案件3-2 共存不可能の二者択一に答えを出す②
比呂佐和八千穂は、侯爵家の嫡男としての責務を重圧に感じたことはない。
幼い頃から言葉遣いや立ち居振舞いに気を配ることを教え込まれたけれど、大して苦労をした記憶はない。四歳の誕生日には、日常、指先の動きまで無理なく意識を回せるようになっていた。
流石は比呂佐和の嫡男だと褒める者もあれば、子供の癖に行儀ぶっていけ好かないと陰口を言う者もいたが、彼としては別段に難しいことをしているわけではないので、両者を冷めた目で見ていた。
身体を鍛練せよと言われ、陸軍式の剣術を習い、海軍式の泳法を学び、馬や銃も練習した。どれも割合厳しく教えられたためか、小学校に通う頃には、同世代より頭一つ抜け出していた。
級友が川辺で河童に尻子玉を盗られた時には、水中まで追いかけて行き、木刀でしたたかに打ち据えて取り返したこともある。
剣の師から、自分の腕を過信して危ない真似をするなと言われたので、「次があれば、銃で撃ち殺すことにします」と答えたものだ。
精神修養だということで、月に二度か三度は寺に連れていかれ、説教を貰い、経を写した。話の理解は早いらしいし、筆の運びは優れているらしかった。特段の楽しみも苦痛も無かったが、周りは満足しているようであった。
人との繋がりが重要であると、小学校に上がってからはあちこちに連れ出され、また、来客の応接をさせられた。現役で活躍する大人達や、将来を見据えての同年代の貴族子女など、大人の都合で交遊を広げていった。
経済、学問、役人、軍人の重鎮達も、初対面で顔と名前を一致させ、その後に会うことがなくても、忘れずに覚えるくらいは出来た。
そうして過ごして来た人生は、楽しくはなかった。だが、難しくない義務を消化していれば暮らすには困らない。
自分は、田畑を耕す牛馬のようなものだと思っていた。楽しくもない作業をすることで、日々の糧を得るのだ。
剣や馬はそれなりに楽しみもした。だが、熱中するほどではない。
学校では、学友と交流を深め、ボードゲームで勝ち星を取り合ったり派閥を作って対立の真似事をしたりと、それまでにない楽しみはあった。だが、執心するほどでない。
それほど苦労せずに勝ちを拾えたことも、影響したと思われる。生来、他人より頭が回る質であったようであるし、覚えも悪くない。身体の能力も秀でている。加えて、生家の影響で、大抵の相手は遠慮する。
人生に、自分自身の楽しみや望みと呼べるものは無かった。だからこそ、与えられた選択肢から外れることも無かった。
そして、高等学校へ進む頃には、進路と婚姻相手の決定を迫られた。ここでも、そこまでの自由があったわけではない。
国を動かす役に就き、一定の成果を出すことを期待されていたので、せいぜいが文官か武官かを選べる程度である。
民間での企業経営などは、許されなかっただろう。
欧州情勢の不安定さや、いざというときの行動力の確保を考慮し、陸軍に身を置くことは決めた。だが、あれこれと理由を付けて婚約者の選定は先に伸ばした。
そもそも女性の相手をすることは好きではない。応対は得意ではあるが、内心ではいつも肩をすくめているのだ。
父母に似て容姿はそれなりに整っているし、比呂佐和家という国内随一の家柄だ。出自の知れた女性と知り合うことはままある。社交の場で巡り合わせることもあれば、父に連れられて訪れた先、比呂佐和家への来客など、機会は様々だ。
大抵は、比呂佐和家との婚姻により自勢力をする拡大という目論見が明確なものである。少女達も、大半はそれを念頭に置いた行動をとる。
そこに嫌悪感などはない。友人の中には、家の都合による婚姻に忌避感を抱く者もいる。そういう感じ方もあるだろうが、家の結び付きによって強固な地盤を形成しようとする行為も、十分に理解ができる。
だが、理解できると言っても、好ましく感じるものではない。目的が同じであれば行動態様も似る。八千穂との距離を詰め言質を取ろうとする相手側と、良好な関係を維持しつつ縁を深めないようにする自分の行動は、答えの分かっている詰め将棋をやらされているようなものだ。
そんなやり取りに飽きたこともあり、また世界的に対妖魔戦闘の緊張が高まっている中、欧州における戦乱の兆しもあったため、軍事教練を学ぶという名目で、陸軍士官学校を主席で卒業すると同時に渡欧した。
