十二人の怒れる女達
フィラデルフォスの朝は早い。
日の出には、着替えを済ませて早朝の街を歩いている。復活から二十日が過ぎ、日課となったその行動は、決してただの散策ではない。大地や大気の精霊と交流を持ったり、呪文を詠唱し魔力を練り上げて魔法のストックをする時間なのである。
この世界は、簡単な詠唱で発動できる魔法は多くない。大抵は、供物を捧げ、魔方陣を描き、魔力を用いて長大な呪文を詠唱する必要がある。それらを終えた上で、発動のキーワードとして簡単なフレーズを設定する。こうして、ようやく戦闘で実用に耐えうる魔法の準備が終わるのだ。
また、それ以外の方法として、神や悪魔、精霊などと交渉を持ち、その力を借り受けて魔法行使する者もいる。しかし、こちらは選ばれたごく一部の魔法使いにしか出来ない。
フィラデルフォスは、どちらも用いる。
早朝の人が少ないうちは、精霊達と交流を持ちやすいので、こうして散策をして触れ合うのだ。また、歩きながら魔力を練り、長大な呪文を唱え魔法のストックをする。
しかし、精霊は普通の人の目に見えるものではないし、呪文は小さな声で静かに詠唱している。なので、傍から見れば、のんびり散歩をしているように見える。
英雄フィラデルフォスが、目的なく散歩をしているとなれば、多くの人はそれを見過ごさない。信奉者が一目見ようと近寄ったり、仕官を求める者が直訴したり、助言を求める文官が現れたりといったことが、幾度かあった。
そして、今朝、フィラデルフォスの前に現れたのは宰相であった。遠くからでも見間違えようがない。長い布を首にかけ、胸元で交差させている。二本のストラップ付きの長いキルトは、宰相のみに許されたものである。
「おはようございます、フィラデルフォス様。このような早朝に申し訳ございません。一件、ご報告いたしたいことがございまして……」
「おはようございます。大丈夫ですよ、僕でよければ」
王が不在の今、首都アレクサンドリアとその近傍の施政は、姉のアルシノエと宰相が行っている。自分に話さなければならないことって、何だろう。フィラデルフォスは内心で首を傾げた。しかし、そんな素振りは見せずに、宰相へ向けてニコリと笑って見せる。
「ありがとうございます。昨日、アルシノエ様からご下命いただいた件なのですが、その内容というのが、例え勇者であっても脱出することの出来ない牢を作るように……とのことなのです」
困惑した表情を作る宰相の言葉に、フィラデルフォスの疑問は氷解した。アルシノエとフィラデルフォスの姉弟に確執があるのではないかと懸念しているのだろう。
「大丈夫ですよ。姉さまには、為政者としてのお考えがあるのだと思います。この都市の最高権力者として、何かあれば例え勇者であっても無法は許さないと言うことを明確に示し、法治の安定を図る心積もりでしょう」
「それは……何か具体的な事例を想定してのことでしょうか」
「いえ、姉さまとは毎日お話しをしていますけど、特に意見に齟齬が生じることは無いですよ。そもそも、施政や施策については姉さまのお仕事ですし、僕は姉さまの決定に異を唱えるつもりはありません。けれど、もし姉弟が対立したらと想定し、対応策を形だけでも整えて、その姿勢を皆に示すのは、大切なことだと思います」
フィラデルフォスは、心からの笑顔を宰相へ向け、更に続ける。
「こうしてあなたが微に入り細に入り心を砕いているから、このアレクサンドリアは苦しいながらも、困苦に沈むことなく、日々の生活を送っていられるんですね。本当に、ありがとうございます」
「いえ、そのように仰っていただけるだけで、嬉しく思います」
