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加害と罪

作者: 少年A

こういうものは初めてなので至らない部分が多いと思います、ご了承ください。

突然頭に映像が駆け巡った

前触れもきっかけも何も無い。

私はこの映像を知っている。

紛れもない、全て自分自身の犯した罪だ。


始まりはどこだったのだろう。

もしかしたら生まれた時からだったのかもしれない。

それでもやはり始まりを探すなら小学生の頃だ。



私は嫌われ者だった。

当時は知らなかったが私は障害者だった。

話しすぎたり黙りすぎたり、空気を読むということが難しかったり、


多分行動も普通じゃなかった。

どこかで周りと違う行動や発言をしていたのだと思う。

私には化け物という名前が付き、嫌がらせを受けていた。


ある日、いじめっ子が殴ってみろと言った。

とても怖かったがこのままやられっぱなしではダメだ、なにかしなくては、と思い出来たことは殴り返すことだった。

おそらく力も入ってないおっかなびっくりなパンチだったが俺が殴ったというのが衝撃だったらしい。びっくりした顔で殴られたと先生に言いに行っていた。


私はというと、人を殴ったことで震えていた。

怖かった、それと同時に殴れたことにびっくりしていた。

その時なにか見える世界が変わった気がした。


次の日から嫌がらせがすっぱり無くなった。

大勢の前で殴ったということで人を殴った奴と見られるようになった。

殴った奴として嫌味や暴言は言われたが今までのように蹴られたり転ばされたりそういう身体的なものが一切無くなったのだ。

私はまた驚いていた。


あんな恐る恐るのパンチでこんなになるのか、

こんなに簡単なのか、


多分、少し楽しくなっていたのだろう。

それから殴るぞの一言は私を守る最強の鎧だった。

そしてその鎧を保つため私は何度か人を殴った。


どうすればちゃんと殴れるか、どうすれば殴るのを怖がってるのがバレないか、

そうやって考えているうちに殴るのが怖くなくなり、何かあると無意識に人を殴るようになっていた。


あまり痛みの少ない殴り方、少ない動きでダメージの少ない殴り方、逆になるべく大きいダメージを与える方法。

気がつけば殴ることは当たり前の事だった。


しばらくして殴ってみろといったいじめっ子が蹴ってきた。

お前は殴るばかりだから足ならやり返せないと思ったと言った。

足の防御が薄い、

まるで物語のセリフのようなことを本気で思った。

当時小学4年生だった。


それから蹴る練習もした。

二度と殴られたくない、蹴られたくない、いじめられたくない。利用されたくない。

暴力があればいじめられなかった。


結局蹴るのはあまり上手くならなかった、

それでももう二度と蹴られないくらいにはなっていた。

足が空いてるから蹴ることが出来る、ではなく足を出せば蹴り返される、と思って貰えたのかもしれない。


私はこの暴力で人として大切にするべきいくつかを失ったと思う。多分それが始まり、そして無関係の人を殴った最初の罪。

この暴力は癖になって3年は直らなかった。



