百点裁判【案件1】
コウリュウ精霊府の第四号法廷。
そこは、一種異様な雰囲気に包まれていた。
大理石の床と柱は壮麗という言葉を具現化したようであり、レバノン杉で設えられた傍聴席と弁護人席は重厚な雰囲気を持っている。
傍聴席はすべて埋まっており、静かな熱気を持って開廷を待っている。
弁護人席に立つラビは、滝のように汗を流していた。
「うわあ、もうだめです……! 私に弁護人なんて務まるわけが無いんです!」
父譲りの兎耳はペタリと寝ているし、母譲りの美しい金髪はくしゃくしゃに乱れている。
「君しかいないんだよ、今回の法廷で弁護をできる人材は。何せ被告人の知り合いは、ほとんど証人として召喚されてしまっているからね。大丈夫、出来るさ、君ならね」
落ち着いた雰囲気でミュラが励ますが、ラビは丸っこい鼻を力なくスンスンと鳴らしている。
「でも……。私、この間、権能執行課に配属されたばっかりなんですよ。それが、いきなり監査裁判の弁護人だなんて……。それも監察官は元水権能執行部長のワン・ワンワン様で、法廷はあの“第四号法廷”なんですよ」
「気負う必要は無いさ、君は。相手がちょっと大物で、舞台が少しばかり派手なだけさ」
「ちょっと? 少し?! ワン監査官といえば常勝無敗の鬼監査官で、しかも大の権能執行課嫌いで有名な犬ですよ?!」
「水権能執行部長の席を奪われたから、根に持っているんだよ、あの御仁は」
やれやれと肩をすくめる。
「でもでも、それだけで第四号法廷を持ち出してくるなんて……」
「“第四号法廷”……。終末級魔神を裁くために創造された、究極の舞台。有罪率99.9%であり、その全てが極刑。実に2,000年ぶりだね、ここが使われるのは。まあ、気にしても始まらないさ」
「でもでもでも……」
ラビがさらに弱音を吐こうとしたところで、カンカンという音が法廷に響いた。
「ん、本日の裁判長を務めるコウリュウ精霊府総務事務総局長ヘッジスと申します」
燕尾服姿の人物が、中央の裁判長席に着いた。
その容姿は、二足歩行の黒い豚のようだ。お腹はポッコリと飛び出ており、耳はウサギのように大きくピンと立っている。大きな鼻の上には、小さな眼鏡がちょんと乗っている。
「監査官並びに弁護人の準備は、終わっておりますかな?」
ヘッジスの問いかけに、ラビらの対面にある監査官席から鋭い応答がある。
ワン監察官だ。
「勿論だ、勿論だとも。被告人を断頭台に送る準備は、すでに終わっている、終えているのだぞ」
ワン監察官の見た目は、まるっきり犬だ。フォルムはドーベルマンのように精悍なのだが、そのサイズのせいで、なんとも面白味を感じさせる。豆芝ほどの体格の、小さな黒い犬だ。
舌を出したワン監察官が、早口で繰り返す。
「あの凶悪で邪悪でおぞましい魔神を、今すぐにも、一刻も早く、絞首刑に処さねばならぬぞ」
「ん、まあまあ。監査官殿は落ち着いてくだされ。弁護人、準備はできておりますかな?」
「……っ」
答えられないラビの肩に、ミュラの手が優しく置かれる。
「大丈夫だよ。相手が誰であろうと、舞台がどこであろうと、全力を尽くすことだけを考えればいいのさ」
「……は、はい! 弁護人ラビスタシア・プーカ・フランネル、準備出来ています」
ラビの瞳に、弱々しいながらも闘志が宿る。
それを見て一つ頷くと、ヘッジス裁判長はカンと槌を鳴らした。
「ん、では被告人を入廷させてくだされ」
その言葉を合図に、第四号法廷の漆黒の正面扉が音を立てて動き始める。
