案件1-2 最後の案件②
春風が精霊信仰促進課を訪れて用件を伝えると、信仰促進を担当する係長の前に通された。
弛んだ巨体を持て余し気味の豚人が、椅子にふんぞり返って座り、春風を睨んでいる。促進課の係長を任されているという自負からか、その所作は極めて尊大だ。
だが、この程度の態度ならば、前職で散々見ているので、特に気にはならない。
「お忙しいところ、失礼します。権能執行課の朝日春風と申します。進行予定の案件について、事前にご説明をさせていただくために伺いました」
そう言いながら一枚にまとめた資料を差し出すと、豚人は丸っこい手で乱暴に引ったくった。
今回の案件は、権能執行課以外の承諾と協力を取り付ける必要がある。そこで、ジュゲムと春風、マオが手分けをして各部署を回っているのだ。
この精霊信仰促進課は、コウリュウへの信仰を広めることを目的とする部署であり、その権限を有する。なので、第十二世界タージオンで継続的なコウリュウ信仰を興すにあたっては、根回しが不可欠である。
だが、ジュゲムが下話に向かった企画調整局やマオが訪れている降臨課などに比べれば、調整は容易だと考えている。何せ、本来であれば精霊信仰促進課が担当すべき内容の業務であるのに、実務は全て権能執行課が行うというのである。何もしていない営業部に売上実績だけをプレゼントするようなものだ。
一応は緊張した雰囲気を出しつつ、礼儀正しく振る舞ってはいるが、きっと諸手を上げて歓迎されるだろうと春風は踏んでいた。
だが、返ってきたのは予想外の反応だった。
資料を一読した豚人は、ブゴっと鼻を鳴らして唸った。
「おう、ずいぶん勝手をやるじゃねえか。ウチのシマを荒そうってのか」
「何か御不明な部分がありましたら、補足させていただきますが……」
「取り合えず……あっちで話を聞こうじゃねえか」
そう言うと豚人がノシノシと歩きだしたので、春風は慌てて後を追った。行き着いたのは、促進課に隣接する、あまり大きくない部屋だった。
促進課が打ち合わせにでも使っているのだろう。
簡素なテーブルと椅子がある。小さな窓があるだけで、扉を閉じれば室外からは遮断される。
春風が扉を閉めて向かいの椅子に座るや否や、豚人がテーブルを平手で強く叩いた。バンという大きな音に目をぱちくりとさせていると、豚人は大声で捲し立て始めた。
「テメエ、頭おかしいじゃねえか!? 権能執行課が、促進課に茶々入れるってのは、どういう了見だ!? これがおかしいと気付けない時点で、かなりやべぇぜ! こういうことは教え事じゃねえんだよ、言われなきゃ分かんねぇか?! だとしたら、お里が知れるってもんだぜ! ったくよぉ!」
怒鳴りながら何度もテーブルを叩き、床を踏みつけるので、騒々しいことこの上ない。このテンションではしゃいでる相手は希少だぞと内心でけらけら笑いつつ、澄ました顔でいる。
「人様の縄張りを荒そうとして、恥ずかしくねぇのか?! こんな情けない書類を持ってきやがって!」
豚人は、春風が渡した紙をくしゃっと丸めて投げつけてきた。
こいつパワハラの素人ですやん。
春風は思った。
パワハラ慣れしてる者を相手に戦ったことは無い奴のムーブだなと、直感で分かった。
春風は前職で、徹夜で作った書類を目の前でビリビリに破かれた上に「くだらない紙切れを、お前の代わりに処分してやったんだ、ありがとうと言え」という言葉を頂戴したことがある。上司らしき輩が、千枚通しを投げつけてきたり、直接殴り付けて来たりすることもあった。
それに比べれば、目の前の豚人は、まだぬるい。土曜の昼食に実家の食卓に出される母流チャーハンの方がまだ強敵だ。ただ黙って座っているだけでいなせる素人豚人と違い、あれは不味い上に残したら懲罰を課される地獄のタスクだ。おかわりまである。
真面目そうな表情で内心の余裕を隠し、相槌や頷きなどのジェスチャーもせず、豚人の大暴れが収まるのを待った。
相手の反応が無い状態で一方的に話し続けることが出来るのは、イカれた奴だけだ。
それは精霊府の豚人と言えども、例外ではなかったようだ。春風が全く動揺せず静かに座っている様子を見て、豚人の口数が減り、最後は口を閉じた。
そして、二人が黙りこんで互いを見つめる態勢になった。
さて、どうしよう。
このままでは埒が開かないし、説得出来るような突破口も無い。春風が思案していると、豚人の目があやしく光った。
突然、春風の体が震え、汗が吹き出した。
震えは胴を揺らし、額からは汗が滴ってくる。
本能に直接訴えるような、心の奥底から来る恐怖に襲われ、逃げ出したいという衝動が体中を駆け巡っる。
急な不調を不審に思うも、そんな疑念さえ錯乱する精神に乱されて、思考が纏まらない。そんな春風を見て、豚人は静かに笑っている。
「どうした、具合が悪そうじゃねえか。そんなんじゃ話にならねぇ、帰りな」
豚人の言葉に、春風はほうほうの体でその場を後にした。
☆
「悩みごとか?」
ジュゲムの言葉に、肘をついて爪を噛んでいた春風は物憂げに顔を上げた。
「はぁ、よく分かりますね」
「ハルカは悩みごとを隠すのが下手だからな。君ばかりを見ていた訳ではないが、それなりには分かるつもりだ。取り合えず、ため息を止めて話してみろ」
燦然と輝くジュゲムの金髪と笑顔は、今の春風にとって何よりの救いに見えた。
「ありがとうございます、ジュゲム先輩。実は……」
春風が先程の顛末を語ると、ジュゲムは渋面を隠さず、語気を荒げた。
「それは明らかに攻撃を受けたな」
「攻撃……ですか?」
「ああ。相手を萎縮させ、あるいは混乱させるような精神作用系の魔法の類いだろう。このコウリュウ精霊府では、互いに攻撃することは禁止されていない。元来が武闘派の神や悪魔も多いしな。だが、だからと言って甘受するものでもないし、許すものではない」
話ながらも、ジュゲムは懐から取り出した短剣の鞘を払った。
「権能執行課に喧嘩を売るとは良い度胸じゃないか。良いだろう、良いだろう。その喧嘩、大いに買ってやろうじゃないか。俺とて争いに関する権能を持ち合わせているからな」
今にも生皮を剥ぎに行きそうな剣幕のジュゲム。その肩に、いつの間にか現れたヤギが手を置いた。
「えぇと……お話は、聞いていました……。ここは……私が行きましょう」
「ヤギ係長が、直々にですか?」
相変わらず覇気の無いヤギの言葉に、ジュゲムが大仰に驚く。
「……ええ。コウリュウ精霊府の職員同士の争いは、禁止されていない……とはいえ、今回は明らかに、先方の紳士協定違反です……。少し……そう、ほんの少しだけ、マナーを教えてあげましょう」
そう言うとヤギはそのまま歩きだした。
慌てて後を追う春風には、ヤギの後ろ姿が怒っているようにも笑っているようにも見えた。