次のきっかけは多分、祖父達の死だと思う。

正確には祖父の死で鬱になり思考能力が落ちたこと。



私はおじいちゃんっ子だった。


高速道路で2時間のところに住む母方の祖父も怖くはあったが来年は私も餅を作ると約束していた。


母方の祖父が亡くなったのは病院だった。

私が靴をぐずったせいで姉と兄は祖父の死に目に会えなかった。

その時は少し責められたが、後からきっと死ぬ瞬間に会ってたら余計苦しかったと思うと言われた。


私は母方の祖父との餅作りを楽しみにしていた。

やっとおじいちゃんを怖いと思わなくなっていた頃だった。

とても苦しそうに口を開けて醜いとさえ思ってしまうほど顔が歪んでいた。

棺の中の眠るような姿を見てちゃんとおじいちゃんだとほっとした記憶がある。


葬式の時は涙が流せず母の姉に酷いのねと言われた記憶がある。


泣けなかった、昭和思考のおじいちゃんの傍にはなかなか行けなかったし怖いイメージが強かった。

それでもおじいちゃんが優しくて私達を嫌ってなどいなくてちゃんと好きだとは分かっていた。

ただ死んでしまったという現実を受け入れられずにいた。


とても悲しかった、病院ではこれでもかと泣きじゃくった、

ただそれ以降はどうしても涙が出なかった。



隣に住んでいた父方の祖父の家に遊びに行っては祖父が盆栽を手入れしている横で使えない長さになった針金を曲げて遊んでいた。


父方の祖父が亡くなったのは私が意地を張っていた事を明日謝ろうと先延ばしにした日だった。

珍しく早い時間に風呂に入った祖父はそのまま眠るように息を引き取ったらしい。


この時も泣けなかった。

この時の方が泣けなかった。

壊れたなと感じた、根拠は何もない。

ただ何かがなくなってしまったのは確かだと思う。


後から聞いた話だとその頃から暫く笑うことも話すこともしなくなったらしい。自覚はなかった。



祖父たちが亡くなったのは小学6年生の頃だった。

私は約1年分の記憶が飛んでしばらく幼なじみが5年生の教室に行こうとする私を6年生の教室に連れて行ってくれたらしい。


中学1年の頃に小学生の時の記憶がほとんど無くなっていたので詳しいことは分からない。

後から小学4年から前は思い出せたがそれより後はなかなか思い出せなかった。



それほどの衝撃でおそらく鬱か何かにでもなってたのだと思う。

少なくともおかしな思考をしていた。

思考能力が下がっていたか、頭が狂ったか、


中学生になり部活に入った。

部活動の時間、環境の変化で過呼吸になっていた私を気持ち悪がらず、過呼吸が収まるまで私を安心させようとしてくれ過呼吸が早く収まる方法を調べてくれた、温かい、でも距離があって冷たさもある、淡々と事実だけを見ようとして話そうとしてくれる先輩がいた。


私の心を覗いてるかのように私の気持ちを言い当て、それでもただ私寄りでも先輩寄りでもないただの現実を語る冷たさを心地いいと思ってしまった。


私は先輩を好きになった。

そして告白して振られた。

そして私は暴走した。


きっと何も知らないくせにと思ったんだ、私が何も知らないくせに告白したから怒ったんだ、知らなきゃ、先輩のことをもっと知らなきゃ、()()()()()()


