ヒット即リリース
ラビは、僅かに震えていた。
緊張と不安、そして恐怖。
それこれも全て、この権能執行課長室内の異常な状況が原因である。
第一の異変は、権能執行課長のアップル・スターが、平時に無い緊張感を漂わせていることだ。執務机に姿勢よく悠々と座っているようにも見えるが、背筋はピンと伸びているし、視線は正面から動かさない。
普段の柔らかな雰囲気がどこかへ吹き飛び、身の丈より長い白髪の毛の一本一本にまで気を張り巡らしている。
幼女のような外見のせいで、まるで叱られる前の子どものようだ。
第二の異変は、アップルの正面に立つ黒髪の人影だ。
荒んだような目付きだが、明確な邪気は感じられない。細かな刺繍が入った生地をふんだんに使った衣服は、貴金属や宝石類などが散りばめられており、目を奪われるほどに美しい。
これが噂に聞く破壊神ハルカなのかと、ラビは、その一挙手一投足を見逃さないように耳と目を総動員して観察した。
神々しさと美しさを兼ね備えた少女のような見た目だが、その外見に騙される者は、少なくともこの権能執行課にはいないだろう。
こうして近くに立つだけで、顔を殴り付けられているのではないかと錯覚するほどの、強烈な魔力。戯れにその一部を解放するだけで、このコウリュウ市どころか、アクエリアス大陸すら消し飛んでしまいそうだ。
数百年前から伝わる伝説的な破壊神を前に、ラビの胸中には恐怖が込み上げてくる。
意識的にゆっくりと呼吸をすることで、何とか平静を保っている。万年筆を持つ手に、いつもより力を入れることで、何とか文字を綴っている。
何の因果か、アップル権能執行課長と破壊神ハルカのやり取りを記録するようにと指示され、ラビはこの場に同席することになってしまったのだ。
もっと早く逃げていれば、こんな恐ろしい場に居合わせずに済んだのに。ラビは後悔と共に少し前の行動を振り返った。
転移魔方陣部屋の異変を感じ、権能執行課へ駆け込んだまでは良かった。
権能執行課の第二係長は、あのタケノミカタナだ。知勇兼備の万能神である彼女へ報告すれば、きっとなんとかなる。そう思っていたのだか、目論見は大きく外れた。
ラビを連れて転移魔方陣部屋を訪れたタケノミカタナは、その破壊神を笑顔で迎えた。のみならず、さらには、まるで旧友に声をかけるかのごとく、気さくに話しかけたのだ。
「あらまあ、朝日さんじゃありませんか。随分ご無沙汰してしまいましたけれど、お変わり無いようで、何よりです」
親しみさえ感じさせるタケノミカタナへの返答は、これもまたのんびりとしたものだった。
だが、ラビは鋭い緊張を覚えた。
「あ、どーも。お久しぶりです。櫻さんもお元気そうで」
権能執行課の係長を相手に、下手に出ることなく対話する。この一事を以てしても、尋常ではない。ラビの中での破壊神ハルカの印象は、より鮮烈なものになる。
そして、「ちょっと課長に物申したいんで、水の権能執行課長室に」という彼女の言葉に従うように、タケノミカタナはこの部屋に案内したのだ。
なお余談だが、転移魔方陣部屋に入室したとき、「やっとこさ帰って来たぜ、ひゃほ~」などと言いながら、諸手を挙げて小躍りしている破壊神を見たような気がしたが、恐ろしい悪魔がそんなことをするはずが無い。
きっと邪な企みで何かをしていたのだろうと、ラビは見ている。
そして、タケノミナカタが破壊神ハルカを権能執行課長室へ連れ込み、それを見たアップル権能執行課長が緊張を漂わせて、今に至るのだ。
アップルが、勤務中につまみ食いしていたおはぎとお茶をそそくさと机に隠し、威厳たっぷりに口を開いた。
「しばらくぶりじゃの、ハルカ殿。壮健のようで何よりじゃ。前課長のメリーアン様からは、400年ほど前から出張していると引き継ぎを受けていたのじゃが、案件の目標を達成したということか? それほど時間がかかるものではないと聞いていたが、400年とは少し時間をかけたようじゃの」
アップルの言葉に、わなわなと体を震わせながら破壊神ハルカが口を開く。
「長かった……。長かったですよ! コウリュウへの信仰を確立するまで帰ってくるなって言われたから、めちゃめちゃ頑張ったんですよ! もうメリーアン課長の逆鱗には触れまいと、一生懸命仕事に励んだんスよ!」
彼女が言葉を紡ぐ度に、魔力が漏れだし、周囲に強烈な圧力がかかるのが判る。ラビは耳をぺたりと伏せてじっと耐えた。
「まあまあ、落ち着くのじゃ、ハルカ殿。余とお主は、時を同じくしてコウリュウ精霊府の門を叩いた同期じゃ。そのよしみで、敬語など使わずに、腹を割って話そう」
この言葉に、ラビは腰を抜かすほどに驚いた。コウリュウ精霊府の課長級の者と、ざっくばらんな口調で忌憚なく会話するなど、高位の神や悪魔が願ったとしても、叶うものではない。
それも権能執行課の課長となれば、他の課長職より一つ上の扱いをされるのだ。
