案件B(事例1-2) タイピスト⑦
キチン質に似た黒い甲殻に覆われた異形を見て、多くの者は、その正体に思い当たった。
かつて人類を滅亡の淵に追いやった正体不明の怪物だ。過去の戦いを生き延びた者たちが、その苦難と怨敵であるマモノを忘れるわけがない。
だが、20年前のマモノとの戦いを体験していない若者には、ピンとこない者も多かった。
「え? どういうこと?」
マドカは、ポカンとした顔で立ち尽くしてしまった。
「なに、あれ?」
コガネも、怪訝な顔で呟くのが精いっぱいだった。
公教育でマモノの映像を見ているものの、目の前に現れた異形とすぐには結び付かなかったのだ。
だが、正体を見抜いた者の反応も、マドカ達とそう変わらない。
混乱から、正体がマモノと分かったとしても、すぐに行動出来ないのだ。
何故マモノが突然姿を現したのか。
その理由を知る者は、この場にも、映像配信を見ている数十億の人々の中にも、ほとんどいなかった。
そもそもマモノが全滅していなかった可能性があると知る者はごくわずかである。
マモノが生存している以上、マモノと人類の交渉による約束事が消滅したわけでもなく、上空500メートルで戦闘をしても問題が無くなったわけではなかった。
単に今まで行使されていたマジック・スポーツ程度の魔法では、戦闘とみなされなかっただけなのだ。高さ777メートルのヴィクトリータワーを舞台に放たれた、マドカとコガネの本気の攻撃魔法が、初めてマモノ達に脅威と見られた。
マモノは、人類が交渉の結果に反する行為を行ったと判断した。
これに対抗するために、今まで制限されていた探知魔法による位置の特定と、テレポートによる戦力輸送が行われ、この会場にマモノが現れたのだ。
そんな真実を正確に把握している者は、この場にはいない。
この日を想定してひたすらに牙を研いでいた、ただ一人を除いて。
「逃げろ!」
即座に心身ともに臨戦態勢に入ったヤマガミは、短く叫んで競技エリアへ飛び出した。
だが選手達も大会運営も、大勢の観客達も、誰一人反応できていない。
眼前では、呆然と立ち尽くすマドカとコガネに向けて、マモノが黒いキチン質の触手を伸ばそうとしている。
ギチギチと音を立てる触手は、生理的な嫌悪感を惹起させるが、ヤマガミは、魔法を構築しながら、躊躇うことなく二人とマモノの間に入った。
分析魔法でマモノの属性を看破しつつ、召喚魔法で自宅の武器庫からパンツァーウルフミーネを手元に呼び込む。
かつて世界中で量産されていたこの兵器は、爆薬と魔力を詰めたソフトボールサイズの弾頭に、30センチ程の柄が付いた携行型の魔法兵器だ。
弾頭は炸薬と魔法合金製で構成され、使用者が魔力を流すことで起動する。炸薬にも金属素材にも、攻性魔力が限界まで付与されている。
くぼませた炸薬を魔法合金で内張りをしている弾頭は、炸裂させると強烈な破壊力を発揮する。モンロー・ノイマン効果と魔力臨界の相乗効果により、極めて高い魔法攻撃力を発揮する。
この強力な兵器は、人が手に持ち、マモノへ投げつけて使用する。マモノの隙を見て近づき、この兵器を投擲するのだ。
ヤマガミは、アナライズで得られた情報から、両手に握りしめたパンツァーウルフミーネの弾頭へ弱点属性を付与し、二つ同時にマモノへ向けて投擲した。
激しい魔法光と爆発音とともに、攻性魔法がマモノの黒い体を貫いた。
その余波で、強化魔法を付与された強靭な床にすら大穴が開いている。
「師匠!」
「先生!」
マドカとコガネが駆け寄るが、ヤマガミは振り返ることもせずに周囲に気を配っている。
「二人とも、気を抜くな」
言いながら、召喚魔法で手元に新たなパンツァーウルフミーネを呼び寄せている。
「さっきのって、マモノっていうやつですか?」
マドカの言葉に頷きつつ、ヤマガミはさらに魔法を展開していく。
「この状況が意味することは二つだ。まず“マモノが残存していた”ということ。そして、交渉によって禁じられていたテレポート強襲が行われたという事は、すなわち“交渉による拘束が失われた”ということ。大気圏外から、都市を消滅させるほどの戦略級魔法を撃ち込まれることも想定される。都市内部に次々とマモノが転送される可能性もある」
その言葉を証明するかのように、周囲に転送魔法でマモノが次々と現れた。
大型犬ほどの黒い塊が、硬質な触手をうねらせながらヘリオス杯の会場を埋め尽くしていく。
「よく分かんないけど、やっちゃていいよね?!」
マドカはМ2を操作し、初級攻撃魔法に溢れんばかりの魔力を流し込んだ。
「よせ! 逃げろ!」
ヤマガミの叫びと、マドカの魔法発動は同時だった。
ヘリオス撃ちの攻撃魔法は、世界最高峰のヘリオス杯本選でも見られないほど、超高速かつ超高威力でマモノに迫る。
だが、マモノの外殻に当たるや否や、霧散した。
キチン質の黒い体には、傷一つ付いていない。
「え? うそ……」
瞠目するマドカへ向けてマモノの触手が伸び、かわす間もなく胸を貫いた。
体全体を襲う衝撃と、胸を貫く激痛に襲われながら「ぐぇ……」という意図しないうめき声が自分の口から漏れるのを聞いた。
(これ………死んじゃう……?)