これが2番目の罪、

無自覚だった、気が付かなかった。そんなつもりはなかった。

それでも確かにストーカーになった。


先輩の誕生日、血液型、通学に使っているバス停、時間割、癖、

見たものは全てノートに書いて記録した。

ノートに書いたものを見返してこれは癖かな、こんな気持ちだったかな、と予想した。


ある日先輩の同級生からストーカーちゃんと呼ばれた。

どうやら私は先輩の同級生達にストーカーちゃんと呼ばれているらしかった。

その同級生は私がそのあだ名を知らないと知るとやらかしたという顔をしたが次の日から普通にストーカーちゃんと呼んだ。


その前からもそれストーカーじゃね?と言われていたが冗談のようなものと聞いていなかった。

全くストーカーをしてるつもりはなかった。

だから先輩の同級生にストーカーちゃんと呼ばれる度に苛立った。

何度も苛立ちながらやめてくれと言っていたらいつの間にか話しかけられなくなった。

やっと認めてくれたか飽きたかなと思った。



ある日先輩に呼び出された。

ストーカーで訴える準備をしている、訴えられたくなかったらストーカーをやめてくれ、


あまりにストーカーだと言われるからたまにストーカーについて調べていた。

それでもやっぱり自分はストーカーじゃないと本気で思っていた。

しかし先輩のその言葉で私はやっと自分がストーカーなのかもしれないと思い始めた。

先輩には考えますとだけ言った。



結果だけいえば私は半年たっても訴えられなかった。

その半年で自分がストーカーと認められるようになった。


私は別に先輩に迷惑をかけたかったわけでも何でもなかった。

その頃になると好意より知識欲に似た何かに近く先輩と恋愛関係になりたいと思わなくなっていた。むしろなるのはなんか違うとさえ思っていた。


それでもやはり私の頭はおかしかった。

ストーカーをしないために恋人をつくった。

告白したら好意に関係なくOKしてくれそうで人の良い奴。

告白したらOKが返ってきたし付き合うにつれて人並みの好意を抱いてその人とはそのまま3年は関係を続けることになる。


効果はちゃんとあった、

確実にストーカーすることが減っていった。

恋人といる時間を取らなきゃいけなくなったからだ。

そうしてそのまま高校を追わないように窒息しそうな日々を過ごして先輩を追えない状況を作ることが出来た。


先輩は優秀だった、私も勉強すれば入れるところだったが絶対に勉強しなかった。

その高校に入れる学力があれば絶対に受験してしまうと分かっていたからだ。

合否に関わらず受験することは絶対に許せなかった。



私は訴えられることなく日々を過ごした。

許せなくて鬱でやってた自傷を深く多くした。

しかし先輩がわたしの自傷行為を止めようとしてたのを思い出し自傷をやめる努力をした。


結果だけ言えばやめることは出来た。

しかしそれは私の次の罪になった。


きっかけはSNS

初めはOD(薬物過剰摂取)だった

とある市販薬を沢山飲むとフワフワして気持ちが楽になるというものだった。


色々調べた結果それは私の求めているものではなかった。

やらないと決めた最大の理由はやはりその副作用で、求めてるものでもなく副作用も酷い。やらない理由しか無かった。


調べてる中で見つけた人がいた。

SNSで酒煙草自傷その他、そういうことを呟く人だった。

ある日その人は呟いた、

「酒はふわふわ思考を緩めて感情をむき出しにしてくれる。泣けるから楽になる、苦しさが溶けていく」

私はそれに縋ってしまった。

その時は自傷をやめるなんてもうどうでも良くなっていた。

ただ死ぬ以外で苦しい全てを先延ばしにしたかった、苦しい全てから逃げ出して嘆きたかった。


SNSのその人は未成年だった

私も当時未成年だった。

その人はどうやってか酒を買っていた


私の家には沢山のブランデーがあった。

私はそれに手を付けた。

初めはそのまま飲んだ。

クラクラして吐きそうだった。


目が覚めた時には自分の酒臭さを自覚した。

それから水で割ったり氷を入れるようにした。

この酒はそのままで飲むものでないと分かった。

アルコール度数を見て自分は馬鹿だと思った。


それからは簡単だった。

あっという間に涙が苦しさと記憶を流してくれた。

酒を飲み始めて数ヶ月、自傷もしなくなり今まで溢れていた自殺願望も希死念慮も驚くほど薄くなって空の美しさを楽しむ余裕も出来ていた。

私の罪がまた増えてしまった



もう酒に用はない、もう飲まない、そう思った、

