案件7 親征④
精霊王アップルは絶望していた。
この世界に迫りつつあった銀色の巨大な蛇。この世界を破滅に導くとされる災厄。これを倒すべく、アップル達は、世界の総力を結集して対抗した。
多くの優秀な魔法使いが、命を削るほどの魔力を用いて、戦略級魔法を行使した。白兵戦部隊は、伝説級魔法具を惜しげもなく使い、その身を削る武技を行使し、捨て身の奮戦を見せた。七大元素の勇者達は、持てる魔力と生命力を供物に、召喚術を構築した。
全員が、行使しうる最大限の戦力を投入した。同じ規模の戦闘を再現にするには、少なくとも百年以上の準備時間が必要となるであろう。
巨大な蛇に、幾度となく戦略級魔法を撃ち込み、上陸してきた眷属である小型の蛇の大群を迎え撃った。そして先ほど、迫り来る蛇を滅ぼすことに成功した。
用意したほとんどのリソースを使い切ったが、確かに敵の全てを消滅させることに成功したのだ。
だが今、眼前には、先ほど倒した蛇より更に巨大な銀色の狐が立っていた。
「あれが、真の災厄……銀狐ユルグ」
精霊王たるアップルの精霊眼をもってしても、その全容を見通せない。数十万キロメートルほどの距離があるにも関わらず、先程の蛇より遥かに巨大に見える。鼻先から尾の付け根までは百万キロメートルを越えている。太陽にも匹敵する巨体だ。
だが、アップルの精霊眼が阻まれたのは、巨体であることのみが原因ではない。圧倒的な魔力量、ステータスの差、霊的存在としての位階……すべてがアップルを圧倒的に超越していた。こうして姿を現すまでは、その存在に気づく事すらできなかったのだ。
しかし、銀狐が持つ百十七本の尻尾の内の一つが、先程倒した蛇であることは見て取ることが出来た。
「この世界の全てを費やして、尻尾の一つを潰すのが精一杯というのか……なんということじゃ」
涙と鼻水を垂らしながら、震える声でアップルが呟いた。
アップルだけではない。戦闘に参加していた者達全てが、絶望の淵に立たされていた。尾の一つを潰すだけで、ほぼすべての戦力を投入したのだ。本体たる銀狐は、尾をはるかに上回る強さであろうことは、想像に難くない。一体、どれほどのものなのか。
その場にいる全員が固唾を飲んで見つめる中、銀狐ユルグが、戯れに前足で地面を一度叩いた。それだけで地が揺れ、海が割れ、ミハル国の建物は軒並み倒壊するほどの損害を受けた。
第十三世界シュミールの大地である半径十五兆キロメートルの巨大な円盤が、揺さぶられたのだ。かつてない衝撃に、世界を支える四頭の巨大な象たちが、悲鳴を上げている。
ミハル国の灯台は崩れ、堤防は破壊された。山は崩れ、大地が隆起し地形が変わっていく。以前の姿を留めているのは、神の加護を受けた聖堂くらいのものだった。
辺りは、地響きや建物の破砕音、倒壊に巻き込まれた人の叫び声などに満ちている。
人々が混乱するなか、銀狐ユルグが、世界の中心に聳える世界樹を胃袋に収めようと動き出した。歩みを進める度に、更なる揺れがミハル国を襲う。地形はさらに歪み、津波が陸地を浚い、倒壊した建物の瓦礫すら飲み込んでいく。
混乱の極致にあったミハル国に、一つの音が響いた。ガラン、ガランという金属が奏でる音が、人々の視線を一点に集めた。
「何の音じゃ?」
「精霊王、第七聖堂の鐘が鳴っています」
アップルの問いに答えたのは、いつの間にか魔法で転移して来ていた、大魔王ジョンポールだった。戦略級魔法を連続行使したせいか、疲労が色濃く表情に出ている。ジョンポールが連れてきたのか、皇帝ジョージが隣に立っている。やはり、疲労困憊の様子だ。
「なにぃ!?」
第七聖堂と聞いたアップルは、目玉が飛び出さんばかりに目を見開き、歯茎をむき出しにしている。
「あそこには、炎の勇者が……アカリがいるはずだよな」
大魔王ジョンポールの言葉を引き取った皇帝ジョージが、第七聖堂を睨み付けている。
二人の不安が的中したことは、すぐに分かった。皆が見つめるなか、第七聖堂の屋根の上に人影が現れたのだ。
炎の魔神の影響で、真っ赤に染まった髪。魔神の暴走を防ぐために、身体中に巻かれた、魔封じの呪いが施された包帯。勇者の身分を示す、全身を覆うほどの大きな茶色のマント。
その姿を見た誰もが、理解した。炎の勇者サトウ・アカリが来てくれたのだと。皆が歓喜に沸き、希望を取り戻していくのとは対照的に、アップルは我を忘れて声を上げた。
「いかんのじゃ!誰か、止めるのじゃ!」
これに答えるアカリの声音は、確固たる意思を感じさせるものだった。
「行きます。私は、この世界の誰よりも強い。私ならやれます!」
勇者の魔力が込められ魂が宿ったその言葉は、距離を越えて全ての人の耳に届いた。その確固たる意志と自信に触れて、皆が希望と勇気を取り戻していく。これこそが勇者である。これこそがサトウ・アカリである。皆の想いが一つになる中、ただ一人アップルだけは勇者の言霊を跳ね返し、吠えた。