フィラデルフォスの言葉は、事実である。このイオス王国では、王に次ぐ権限を持つ者は宰相、大将軍、神官長の三人である。そして、この三役の権限を合わせれば、王をも凌ぐ。
それは、翻せば、宰相らの責任の重さを示してもいる。ともすれば亡国の憂き目を見るかもしれないこの国のため、身を粉にして責務を果たしている。
その努力を褒め、献身を労う言葉に思わず宰相の胸が熱くなった。
これまでも、その忠信と勤勉を称賛されることはあった。だが、この少年の言葉は、どんな褒美より、どんな表彰より、心に響いた。
そして彼女は、自分の半生に思いを巡らす。
生まれた家柄は良いが、それに甘んじる事なく、幼少期は勉学に励みつつ多くの人との交流を持つよう勤めた。成人前から王城に出仕し、幾人もの王族に仕えた。
そうして彼女が宰相の地位に登り詰める事が出来たのは、イオス王国では男女の扱いに差がないという下地はあるものの、間違いなく彼女自身の努力の成果であろう。だが、仕事一徹で通したため、一度も夫を作ることなく、未婚で四十を迎えていた。
もし自分に子供がいれば、眼前の少年くらいであっただろうか。いや、外見は十三才だが、それはかつての戦いで肉体を失っていたからだ。年齢だけであれば、今年で十八才を迎えるはずである。二十くらいの年の差婚であれば、例が無いことはない。
聡明な頭脳であるがゆえに、とりとめの無いことでも次々と考えが及んでしまい、一人で勝手にどぎまぎしつつ赤面してしまった。しどろもどろに受け答えをしつつも、何とかその場を離れることが出来たのは、宰相にまで登りつめた彼女の器量だろう。
次にフィラデルフォスの前に現れたのは、神官長であった。高位の神官にのみ許されるヒョウ皮のケープを纏った小柄の体躯は、やはり特徴的で、遠くからでも判別できる。
フィラデルフォスの姿に気付くと、ぺこりと頭を下げて跪いた。白髪をばさりと揺らして頭を下げる動作は、年齢にそぐわない機敏さがある。
「フィル坊ちゃま……おはようございます」
「おはようございます。あの……坊ちゃまと呼ばれるのは、恥ずかしいです」
「ああ、すみません。神殿は年寄りが多いので、赤子の頃からフィル様を知る者達は、親しみを込めて坊ちゃまと呼ぶのです。なので、私もつい……お恥ずかしい限りです」
リンゴのように真っ赤な顔にした神官長が、わたわたと手を振りながら汗をかいている。
「坊ちゃまと呼んでもらっても全然構いませんよ。でも、神官長は僕より年下ですから、ちょっと気恥ずかしくて」
「フィル様は、年下はお嫌いですか?!」
今年十歳になったばかりの少女は、小さな体に似合わぬ俊敏さで、フィラデルフォスに近づいた。跪いた姿勢のままカサカサと虫のように這い寄る様子に、さすがの勇者も笑顔のまま顔をこわばらせた。
「いえ、そういう話ではなくて……そんなことはないですよ、嫌いではないですよ」
「そうですか! よかったー」
見られないように低い位置で、少女はぐっと握った拳を引き寄せた。
「ち、ちなみに、年下は嫌いではないという事ですか、じゃ、じゃあ、す、好きですか?? ああ、でも、でも、マケマケ様やジョセフィーヌ様とのご結婚のお話があるんですよね?」
「確かにそういう話はあります。けれど停戦中とはいえ、この情勢下ですから、そもそも結婚とか、そういう事はあまり考えている余裕は無いんです。戦争に、神との対立にと、問題は山積していますからね」
「そう……ですか……。あ、すみません私はちょっと用事がありますので、失礼します」
一礼した神官長は、「神を殺す方法……」などと呟きながらその場を離れていった。
神官長と別れたフィラデルフォスは、アレクサンドリアを一望できる丘へ登った。最近は、時間があればここで自らを高めるべく研鑽を重ねている。少し前であれば剣や魔法の修練していたのだが、最近は他の方面へ傾倒している。