しかしそう簡単に早められなかった。

初めは何度も挫折した。


考え方を変えて2日、3日、4日、1週間、1ヶ月、2ヶ月、半年、だんだん飲まない日を増やして少しずつやめていった。

半年が達成できなくてまた初めからになりそうだったので4ヶ月で様子を見るようにした。


ある日呼吸が出来なくなった。

正確には呼吸や心拍は正常なのに息苦しくなった。

そこに煙草の写真と共にあった言葉を見つけてしまった。

「煙草は息をさせてくれる。煙とともに色んなものを吐き出してくれる」


私はタバコは吸いたくなかった。臭いもそうだが喉と肺がやられるのは嫌だった。歌えなくなると私の叫びがひとつ消えてしまうからだ。


わたしがとったのは電子タバコだった。

煙が出てニコチンタールフリー、

吸うアロマ。


SNSで誕生日なのでプレゼントが欲しいと顔を知らぬ人達に欲しいものを公開すると届いてくれた、届いてしまった。

ニコチンタールフリーであれど、吸うアロマだとしても、未成年は禁止なものだ。

それでも私は電子タバコを吸った。


酒はすっぱりやめられた。

自傷行為もまたやるようなことはなかった。

電子タバコは体に害がない。

自然と呼吸ができた。

辞める理由なんてなかった。

これも私の罪だ。


それでもやっぱりやめるべきだと思った。

隠すのが苦しいと感じてきたからだ。

苦しさから逃れるためのことに苦しさを感じていてはいけないと思った。


これは簡単にやめられた。

何度が酒と自傷が振り返したが最後には全てちゃんとやらなくなった、

それでもたまにもう一度と手を伸ばしそうになる。

それでもダメだなとその一言と適当に気を紛らわせればそれで大丈夫になった。



それからしばらく、ずっと幸せに生きてきた。

たまに空の写真を撮った。

たまに工作をして顔も名前も知らぬ人に褒められた。

そうしているといじめられた頃がフラッシュバックするようになった、

だんだんそれは多くなり殺されかけた日まで蘇ってきた。


しばらく私は被害者の顔をした。

そうして月日が経つと次は私の罪が脳に流れ込んできた。


私は加害者だ、訴えられることもなく幸せになりたまに被害者面をする。もしも私の暴力で私のように人生を暗くした人がいたら、もしも私の暴力を恨む人がいたら、もしも先輩の人生に影響を与えていたら、もしも誰かにトラウマかそれに近い何かを植え付けていたら、

後悔が襲い起き上がれなくなっていく。


そしてまた殺されかけたりいじめられたりした記憶が暴れていく。

そうして被害と加害が代わる代わる私の中を駆け巡った。



酒に手を伸ばしそうになり自分の首を絞めようとする、その手を思いっきり叩きつけ床にうずくまる。

喉を引っ掻きそうになり全ての爪を切りすぎるくらいに切った。


爪を切ってる間は落ち着けてただ無心になって、爪を切ることだけができた。

切る爪が無くなると途端に胸がソワソワし記憶がまた流れ込んでくる。


好きだった本が読めたのも幸せを体験していた少しの間だけ、

文字は読めるようになったが流れてくる記憶が本を読むのを邪魔した。


写真も少し揉め事があって景色の美しさと巡り会えるだけの外出が出来なくなった。


私は罰を欲した。

安心したかった、とにかく苦しさはもう嫌だった。

早くこの記憶が終わってくれと願った。

無理だ、無理だ。


ふと流れてくる記憶が止まる。

安心できなかった。

今度は死ぬ事への恐怖が襲う。


無意識の叫び声、叫ぶ自分の声が聞こえる、勝手に縮まる体、漏れる嗚咽、呼吸の仕方を忘れる。

何も無い闇に放り出され落ちていくような感覚。

恐怖でパニックになる。

恐怖を払おうと、恐怖を紛らわそうと身をよじっても暴れても溢れてくる強い恐怖。


ずっとそれが続き、しばらくするとやっと静かになる。

穏やかとは言えない。恐怖があったことで体は強ばったままだ。

結局自分のためか、安心したい、善人でもなんでもない自分勝手、そう自覚してもどうにかなりそうにない自分。


夜に眠ることが出来なくなり日が昇っても限界で倒れるまで起き続ける生活。

これが償いになればいいのに、これが罰なら良かったのに、

自分勝手な自分を憎み嫌いながら、今日もまた意識を手放した。

この話はフィクションです。

暴行、自傷行為、薬物乱用、薬物過剰摂取、未成年飲酒、未成年喫煙、その他を推奨するものではありません、絶対真似しないで下さい。


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