がちっとも生まれて来なかったので諦めた。オスカル様以外の事に関しては諦めも肝心なのである。
「……まぁ、良いわ。この話は止めましょう」
「そうだな」
このまま話していても埒が明かない悟った二人は、さっさと話題を変える。
「で、今日はどこに行くつもりだ? 劇場? 美術館?」
「そんな所行ってどうするのよ」
演劇なんて行こうと思えばいつだって特等席を用意されるし、住んでいる宮殿自体が多数の芸術品を貯蔵した美術館のようなものだ。どちらも行く必要は無い。
「行きたいのはパレ・ブランシュよ」
マリーがピッと人差し指を立てて告げると、テオは目を丸くした。
「意外だな。お前なら市場に行きたいとか言い出すと思ってた」
「もちろん行きたいけど、さすがに無理でしょう」
普段より落ち着いた装いをしているとは言え、どうみても上流階級の人間だ。この服装では庶民の集う場に行った所で浮いてしまうだろう。
「パレ・ブランシュにも色んな店があるらしいし、とても人気の場所なんですってね」
そこは元々、数代前の王の愛妾の為に立てられた館だという。
その愛妾は透き通るような輝く髪と、石膏のごとき白く滑らかな肌を持った美しい女性で、清廉さも相まって「白の貴婦人」と呼ばれていたらしい。そして王の寵愛っぷりは、そこが館ではなく、君主一族の住居を指す宮殿と名付けてある事からも良く分かる。「私の住処はお前の元だ」というわけだ。
しかしながらそんな彼女は王が倒れて危篤になるなり、とっととパレ・ブランシュを売り払い、いずこかへと姿を晦ました。嫉妬に燃える王妃とその派閥からの当たりが強かったと聞くし、王という庇護者が居なくなった後の事を考えるなら、的確な判断だったと言えよう。が、本当に清廉だったのか疑いたくなる強かさである。
そんなこんなで別の人の手に渡り、持ち主を幾人か変えてきたパレ・ブランシュであるが、現在の持ち主はそこを商業施設として活用している。
中庭に面した回廊にはいくつもの店が入っており、カフェやパブもあるという。前世でいうショッピングモールといったところだろう。上階は高級アパルトマンとしても貸し出されているらしい。
「今からワクワクしちゃう! 楽しみね、テオ!」
「……そうだな」
期待に胸膨らませるマリーに、テオは微笑んで同意した。
それから他愛のない会話を続けていると程なくして、馬車は目的地へと辿り着いた。門前広場に止まった馬車から降りてすぐ目に入ったものに、マリーは目をしばたかせる。
迫持の門へ向けて設けられた階段は横幅が広く、目算で十段くらいはある。その形には前世の記憶がとても刺激された。
「何だか、エトワールが歌いたくなるわね」
「目立つから止めろ」
「しないわよ。シャンシャンも無いし」
「あったらすんのかい!」
当然である。
こんな階段を見て、パレードごっこをしたくならないヅカオタが居るだろうか。いや、いない。
仮にもヅカオタを名乗るなら、手作りのシャンシャンを持ってパレードごっこに興じた経験が必ずあるはずだ。無いヤツはヅカオタと認めない!(マリーの個人的見解です)
「やるなよ? 絶対やるなよ?」
「だからやらないってば。どれを歌ったら良いのか悩むし」
「永遠に悩み続けててくれ」
テオの心の底からの嘆願を無視し、マリーはさっさと階段を上って門を潜り抜けた。
そこから見渡した先には、たくさんの人が行き交っていた。
年齢、性別、属する階級も様々で、派手なローブを着た女性もいれば、パンタロンを履いた労働者の男もいて、はしゃぎまわる子供達は元気だ。まだ昼だから居ないけれど、夜になれば娼婦達も姿を見せるのだろう。
宮殿では決して見る事の出来ない景色に自然と心を躍らせていると、テオも上がって来て隣に立った。
「マリー」
そっと曲げられた肘が差し出され、マリーはその隙間に手を通すと腕に添えた。
「じゃあ行くか」
「そうね、行きましょう」
時間は着々と過ぎていくのだから、一分一秒も無駄に出来ない。
「女の子を捕まえに!」
「だから言い方!」
エスコートしてくれても、いつもと変わらぬテオの態度にマリーは笑みを零した。
二人はとりあえず、端の店から順繰りに見ていくことにした。
立ち並ぶ店はやはり服飾関係が多く、靴屋や帽子屋を冷やかし、寄っても仕方ないので仕立て屋は飛ばし、書店では思いがけず長居をしてしまった。