「ハルカ殿の苦労を聞かせて欲しいものじゃ。最初から躓いたのか? コウリュウ信仰の確立となれば、当該世界の住人の協力は不可欠じゃな。もしかすると、協力を得られなかったのか?」
眉を寄せて気を遣うような優しい口調でアップルが訪ねた。
だが、破壊神ハルカの答えはあっさりしたものだった。
「そのあたりは余裕でした。第十二世界を訪れたとき、最初に仲良くなった娘が、随分影響力ある立場だったらしくて、その娘が言うと村の皆がすんなり協力してくれました。割とガンガン顎で使っても怒られないくらいだったんで、色々と楽ちんでした」
「では、その後も順調にいったのじゃな?」
「そっすね。最初は、春小麦を一回育てて収穫して、サクッと終わらせようと思っていたんですよ。それこそ、4か月くらいで帰ってやろうと画策してました。そこで当初の予定どおり、暦や栽培方法を教えながら、種もみを探して小麦に挑戦してみたんです」
「そこで頓挫したというのか? そもそも、種もみが見つからなかったいう事も考えられるのじゃな」
「いえ、小麦……によく似たイネ科のような植物が自生しているエリアは、事前調査で目星をつけていたので、意外と簡単に種子の確保ができました。農業用地も計画どおり準備できたので、滑り出しは順調そのもので……」
「では、栽培の過程で失敗したと?」
「ところがどっこい、大成功でした。想定以上に、たっぷり収穫できました。ところが、そこで予想していなかったことがありまして……」
「それは?」
「収穫したものをきちんと管理するとなると、文字や数字が必要になるんです。それに付随して、計算や筆記も不可欠でした」
「なるほど、もっともじゃ。それで、どうしたのだ?」
「村の若者に簡単な読み書きや計算を教え、その中から有望そうな何人かに管理を任せようと思いまして、やってみたところ……」
「上手くいかなかったのか。まあ、仕方の無いことじゃろう。文字や数字という概念を持たない者達に教育を施すとなると、並大抵の……」
「いえ、結構上手くいったんですよ。皆が頑張りやすいように、一工夫したんです。収穫した種子からパンを作って、優等生にプレゼントする方式にしたら、これが大好評で。この食べ物のためなら頑張るぞっていう子たちが、死に物狂いで勉強してくれました。なんなら、焼き方を覚えてパン職人になった子もいました。あの世界で最初の職業は、パン屋さんでした」
「なるほど、では問題は解決したと?」
「ここで、また新たな課題が出来ました。収穫物の管理やパン屋の対価が必要になると思いまして、働きに応じて収穫した小麦の一部をあげることにしたんです。手のひらサイズの石に私がサインを彫って、それを小麦引換券見たいな感じで渡したんです」
「そうか、それが上手くいかなかったというのじゃな」
「それが、大人気になってあっという間に浸透しました。人気になりすぎて、引換券がわりの石が通貨みたいになってました。麦本位制とか麦兌換性貨幣とでも言うんですかね」
「そうか、そこから歯車が噛み合わなくなっていったのだな? 貨幣があれば、貧富の差が生まれる。そうなれば自然と争いも生まれるものだ」
「そうはならなかったです。意外と皆で仲良く畑を耕していました。対価目当てに、人一倍努力する人がどんどん出てきました。ですけど、開墾して耕作地が広がるし、人口が増えてくると、収穫量が増えてきてしまって……」
「それは良いことではないか?」
「やってみてはじめて分かったんですけど、小麦を小麦粉に加工するのって、めちゃくちゃ大変なんですよ。量が増えると、もう重労働なんですよ」
「なるほど、それならば狩猟の方が良いとなり、農耕が敬遠されていったのじゃな?」
「そうはならなかったですね。頑張って水力で脱穀する装置を作って、効率化を図ってみたんですよ。大きな鹿威しみたいなものなんですけど、これがまた大当たり! そこまでちゃんとしたものは作れなかったんですけど、それでも捗っちゃって」
「何もかも順調そのものじゃな!」
「そうなんですよ、順調だったんですよ。食料確保はバッチリだし、手洗いうがいとか掃除洗濯とか三密とか整理整頓とかも布教してたせいか、みんな病気をしないし、他の集落からも人が合流するしで、どんどん人口が増えていったんですよ」
「そうか。人口が増えれば、問題や課題も増える。一つの失策で国が崩壊することさえある。何があったかは語らずとも好いのじゃ。自分を責めることはないぞ」
「いえ、特に自分たちの失敗はなかったんですけど、他の部族や勢力から狙われるようになりました」
「そうか、戦争か。戦いを知らぬ者が突然戦争に巻き込まれれば、受ける負担は計り知れない。特に敗戦は長く負の遺産を残すからな」
「実は、連戦連勝しちゃいました」
「ファッ?!」
