案件A 天国④
焼け落ちたアパートの前で、俺は立ち尽くしていた。
俺が住んでいた部屋も、なけなしの家具も、全部燃え尽きている。
戦争が終わり、せっかく帰ってきたというのに、街の半分は焼け野原になっていた。
快進撃を続けているように思えたヒンケル帝国だが、実のところは疲弊しきっていた。双眼闘争連盟が単眼種憎しの国内世論を作り上げてトメニア国に侵攻したは良いものの、秩序を無視した侵犯のために国際社会で孤立していたらしい。
輸出入は停まるし、数少ない同盟国からもそっぽを向かれたと聞く。
そして、有無を言わせずに戦争に勝つためには、一か月ほどでトメニアを降伏させなければならなかったのに、無鉄砲な進撃のせいで補給がままならなかった。
加えて、予想外の強固な抵抗で戦線はすっかり膠着してしまった。
そうこうしているうちに、三つ目種族の国であるアデノイドが、自由と民主主義を標榜して参戦したのだ。アデノイド国は次々とトメニアの都市を開放していった。あの砲撃も、アデノイドの攻撃だったらしい。
そうして占領地を奪い返され、自国領土にまで侵攻をゆるし、ヒンケル帝国が敗戦を受け入れたのが一か月前だという事だ。
俺がそれらを知ったのは、砲撃から三か月後。病院のベッドの上でのことだ。
昏倒した俺を病院へ連れて行ってくれたのも、手当をしてくれたのもトメニアの単眼種の人たちだった。非道なヒンケル帝国軍人が多い中、特に悪さもせずトメニア人たちへ目こぼしをしていた俺を、恩人の様に見てくれていたらしい。
俺の他にも幾人か、同じような扱いをしてもらったらしいが、大半のヒンケル帝国軍人たちはひどい目に遭ったようだ。特に悪さをしていた連中は、後ろ手に縛られて麻袋を頭からかぶせられ、船から冬の川に落とされていた。
でも、そんなことは、もうどうでもいい。
命をつないだ意味は無い。もう全て失ってしまった。
必死に掃除夫の仕事に励んで金を稼いだり、毎日神様にお祈りしたり、戦争に駆り出されても、必死に生き抜いてきた。あの娘のために料理をして、なけなしの賃金から美味いものやおもちゃを買ってやった。
出会ってそう長く過ごしたわけではないけれど、あの娘が安らいでいる様子を見ているだけで、よく分からない満足感があった。笑っている姿を見ると、酒もいらないくらいの充足感があった。
「……ああ。うぅ……」
アパート跡に立ち尽くして、呆けていたり嗚咽を漏らしたりしているうちに、丸一日を過ごしてしまった。
そうして日が傾いて辺りが夕焼けに染まったころ、声をかけられた。
「ん? お前、帰って来てたのか? 元気ねえな、飲むか?」
そう言って安ウイスキーの瓶を差し出したのは、同じアパートに住んでいた街灯磨きの爺さんだ。随分痩せたように見える。
「爺さん……生きてたのか」
「不思議と死ななかったなぁ。けんど、街のほとんどが焼かれちまったし、皆死んじまったよ」
そう言いながらも爺さんが酒瓶を引っ込めないので、受け取ってあおるように飲んだ。
安酒の尖ったアルコールが流れ込み、喉と胃がチクチクと熱くなる。
「ごめん、爺さん。いっぱい貰っちまった」
「いいさ、お前には酒をもらったこともあるし。見返り無しで酒をくれる奴は、友達だ」
日焼けした髭だらけの顔をくしゃくしゃにして笑う爺さんは、相変わらず酒臭い。
「お前、大変だったんじゃないか? 敗軍の一兵卒が、よく帰ってこれたな? 我らがヒンケル帝国は解体され、アデノイドとトメニアが併合に向けて準備を進めているらしい。ワシらのような目ん玉二つの人間は、随分生きづらくなりそうだ」
残った酒を舐めながら飄々と語る爺さんの顔には、悲壮感は無い。
「爺さん、あんまり気にしてなさそうだな」