宮殿にも図書室はあるが蔵書されているのは学術書や資料ばかりで、小説なんかはほとんどない。だから書店に置いてある大衆小説には多いに興味惹かれた。いつか劇団の演目に使えるかもしれない。
続いて入ったのは骨董品店だ。
細やかな絵柄が描かれた陶磁器、無銘の絵画、長い時を刻んで来た時計。歴史と想いの詰まった装飾品など、どれも風情がある。中でも一番気に入ったのは呪いの壺だったが、残念ながらテオに猛反対され、購入は見送られた。
そうしてある程度見て回った所で、休憩を挟むためカフェに向かう。
「欲しかったわ……呪いの壺……」
マリーは頬に手を添え、ほぅっと息を吐く。
「買ってどうする、そんなもん」
「憎いアイツに贈るのよ。きっと相手を不幸の坩堝に落とし入れてくれるわ。そんな相手いないけど」
「いないのかよ」
この場合、居なくて良かったと喜ぶべきか悩む。
おそらく居た所で過保護な父と兄に排除されているだろうから、結局壺の出番はなさそうだが。
「それより、別の店でリボンを見ていただろう? そっちが欲しかったんじゃないのか?」
「え? ああ、あれは違うの」
マリーはかぶりを振る。
「雪が足りないと思って見てたのよ」
「雪?」
訝しげにテオは目を眇めた。
「そう、雪。あのリボンってば薄紅、黄色、水色、紫はあるのに、緑が無かったの。雪を仲間はずれにするなんて酷いわよね」
「何で緑なんだ? 雪っていうなら白じゃないのか?」
確か白いリボンなら一緒に並んでいたはずだ。
「雪は緑なのよ。そう決まってるの」
「そうかぁ」
テオは理解する努力を放棄した。
「まぁ存分に満喫してるみたいで何よりです」
「ええ。とっても楽しい!」
満面の笑みで返す。
生まれ変わって王女になり、欲しいと思う前に物がやってくるようになった。何かを買おうとなってもほとんどが特注の一点物で、デザインから関わる事になる。そうして作られた物はもちろん気に入ってはいるが、こうやって自分で店に赴き、気に入るものは無いかと探すのは楽しい。久々に味わった買い物の醍醐味だ。
「セ・マニフィーク!」
感極まったマリーが両手を広げると、その手はちょうど脇を通り抜けようとした人を妨げ、ぶつかってしまう。
「きゃっ!」
薄紅のローブの子は驚いた拍子に荷物を落とし、体勢も崩して転んでしまう。その様子をマリーは呆気に取られて眺めてしまった。
「マリー! このバカ!」
テオは叱責を忘れずにしてから駆け寄り、転んでしまったその子に手を差し出す。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
「は、はい……」
目を白黒させながらもテオの手を取り、立ち上がる。
そこでやっときちんと相手の顔が見えて、マリーは目を瞠った。
「ロザリー!」
編んだマロンの髪を揺らし、大きな琥珀色の瞳で真っ直ぐにこちらを見詰めてくる子はテオに支えられて立っており、その姿は大変可憐で愛らしい。
「この完璧なたおやかさ! まさしく娘役よ!」
「あの……えーっと……」
「テオ! テオ! どうしましょう!? まさかこんなに早く素敵なお嬢さんが見付かるなんて!」
「落ち着けマリー。免疫のない人間にお前の奇行は強烈すぎる」
相手から体を離し、まるで猛獣にでも対するかのようにテオは宥めてくるが、止まるわけが無い。
「これは推せる。かなり推せる! 新人公演でヒロインに抜擢されるし、バウでのヒロインも確定! あっという間に路線にのって、頂点に——痛いっ!」
テオの両手がガシリのマリーの頭を掴む。
「痛っ! いたたたた! ちょっ、テオ! 痛い! マジで痛い! 頭蓋骨が胡桃のように砕かれるぅー!」
テオはどうやら物理的に止めに入ったらしく、指に力を入れてギリギリと締め上げていく。激しい痛みに、マリーの目尻には涙が浮かび始めた。
「大変失礼しました。彼女は少々、病んでおりまして……」
「誰が病んで——っつ! 痛いってばぁ!」
マリーを仕置きしつつ謝るという芸当をするテオに物申そうとしたが、敵わなかったし、叶わなかった。
「うぅ……酷い……」
やっと解放されたマリーはずるずるとしゃがみ込むと頭を抱えて、すんっと鼻をすする。
おかしい。自分は王女のはずなのに、扱いが雑過ぎる。
「あの、大丈夫ですか……?」
娘役候補(暫定)は戸惑いつつもマリーの顔を覗き込み、案じてくれる。心根まで完璧だ。
