案件1-2 最後の案件④
春風は、自身が窮地に立たされていることを自覚していた。
だが、その原因が全く分からない。
先ほどまでは、ヤギ係長と共に課長室でメリーアンと対面していた。第十二世界に関する案件を進めるにあたり、他の部署と調整を済ませ、その首尾を権能執行課長たるメリーアンに報告していたのだ。
精霊信仰促進課との交渉がもつれた結果、相手を半ば力づくでねじ伏せてきたと報告する際には、さすがに緊張もした。
売られた喧嘩を買うような格好ではあるものの、トラブルを忌避するタイプの上司であれば、立腹してもおかしくない。要らぬ軋轢を生んだとして、叱責されることも覚悟していた。
だが、経緯を聞いたメリーアンは、一言「良くやった」と言っただけだった。
普段は不機嫌そうにへの字に曲げているメリーアンの口許が僅かにほころんでいたことから、むしろ上機嫌であることが分かった。
相手が喜びそうな話題を提供できるとなれば、饒舌になるのが人情と言うものだ。ヤギ係長が如何に格好良く、果断に、雄々しく振る舞ったかを、春風は熱く語った。
ヤギと春風の二人で報告をしていたのだが、ヤギは元々雄弁ではない。加えて、自分では恥じている行為を手柄として語るなど、彼は絶対にしないだろう。
ここは、自分が張り切るしかない。
春風は決意した。
不足しがちな春風の語彙力が、このときばかりは唸りを上げて言葉を紡ぎだした。
最初のうちは楽しげに、あるいは嬉しそうに聞き入っていたメリーアンだが、春風によるヤギの称賛が続くと、次第に無表情になっていった。
春風の目は全くの節穴ではない。このメリーアンの変化に気付き、話のトーンを上げ、より強い言葉を使うなどの工夫をした。
「本当にヤギ係長の頼もしさといったら、無かったです。個人の好き嫌いではなく、組織としての損得を見据えて落ち着いた対応をとる姿。素敵でした。それに、私にも丁寧な配慮をしていただいて……。最初は私に任せていただいて、暗礁に乗り上げそうだと分かるとすぐにフォローしていただいて……それも、再交渉の場に連れていっていだだけたのも嬉しかったです。手に余るところだけカバーするというのは、一担当者としては、完全に戦力外扱いされたのではないと理解できるので、自信の残高をゼロにせずにすみました。本当にヤギ係長の素晴らしさを再認識しました。出来ればこれからもずっと……」
末永く良い上司部下の関係でいたい……そう言おうとしたところで、メリーアンが机を叩いた。
その情動的な動きは、彼女には珍しく、感情の発露にも見える。衝撃は室内にも響き、精霊府の建物が僅かに揺れた。
後で聞いたところによると、余波で第五世界の海が一つ、干上がったらしい。
「報告は、もういい。ヤギェウオ・シュラフタ、退室を許可する。アサヒ・ハルカは残るように」
冷え切った目でこちらを見るメリーアンの前で、春風は、ただ震える事しかできない。
すがるようにヤギを見るが、特に言葉を発するでもなく、課長室を後にしてしまった。
そして今に至る。
「さて、少し話をしようか、アサヒ・ハルカ」
いつもの様に剣呑ささえ感じさせる鋭い三白眼が、春風に向けられた。
頭部に生える大きな角が、禍々しい空気を発しているようにも感じられる。特徴的な短い黒髪は、吸い込まれそうなほどに漆黒をまとっており、白く透き通った肌はいつもより生気を感じさせない。
コイツぁヤベぇ。
春風の本能が危機を感じ取った。
不機嫌なのか、口元は、への字に結ばれている。
普段ならば、怖くはない。だが、今は明確に命の危機を感じ取れる。
目の前の少女は、全く普段どおりの外見なのだが、強烈な感情を孕んでいると確信できるのだ。
微笑の裏で脂汗と冷や汗を垂れ流しつつ心臓を縮こまらせている春風を他所に、メリーアンはゆっくりと話し始めた。
「かつて、ここではない世界で、幼くして家族を殺された王族の娘がいた。他聞に漏れず、傀儡とするために一人残されたというわけだ。家族の仇に囚われ、そいつらの言いなりになるしかなく、そいつらが繁栄する様子を見ている事しか出来ないのだ。苦痛以外の何物でもなかろう」
「はい」
「そんな囚われの境遇にあった娘を救い出した男がいたとしたら、その子は大層感謝するだろう。心の底から愛情を向けてもおかしくはない」
「はあ」
気の抜けた返事が口から漏れたが、それも仕方がない。春風にとってはよく分からない話である。
「当時その男は、大精霊コウリュウとは異なるが、それに匹敵する存在の勢力下にいた。そして娘の立ち位置は、広くみれば大精霊コウリュウの版図の中にあった。つまり、その男は鞍替えをしたように見るわけだ」
「……そうなんですね」
メリーアンの胸の内が分からない春風は、前職で培った地雷回避センサーをフル動員して気配をうかがっている。ここで手を打ち損じたら、何か手痛いペナルティを受ける気がするのだ。
メリーアンは、春風の心中を知ってか知らずか、まっすぐに視線を向けながら話し続ける。
「それが故で、男は知恵と知識の大半を奪われ、放逐されることになった。智謀と暴力で第十世界を支配する最強の魔人だったのに、今は日がな一日、椅子に座って無為に過ごす日々を送っているのだ。こうなれば、その娘の心には様々な感情の嵐が吹き荒れていてもおかしくはない。感謝、愛情、慚愧、憐憫、尊敬……」
ようやく春風にも話が見えてきた。
「お話の男性が、ヤギ係長という事ですか?そして助けられたというのが……」
「何が言いたいかというと……だ。アサヒ・ハルカ、あの男は私のものだ」
「それはもう、課長の仰るとおり、正にそのとおりでございまして、そこに一分の誤りもなく、明日も太陽が昇るが如く当然の帰結と申しますか……私は全く持って単なる部下としての尊敬と親愛の感情を持たせていただいているだけでありまして、そこには何らの他意はなく、一切のアレがソレでありまして……」
滝の汗を流す春風を無視し、メリーアンは朗らかに笑った。
「さて、アサヒ・ハルカ。今回の案件では、一つネックがあるな。現地へ技術指導をどのようにするかだ」
その手には、いつの間にか第十二世界への農業技術等の指導計画などをまとめた春風の資料があった。春風の知らぬうちに、稟議書の形にまとめられている。
「ここは、直接出向いて指導するしかあるまい。事情を知り尽くしている今回のケースでは、担当者であるアサヒ・ハルカこそが適任者だろう。出張を認めよう。指導が完了するまで戻らなくてよい」
「へ? へ? ん? ん? ん??」
「10年だろうと20年だろうと、いくら時間を使っても良い。目的を達成するまで帰還の必要を認めない」
メリーアンが笑顔で決裁印を打った。
一切の思考が停止した春風の目前で、権能執行課長の印影が魔力の光を放ち、稟議書を青く照らしていた。




