初めての権能行使
ジュゲムがスーツを着ている。
「その格好、どうしたんですか?」
春風が出勤したときに、まず目に飛び込んできたのが、スーツ姿のジュゲムだった。
コウリュウ市内や精霊府庁舎の中では、日本のスーツに似た姿を見かけることがある。だが、あくまで似ているだけで、細部を見れば明らかな違いが見つかり、異世界のものであることが分かった。
しかし、今ジュゲムが身に着けているものは違う。石と木がメインの精霊府庁舎の雰囲気にそぐわず、浮いていること、この上ない。
「昨日のマオの言葉だ。仲良くなるには、まずは自分が相手に歩み寄ること、と言っていたな。俺も日本の服を着てみることにしたのさ」
その心意気やよし。だが大いに外しているぞ。春風はこっそり嘆息した。
ジャケットもズボンも柄物だし、シャツも柄がすごい。柄と柄で目がチカチカする。ネクタイは真っ赤だ。カフスボタンは左右でデザインが違う上に、宝石とチェーンが付いたド派手なものだ。
昨日の名残を感じさせるのは、輝くような金髪と青々とした月桂冠くらいだ。
「ホストみたいで素敵ですね」
「そうか? 昨夜、食事の後に服屋へ駆け込んだ甲斐があったというものだ」
鼻高々のジュゲムを残し、自分のデスクに座り腕まくりをした。
「今日こそ終わらせないと」
ブラック企業時代は、どうでもいい雑務から手間と時間がかかる仕事まで、山のように押し付けられていた。そのため、完成度は二の次として、拙速にどんどん処理しなくてはならなかった。その感覚が残っているので、一つの仕事に時間をかけていると、言いようのない焦りに襲われる。
それだけではない。水鏡を通して見た、雨ごいをする人たちの必死の表情が忘れられない。
早く救いを届けてあげたい。間違いが無いように気を配りながらもせっせと手を動かす。
「焦ることは無い。間違えないようにすることが第一だ。大丈夫だ、俺のいう事を聞いていれば確実にコンピテンシーを身につけられる。ほら、ここの数値の拾い方が間違っているぞ」
「あ、ありがとうございます」
ジュゲムの指導を受けながら順調に作業を進め、何とか終えることが出来た。
「終わりました!」
「あとは書類の体裁を整えるだけだな。前回、俺が作成した文書がある。これを参考に書いてみるんだ」
ジュゲムからインク壺と羽ペンを渡された。
「あ、手書きですかー……」
とはいえ、電気が無い以上はパソコンやプリンターは無いだろうと予測していた。
手間ではあるが、落胆するほどのことではない。
「なんだ、ハルカは書き物の際に代筆屋を使っているのか?今回は自分の手を動かしてもらうぞ。さあ、ペンを取れ」
「了解です!」
ジュゲムが処理したという前回の書類を見ながら、ペンを動かしていく。数値などを変えて書き写すだけなので、そんなに困らず書き進めていくことが出来る。
とはいえ、インクを使っているので、書き直しはできない緊張感がある。慣れない羽ペンとインクに加え、紙はやけに分厚くざらざらとしているので、書き難い。インクは、墨汁や水彩絵の具などより粘度があるのか、ねっとりとしている。これが余計に難易度を上げている。隣席ではマオがガラスペンを器用に扱い、さらさらと筆記体の英語の様な文章を書いている。ぐぬぬ。
後ろからのぞき込んでくるジュゲムのせいで気が散るなあと思いつつも、一字ずつ丁寧に書き進める。
書類作成に没頭してしばらく経ったころ、課長室のドアが内側から開かれた。すると、ヤギが、のそりと立ち上がって、扉に体を向けた。
少し離れた席で、他に二人がヤギと同じ振る舞いをしている。
「あれは第一係と第二係の係長だ。権能執行課の課長がどこかへ行こうというのだ。普通であれば、誰かしらが、供についていく」
ジュゲムの言葉どおり、課長がヤギではない二人のうちの一人に声をかけた。
「神託課で調整会議だ。ダンチョネ、行くぞ」
後ろを見ずに歩き出す課長を追って、ダンチョネと呼ばれた背の高い女性が走っていった。
さらにその後を、何人かが追従した。
「あれは二係のダンチョネ係長と次席クラスの者達だな」
皆、手にはいくつも書類を抱えている。医大教授の総回診を見ているようだ。
「課長って、偉いんですね」
「当たり前だ。大精霊コウリュウの精霊府の権能執行課長だぞ」
うーむ。よくわからないが何となく説得力を感じてしまう。
まあそのうちにどんな感じか分かるようになるだろう。
気にしてもしょうがないものは気にしてもしょうがないと、春風は書類に集中することにした。
インクを使って書類を書くのは初めてだ。落ち着いて、ゆっくりと丁寧にペンを進めた。
ゆっくり書きすぎたせいか、出かけて行った課長達が帰ってきても、まだ終わっていなかった。
ジュゲムが何も言ってこないので、遅すぎるということはないのだろう。そう腹を決めて、丁寧に進めていった。たっぷり一日かけて、ようやく終わりに辿り着いた。
「できました!」
じっくりと時間をかけたためか、意外とうまくいった。書き損じで無駄にした紙はたったの二枚だ。
春風から書類を受け取り、目を通したジュゲムは、晴れやかにうなずいた。
「うん、これなら大丈夫だろう。ではヤギ係長に確認を受け、その後に課長の裁可を得るのだ」
「はい!」
春風がちらりと見ると、ヤギはデスクで何かの書類を読んでいるところだった。
(大丈夫かな? 大丈夫だ!)