マリーはすくっと立ち上がると身だしなみを整え、今更ながらに体裁を整える。
「さっきは本当にごめんなさい。私はマリー。そっちがテオ。よろしければあなたの名前を教えて頂ける?」
「わ、私は……フェリ……フェリシアです」
「そう! ではフェリシアさん。一緒にカフェに行きましょう! 転ばせてしまったお詫びに、ショコラでも奢らせて欲しいの」
「え? でも……」
「失礼」
狼狽する様子を見かねて、テオが割って入って来る。
「お嬢さん。大変ご迷惑だとは思いますが、お付き合い願えないでしょうか? 私としてもお詫びをしたいですし、何もご予定がなければ、ですが……」
その取り成しで、フェリシアの態度が軟化する。
なるほど、こうやって女性を籠絡すれば良いのかと感心していると、心を読まれたのか睨まれた。
段々、テオが人間離れしてきた気がする。
「いかがでしょう?」
「……では、お言葉に甘えて……」
おずおずと微笑みを浮かべたフェリシアは、とてもとても可愛らしかった。
そうして三人はカフェに来て、テーブルを囲みながら会話に興じる。
とは言っても専ら喋っているのはマリーで、彼女の質問にフェリシアが答え、マリーが暴走しかけるとテオが止めに入っていた。それでも話している内に緊張も解れてきたのか、フェリシアの表情も和らいできている。時折控えめに笑む姿が本当に愛らしい。
「それじゃあ、あなたはパレ・ブランシュによく来るのね」
「はい」
おずおずと頷いたフェリシアはショコラの入ったカップをテーブルへ戻した。
「ここにはたくさんの人が来ますから」
「人?」
マリーが首を傾げれば、フェリシアはハッとして口元を押さえた。
「えっと、その……」
言い淀み、視線が彷徨う。
あまりにも焦る様子にマリーはひらひらと手を振る。
「別に言いたくないなら無理に言わなくて良いのよ?」
誰にだって秘めておきたいものはある。それが人の道理に反しているというのであれば話は別だが、人に迷惑を掛けていない範囲でなら、自由にする権利がある。
マリーの言葉に背を押されたのか、フェリシアはふっと肩の力を抜くと、躊躇いがちに告げる。
「……わ、私……人の着ているローブを見に来ているのです……」
声に出してしまえば腹が括れたのか、続けて言葉が流れ出してくる。
「フリルとかレース、刺繍などを見ているのが楽しくて、天気の良い日はここの中庭のベンチに座って、通る人のローブを眺めてるんです。素敵なデザインを見掛けたら紙に描いたり……」
「あら、素敵じゃない!」
マリーは手を打ち鳴らして称賛する。
「ねぇ、もしかして今もデッサン画を持ってるんじゃない?」
彼女は買い物に来たにしては大きめの荷物を抱えていた。目的を聞いた後ではその中身は明白で、マリーはキラキラとしたまなざしを向ける。
「見たいわ、私!」
「おい、マリー」
はしゃぎ始めたのを危惧してテオが呼びかけてくるが、これくらいはお目こぼしして欲しい。
「お願い、フェリシアさん!」
ぎゅっと顔の前で両手を握り締めて懇願する。
「拙いもので、良ければ……」
あまりにも必死だったからか、フェリシアは逡巡した後にクロッキー帳を差し出してくれた。マリーは恭しく両手でそれを受け取ると、優しい指使いで紙をめくっていく。
中には速写されたものも軽く彩色されたものもあり、小物だけを抜き出して描いてある頁も、刺繍の図案の頁もあった。
「これはすごいな……」
横から覗き込んできたテオも感嘆の声を出す。
「ね、すごいわよね、テオ!」
マリーは自分の事のように喜びながら頷く。
「特にこの絵が良いわ。細部まで描き込まれているし、実際に着てみたいって思うもの!」
薄紫のローブは淵を全てレースで飾るデザインで、ドレープの下は薄手の白スカートを幾重にも重ねるようになっている。所々に小さな花の飾りが付いていて、その主張しすぎない程度の華やかさがとても気に入った。
「確かに似合いそうだけど……」
テオはそこで言葉を切る。
言わんとしている事は分かる。王女が着るには「地味」だと言いたいのだろう。
競って華美に着飾る貴婦人の集う宮殿では、確かにこのローブでは落ち着き過ぎているかもしれない。けれども、前世の記憶があるマリーとしては、これくらいの方が落ち着くのだ。
「マリーにはこっちが似合うんじゃないか」
