黒いスープは豚の血のスープ
豚の内蔵と血液を煮込んだスープは、本来であれば美味しいものではない。不味いと言い切ることが出来る。けれど、卓上のスープは、春風が思わず唸るほどに美味しそうな匂いを漂わせている。事前情報が頭をよぎり、食べるのをためらう春風に、ヘッジスが優しく語りかけた。
「ん、本来のメラス・ゾーモス(黒いスープ)は、とても食べられたものではありませんぞ。豚の内臓や血、肉、胆汁などをワインなどで煮込んだもので、栄養のみを考えた代物なのです。ある時、王が興味を持ち料理人に作らせて食べたところ、“うんざりさせられる味だ”と言い、二度と食べることは無かったと言いますぞ。これを幼少のころから口にしていた妻は、何とか美味しい料理に出来ないかと考え、オリーブオイルや蜂蜜、香辛料で味を調え、リコッタチーズや豆類を加えたのです。ウマいですぞ」
スープの他にキャベツとコリアンダーのサラダや仔牛肉のステーキを配膳すると、一礼してヘッジスは離れていった。
春風は、恐る恐るスプーンを手にし、暗灰色のスープを口に運んだ。丁寧な下処理に加え、ふんだんに使われた香辛料やハーブが、臭みを消して旨味を引き出している。一匙を口にしただけで、春風の口内が光を放ち、感嘆の声がこぼれる。
「う、う、うまいぞー?!」
「ねー!おいしいよねー!すごいね!」
対面の席では、みずちが子供らしい笑顔でスープに舌鼓を打っている。キラキラとした瞳で、ぱくぱくとスープを口に運んでいる。
「カマトトぶるな!もうネタはあがっているんだぞ!いたいけな子供の振りをして、中身はあの美女なんだろ!大精霊コウリュウは、みずちだったのだ!」
「いや、それはちょっとだけちがうんだよ~」
「何が違うというのかな、大精霊コウリュウ様?」
「みずちはコウリュウなんだけど、コウリュウはみずちではないんだよ」
「んん??禅問答?哲学?私、そういうの苦手なんだよ。悟り開いて強くなった主人公とか、インテリジェンス系のラスボスが言うじゃん。俺はこの世界とひとつだったんだ……とか、個は全にして全は個なり……とか。あーいうの、意味が分からなくってさ」
「端的に言うと、みずちは、コウリュウの構成要素の一つに過ぎないということ。コウリュウをサイコロに例えるなら、みずちは一の目みたいなもの。二から六の目は別にある。みずちは、この第七世界におけるコウリュウのアバターであると言うことも出来るわ」
いつものたどたどしい口調は変わらないものの、十歳程の外見にそぐわない単語が飛び出してくる。
「やっぱり猫を被っていたな!あの可愛かったみずちを返せ」
「かえすもなにも、みずちはみずちだよー。コウリュウであることも含めて、みずちなんだよー」
上目遣いに春風を見つめるみずちの目が、悲しげに揺れる。
「うん、可愛いからオッケー。みずちはみずちだよね」
「春風~!」
曇っていた顔が、花が咲いたような笑顔に変わる。
「ちなみにさ、他の人はみずちがコウリュウだって知ってるの?そいうえば、ミュラさんはみずちを見かけたことがあるみたいだけど」
「文書配送室の女神ミイラのミュラだねー。コウリュウの執務室は決裁文書がいっぱい来るから、決裁後に文書配送室に持って行って、それぞれの部署に返送するんだよ。その時に、みずちを見ていたんだね」
「へぇ」
「みずちがコウリュウだっていうことは、ミュラもヘッジスもプタハもメリーアンも、誰も知らないよー。コウリュウのお仕事をするときは、あの逆作画崩壊状態だから」
「あ!あの姿は凄いよね、メチャクチャカッコいい。まさに神様って感じ」
「でしょー。だてに全知全能をやってないからねー」
みずちが自慢げにフフンと胸を張る。
「そうだよ、本当に全知全能って感じだった。一瞬で全部解決しちゃったし。もう、みづち一人でいいんじゃないかな。今回の件に限らず、全部をコウリュウ一人で対応した方が早くて安い気がする」
「確かにそのとおりなんだよねー。コウリュウ精霊府という組織がなくても、コウリュウであれば同じようなことは出来る。人々の願いを聞き取り、その権能で実現していく……むしろ組織を挟まない方が早く確実に対応することが可能だね」
「へぇ。じゃあ、なんで今のスタイルで営業してるの?個人事業主より法人化した方が税金的には有利なの?」
「いやいや、ぜんぜんちがうよー。そもそもコウリュウは、第七世界では帝国の大公爵だし、コウリュウ市の税率なんて自由に決められるよ。何なら税金は取られる方じゃなくて、徴収する側だよ」
「あ、そっか。じゃあ、本当に何でなの?無駄に組織を作ってる訳じゃないんでしょ?何かやりたいことがあるの?」
「身も蓋もないことを言うと、コウリュウは何も望んでいないんだよ。世界の平穏も、争いも、どちらでもいいんだよ。そこらの木っ端神なら、人々の信仰を失うと、供物を得られず死んでしまう。けれど、コウリュウはそうではない。コウリュウが世界を作り出したのだし、コウリュウが無ければ世界は無いんだから」
「なるほど。でも、精霊府なんて面倒くさいことをやってる理由はあるんでしょ?」
「強いて言うなら、他の神の育成のためかなー。一般野良神は、人々の願いを叶えて、信仰を拡大し、自分の存在と影響力を強くしていく。でも、初めてだとやり方が分からないだろうし、突然現れて“神です、崇め奉ってね”と言っても誰も信仰してくれないでしょ。だから、コウリュウ精霊府で仕事をしながら、コネを作り、ノウハウを学ぶの」
