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精霊指定都市のお役人  作者: 安達ちなお


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案件A 天国③

 俺ほど恵まれた幸福な男はいない。


 軍用犬に背負わせて物資の運搬をするという俺の役割は、誰かを撃つことや、撃たれることは、ほとんどない。とはいえ、塹壕に足を踏み入れることもあるし、道中を狙われることもあるので、こうして街に戻ってくると安心する。


 塹壕の底で濡れた軍靴が冷たかったから、街に入ったところで脱いで、肩に担いだ。ぐっしょりと湿った靴下から足を抜き去ると、体が羽のように軽くなった。まるで今の俺の気分のようだ。

 左右に目をやるが、ヒンケル帝国人もトメニア人も、裸足で歩く俺を気にしていない。肩で風を切って歩く双眼の軍人がヒンケル帝国人で、暗い顔で背を丸める単眼がトメニア人だ。


 ヒンケル帝国は快進撃を続け、次々と街を制圧している。そのせいで、占領下の街を闊歩する軍人たちは有頂天で、横暴な振る舞いを抑えようとしない。酒場で浴びるように酒を飲み、代金を踏み倒し、女性に声をかける。

 見かけるたびに、傍若無人さには腹立たしく感じることもあるが、今の俺は一向に気にならない。


 一方でトメニア国の単眼種の人々は、貧苦にあえいでいる。街のあちらこちらに戦闘の跡が残り、親を失った子供たちが盗みを働き、良家の娘が娼婦に身をやつしている。

 目にするたびに可哀想に思うが、俺にしてやれることなんて何もない。彼らに申し訳なく思う一方で、今の俺はそんなものを忘れて笑みがこぼれてしまう。


 何もかもが上手くいっている。


 俺が匿っていた単眼種の娘は、家から出られないものの、今も元気でやっている。水道とガスの代金は、戦地から代金を支払えるようにしてあるので、俺が書留を送り忘れなければ問題はない。

 アントニオの店で、毎週食料を家のポストに投函してくもらえるよう頼んだら、二つ返事で引き受けてくれた。戦地に行く独り暮らしの男の頼みにしてはおかしなものだが、怪訝な顔すらされなかった。これも神様のご加護なんだろう。


 そして俺は、必ず一日一回、神に無事を祈ることは欠かしていない。何せ、祈りが足りなければ加護は失われ、あの子は路頭に迷うことになるのだ。単眼種の根絶を唱えて戦争を始めたヒンケル帝国に、単眼種であるあの子の居場所なんてない。毎日の祈りだけは、絶対に続けなければならない。


 出征してから三か月が経ち、最近では起きて一番にダンチョネ神に祈りを捧げるのが日課になっている。

 二日酔いで寝過ごすのが怖いから、酒もやめたくらいだ。おかげでなんだか最近は体の調子がいい。

 俺だけでなく、あの娘も祈らなければならないのだが、きっと続けていることだろう。なにせ、こんなに全てが上手く言っているんだから。


 俺は今まで、死ぬ気で生きてきた。何とか生き延びてきた、意味のない人生だった。それが、ここに来て帳尻があってきたんじゃないかってくらい、報われている。

 その証拠が胸ポケットにある。


 あの娘からの手紙だ。

 これまで戦場から手紙を送ってもいたが、あちらから届くのは始めてだ。外に出ることもできないのに、どうやって郵便屋に任せたのだろうか。

 それだけではない。戦場からの手紙は半分が届かないものだし、戦場への手紙なんて滅多に到着するものではない。戦況の変化で経路は変わるし、部隊の居場所も日ごとに変わる。それが、届いたのだ。これも神のご加護に違いない。


 手紙には、元気であること、三食を食べられていること、毎日のお祈りを欠かさずしていることなどが書かれていた。そして、無事に帰ってきてほしいという言葉で締めくくられていた。