他に幾人かの士官学校卒業生や華族子女と共に、集団での洋行であったが、天帝陛下から軍刀を下賜されたこともあり、また、比呂佐和家の後ろ楯もあり、要人扱いで不自由は無かった。
英領や独国などを回り、各国の軍事、政治、経済の政策を学ぶほか、現地の文化や風習を知り、見識を深めた。また、墺国を訪問中に半島を中心とした戦争が始まり、幸いにも実戦を体験できた。
特に海外特有の魑魅魍魎である吸血鬼などを一見出来たのは、大きかった。
そして、得るもの多く帰国した直後に、それに遭遇した。
夜の帝都で、少女とそれを襲う吸血鬼。全くの偶然だが、その場に居合わせることとなったのだ。
世界的な規模で人や物の交流が進む中、大和帝国においても海外の魑魅魍魎が増えていることは知っていた。この二十年ほどの間にも、大陸で人対妖魔の大規模闘争が発生した。大陸から押し寄せた妖魔は、一部が九洲に上陸し、激戦の末に撃退している。その後には、憂いを除くためにへの出兵もしている。
けれど、まさか帝都の真ん中で海外の妖魔が跳梁跋扈しているとは、想像の外であった。
その日は洋行の報告のため、正装で帝国議会や統帥部を訪れていた。その帰りであったことが幸いした。退魔戦闘にも用いることが出来る礼式軍服を身に着けており、19年式の桜花軍刀を持っていたのだ。
この軍刀は日本刀の拵えで、刃渡り80センチに迫る大振りである。先の大戦で退役した戦艦である石見の退魔砲塔を鋳つぶして作られている。
これは、柔軟性のある地金と硬度を追求した鋼を、熱と鍛接剤を用いて叩いて一つにする鍛接法で制作されている。退魔加工を施した金属は、焼き入れをしている為、硬度がある代わりに曲げや衝撃への耐性が下がる。そこで、実戦使用する武器へと加工するには、柔軟性の高い金属と合わせる職人技が求められる。
昨今は鍛接を用いない複合材の刃物が出始めているが、対魔性能としては大いに劣る。たまたま持ち合わせていた桜花軍刀が、対妖魔の個人携行武器としては、これ以上ない効果を発揮したのだ。
陰陽寮が結界を張る帝都で乱行を行うというのは、よほどの強力な妖魔である証左だ。だが、数か所に噛みつかれ、流血をする程度で追い払うことに成功した。
そして、助けた少女は面倒を避けるために官憲にでも任せて、その場を離れるつもりであったのだが、ここで大転機が訪れる。
「あら、まあ、大変、こんなに大怪我をなすって!」
少女は、大きな声で言うなり、背嚢から水筒と手ぬぐい風呂敷を取り出した。襷をかけると、水筒の水で傷を洗い、血止めに傷口を布で縛り始めたのだ。
手拭いと風呂敷を使い終わって布がまだ足りないとなると、ついには自分の着物の袖を裂いて使ってみせた。
今までの経験からすると、こういうときの女など、何も出来ずに酒に酔った騾馬のごとく意味もなく動き回る醜態を晒すか、良くて誰か助けを呼びにいくだろう。
けが人を相手に、手を汚し服を破いて手当をする女になど、出会ったことは無い。ましてや、先ほどまで妖魔と相対して、動転しているだろうに。それでいて、その言葉と所作は、無礼でも不躾でもない。
鶏の群れの中に一羽の鶴を見つけた気持ちだった。
その場の処理も少女のことも警察に任せ、自分は名乗りもせずに去った。最寄りの警察署の署長が知人であったので、この少女のことを知ることは、容易いことであった。
櫻タケルという名を知り、住まいを調べ、学校を知った。そして、人をつかい、時には自分で足を運んで、更に少女のことを知ろうとした。下宿の商店で店番をすれば看板娘として客が集まり、近所では快活な娘として好感を持たれ、学校では教師や級友から好ましく覚えられている。
そんなことを知るにつけ、どんどんと興味が湧いてきた。
まるで、砂漠のごとき味気ない人生に、突然現れた清涼な泉のような存在になっていった。
しかし、心弾む観察の日々は、長くは続かなかった。少女を助けるために妖魔と戦ったときの怪我が、霊障としてその身を苦しめ始めたのだ。
洋行時の経験から、吸血鬼による眷属化の呪いであることは判別出来た。が、肝心の治療が覚束無い。
取りあえずは狐憑きの治療と同じく、神域に身を置き清浄と健康保つこととし、帝都で比呂佐和家の影響力を行使できる黄竜天満宮に身を置くこととした。