話しかけてよいものか一瞬だけ逡巡したが、心の中でえいっと気合を入れてヤギへ書類を差し出した。
「すみません、ヤギ係長。この書類の確認をお願いします!」
気合を入れて声をかけるも、春風の緊張は肩透かしに終わった。書類を受け取ったヤギは、ちらりと眺めただけで、机に置いてあったハンコを簡単にポンと押した。
「……ジュゲム主幹が確認しているなら、問題は無いでしょう。……本当なら私がこの書類を持って課長の決裁を得るのですが…アサヒさん、この書類を持って課長室へ行ってください」
「はい、分かりました」
口では良い返事をしたが、内心では少し緊張していた。まあ、ヤギ係長と同じようにしておけば大丈夫でしょと開き直り、課長室の扉の前に立つ。
深呼吸して気合を入れると、ドアをノックし、名乗りながらドアを開けた。
「失礼します、第三係の朝日春風です。書類の裁可をいただきに参りました」
「そうか」
机に向かって書類を見ていたメリーアンへ、春風は恭しく礼をしながら両手で書類を渡した。
書類を受け取ったメリーアンは、ヤギとは対照的にじっくりと目を通し始めた。
「請願強度はどのようにして算出した?」
「ジュゲム先輩から表を借りて算出しました。算出結果の確認もしてもらっています」
「権能の執行強度は?」
「同じく表から算出しました」
「執行形態は、なぜこのようにした?」
「前回が弱い雨を長く降らせるということをしていましたので、同様にしました。前回の結果を踏まえた上でも、今回の請願があるので、前回の対応で問題は無いだろうと判断しました」
依怙贔屓で執行強度を少し手厚くしているが、それについては沈黙している。聞かれていないから話さないという最強の自己弁護を胸に秘めつつ。
「なるほど」
一つうなずくと、引き出しから直径10センチはありそうな大きなはんこを取り出し、机上へ置いた。
「今回は発動のタイミングは即時としているな。つまり、これを押印すれば、即座に権能が発動する。その様子を、水鏡越しに見せることが出来る。自身の仕事の成果を見届けたいか?」
願ってもいない話だ。権能を発動するとどうなるのか。雨乞いをしていた少女たちは助かるのかなあと、大いに気なっていたところだ。
「はい、ぜひ見届けたいです」
ジュゲムの水鏡を借りよう思っていたが手間が省けたと内心で手を叩いていると、壁の一部が、ゴトリと音を立てて動きはじめた。
現れたのは、三畳ほどの大きな鏡だ。
「でっかい! これ、まさか映るんですか?」
「無論だ」
メリーアンがパチリと指を鳴らすと、第12世界タージオンが映し出された。
ジュゲムの水鏡で見た時と同じように、あの少女をはじめとした人々が、必死の表情で祈祷を続けている。
「よく見ておけ」
言いながら、メリーアンが書類に押印する。すると印影がまばゆく光り、続いて水鏡の中の景色に変化があった。
さらさらと霧雨が降り出した。雨に気づいた人々は、歓声をあげて空を仰ぎ見た。空はいまだに晴天だ。日光を受けて雨がきらきらと輝き、空には虹がかかった。人々は雨を体中に浴びながら、歌い踊り喜んでいる。あの少女も、涙を流しながら喜んでいる。
その様子に、春風も喜びと安堵に包まれていた。
「水鏡で第12世界タージオンの様子を見た際に大層心を痛め、救うべく奮起したそうだな。大精霊コウリュウ様の施しにより救いを得た人々を見て安堵出来たか?」
「はい、とっても。私のために、わざわざこの様子を映し出して下さったんですね。ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。アサヒ・ハルカ、お前の働きで彼らは救われたのだ。そして、彼ら以外にも、多くの世界で多くの者たちが大精霊コウリュウ様の救いを求めている。これからの、さらなる活躍を期待している」
メリーアンの言葉に、春風の胸が熱くなる。誰かを助けることが出来た。それを認めてらえた。そして、これかも誰かの役に立つことが出来る。それを期待されている。
名状し難い喜びがこみ上げてきた。褒めてもらえるって、認めてもらえるって、期待してもらえるって、すごく嬉しい。
「はい、がんばります!」
喜びのあまり、にへらにへらと笑いながら課長室を後にした。
「あら、春風、嬉しそうじゃない。上手くいったの?」
マオに、にやけ面を見られ、頬をふにふにとつねられた。
「やったよ~。課長に褒められちったよ~。嬉しいもんだね、うへへ」
「もしかして、前職では一度も褒められたことが……?」
マオが目に涙を溜めて春風を優しく抱きしめ、頭を撫ではじめた。
それを見て、ジュゲムがフラフラと近寄ってきた。
「なんだ? ハルカを抱きしめて頭を撫でれば良いのか?」
「あ、ジュゲム先輩は結構です。セクハラっす」
一仕事終えて、春風はあることに気づいた。
パソコンとプリンターがあるだけで、すごく効率よくなるよね。明日は休日だし、ちょっと地球に戻って持ってきちゃおうかな。