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歓迎会

 ジュゲム表との格闘は、一筋縄ではいかなかった。

 最初は縦軸と横軸の二要素だけなので、大して苦戦しなかった。だが、作業が進むにつれ、円形や六角形、星形などの表になり、難易度が飛躍的に上がっていった。

 今使っている板には、円形二つと六角形三つが二層に重なっている複雑怪奇な図表が描かれている。

 見ているだけで目と頭が痛くなってくる。


「う~ん、この板、実に叩き割りたい」


 思わず本音がポロリとこぼれてしまう。

 お昼は買っておいたパンで手早く済ませ、ひたすらジュゲム表に取り組んだ。それでもなかなか捗らない。もう夕方になったが、進捗はまだ半分といったところだ。

 この表は、正確性を重視しているものの、わかりやすさは重視していないのだろう。


 思わずため息を吐いていると、重厚な鐘の音がごうんごうんと鳴り響いた。それに合わせるかのように、周囲の人がざわざわと立ち上がり、動き始めた。


「この鐘は終業の合図よ。お疲れ様」

 マオがにこりと微笑みながら春風に声をかけた。

「あのー、マオさん……皆さんどこかに移動しているようですけど、どこかに集まって残業するんですか?」

「ザン…ギョウ……? いえ、みんな帰宅するんじゃないかしら」

「みんな帰る? 終業時刻に? それは一体どういうことですか? スタンド攻撃を受けている?」

「……朝日さん、定時で帰ることは異常現象ではないのよ。何でもない普通のことなのよ」


 涙を浮かべながら春風を諭すマオをよそに、ジュゲムがおもむろに立ち上がり、係全員に聞こえるようにヤギへ話しかけた。

「ヤギ係長、ハルカが我々の仲間になったことを記念して、この後みんなで何か祝い事をしてはいかがでしょうか」

「あぁ……そうですね…。では、そうしましょうか」

 ヤギの言葉を聞くと、ジュゲムは我が意を得たりといった面持ちで、春風へ向き直った。


「と、いうことだ。ハルカ、君を歓迎する祝いの儀式を行おう。君の住んでいた世界では、こういう時にどういうことをするんだ? 俺の世界では“レーベンレーレル”や“銀の晩餐”などが一般的なんだが……」

「わあ、私の歓迎会を開いてくれるんですか? 嬉しいです! ジュゲム先輩の仰っていたレーベンレーレルと銀の晩餐ってどういうものなんですか?」

「レーベンレーレルを簡単に説明すると……まず、山羊の生血と生贄用の子豚を数頭用意して、大きなかがり火を焚きながら……」

「あ、そういうのは結構です」


 なんですか、生血って。生贄って。文化が違い過ぎる。

 無表情を保ちつつ、春風は内心で今日何度目になるか分からないツッコミを入れた。

 ツッコミを入れるたびにおひねりを貰っていたら、今頃はひのきのぼうから鋼の剣に買い替えられているところだ。

「銀の晩餐は、銀の食器を持って飲食店へ行き、食事をした後に代金を支払わずに逃げることで勝負事の神の加護を得ようという儀式だ。これも俺の地元では結構人気のある儀式だ」

 ただの食い逃げですよね。というツッコミは心にしまっておくことにした。

 彼奴の提案はすべて無視することにしよう。


「私のいた世界……日本では、皆で食事に行ったりお酒を飲んだりするのが一般的でした。食卓を囲みながらおしゃべりをして、仲良くなるんです」

 これにはマオが食いついた。


「あら、それは素敵な風習ですね。それ、やってみませんか。水車通りに新しいお店ができたんです。首都のレストランでシェフを務めていた人が、コウリュウ市でお店を開いたんだそうです。皆で行きませんか?」

「マオの見立てた店ならば間違いないでしょう。ヤギ係長、いかがでしょう」

「……それでは、そうしましょうか」


 帰り支度を終えた四人は、マオの案内で歩き出した。

 四人で歩きながら、春風の胸には言いようのない嬉しさがこみ上げてきた。定時で職場を離れ、皆と食事に行くなど、前の職場では無かった経験だ。もちろん、友達と食事に行くことはある。職場の皆と行くことなどは無かった。時折、お酒や食事の席に呼ばれることもあったが、それは仕事としてのものであり、下働きをさせられるものだ。

 こんな風に親睦を深めたいと誘われることは無かった。

 春風と仲良くなりたいと考えてくれている。それだけで春風は、胸が満たされる思いだった。


 マオが案内した店は、レンガ造りの瀟洒なたたずまいだった。

 茶色の外壁に、ガス灯のオレンジ色の暖かな光が馴染んでいる。木の床と大谷石風の壁で茶と白に統一された店内は、お洒落で清潔だ。かといって気取っているわけではない。テーブルには注文した料理が所狭しと並んでいる。


 実は、異世界の料理ということで少し身構えていた。

 地球でさえ、地域が違えば食文化は大きく異なる。

 味付け一つとってみても、とても辛かったり甘かったりと様々だ。そもそも食べる習慣の無いものが食材とされることもある。見知らぬ発酵食品も怖い。爬虫類や昆虫がお皿の上に鎮座していたらどうしよう。