「ああ。若いバカ者どもが勝手に戦争して、バカが祟って負けただけだ。ワシには関係ないことだよ。塗炭の生活なんて、戦争があろうとなかろうと、もともとだ。自分が足りてると思えば、それで天国さ。酒が飲めて、時々おしゃべりできる友達がいれば、それでいい」
「……そうだな、爺さんの言うとおりだ。自分が大切に思うものさえあれば、人は生きて行けるもんだよな」
「そうだろう?」
それにしても今日の爺さんは、よくしゃべる。
「爺さん、楽しそうだな。何かいいことでもあったのか?」
「んん? まあ生きているだけで人生は楽しいもんだ。負けたとはいえ戦争は終わったし、飯は配給で食えるしなあ。それに、あんな風に奇跡が起きて生き延びたんだ。楽しまないと損だよ」
「奇跡って、なんだ?」
水を向けると、爺さんはニヤッと笑って話し出した。
「奇跡って言ったら、奇跡さね。ほんの一か月前、この町が攻撃を受けた時だよ。単眼種は皆捕まって収容所に入れられているから、街中には一人もいないはずなのに……急に単眼種の子どもが現れたんだよ」
びっくりした。
あんまりびっくりしたので、息をするのも忘れちまった。俺が息を詰めている間にも、爺さんは淡々と語る。
「それでよ、“もうすぐ町が焼けるから、早く逃げろ”って言って回るんだよ。アパートの奴らと、近所の奴らはその子の後をついて行って……そしたら、そいつらだけ生き残っちまった。ワシもその一人さね」
「その子は、どこに? 今もこの町にいるのか? 教えてくれ、爺さん!」
「生き残ったみんなといるよ。アントニオの店のあたりが焼け残ってるから、その辺にみんな集まってる。あそこにいれば、配給も来るしな。確か、おせっかいのオマール婆さんが面倒見てたはずだよ」
爺さんが話してる途中で立ち上がり、俺は走り出していた。
「ありがと、爺さん」
「戦傷兵の特配で酒でも貰ったら、分けてくれよ」
アントニオの店の方に向けて走る俺の背中に向けて、爺さんが言う。
いいよ、いくらでも分けてやるよ。
「でも、何でだ? 神様へのお祈りは出来ていなかったし……でも聞いた感じだと、神がかってるよな……」
駆けながら呟くと、不思議な声が聞こえてきた。
―祈りが足りていたからだヨ。
足を止めて辺りを見るが、誰もいない。けれど、確かに聞こえた。
何となく、空に向かって声を張り上げた。
「あんた、あの時の宣教師さんかい? いや、神様なのか? 三か月も眠っていた俺が、祈りを捧げることなんてできないのに、何で?」
疑問が次々と浮かぶ。もしかすると、俺はまだ病院のベッドで夢でも見ているのか?
―祈りの回数は足りていたヨ。あの娘は、一日に4回も5回も祈っていたからね、君の無事ヲ。自分のことなんて、忘れたようにネ。あんなに熱心で真摯な祈りは、なら、お釣りがくるくらいだヨ。
あの娘が、俺の無事を祈ってくれていた。自分だって、心細い状況だっただろうに、俺のことを心配してくれていた。それだけで、嬉しい。
「あの娘がいっぱい祈ってくれたから、回数が足りたことになるのか。そういうものなのか?」
よく分からないけど、神様がそう言うんだし、良いだろう。
そういえば、あんな砲撃の中にいたのに俺は生きてるし、連戦連敗の戦況でも無事に町に帰ってこれた。考えてみれば、これも奇跡みたいなもんだった。
それに、実際にあの娘が無事なら他は些事だ。
―本当はルール違反だけど、開店サービス……もとい、神の慈悲ということで受けておけばいいと思うヨ。ひとまず私の加護はここまでだけど、良ければ引き続き信仰をヨロシク。
「もちろんだよ、神様! 本当にありがとう!」
再び駆けだすと、すぐにアントニオの店が見えてきた。煤けているが、その一角にある数件の建物は無事だ。
そして、店の前には何人かの人がいる。生き残った人たちで共同生活でもしてるんだろう。
きっとあそこにいるに違いない。