扉がわずかに開かれた瞬間、ごうっと風が吹き荒れた。叩きつけるような強烈な魔力の奔流。そこに存在するだけで他を圧するような呪力。
傍聴席がざわめく。
被告人である暗黒の破壊神アサヒ・ハルカが法廷に足を踏み入れた。それだけで、場の空気が物理的に変わった。
誰もが目を奪われていく。そこにいたのは、完璧で究極の破壊神だった。
あふれ出る魔力は、並みの神や悪魔であれば押しつぶされてしまうほどだ。一言も発することなくただ歩いただけなのに、凶悪な魔獣を見たかのような怖気に襲われる。
傍聴席のざわめきが強くなり、ヘッジス裁判長が「静粛に」と槌を叩いて制する。
「それでは開廷いたしますぞ。さて、監査官は被告人の罪状を述べていただけますかな」
「もちろんだ、もちろんだとも。被告人たるアサヒ・ハルカは、コウリュウ精霊府に属し大精霊コウリュウ様の名のもとに奉仕する義務を負っている。にもかかわらず、自らに利益を誘導し、不当に私腹を肥やした。これは許されない、許してはならぬ事なのだ!」
「ん、それを証明することが出来ますかな?」
「当たり前だ、当たり前だとも。被告人の携わった案件を一つ一つ精査する、検分していくぞ。まずは第十二世界タージオンにおける件だ。仮に案件1と名付けよう、そう呼ぼうではないか。雨乞いの請願に対する対応に疑義がある、アヤシイのだ」
「疑義とは具体的にはどのようなことですかな?」
「権能執行強度が、微妙に高い。その上、新人であるにも関わらず、稟議書の起草までが奇妙に早い。恐らく適切な積算をせず、強度を上乗せした権能執行をすることで、何らかの利益を得たに違いない、間違いないのだ」
「ん、なるほど。執行強度及び算出過程に疑わしい点があると。どのように立証されるお積もりですかな?」
「本件に関して、証人を呼んである、召喚しておるのだ」
ワン監査官が前脚で合図をすると、一人の証人が連れてこられた。
一見すると50歳くらいの、ひょろりと背が高い普通の中年男性に見える。背広に似た服を着ているが、ヨレヨレのシャツは、年季が入っており、くすんで見える。
目を引くのは、右の額から生えた角だ。いびつな形にねじれ、禍々しさを感じさせる大きな角だ。
覇気の無いしゃがれた声で証言を始める。
「……権能局水権能執行部……部長付補佐官の……ヤギと申します。アサヒさんの裁判ということですが……どうにも、私は場違いに思えるのですが……」
「余計なことは言うな、黙っているのだ。貴様は事件当時、権能執行課第三係長であった、被告人の上司であった。その時のことについて、嘘偽りなく証言してもらうぞ、陳述するのだ」
「はあ……」
ワン監査官が前のめりに気炎を吐くと、ヤギは背を丸めてため息を吐く。
「では問おう、質問だぞ。第十二世界タージオンから雨乞いの請願があり、降雨の奇跡を執行した件だ。何故このような執行強度となったのか。一切の経緯を述べよ、話すのだ」
「……はあ、あれはアサヒさんが初めて出勤した日……でしたね。第十二世界から陳情が届いておりましたので……経験豊富な者が指導しながら取り組み……翌日には書類をまとめていました。確かに権能執行強度は若干強めでしたが……案件ごとに濃淡が出るのは……珍しくはないでしょう」
ヤギの証言に、ワン監査官が口許を歪ませる。
「ほうほう、新人がたった二日で? それは通常の早さか? 全く何も知らない新人が初めて案件に取り組んだ場合、どの程度の時間がかかるものか?」
