案件B(事例1-2) タイピスト
駅前広場から見える景色に、マドカは息を呑んだ。
ヘリオポリス平和記念公園駅では、一日に100万人が乗降する。世界首都ヘリオポリスで最大級であるこの駅前には、人の波ときらびやかな建物が溢れていた。
「うわぁ! すっごい」
見上げれば、洗練されたデザインのビル群が、夏の青空に向けて伸びている。ガラス張りの駅ビルでは、巨大なデジタルサイネージにコマーシャルが次々と映し出されている。女性モデルが、最新のパーソナルターミナルであるヘリオス13をスマートに操る。
隣のビルでは、3Dビジョンでマジック・スポーツをライブ放送している。金色の長髪を翻すジュニアチャンピオンが、きらびやかな輝きと共に巧みに魔法を操り、観客を魅了する。マドカは思わず口を開けながら見上げてしまった。
先月で15歳になったマドカだが、どれもこれも、生で見るのは初めてだ。
およそ20年前、この世界はマモノと呼ばれる正体不明の生物群に襲われ、滅亡の危機に瀕していたと歴史の授業で習った。この都市も、救世の英雄ヘリオスがマモノを駆逐するまでは、激戦区の一つだったらしい。けれど今の街並みに、戦いの後は微塵も感じられない。
平和で賑やかな街並みに、溢れるエンタメ、活気に満ちている。
やっぱり来て良かった。思わず笑みが漏れたところで、ふと気が付いた。
駅前を行き交う人々は、マドカのように大袈裟に驚いていない。面映ゆさから頬を染めて視線を落とすと、振り切るように歩き出した。
道を行く誰もがブランドものを身に付け、髪を流行りのスタイルにセットし、自信に溢れた立ち居振舞いをしているかのように感じられる。後ろで縛っただけの黒髪や姉のお下がりのシャツが、急に野暮ったく感じられ、マドカは足を早めた。
今は田舎から出てきた15歳の子どもに過ぎないけれど、私ならきっとやれるはずだ。歩きながら自分に言い聞かせていると、少しずつ落ち着いてくる。
一つ息を吐くと、左腕のパーソナルターミナルに触れた。調べておいた住所を目的地に設定すると、視界にAR情報が表示され、目指すべき方向が矢印で示される。今度は気後れせずに、周りを見ながら、矢印を追って歩いた。
人通りは多いが、余裕をもって作られた幅広の歩道は、気持ちよく歩くことができる。刈り揃えられた街路樹の鮮やかな緑と、枝葉が作る日陰が快い。
やがて、矢印はビルの隙間の小道を示した。車がすれ違うには窮屈であろう道幅で、日当たりも良くない。建物の壁には、張り紙や落書きも見える。目的地は、そんな路地に建つビルの二階にあった。
暗く猥雑な雰囲気に少しためらったが、汚れた細い階段を駆け上った。柔らかいスニーカーを履いてきたのだが、それでも安普請の階段がカンカンと音を立てている。
ちょうど25段を上ったところで、アルミ製の扉にたどり着いた。
かすれた文字で「ヤマガミ・トレーニングセンター」と書かれている。インターホンが見当たらないので、マドカはそっとノックしてみた。
「……こんにちは!」
けれど返事は無い。
声が小さかっただろうか。それとも留守だろうか。もう一度ノックしようか。
扉の前で思案していると、唐突に扉が内に開いた。
「あ、すいません!」
急のことに思わず謝罪が口をついて出るマドカを訝しげに見下ろしているのは、短髪で無精ひげを生やした大柄な男性だ。
純粋人種であれば30歳くらいの外見だが、エルフ種やドワーフ種が混じっていれば、もっと歳上だろう。身に着けた灰色の作業着は、年季の入った汚れ方をしている。
同じくらい汚れた手袋を外しながら、いぶかし気な目でマドカを見ている。
その雰囲気に内心で大いに焦りながら、マドカは口を開いた。
「あの、ヤマガミ・コウイチロウさんにお会いしたいのですが、いらっしゃいますでしょうか」
すると男が、あまり気乗りしない声で「俺がヤマガミです」と呟いた。
この人が、あのヤマガミ・コウイチロウなのか。その驚きが伝わらないよう、必死に取り繕いながら言葉を紡いだ。
「あの、私、今度のヘリオス杯で優勝しなくちゃいけないんです! なので、ええと、トレーナーをお願いできないでしょうか! 急な話で申し訳ないのですが……」
「とりあえず、座って話しませんか? 暑い日の込み入った話は、冷たいミルクティーがあった方がいい。少なくとも、ミルクティーは楽しめますからね。下の喫茶店は、外観のわりに丁寧に淹れてくれます」
そう言って階段を下りていく男の後を付いていくと、テナント一階の喫茶店で、テーブルを挟んで座ることになった。グレーとブラウンを基調とした店内は、どこからか微かに音楽が聞こえる。落ち着いた雰囲気だ。
ミルクティーを運んできた店員が離れると、間を開けずにヤマガミが口を開く。
「ヘリオス杯……M2(マテリア・マスター)のトレーニングを希望しているのですか?」
「はい! 優勝を目指しています」