これまで交渉の無かった神々や悪魔との契約を試みたり、自身を強化する魔法や禁術を試行したりと、躍起になっている。危険を冒してでも、神の領域に足を踏み入れる必要があるのだ。
「死ぬのは二度で十分だ。次は、僕が皆を守る」
この世界の住人は誰一人として覚えていないが、フィラデルフォスには記憶があった。この世界は一度、崩壊している。天から降り注ぐ炎に焼かれ、燃え尽きたのだ。その抵抗出来ない圧倒的な力は、間違いなく何らかの神威である。
「今回は、何故か分からないけど全てが元通りになった。でも、次もそうなるとは限らない。だから……」
神に抗うためには、自分自身が神に匹敵する力を手に入れるしかない。例えどのような代償を払うことになろうとも。
笑顔の下にそんな狂おしいほどの思いを秘めて、日々を過ごしている。
フィラデルフォスは、一度世界が滅んだことを誰にも語らなかった。このため、後世の神学者や歴史家は、フィラデルフォスが神へと至った経緯について、学説を戦わせることとなる。
邪神マルシュや聖神シュアスと名乗っていた悪魔マルシュアスとの戦いの中で、自然と辿り着いたとするの説が通説となる。
だが、生来、野心家であったとする説や欲望におぼれて邪神に成り果てたという説まで生まれるのだ。
議論が議論を呼び、フィラデルフォス学というものが学問の一分野として確立されるまでに至るのだ。
彼に関する多くの書物は、生前から数千年にわたり数多刊行されることとなる。
中でも、後にイオス王国の女王アルシノエによって著される彼の言行録「フィラデルフォス聖典」は、多くの信徒を獲得する契機となる。また、そのさらに後にベストセラーとなる、謎の魔法使いが筆を取ったとされる「聖賢神フィラデルフォスに最も愛された者 博識の美人魔法学者マケマケ」という本も、彼の人気と知名度を高める一助となっていく。
しかし今のフィラデルフォスは、そんなことは知る由もない。細心の注意を払って術式を編み上げていると、可憐な声が耳に届いた。
「あ……ぇ……フヒ、ども、フィル君。魔法の練習してるなら、い、い……しょに……一緒に、どかな?」
頭から被ったマントで、その類まれなる美貌を隠したマケマケが、キモオタムーブでフィラデルフォスに近付いて来たのだ。スペルマスターという強力なジョブに就き、白く美しい肌と大きな瞳で人の目を釘付けにするほどの外見であるのに、その言動のせいか、友人は少ない。
だが、そんな彼女に珍しく、今日は連れ立っている。
「よしな、マケマケ。今日は私がフィルと剣の修行をする日だよ。他人の恋人にちょっかいを出すと、川辺でワニに噛じられるよ」
さばさばとした口調で言い放ったのは、ナイトマスターのジョセフィーヌ・フランネルである。美しい金髪のこの女性は、一人の男性を巡ってマケマケと対立しているのだ。マケマケとジョセフィーヌが一触即発の雰囲気を発したとき、更なる人影が現れた。
「フィル、政務の時間ですよ。姉弟仲良く、執務室に籠りましょうね」
底知れぬ笑顔の王女アルシノエが、いつの間にか近くに立っていたのだ。
「えーと、どうしようかな。マケマケさんとジョーさんと姉さま……誰を選んでも、正解ではない気がする……」
今はまだ人の身であるフィラデルフォスには、この問題の正解を導くことは難しかった。
アルシノエ「私以外の女と会話した、有罪」
宰相「優しすぎる、有罪」
神官長「とりあえず、有罪」
マケマケ「早く私と結婚すべき、有罪」
ジョセフィーヌ「早く私と結婚すべき、有罪」
クロカゲ「簡単に有罪と決めつけずに、もっと話し合いましょう」
ミュラ「どっちでもいいよ、そんなこと」
春風「タラシ有罪」