「もし……何も補助のない新人であったとすれば……過去の書類の確認や計算の精査で……10日ほどかかるでしょうか。しかし、あのときは計算を易化するためにジュゲム表を使い……」
「おっと、証人は聞かれたことだけを答えれば良い、良いのだ。さあ、裁判長! いかにもアヤシイ、アヤシイのだ。極端に短い作業時間、奇妙に強い執行強度。これは不正の証である。もはや監査官としては、これだけで有罪、処刑でよいと思うが如何に?」
机をバンと叩いてヤギの証言を遮ると、裁判長へと迫った。ヘッジス裁判長は、一つ頷くと、弁護人席へ目を向ける。
「ん、弁護人から反論はありますかな?」
突然回ってきた出番に、ラビは兎耳を震わせた。
「どうしましょう、ミュラさん!」
「まあ、まずは落ち着くことさね。監査官は、有罪に持ち込みたいあまり、随分と無理筋な主張をしている。まずは指摘してやればいいのさ、矛盾を」
「でもでも、もし失敗したら……」
「問題ない。弁護人たる君が諦めない限り、議論は続く。それこそ百年でも二百年でも。さあ、相手の主張の無理筋な点を指摘してごらん。新人である君なら、きっと分かるだろう?」
優しく包み込むようなミュラの言葉に、ラビは落ち着きを取り戻す。そして、元来優秀な頭脳を、ようやく動かし始めた。
監査官の主張は、確かにおかしい。
いくつも突っ込みどころがある。でも、どこから指摘すればいいだろうか。
ぐるぐると思考を回していると、ミュラが背中を優しくポンと叩いた。
その感触が、ラビの心を落ち着かせる。
「君は偉大なご両親のようになりたいのだろう? 夢見た明日をいつか必ず手に入れるため、魂を熱く燃やす時があってもいいんじゃないのかい? そしてそれは、今だとは思わないかい? 大丈夫、どう転んでも私は君とアサヒ・ハルカくんの味方だよ」
その言葉が、ラビを勇気づける。
(そうだ、ミュラさんが側にいてくれる! きっと大丈夫! どこから手を着けたらわからないなら、手あたり次第に手を着けよう!)
ラビは顔を上げると、勢いよく机を叩いた。
「異議あり! 監査官の証言はムジュンしています!」
「無い、あるわけがないぞ! 完璧だ、完全なる理論だ!」
威圧するように大声を出すワン監査官にもひるまず、ラビはもう一度机を叩くと、続けた。
「被告人は、案件を担当した時は勤務初日……つまりド新人なのです。だったら、通常で10日は必要な権能執行強度の算出を終わらせて、さらに少し上乗せするなんていうこと、2日で出来るわけがない!」
「あっ?!」
ワン監査官が悲鳴のような声を上げる。
「ん、なるほど。弁護人の論は筋が通っておりますな」
ヘッジス裁判長があごに蹄を当てながらラビの意見に与すると、ワン監査官は焦ったように早口でしゃべりだす。
「待て、待つのだ。疑義はもう一点ある、まだあるのだ。強度はなぜ強かったのか? これの説明が無いぞ、無いのだ」
「それは……えっと、ま、間違えちゃったとか?」
ラビの答えに、ワン監査官はニヤッと笑う。
「そうか、そうなのだな。間違えたというのか。権能執行課長の決裁を受けた案件だ。そこに誤りがあったというのならば、引責が必要になるな、責任問題なのだな。当時の権能執行課長は、確かメリーアン・メリーアンという名であったかな?」
「あっ!」
(そうだ……ワン監査官は、メリーアン部長を恨んでいるんだ。じゃあ“間違えた”っていう説明じゃ、まずい!)