決意を聞いても、ヤマガミは笑ったりせずに落ち着いた目でまっすぐにマドカを見ている。
M2とは、戦後に開発された魔法発動支援器具の通称だ。かつては定式化された呪文を詠唱することで魔法を発動していたが、М2は詠唱までを自動化する。外観は手のひらに収まる程度の石だが、これに魔力を流すだけで、所定の魔法が起動する。
М2の開発で、魔法発動が高速化し、マジックスポーツ文化は隆盛を迎えている。
そして、M2を用いたマジックスポーツは数あれど、ヘリオス杯は、ジュニアクラスにおける対人戦闘の最高峰トーナメントだ。クラブチームに所属するわけでもない、ただの中学生であるマドカが優勝するというのは、余りにも壮大な話だ。笑い飛ばされる覚悟もしてきた。
けれど、茶化す雰囲気はない。気だるげではあるものの、はぐらかさずにマドカと向き合っている。
「それなら、どこかのジムにでも所属してトライアル戦に参加すればいい。わざわざ俺を名指しするなど……」
「ヤマガミさんだからです。以前は多くのМ2マスターを育て上げた名トレーナー、現在のジュニアチャンピオンもヤマガミさんの指導を受けていたってネット記事で見ました」
「……昔の話だな。今時、М2トレーナーなんて山ほどいる」
「それに、ヘリオポリス攻防戦の英雄にして世界平和の立役者のヤマガミ・コウイチロウといえば、マモノ戦役ファンの間ではヒーローです!」
「……俺が軍で英雄扱いされていたのは10年前だ。反逆者同様の扱いで追放されたよ。トレーナーとして評価されていたのは5年前だし、スパルタが過ぎるとマスコミに叩かれて、生徒は一人もいなくなった。俺は一時代前の人間なんだ。本当にヘリオス杯を目指すなら、他へ行け。それとも……」
ヤマガミが口の端をいびつに釣り上げた。
「自信がないのか? 多くの者の中で切磋琢磨し、その中で頭角を現すという、普通の行為に自信が無い。だから俺のようなはぐれ者のトレーナーに手を出す。М2プレイヤーとして失敗しても、俺のせいにできるからな」
ヤマガミの鋭い皮肉に、マドカはぶんぶんと首を振った。
「お母ちゃんにもお父ちゃんにも、マジックスポーツに反対されていて……だからどこのジムにも入れなかったんです。私は、本気でヘリオス杯の優勝を狙っています。それに……」
今度はマドカが口の端を釣り上げた。
「それに私、強いですよ」
そう言いながらマドカは、パーソナルターミナルを起動した。
「やるのか?」
「はい。実際に戦えば、私が本気だって絶対に分かってもらえます」
「……対戦アプリは公式でいいか?」
「はい!」
マジックスポーツの練習や模擬戦は、その大半がデジタルデバイス上で行われる。
もちろん、生身のプレイヤー達が実際に魔法を使う実践形式も存在する。だが、攻撃魔法を撃ち合う対人魔法戦闘では、練習や模擬戦、大会自体もパーソナルターミナルなどにインストールしたアプリケーションでバーチャル空間を作成し、仮想戦闘を行うことが多い。実戦が行われることは、一部の世界大会を除けば、ほとんど無い。
対人魔法戦闘を再現するアプリは、多くの企業からリリースされているが、軍が提供する公式アプリが最も人気だ。大会で使われるスタンダードなアプリで、犯罪利用されないよう高性能セーフティなども搭載されている。
利用内容がデータ化され軍に管理されることを除けば、申し分ないはずだ。
ヤマガミがアプリを起動してルームを作成すると、マドカのパーソナルターミナルに招待メッセージを飛ばす。
「設定は、ハーフダイブの2オンでいいか?」
「いえ、フルダイブのオールオンにしましょう」
今度こそ、ヤマガミの顔が歪んだ。
通常、バーチャルアプリを使用する際は、気心の知れた相手と安全な場所で行う。そうでなければ、ハーフダイブで行う。
フルダイブとなれば、意識の全てをバーチャル空間に置くことになるので、防犯上は好ましくないからだ。バーチャル空間に意識を置く間は、身体は無防備になるし、持ち物に気を配ることもできない。ハーフダイブであっても、一人称視点のゲーム画面を見るような感覚で対戦できる。実戦の感覚を追求しないのであれば、これでも足りる。
そして、バーチャル空間での自身のアバターと、どこまで感覚を接続するかという点も設定ができる。単なる模擬戦であれば、視覚と聴覚の二つを接続する2オンが主流だろう。
痛覚などを全て接続するのは、余程の実戦派かバトルマニアの類いだろう。
フルダイブのオールオンとは、それほどまでにクレイジーな設定なのだ。
「本気か?」
「もちろんです! 私、実戦でも負け知らずですから」
マドカの言葉に、ヤマガミは我知らず微笑んだ。
「今までは……だ。マジックスポーツは、所詮子供の遊びに過ぎない。本物の戦場を知る者の戦いを見せてやろう」
二人は同時にフルダイブで意識をアプリに移した。