「あー、なるほど。他の神がコウリュウ精霊府の存在を願ったから、存在しているのかぁ」
「そうそう、そういうことー。そして、コウリュウ精霊府で学びながら、いずれは独立していくの。権能執行課だと、ダンチョネがそろそろ独立を考えていたよね」
「ああ!ダンチョネ係長!仕事出来る感じだし、結構ギラギラした野心家って感じだよね、ヤギ係長とは全然違う!」
「ヤギは独特だからねー。第十三世界に滞在した経験があるから、全てを諦観しているんだよ」
「え?!第十三世界って、そんなに変なところなの?」
「うん。第十三世界は、カグツチ討伐のためのお膳立てのためだけに作ったの。いわば生け贄だから」
「いけにえ?!」
素っ頓狂な声で目玉が飛び出した春風を前に、みづちは何の感情もこもらない声で説明を始めた。
「炎の魔神カグツチを第十三世界に封印し、その魔力を奪う太陽樹を配置する。そして、無限に溢れ出るカグツチの魔力を、無限の食欲を持つ銀狐ユルグに喰わせる。カグツチから奪う魔力とユルグの食べる量のバランスを取ったから、長きに渡りカグツチとユルグの双方を抑え込んできた。けれど、第十三世界の住人が戦争に明け暮れ、封印された炎の魔神を用いて炎の勇者を生み出した。これにより、太陽樹とカグツチの繋がりが薄まり、供給量が減った。そしてユルグは太陽樹を食べ尽くして暴れだし、炎の魔神も暴走した」
「つまり、全て第十三世界の人が悪いの?」
「ううん、ここまでは予想してたよ。そして、ユルグとの戦いに備えてコウリュウの降臨を願うところまで、予定どおり。さすがに複数の世界が崩壊して、数知れぬ多くの民から望まれれば、コウリュウが顕現してもおかしくないから。顕現してしまえば、あとは簡単。コウリュウの前にはユルグもカグツチも敵じゃないよね」
ふふんと笑って見せるみずちにとは対称的に、春風は唇を尖らせて不満気だ。
「えぇー。それなら、世界の危機になる前に、コウリュウで一発お見舞いして解決すればよかったんじゃない?全て元通りに直ったし全員生き返ったけど、そもそも、そうなる前に何とか出来たわけだし」
春風の言葉に、今度はみずちが頬を膨らませた。
「そうしたくても出来ないのー。コウリュウが必要以上に世界に干渉することを嫌悪する奴もいるんだよー」
「コウリュウ級の厄介な奴が他にもいるの?うへー、めんどくさ」
「あれ?コウリュウをディスってます?下しちゃうよ?神罰。終わらせちゃうよ?世界」
「いえ滅相も無い。コウリュウ様に歯向かうなんて、けしからん輩がいるんですね、許せないですね!」
「まあ、良しとしておくよ……。いるんだよ、コウリュウと同等の権能を持ちながらも考え方の違う存在が。それも二人も。一人は、“我々は積極的に世界に干渉すべき”という主張で、もう一人は“我々は世界に干渉すべきではない”という主張なの。ちなみにコウリュウは、“頼まれれば干渉するけど、わりと放置”って感じ。だから、コウリュウを含めたこの三人のバランスを取りながら、コウリュウの権能を制約なく発動してカグツチを討伐するために、崩壊することを前提として第十三世界を作ったの」
「みづち……というかコウリュウってエゲツないわー。第十三世界の人たちが不憫で仕方ない」
「そうでもないよー。結局、さっき春風も言っていたけど、第十三世界の人たちの自業自得でもあるからね。みんな仲良く過ごしなさいって言い残しておいたのに、勝手に戦争を始めて、資源を浪費してユルグもカグツチも復活させたんだから。むしろ、第十二世界の人たちに申し訳が無いよ。あそこは、第十三世界に封じたカグツチの魔力の余波が他の世界に波及しないように、緩衝材として作った世界なんだよ。だから炎の魔力の影響で、いつも日照りに悩まされているの」
「あぁ!だからなのか!いっつも雨乞いの請願が届くから、気になってたんだよ」
「春風が担当してたのは、知ってたよ。いつもありがとね。炎の魔力の影響はなくなったから、第十二世界の案件は、もうじき落ち着くと思うよ」
「ほんと?よかったー。以前にジュゲム先輩に提案したことがあるんだよ。第十二世界に稲作を教えれば、雨乞いの必要はなくなるんじゃないかって。そしたら気候的に無理だって言われてたんだよね。今なら大丈夫かな」
「うん、今なら大丈夫だよー」
「やった!ジュゲム先輩に相談してみる!これで第十二世界の人達が助かるよ!」
「春風は仕事熱心だねー。いっそ本当にコウリュウ精霊府に就職しちゃえば?まだ有期雇用契約でしょ?今度、採用試験をやるみたいだし」
「そうなんだー、受けてみようかな。でも、合格できるかなぁ……。いや、コウリュウ精霊府におけるコウリュウとは、会社における社長みたいなもの……私は今、最強のコネを手にしているのか?!」
「いやー、あんまり縁故採用はしたくないんだけどなー」
みずちが、じとっとした三白眼で春風を見つめていた。
春風「全知全能ってことは、みずちは自分でも持ち上げられない石を作ることが出来るの?」
みずち「できるよー」
春風「全知全能なら、その石を持ち上げることも出来るよね?(ニヤニヤ)」
みずち「できるよー」
春風「?!?!」