「えっと、えっと、理由があったんじゃないでしょうか。他より少し強度が上回るような、理由が……」
「理由? 理由だと?! どんな理由があるというのだ?」
「それは……えっと……」
救いを求めるようにミュラを見ると、泰然と微笑んでいた。
「この程度の執行強度なら問題ないのさ、本来ならね。ヤギ君が言っていたように、ちょっとした濃淡といったところさ。そこにイチャモンをつけて理由を求めているだけなのだよ、ワン監査官は」
「じゃ、じゃあどうすれば」
「適当な理由で良いのさ、こっちも。ちょっとした誤差を説明できるような、ちょっとした理由をつけてやればいい」
「ちょっとした……理由……」
ラビは急いで裁判資料の頁を繰った。
祈りの儀式を行った巫女の容姿は美しいけれど、まさかそれだけで加算するわけはないだろうし……。供物は、とちの実とどんぐり、貝、採れたての鹿の肉……ありふれたものばかりだ。
実際に、どんな理由があったのだろうか。
ちらりと被告人席を伺う。
何気なく向けた視線の先では、破壊神が奇妙な動きをしていた。
何かを食べるしぐさの後に、美味しそうな表情をする。そして右手の中指と薬指を折り曲げ、笑顔で掲げる。左手は親指を上げている。そして感謝を示すような素振りを繰り返した後に、幸せそうな笑顔で終わる。
ピンときた。
「き、きっと供物の食べ物が、とっても美味しかったのではないでしょうか!」
ラビが机を叩きながら言うと、法廷が静寂に包まれた。
「ん、美味しかった……ですかな?」
ヘッジス裁判長の戸惑った様子に、ラビの焦りが増していく。
(まずい! 良くない理由だったかな?! 他に、他に理由を見つけないと)
急いで被告人席に目をやる。
そこでは邪神が不思議な動きをしていた。
左右に動くような足取りと、歌うようなしぐさ。
不思議な踊りは、見ているだけで魔力を奪われそうだ。だが、なにか手がかりがあるかもしれないと、目を凝らした。
ピンときた。
「き、き、きっと儀式を行った者が、可愛くて呪術的に優れた巫女だったのではないでしょうか!」
ラビが机を叩きながら言うと、法廷が再び静寂に包まれた。
「ん、可愛かった……ですかな?」
ヘッジス裁判長が首をかしげるに、ワン監査官も追従する。
「バカなことをいうな、バカバカしいことをいうな! 美人と美味い飯を提供されて優遇するなど、まさに汚職ではないか、犯罪ではないか! これは有罪の証拠になり得る、処刑なのだ!」
傍聴席のざわめきも最高潮に達する。
(マズいマズいマズい! このままじゃ、有罪になっちゃう?!)
ラビの汗が濁流のように流れだす。
だが、たった一言がこの流れを断ち切る。
「待っていただこうか」
法廷中の視線が、ミュラに注がれる。
だが気にした風もなく、飄々と話し始める。
「第十二世界における食肉や果実等は、他の世界より美味しい。これは本当のことさね。なぜなら大精霊コウリュウ自身が、とある事情から第十二世界を贔屓していたからだ。事実、第十二世界には、食事の美味しさを武器に勢力拡大した帝国もある」
「ふむ、ふむ」
ヘッジス裁判長が、納得したように頷く。
「加えて言うなら、本件の請願を担当したものは、極めて優れたシャーマンであるね。ヒィという名の巫女で、ヒィ巫女は第十二世界で歴史上最も有名な巫女といえる。優れた巫女が、他より質の良い供物を捧げたのだ。執行強度が強めに振れても、違和感はないだろうね」
「なるほど、なるほど」
ヘッジスの頷く回数が増え、傍聴席のざわめきもミュラの言葉を肯定的に吟味するものが増えた。
「でたらめだ、インチキなのだ! 何の証拠があって主張するのだ、決めつけるのだ!」
ワン監査官が吼えるが、ミュラは淡々と受け流す。
「第十二世界に出張した権能執行課の担当者が、報告書を作成している。提出しようじゃないか、証拠としてね」
ミュラの示した書類の束を見て、ヘッジスが「ん、問題なさそうですな」と呟いた。
「ん、では案件1については、問題なしと判断いたしますぞ。監査官は、他に争点がありますかな?」
「もちろんだ、もちろんだとも! 続けて案件2について追及していく、追及していくのだぞ!」