「敵も同じような文明レベルで、狩猟用の弓や槍はあるけど金属は無いっていう感じなので、そこまでガチンコの戦闘っていう感じじゃなかったですね。弓矢とか投石の攻撃力がそこまで強くないので、革で補強した木製の盾で戦列を作れば神盾と呼ばれるくらいでした。攻低防高が過ぎて、いよいよ怖いもの無しって感じですね」
「そうじゃろうな。ハルカ殿なら、そうなるじゃろうな。もう分かってきた」
「そこで調子に乗って周辺地域をゴン攻めで平定していったら、突然文化レベル高い国と出くわしまして。鉄があるし戦車とか使ってくるんですよ。戦車って言っても、馬が車を引くタイプのあれですよ」
「そこで蹂躙されたと?」
「いえ、技術者を捕まえて拷問の末に懐柔して、製鉄技術を施設ごと手に入れてやりましたわ」
「拷……問……?」
「ええ。鉄器を使えるほど文明が発達しているといっても、食文化はまだまだ。そこに、酵母でふわっふわに仕上げた香り高い白パンで血中のブドウ糖となってをガン上げしたり、海藻を贅沢に使ってグルタミン酸ナトリウムをこれでもかとブチ込んだ肉たっぷりのスープを浴びるほど摂らせたり。加えてパン作りから派生して、ビールとかも作っていましたから、深く掘った井戸の中でキンキンに冷やして出すんです。そんな生活を、三日三晩提供し続けます」
「ほう?」
「その後に、普段の奴らが食べてる全粒粉の無発酵パンとか、焼いただけの粗末な肉とかに切り替えます。すると地獄でも見たかのような表情をするんですよ」
「なる……ほど……」
「そこで囁くんですよ。“私たちと仲良くしてくれたら、美味しいものが食べられるよ”って。あっという間に堕ちました」
「悪魔的……いや、知恵を使ったのじゃな」
「そのあと、何だかんだあってかなり広範囲を領土とする一大勢力になっちゃいまして。せっかくなので各都市にコウリュウ信仰用の神殿を作ったりしているうちに、時間が過ぎちゃいまして。でも、私が指示しなくても他の人がいろんなことを勝手にやってくれるようになったんですよ。私が指定した人がリーダーを務めて、皆をまとめるっていう流れが出来ました。そのうち、リーダーは皇帝とか呼ばれるようになってましたけど」
「リアル王権神授説じゃな……」
もはやアップルは考えるのを止めている様子すらある。
「最終的には、私は皇帝を決めるだけで、細かい仕事はなくなっちゃいました。時々、皇帝とか神殿の人から困りごとを相談されて、一緒に悩むくらいですかね。で、これならもう大丈夫だろうと思って帰り支度を始めたんですけど、そのころには400年が過ぎてました」
「そ、そうか……。責務に専念した結果であるならば、充実した時間であったのじゃろうな」
「あ、そういえばお土産があったんだ。これ、どうぞ」
そういって取り出したのは、乾燥した植物のは葉のようだった。
「ハルカ殿、これは?」
「向こうの世界ではアサって呼んでました。乾燥させたものに火をつけて煙を吸うと、なんだか結構いい感じなるんですよ。どういう仕組みなんですかね」
ラビは手元の紙に「重度の大麻中毒者」と書き入れた。
と、その時、課長室の扉がノックされ、細身のスーツを身に着けた黒髪の男性が入室してきた。
その姿を見て、真っ先に声を上げたのは破壊神ハルカだった。
「ミナカさん、めっちゃ久しぶりですね! ご飯奢ってください!」
「相変わらずだね、春風は。400年間、お疲れ様」
ラビはミナカという人物を知らなかったが、さわやかな笑顔に好感を抱いた。
きっといい人なんだろう。
「ほんとに疲れましたよ! 後半は寝てるだけの日々もありましたけど、大変だったんですから!」
「そんな春風に朗報だよ。400年分の給与のお話なんだけど、今月末に給与口座に振り込むよ。400年分のボーナスとか出張手当とか宿泊費とか諸々を全部含めて、35億円くらいになるかな」
「35億……!?」
「でも、源泉徴収の所得税があるから、実際の振込額は18億弱かな」
「半分も?! 400年働いても、200年くらいはタダ働きになるの?! おのれ日本政府、易々と私の200年を盗んでいきよるっ……!」
「地球では時間が進んでいないから、一年間の給与収入になる点には注意してね。税の控除があまり効かないから、年末調整をしても、すごく税金が高くなるよ」
「そんな……。いや、それにしたって18億円か~。いっや、400年で18億はむしろ安いんじゃ……? いや、でも、これでハーゲンダッツ食べ放題の人生を送れるっ?! 人生ウハウハなのでは?!」
「狸の皮算用は後でしてもらってもよいかな?」
「かしこまりました!」
「来年の住民税も結構良い金額になると思うから、そっちも注意してね」
「かしこまりました!」
「それと、春風は出向が決まってるから、このあとすぐに発ってもらうよ」
「かしこまり……まし……?」
「メリーアンが課長時代に決裁したんだ。出向先はここではない異世界だよ。行ってらっしゃい」
ミナカがにっこりと微笑んだ。