 たまらなく嬉しい。あの娘が俺を心配してくれていること、帰りを待ってくれている人がいること。今までの俺の人生にはなかった幸福だ。

 絶対に生きて帰ってやる。

 きっと大丈夫だ。


 今日の戦場も静かだった。前線に物資を補給し終え、こうして街に戻ってくるまで、一度も銃声を聞かなかった。

 最近はいつもこうだ。10日前なら砲撃の音と着弾の振動が、街まで響いていた。この手紙のために神様が手を配ってくれたんだ。


 そんな風に浮かれて歩いていたのが悪かったんだろう。

 突然、後ろから突き飛ばされた。

 コンクリートの歩道に突っ伏したまま相手を見ると、少年だった。みすぼらしい格好をしているから、この町の単眼種だろう。俺の持っていた靴を抱えて路地に駆け込んでいく。慌てて後を追うも、背嚢が重くて手こずってしまった。


 ようやく追いついて首根っこを掴んだ時には、二人とも走り疲れて肩で息をしていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい!! 靴は返します、殺さないで!」

 単眼種の子どもは、大きな目から涙をぼろぼろとこぼしている。

 そういえば同輩が言っていた。単眼種の孤児や浮浪者に、装備や備品を盗まれることがあるらしい。靴や帽子なんかでも、闇市で売れるらしい。日雇いの仕事や賤業で稼げない子どもは、そうやってその日暮らしをしているんだ。


「……いいよ、やるよ。俺はもう一足あるから。だから、次は捕まるなよ……」

 やるせなくなって、その場を逃げるように立ち去った。

 ここのように占領された都市では、何もしていなくても、単眼種であるだけでひどい目に遭うような状態だ。

 盗みで捕まろうものなら、殺されてもおかしくない。今まで、そういう場面を何度か見てきた。


 俺にはできない。目の数がちょっと違うだけで、国の名前が違うだけで、そんなに残酷にはなれない。俺は、自分のために誰かを傷つけることができるほど“自分が偉いんだ”と思えない。

 自分ごときが誰かを傷つけるなんて、恐れ多い。そう思って生きてきた。

 それに今は、あの娘の顔が浮かぶ。


 さっきまでの楽しい気持ちが、どこかに行ってしまった。

 ため息をつきながら、肩を落として、下を向きながら歩いた。

 そのせいで、気付くのが遅れてしまった。

 空を割くような風切り音。続いて発光、少し遅れて爆音と振動。

「砲撃かぁ!?」

 思わず情けない悲鳴を上げてしまったが、慌てて頭を下げつつ、大通りへ向けて走った。


 走りながら街の中心部を見ると、煙が上がっている。

 市役所を接収して連隊長が居座っていたはずだが、そのあたりは土煙で見えない。見ていると、次々と着弾し、轟音と破壊が繰り返される。

 どこから砲撃されているか、方向すら分からない。発射の音が聞こえないし、破壊の規模が大きい。何キロメートルも先から撃たれてるに違いない。


 軍人どもが反撃するにしても、時間がかかるに違いない。いや、その前に破壊しつくされて撤退するかもしれない。

 要は、どうしようもないのだ。

 そうこうしてる間に、近くにも着弾しだした。そういえば、この辺りでも倉庫を徴発して軍用にしていたはずだ。堡塁もある。

 狙われるのかもしれない。


 これは逃げるしかない。

 俺は裸足で駆けだした。

 こんなところでは死ねない。何のために毎日祈ってきたと思ってるんだ。なけなしの金で食料を買い、酒もやめて、必死で生きてきたんだ。

 こんなところで死ねるわけがない。


 さっきの孤児との追いかけっこのせいで、道はよく分からない。けれど、走った。

 よだれも鼻水も涙も垂れ流しながら、必死に走った。血を吐きそうなほど走ったところで、堡塁が見えた。辺りには、ヒンケル帝国軍人たちも見える。


 あそこに逃げ込めれば助かる。

 そう思った瞬間、目の前がさく裂した。


 後で聞いた話では、堡塁に着弾して、中にいた軍人は大半が行方不明となったらしい。

 俺は爆風で吹き飛ばされ、意識を失っていた。


 目覚めたとき、三か月が経っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、三ヶ月もの間祈りができなかった! 意識を失っている間もコールドスリープよろしくカウントが止まるのか。意識を失っている期間は植物状態よろしくカウントだけが無情に進んでしまうのか。恐ろしさ…
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