案件7 親征⑦
崩壊した第十三世界の片隅で、精霊王アップルは膝を抱えて座り込んでいた。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
「死など厭わぬつもりじゃったが……結局、余は生き残ってしまったのじゃ」
今にも崩れそうな第六聖堂の壁に背を預けて座るアップルの周囲には、数人の供回りが控えるのみである。いずれも、ボロボロに憔悴し切った表情だが、気遣わし気にアップルを見つめている。
炎の勇者サトウ・アカリの攻撃で銀狐ユルグは消滅したが、大地は砕け、人々は死に絶えた。盟友であった大魔王ジョンポールも皇帝ジョージも死んだ。アカリも、ユルグ打倒と引き換えに、命を落とした。
アカリの放った炎は、ユルグを倒したが、世界の境界を越えて異世界にまで延焼し、多くの世界を焼き尽くしている。この第十三世界は、炎の直撃は免れたものの、それでもあちらこちらに火が付き、燃え始めている。そして、勇者の封印を脱した炎の魔神は、いまだに第十三世界の虚空に浮かび、炎をまき散らしている。第十三世界が燃え尽きるのは時間の問題だろう。
アップル達は、自分たちが命を懸けて守り抜いた第六聖堂と共に、空しく虚空を漂っていた。そうして、どれ程の時が流れたのか分からぬほど過ごしているうちに、アップルは、辺りに音が鳴り響いていることに気が付いた。
「これは……」
ごうんごうんという、重厚な金属音。アップルが待ちに待っていた、第六聖堂の鐘が鳴り響いているのだ。信じられぬ思いで呆けるアップルの眼前で、奇跡が起きた。まばゆい光と共に、一人の女性が現れた。
蒼く輝く髪は、身長の数倍の長さだが、少しも地に付くことなく優雅に漂っている。血色のよい肌は、生気が具現化したようだ。女性的な長い睫毛と、銀河のごとく煌めく瞳は、その目で見つめるだけで魂を根こそぎ奪い去るだろう。
身に纏う衣服は、縫い合わせた箇所は一つも無い。宝石もない簡素な蒼い布であるのに美しい光を放っている。女性の姿を取っているが、その神性は絶対的で、無限の愛を感じさせる。
「あぁ、あなた様が……創世神皇竜……」
皇竜は、優しく微笑みながらアップルの頭を撫で、指で髪をくしけずった。それだけで、アップルの胸は満たされ、涙が止めどなく溢れた。
「第十三世界シュミールの民よ、ここまで、よく戦い抜きました。あなた達の願いは、確かに私に届きました」
艶めいた水晶のような唇から流れでた言葉が、アップルの耳を撫でる。それだけで、全てが許され認められたような、安心感と満足感に包まれた。
「真に勿体なきお言葉を賜り……衷心から御礼申し上げます。しかし……しかし……すみません、あなた様の降臨まで、この世界を守り切ることが出来ませんでした。世界は、このとおり……。いえ、この世界のみならず、戦いの余波は異世界まで及んでいるはずです」
破壊しつくされた世界を背に、アップルが声を震わせた。その頬を涙が伝う。そんな少女の姿を、女神は優しく見つめている。
「世界の安寧のために、この世界の民が、命を懸けて戦った事は知っています。平穏を願う多くの人々の望み、叶えましょう」
微笑みと共に輝きを増し、その光が世界中に広がっていった。光に触れた炎の魔神と、その火によって生じた火炎が消し飛び、世界が修復されていった。世界を支えていた亀と四頭の象が復活し、大地が元通りになり、木々に緑が戻り、人々が蘇っていった。
「この世界を、戦いが始まった時の状態に戻しました。ただし、炎の魔神と銀狐ユルグは完全に消滅し、人々は戦いの記憶を残しています。さあ、平和な世界を生きなさい」
その言葉を示すように、アップルの目の前に、命を落としたはずの大魔王ジョンポールと皇帝ジョージが復活し現れた。
ジョンポールの青黒い肌と金色に輝く瞳には、傷一つ付いておらず戦いの名残を感じさせない。いつもの鉄面皮が崩れ、驚きと喜びの表情が浮かんでいる。
「これが……神の力なのですね。私の配下も一人残らず蘇生しています」
感知系魔法を使用しているのか、辺りを探るように魔力を放っている。
ジョージも、髭をいじりながら辺りを見回している。失われたはずの聖剣も、その腰に佩かれている。すべてが元通りとなった世界を見渡し、目当ての人物を見つけられなかったのか、不満げに呟いた。
「魔族以外の皆も復活しているみたいだな。……アカリはどこだ?」
その言葉に、女神は柔らかく微笑んだ。
「私は、この世界を、元に戻しました。けれど彼女は、この世界の住人ではありません」
「なんだぁ、そりゃ。アカリだけを蘇らせないってのは、悪意を感じるな。力づくで言う事を聞かせてやろうか?」
ジョージが、剣を抜き放つと、直後、ジョージの鳩尾をアップルの拳が抉り、後頭部をジョンポールの平手がしばいた。うずくまったジョージに唾を吐きかけ悪態をついた後に、アップルとジョンポールが女神の足元へと跪いた。
「創世神皇竜よ……どうか、どうか、炎の勇者サトウ・アカリをお救い下さい!アカリがいればこそ、余もこの世界も、最後まで戦い抜くことが出来ましたのじゃ」