「どれどれ?」
テオが指差したのはマンダリーヌのローブで、薄黄色のフリルがあしらわれている。袖に付けられた小さなリボンや刺繍には緑が差し色として使われていて、どことなく葉っぱを思わせる。溌剌としていて爽やかなローブは華やかさの基準も満たしていた。
「シトラスの風が吹きそうで素敵!」
「その表現、お前以外には伝わらんからな」
一応同意を得られて満足げなテオは、温めのツッコミで見逃した。
「他にもこれとか、こっちも良いわね」
パラパラめくっていくと目を引くものがいくつかあり、何となく似た雰囲気を感じるので、おそらく同じ人の手によるものだと見当を付ける。
「どこのクチュリエのものかしら?」
何とも無しに口にした疑問だったが、フェリシアはまるで悪戯のバレた子供のように息を呑んで固まった。
その態度にふと思い当たる。
「……もしかして、あなたのデザイン?」
尋ねてみれば数拍の間の後、コクンと首が縦に振られた。
「すごいじゃない!」
思わずマリーは立ち上がってしまう。
「じゃあ、これとかこれもそう? こっちは?」
「全部……私です……」
消え入りそうな声で肯定が為される。
「すごい! すごい、すごい! こんなにたくさん素敵なデザインを思い付くなんて、フェリシア、あなた天才よ!」
掛け値なしの称賛を、出し惜しみせず全て伝える。
「そ、そんな大したものでは……」
「謙遜は良くないわ! ね、テオ!?」
「そうだな」
テオも真面目に賛同した。
「こう見えてマリーは目が肥えている。そのマリーが認めたんだ、誇って良い。それに俺もここに描かれたものは、どれも本職の人にも劣らないものだと思う」
「でも——」
まだ卑下しようとするのをじっと見据えれば、フェリシアは口を噤んだ。それから困ったように俯き、再び顔を上げた時にははにかんだ笑みを浮かべていた。
「……ありがとうございます」
頬をほんのりと色付けて謝意を示す様はたおやかで、マリーは感嘆の吐息を漏らす。
「やっぱり可愛い」
しみじみとこの出会いは運命だったのだと思う。
この奇跡とおぼしき出会いをふいにしては、勿体ないにも程がある。
「ねぇフェリシアさん。あなた、私の劇団に入らない?」
「劇団……ですか……?」
ぱちりとフェリシアは目を瞬かせる。
「そう! 私、劇団を作りたいの! 女性だけの劇団を!」
胸元グッと拳を握り、全力で勧誘を始める。
「男性の役をする人と、女性の役をする子に分かれてね、お芝居をしたり、歌ったり、踊ったりするの。あなたなら頂点に立てるだろうけど、舞台に立つのが恥ずかしいのならお衣装係としてでも良い!」
マリーは身を乗り出して、フェリシアの手を取って握る。
「お願いよ、フェリシア! どうか私の劇団に入って!」
今日初めて会ったし、まだ互いの事をよく知らない。それでもマリーはフェリシアを人として気に入り始めていたし、一緒に活動出来たらと思わずには居られない。
「マリー」
突然の誘い掛けに固まってしまったフェリシアを見て、テオが割って入る。
「彼女、困ってるだろう」
やんわりとした窘めに、マリーは手を放すとそろそろと椅子にお尻を戻した。
「すみません、フェリシア嬢。マリーは熱中すると周りが見えなくなりやすくて……」
「いえ……」
フェリシアはかぶりを振る。
「とても熱いお気持ちが伝わってきました。マリーさんにとって、その劇団は強い思い入れがあるんですね」
「ええ!」
何せ生まれ変わっても忘れなかったくらいである。あるなら来世でも覚えていたい。
「ああ! でも、無理強いをするつもりはないのよ!?」
慌ててそこだけは否定する。
そうしようと思えば、いくらだって出来る。ただ一言命令すれば、それだけで王族である彼女に誰もが従わざるを得ない。
しかし、そうやって参加して貰っても意欲を保ち続けてはいられないし、練習やら何やらにも根気強く取り組めないだろう。
「ただ、あなたが入ってくれたら嬉しいし、きっと楽しいと思うの」
心から思う事をそのまま告げる。すればフェリシアは大きな目をさらに大きくして、それから泣きそうな表情へと変わった。
「私も、マリーさんと一緒なら、楽しくできると思います。でも——」
一度切り、辛そうに、本当に辛そうにフェリシアは続ける。
「出来ません……。誘って頂けて嬉しいのに、出来ないんです……」