比呂佐和家から狐憑きを出したとあっては外聞が良くない。名を隠して長屋の一室を借り受け、部屋に籠った。薬や食べ物は人を使って届けさせ、破壊や吸血の衝動に耐えながら一人でのたうち回っていたのだ。
そこで思い付いた。
あの少女に配達の役を任せては、どうだろうか。毎日顔を見ることが出来るのは願ってもいないことだし、気持ち多目に心付けを渡せば、彼女も喜ぶだろう。
今にして思えば、霊障のせいで思考が覚束なかったのだと分かるが、当時の彼にしてみれば、名案であった。
家を通じて仕事を手配し、彼女が自分の前に現れたのは二日後の朝であった。その時になって、顔を覚えられているかと思いもしたが、霊障でやつれた姿では、それも無用であった。
櫻タケルという名の少女は、比呂佐和の家名など関係なく、親身になって心配し、あれこれと手を焼いてくれる。
まるで、荒野に一輪の花を見つけたようだった。とても美しく、可憐で清らかな一輪の花を。鈴のような声音を聞くたびに霊障の苦痛が和らぎ、絹のように滑らかな指先を見るたびに吸血の衝動が霧消した。暁の陽光のような柔らかな笑顔は、生きる目標にすらなった。
そして、紆余曲折を経て、彼女の危地を救うため、吸血鬼として生きる決心をした。人と共存する妖魔なども多くいるが、決して無条件で受け入れられるわけではない。とくに比呂佐和家などは、歴史が浅いため、嫡男が妖魔と知られれば格好の攻撃材料として使われるだろう。
だが、いざというときに彼女を守ることが出来た。忌々しい外来の魑魅魍魎と侮蔑していたが、こうなってはかえって感謝を覚えるくらいだ。
そして、陰に陽にと彼女を守るために自らを使うと決めたからには、遠慮はやめた。彼女が進学に苦しんでいれば、法改正を促し制度を変えて支援した。折に触れて彼女を訪ね、舶来の菓子や花などを送った。
別にこちらを向いてほしいという思いがあったわけではない。単に彼女の笑顔が見られるならば、それで良いのだ。所有権を主張する欲など、毛頭ない。
なので、彼女が好まないであろう仰々しいものや金を積むようなやり口は避けてきた。
だが、その方針を転換しせざるを得なくなった。現在彼女を取り巻く環境は特殊な状態になったのだ。
何故か突然に、極めて強力な神獣が彼女の支配下にあると、陰陽寮が認定したのた。
これにより、政府中枢では彼女に対する関心が非常に高くなっている。一部の者のみが知る情報とされているが、秘匿しきれるものではない。
もし誰かが良からぬ考えのもとに彼女を占有しようとしたら……。
その考えに囚われると、居ても立ってもいられず、すぐに行動をとった。多くの者の目が向いているほうが安全である。彼女を守るためにも、むしろその情報を拡散した。
また、櫻タケル本人に権威権力を与えなければ、危険を遠ざけることはできない。取り急ぎ二文字苗字たる「佐倉」の下賜を上奏し、今後は三文字まで登らせるつもりだ。
そうして新たに家を立て、自分の子飼いの者を送り込み、固める。そうすれば、それなりの安全と安心が担保されるだろう。
だが、それまでは、大っぴらに人を付けることが難しい。
なるべく信用の出来る者を選んで、秘密裏に護衛をさせているが、まだまだ手薄である。
なので、時折は自分自身が出張る必要も出てくる。
今日も、いつもどおり正体を隠して、付かず離れず彼女の後をつけていた。
坂伊乃家の次男と洋食屋に入ったので、二人の声が聞こえる席を確保して、紳士然として聞き耳を立てていると、その会話に思わぬ衝撃を受けた。
「佐倉さん、俺と結婚してはくれまいか?」
あの坂伊乃の次男坊が、こともあろうに、そのようなことを言っているのだ。
比呂佐和八千穂としては、別段、佐倉タケルを手に入れたいと思っていた訳ではないはずだ。
ただその美しさに見とれていられれば良いのだ。彼女が笑顔でいるのならば、それで良いのだ。
そう思っていたはずなのだ。
だが、こうして直截的な言葉で、目の前で彼女が奪い去られようとしたとき、言い様のない衝撃を受けた。
今までに経験したことの無いような冷たい汗を流しながら会話を聞き取ろうとするが、二人は黙したままだ。
その沈黙が、八千穂にも堪える。
どこか遠くから聞こえてきた時の鐘の音が、八千穂の臓腑に重く響いた。
ただの育ちが良いストーカー
次回は三角関係の結論を出した後の話です。
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