「神よ、全知全能たる唯一の神よ。何卒あなた様のご慈悲を賜りたく存じます。もし彼女が助かるのであれば、この命をあなたへ捧げることも厭いません。魔族を挙げて、未来永劫、篤くあなたを信仰いたします」
女神は、二人を安心させるように、ゆっくりと頷いた。
☆
目覚めるとすぐに枕もとのスマホへ手を伸ばし、アラームを止めた。いつも通り、朝六時五十分。いつも通りの時間なのに、何故か非常に長く眠っていたように思える。
多分、とても長い夢を見ていたと思う。断片的に、いくつかのシーンが頭をよぎる。登校中に空から光の柱が降りてきて、気がついたら異世界に召喚される。そこは、剣と魔法の世界。炎の魔法を操って活躍する自分。見たことも無い巨大なモンスター。
「あー、これかぁ……」
スマホを見ると、ゲーム画面が映っていた。多分、プレイ中に寝てしまったのだ。だからファンタジックな夢を見たんだ。寝ぼけた頭でそう納得し、ベッドからゆっくりと起き上がった。
朝食のシリアルを少し摂る。「寝間着のまま食事をするもんじゃないよ」と、お母さんから怒られる。いつものとおり。
スマホゲームをいじりながら歯磨きをしていると、お父さんが頭を軽く小突いてきたので、少し嫌そうに避ける。これもいつものとおり。
「何か、夢の中の方が、必死に生きてたなぁ」
夢の中では、ゲームやアニメと違って、現実的でつらい戦いをしていた。争いを終わらせて、皆が手を取り合うことが出来るように奔走した。世界の命運を懸けて戦った。
けれど、目覚めればいつものとおり。今日は英語の授業で指されるはずだから、休み時間に予習しておかなきゃ。それに、晩ごはんを作る日だ。ワカメのお味噌汁にカボチャの煮付けくらいを作って、あとはお母さんに任せちゃおう。
色々なことをふわふわと考えながら、家を出る。
何気なく見上げると、薄い雲がかかる曇天のせいか、空が妙に光って見えた。
「夢で異世界に召喚された時も、あんな感じだったなぁ」
つい独り言をこぼしながら、灯里は学校への道を歩き出した。
☆
大精霊コウリュウが精霊府に凱旋すると、精霊府庁舎前広場に集まった群衆が、割れんばかりの歓声を上げた。音楽隊の奏でるメロディをかき消すほどに、大勢が声を張り上げ、大精霊コウリュウの奇跡を称えている。
春風は、それを後方から胡散臭そうに眺めながら、隣に立つジュゲムに愚痴をこぼした。
「一瞬で炎の魔神を倒しちゃったし、第十三から第四までの壊された世界も一人で修復しちゃったし、最初からコウリュウ一人でやってれば良かったんじゃないですか?」
「大精霊コウリュウの考えなど、俺達の想像の埒外にあるのだろう。恐らくこれが最善だったのだ」
そう言うジュゲムも、眉根を僅かに寄せて大精霊コウリュウを見つめている。
春風とジュゲムが不満気な雰囲気を醸していると、大精霊コウリュウは、精霊府庁舎へ向かって歩き出した。すると取り囲んでいた群衆が進路を妨げまいとして、自然と人垣が崩れ、通り道が出来上がる。
「さっすが、コウリュウ様は大層なカリスマでいらっしゃいますなー」
モーセのごとく道を作りながら歩く様子を、春風はあくびをしながら眺めていた。すると、大精霊コウリュウの進路が春風の方へ向いた。
「おっと、やばい」
周囲に合わせて春風も道を譲ろうと、脇に避けた。そして、周りの人達が直立不動でいるのを見て、同じ様に気を付けの姿勢で大精霊コウリュウが通り過ぎるのを待った。
大精霊コウリュウが近づくにつれ、涙を流して喜びをあらわにする者や、祈りの言葉を呟く者が増える。さすがにこれは真似できないなあなどと、半分呆れていると、大精霊コウリュウが春風の目の前まで来た。
蒼く輝く髪は、身長の数倍の長さだが、地に付くことなく優雅に漂っている。透きとおった肌、女性的な長い睫毛、煌めく瞳、自信に溢れた笑顔は、見る者の魂を奪い去るほどの美しさだ。身に纏う衣服は、簡素な蒼い布であるのに美しい光を放っている。
皆の目を奪う美の化身は、春風の前でぴたりと止まり、口を開いた。
「お疲れさまー、春風。今日の晩御飯、ヘッジスさんのお店に行こうよ。仕事終わったら、現地集合ね~」
そう言い残すと、颯爽と歩み去っていった。
春風の脳内に二つの事実が巡った。
コウリュウは、春風のことを「ハルカ」ではなく「春風」と呼んだ。春風は、相互意思伝達の権能を付与されている。これは、相手の発言などが、春風の知っている単語や概念に置き換わって認識することが出来る能力だ。つまり、相手が春風の名前を表音のみで認識し呼んでいる場合は「ハルカ」と聞こえるし、漢字やその意味を理解している場合は「春風」と聞こえる。
異世界では、春風のことを「春風」と呼ぶ者は二人しかない。一人はミナカだ。
また、今朝、晩御飯を一緒に摂る約束をした相手がいる。どの料理屋に行くか、まだ結論が出ていなかったはずだ。
この二つの要素から、春風は犯人を絞り込むことに成功した。
「みづち?みづちなのかぁ?!」