そのまま俯いてしまったフェリシアに、マリーとテオは顔を見合わせる。
「何か大きな問題でもあるの?」
手伝って解決するのなら、いくらだって手伝ってあげたい。ただ王族としての立場上、過剰な肩入れは出来ないが。
「父が……父はこの趣味を嫌ってるんです……」
ぽつりとフェリシアが漏らす。
「お針子や職人の真似事などせずに、家業の手伝いをしろ、と」
「家業? おうちは何か商いを?」
「医者です」
「お医者様!?」
それは中々に難しく大事な職業だ。
「ですが私はその……あまり賢くなく、兄のように胆力も無くて、血を見るだけで倒れてしまったり……」
肩を落とすフェリシアは本当に弱々しい。
こんな手弱女であれば、血を見て倒れてしまっても仕方が無い。マリーの侍女達の中でさえ、そういう子は居る。ちなみにマリーは少々の怪我くらい「唾つけておけば治るだろ」と放置するタイプである。もちろんその都度、侍女頭に叱られている。
「でも、それなら尚更別の道に進みたいと説得するべきじゃないかしら? お兄様もいらっしゃるみたいだし、跡継ぎには困って無いのでしょう?」
「おい、人の家の問題に口出しをするな」
厳しい声で叱責され、マリーは口を引き結ぶ。
テオの言う通り、他人がとやかく言うべき事では無い。その家の事は家長が決めるのがこの世界での普通だ。おかしいと思うマリーの方が異端。悔しいが、それが現実だった。
しょぼくれて俯けば、慰めるようにテオの手がぽんっと頭に置かれた。
「……ごめんなさい、フェリシアさん」
「いいえ! マリーさんが私を思って言って下さったのは分かりますし……!」
マリーが謝れば、フェリシアも慌てて手と顔を振る。
「それより、こちらこそごめんなさい。折角マリーさんが誘ってくださったのに……」
下がっていく視線が本当に申し訳なく思っているのだと伝えて来て、マリーは不謹慎かもしれないけれど嬉しくなった。
「良いの! おうちの事は仕方ないものね。でも、その代わりと言ってはなんだけど、一つお願いしても良いかしら?」
気を取り直して提起してみれば、すぐさまテオから「ずうずうしい」と言わんばかりの目を向けられるが、気付かないふりをする。
「私と、お友達になってくれる?」
こんなお願い、こっ恥ずかしい。
しかし前世ならともかく、今のマリーは思春期まっただ中であるし、少しくらい青春っぽい事をしたって良いだろう。
「友達……」
フェリシアは寝耳に水とばかりに、大きな目を更に大きくしている。
「ダメ、かしら……? 私、実は友達っていないのよ。だから初めてのお友達になって欲しいんだけど……」
マリーは両手の人差し指を付き合わせて呟く。
「……いいえ」
徐々に驚きを落ち着かせたフェリシアがかぶりを振る。
「嬉しいです! 私も友達っていなくて……。マリーさんのお友達になりたいです!」
「なら、もう私達は友達よ! フェリシア!」
「はい! マリーさん!」
二人はきゅっと互いの手を握りあって、笑みを交わす。
その傍らで一人静かにカフェを飲む男は、主の幸せにこっそりと頬を緩めた。
【エトワール】
パレードで一番初めに大階段を下りて来て、ソロ(場合により複数)を披露する歌姫。ちなみに大階段の読み方は「おおかいだん」です。
【パレード】
フィナーレの最後に出演者全員が大階段を下りてくるやつ。所謂カーテンコール。
主要キャストは中央を、それ以外は両端を下りてくる。
【シャンシャン】
パンダでは無い。パレードの際に持つ小道具で、その公演にちなんだデザインをしている。羽根や扇子の時もある。パンダでは無い。
【雪は緑】
各組には組カラーがあって、花がピンク、月は黄色、雪が緑で星は水色、宙は紫。
何故その色とか聞いちゃいけない。そう決まっているのです。
【セ・マニフィーク】
ショーでたまに使われる歌。フランス語で「素晴らしいわ」という意味。
【路線】
トップスターへの路線。 乗るにはいくつか条件があって、それを達成している生徒がそう言われる。ただ乗ったからと言って、トップになれる訳では無い。
【バウ】
バウホール。本拠地の大劇場と同じ敷地にある小劇場。
若手の生徒を主演にした演目が度々行われ、そこで主役もしくはヒロインを演じるのも、路線に乗る条件の一つ。
【シトラスの風】
宙組が創設されて初めての公演でのショー。眠る時代を呼び起こし、未来にはばたく歌。