そんな思考が脳裏をよぎる。
地面に崩れ落ちるマドカの視界の隅には、同じようにマモノに胸と腹を貫かれるコガネが映っていた。
マモノの攻撃を分析魔法で解析し、対抗属性で多重に発動した防御魔法は、紙の様に貫かれていた。世界最高峰の技術と威力を持つコガネの魔法が、全く意味をなしていない。
マドカとコガネだけではない。
世界最高峰のマジックスポーツ選手たちが揃うこの場で、誰一人マモノに抗うことが出来ていなかった。
選手らも観客も大会運営の警備兵たちも、草を刈るように倒されていった。
唯一ヤマガミだけが、パンツァーウルフミーネを連発することでマモノを防いでいる。
だが、襲い来るマモノを迎え撃つのに精いっぱいで、近くに倒れるマドカとコガネに駆け寄ることもできない。
倒れ伏したマドカは、そんな周囲の状況を見ながら、急速に意識を失いつつあった。
心臓と肺に攻撃を受け、呼吸もままならない中で血が流れだしていく。
初級回復魔法を発動しようとするが、М2の操作も覚束ない。いや、例え発動できたとして、この重傷を回復することなど、上級回復魔法であっても不可能だ。
そんな思考が浮かんでは消えていく。
意識が遠のいていく。
(いやだ、死にたくない! 師匠だって戦っているんだ、私も一緒に……)
そんな決意もむなしく、指一本動かすことは出来ない。
(く……や……し……い……)
マドカがこと切れる直前、唐突に強力な魔力に包まれた。
急速に意識が回復し、自分の体の変化を認識できた。
今まで見たことも無いほどの驚異的な魔法量の回復魔法が、自分を包んでいる。
もはや回復魔法と言うレベルではない。
「これは……蘇生魔法?」
傷はふさがり、体力が戻ってくる。
立ち上がったマドカが見たのは、会場中の全ての怪我人が、マドカ同様の回復をしている光景だった。
それだけではない。強力なマジックバリアでマモノの攻撃から守られている。
そして、直後に白く輝く攻撃魔法が次々と会場に降り注いだ。
手のひらサイズの小さな白球は、初級の炎属性攻撃魔法だ。
だが、そこに込められた魔力は、マドカのヘリオス撃ちなどをはるかに凌駕するレベルだ。
次々と着弾する炎魔法は、ヤマガミ以外が傷つけることすらできなかったマモノ達を、いとも容易く焼き尽くしていく。
マドカの目前にも着弾し、マモノを吹き飛ばした。
マドカを守るように展開されたマジックバリアが炎と熱風を防ぎ、こちらには風の揺らぎすら届かない。
そして、ほんの数秒ののちには、マモノ達は欠片も残さずに消え失せていた。
マモノがいなくなったことを確認したかのように、皆の身を守っていたマジックバリアも消失していく。
「なによこれ……。マドカ、あんた分かる?」
同じように傷が治っているコガネが、隣に並んだ。
破れた衣服と、そこに付いた血が、先ほどの怪我が本当であったと教えてくれている。
「分かんないけど、こんな高威力の魔法って、人間には無理だよね……」
半ば呆然と呟くマドカ達に、ヤマガミが駆け寄る。
「二人とも、怪我は?!」
「あの、大丈夫……です」
「先生は、怪我してないですか?!」
互いの無事を確かめ合う三人の前に、大きな魔力の揺らぎが生じた。
「まだマモノが来るぞ! 次のは、大きい!」
叫ぶヤマガミの視線の先では、先ほどより大きな転送魔法が、空間をこじ開けようとしていた。
その場にいる者が、固唾を飲んで見守る中、空間の亀裂からマモノが姿を現した。
真っ黒なキチン質のような外皮に被われた体は、先ほどのマモノよりはるかに大きい。
幅10メートル、長さ20メートル程の楕円体で、五対十本の節くれだった足で歩行している。頭部などはなく、ただ胴と足だけの体躯だ。