「やめるのじゃ、アカリ!戦えば、死んでしまうんじゃぞ!」
「そんなの、どうでもいいんです。今考えければいけないのは、この世界のこと……皆の事です。私は、自分自身のことは最後に考えます」
その言葉を残して、アカリが銀狐ユルグに向けて飛び立った。爆炎を引きながら飛び去るその姿を見て、戦闘に携わる約一億人全員に通信魔法を繋いだ。アップルに出せる指示は一つしかない。
「第五、第六聖堂は召喚術の完成を急ぐのじゃ。その他の全戦力は炎の勇者の支援をするのじゃ。全ての武具、武技、魔法の使用は、これを妨げん」
アップルの指示にいち早く反応したのは、大魔王ジョンポールである。
配下の魔法使い部隊へ合流すべく、転移魔法を発動し、崩壊した攻撃用灯台の瓦礫の上に降り立った。約三百人の配下が、ジョンポールの姿に気づき、すぐに駆け寄ってきた。周囲を取り巻く者たちを睥睨し、ジョンポールは言い放った。
「これから私は、奴に取りついて自爆魔法を行使します。志を同じくする者は、共に来てください。そうでない者は、後方へ」
そう言い残し、答えを待たずして飛行魔法で飛び出した。ジョンポールは、この危機的状況とは言え、逡巡する者が出るだろうと考えていた。だが、その場にいた者達は、数人を残してそのほとんどが同行した。それを確認すると、ジョンポールは転移魔法で自身を含めた全員を勇者アカリと銀狐ユルグの間へと移動させた。
銀狐ユルグが、飛来する勇者アカリを攻撃するために、無数の尾を伸ばしている。それを防ぎ勇者アカリの進路を確保するため、ユルグとアカリを結ぶ直線上に、一定の間隔を置いて魔法使いたちを配置していった。
「……花束が、無駄になってしまいましたね」
そんな独白を最後に、ジョンポールは自爆魔法を起動した。数キロメートル毎に配置された他の魔法使い達も、次々と自爆していく。その者の魔力によって威力が変わる自爆魔法は、超一流の魔法使いが放つことで、戦略級魔法並みの破壊力を発揮した。
特に、史上最強の大魔王と呼ばれたジョンポールの自爆魔法は、群を抜いていた。五十メガトン級の核兵器に匹敵する威力で、爆発の火球は直径十キロメートルに及んだ。
この特攻で、銀狐ユルグにダメージを与えることは出来なかった。その尾の表面を僅かに焦がしたに過ぎない。たが、勇者アカリの進路を開き、時間を稼ぐことに成功した。
この間に、皇帝ジョージも動いた。
「こうなっちまったら、俺は役立たずなんだよなぁ」
世界最高の剣士であるジョージは、一対一の対人戦であれば、何にも負けない自信がある。だが、想像を絶する巨体である銀狐ユルグが相手では、出来ることは無い。世界最高の技術を持つ剣技で百回切り付けても、歩みを僅かに止めることすら叶わないだろう。
広域に大破壊をもたらす魔法であれば違ったのだろうが、一振りの剣では、効果的な攻撃を出来るはずがない。
ジョージが向かったのは、いまだ召喚術の準備を進める第五聖堂だ。
七大元素の勇者が召喚術を構築しているが、まだその途上である。供物とする魔力も生命力も足りていない。術の完成には数日が必要だろうことが、魔法に疎いジョージにも分かった。
「ふう……」と、一息吐くと、腰に佩いていた皇室伝来の聖剣をすらりと抜いた。
「俺に出来るのは、これくらいしか無いからなぁ。……全知全能なる創世の神よ、我が身、我が命を捧げます。どうか……どうか、この世界を守り給え」
そう言って、聖剣を自らの心臓に突き刺した。胸を裂く苦しみは、ほんの数秒だった。その命も魂も、即座に供物となり、神へ捧げられた。その直後、第五聖堂の鐘が鳴り響いた。この世界で最も優れた剣士の生命と魂を捧げたことで、召喚術は予定より遥かに早く完成したのだ。
召喚術が発動し、第五聖堂が光に包まれる。
直径百メートルを超える魔法陣が、縦に数百層ほど連なり、膨大な魔力の奔流とまばゆい光をまき散らしていく。次々と形や色を変えながら、積層型立体魔法陣が収束していく。
光が収まったとき、第五聖堂の上空に可愛らしい少女が立っていた。
空中に佇むその少女は、頭部に水牛のような大きな角が生えている。短い黒髪が特徴的で、両手には同じ色の長い爪が生えている。対して、その肌は白磁のように白く透き通っている。剣呑ささえ感じさせる鋭い三白眼。不機嫌なのか、口元は、強く結ばれている。
身長はおそらく140センチくらいだろう。頬はぷっくりとしており、あどけなさを感じる。
しかし、銀狐ユルグにも匹敵する魔力を秘めていることが、分かる。超越者の領域にある精霊王アップルの精霊眼をして、底も上限も覚知し得ない神性。
アップルは、我知らず、その神の名を呟いていた。
「あれが、最強の武神メリーアン・メリーアン……」