 そんな心配を抱えていたのだが、そこはマオの気配りだろうか。全く心配いらなかった。よく焙られた鶏肉や香辛料たっぷりの豚肉、切り飾られた新鮮な果実などが、食欲をそそる香りを漂わせている。

 ジュゲムの前には、蜂蜜とワインビネガーがかかったキャベツのサラダやハーブとオリーブオイルが香るサメのステーキ、スープなどが並んでいる。麦とラム肉入りのスープに舌鼓を打ち、その端正な顔をほころばせている。


「どれも美味い。やっぱりマオの選ぶ店には外れなしだな。ハルカはどうだ?」

「ふぉれもふぉいひいでう」

「朝日さん、口の中のものを飲み込んでから話しても良いのですよ。それがあなたの世界のマナーなら、無理に変えなくても良いけど…」

「んぐっ、いえ、日本でもマナー違反でした、すみません。とってもおいしいです!」

「そう、良かった。最近見付けたばかりだけど、イチオシのお店の一つなの」

 マオは豚肉のビール煮込みやミートパイでワインを楽しんでいる。

 対照的にヤギは、はちみつパンを齧りながらモロヘイヤのスープと牛乳を飲んでいる。


「…アサヒさんは……えぇと、まだ一日しか経っていませんが……この世界や新しい職場は、どうですか?」

「この世界も新しい職場も、とっても素敵です。精霊府の建物は古いけど綺麗で、趣があって素敵です。会う人みんな優しくて素敵ですし、仕事の内容もファンタジーな感じで素敵そうです」

 春風の豊かな語彙力が火を噴くが、三人とも微笑ましそうに春風を見ている。

「それに、この世界はご飯がとっても美味しいです。味も美味しいし、ゆっくり味わう時間もあるし、食事をしていても怒られないですし」

 春風の言葉に、三人の表情が曇り始める。

「でも、何より素敵なのは……」

「……素敵なのは?」


 三人が、春風に向かって身を乗り出した。

「ついに自分専用のデスクを貰えたことです。涙が出るほど嬉しいです。以前の職場では、みんな固定の席を持っていなくて、どこに座ってもいいということになっていたんです。ですけど、人数分の席は無いので、私みたいな下っ端は椅子に座れないことが多かったです。そんなときはノートパソコンを抱えて床に座っていました」


「……一体、以前はどんな働き方をしていたんだ?」

 そう尋ねるジュゲムの顔は、少し引きつっている。

「そうですね、以前の会社では……朝、起きたら冷蔵庫の残り物を口に入れて、すぐに出かけます。家に食べ物が無ければ途中でコンビニに寄ります。朝の6時から職場に詰めて、夜の11時くらいから帰るタイミングを探します。下手に帰ろうとすると、誰かに呼び止められて変な仕事を押し付けられるので、ここでの帰宅テクニックが生死を分けます。気づかれないように帰るか、他人に便乗して違和感なく帰るか、帰らざるを得ない雰囲気を醸し出しつつドロンするか……。そして、体力が残っていれば、晩御飯はしっかり腹に入れるようにします。お昼ご飯を満足に食べられないことが多いので……ここで気を抜くと、カップラーメンに入っている乾燥したネギが、その日に摂った唯一の野菜だったなんてこともザラでした」

 話が進むほどにジュゲムとマオの表情が曇っていく。


「ハルカ、君は奴隷階級だったのか?」

「いえ、そんなことは無い……はずです」

「しかし……睡眠以外は仕事に費やし、満足に食事をとることができないこともあり、賃金は微々たるもの。これは、奴隷以外に無いのではないか?私の知っている奴隷でさえ、農繁期には腹いっぱいのパンと干した果物、少しの塩とオリーブオイルくらいは口にしていたぞ」

 奴隷扱いを否定することが出来ない春風は、すっと目をそらすことしかできなかった。


「なに、恥ずべきことではない。人は、食べるために生きるのではない、生きるために食べるのだ。食事を顧みることなく懸命に生きていた君は、美しい。それに、奴隷とは生まれながらのものではない。一時的な身分の状態にすぎない。君は、それを脱して立派な自由市民となった。それを喜べば良いのではないか。ほら、豚の血スープでも食べるか?」

「ありがとうございます、いりません。……釈然としませんが、もう私の前職は奴隷だったということでいいです。ところで、以前に皆さんは何かお勤めとかをされていたんですか? マオさんは地球のスーツっぽい服を着ていますよね」

「ああ、これは朝日さんの世界に行く際に、ミナカさんに用意してもらった物なの。仲良くなるには、まずは自分が相手に歩み寄ることが一番ですからね。だから今日も同じ服を着てみたの」


 マオの言葉に、春風は胸が熱くなる。

「そんな、私のために……ありがとうございます。私もマオさんともっと仲良くなりたいと思っています」

「ほんと? 嬉しいわ。じゃあ、お互い“さん”付けも敬語もやめない? ね、春風」

「了解、マオ!」

 盛り上がる二人を、ヤギが微笑みながら眺めていた。

「なるほど、仲良くなるには、まずは自分が相手に歩み寄ること……か」

 ジュゲムの呟きを残して、春風の歓迎会は続き、大いに盛り上がった。


 そして夜が明けた!

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