黒い体の隙間から、体内の赤い光が漏れ出している。
「タンク型だ……! 下手をすれば、あれ一体で、都市一つが落ちるぞ!」
ヤマガミの言葉に、マドカは戦慄する。
先ほどの小さなマモノですら、ヤマガミ以外は誰一人として太刀打ちできなかった。
そして今、それを遥かに上回るであろう怪物が現れたのだ。
悲鳴を上げて逃げ出す観客や、決死の覚悟で戦いの準備をする者達などで混乱する中、マモノは悠然と動き出した。
数本の触手を前方に伸ばし、くるくると一つにまとめだした。前方に突き出されたそれは、まるで戦車の砲塔のようだ。
ギチギチと形を整えながら、赤い光を強めていく。
「逃げろ!」
ヤマガミの言葉に、マドカとコガネは迷わず従った。
マドカもコガネも、今は知っている。あれは生身の人間がどうにかできるものではないことを。
ヤマガミが射線から退避しつつパンツァーウルフミーネを次々と投擲する。
二発、三発と命中してもタンク型マモノは動きを止めず、その砲から赤い攻性魔力を打ち出した。
マジックスポーツの競技施設としては最高峰の設備を持つヴィクトリータワーだが、赤い光は、その防壁魔法をや魔法壁を撃ち抜いた。
タンク型マモノが灼熱の魔法を照射しながら砲塔を旋回させようとしたところで、それはマドカの前に現れた。
黒いキチン質に被われた体は、見るからにマモノだ。だが、その形状は明らかに人である。両足でしっかりと地面に立ち、両手には五本の指も見える。
頭部まで黒い甲殻に覆われているので、その顔は分からない。
人型のマモノは、瞬く間にマドカの横を過ぎ去り、ヤマガミの前に躍り出る。
マモノの砲塔が向けられ灼熱の攻撃魔法が直撃するが、片手で簡単に防ぐ。そして、そのまま炎属性の初級攻撃魔法を放った。
膨大な魔力をまとった火球がタンク型マモノに直撃し、粉みじんに吹き飛ばす。
その攻撃力も防御力も、人どころかどんな魔法兵器も敵わないだろう。
誰もが驚き、そして歓喜していた。
英雄が帰ってきたのだ。
「お前……英雄ヘリオスか……!!」
黒い戦士の姿を見たヤマガミの顔も、驚愕に歪んでいる。
かつて戦場で幾度も後ろ姿を見た英雄と、今こうして再び会うとは想像もしていなかった。
「あれが、英雄ヘリオス……?」
マドカにとっては生まれる前の出来事だが、英雄ヘリオスは当然に知っている。
公教育で学ぶ歴史上の人物であり、エンタメ作品でも題材にされることは多い。
そんなマドカとヤマガミにかけられた英雄の声は、二人ともに聞き覚えのあるものだった。
「マドカ、間に合ってよかったよ。ヤマガミも、マドカが今まで面倒をかけていたみたいで、ごめんね」
異形からは想像もできない柔らかな声だ。幼ささえ感じさせる。
「お前……トールか?」
ヤマガミは、かつての大戦で同部隊だった少年を思い出していた。
純粋なヒト種で、肉体的にも魔力的も脆弱で、軟弱な性格から何度も敵前逃亡を繰り返していた友人だ。最後には愛想を尽かし、疎遠になったと記憶している。
当時の知り合いの中で、彼をよく思っている者など一人もいなかった。無価値と断じて忘れるか、侮蔑の対象とするかであった。
だが英雄ヘリオスの声は、トールの声にそっくりだった。
「久しぶりだね、ヤマガミ。ずいぶん老けたね」
黒い甲殻に覆われた顔は、表情こそ見えないが、微笑んでいるようにも感じる。そして、その声は20年前のままだ。
その声に驚いていたのは、ヤマガミだけではない。
マドカも腰を抜かすほどに驚いていた。
「その声、お父ちゃん?!」
「そうだよ、マドカ。でも、家出の説教は後にしよう。まだ来るよ」
そう言って見上げる空には、転移魔法によって、巨大な飛行船型のマモノが姿を現していた。




