案件2-2 智者のマケマケと慈愛のアルシノエ②
アルシノエは激怒した。
必ず、眼前の毒婦を刺さねばならぬと思った。
殺す。そう決意した。
「グラディウスを」
アルシノエの言葉に、帯剣侍女が即座に両手で差し出す。それを掴み、鞘を投げ捨てると、中腰になった。そして腰だめに剣を構えると、自身の体重が乗るように体ごと突進する。
この時、剣は心臓を狙って、下から上に突き上げる。すると、胸骨に邪魔されることなく、心臓を貫くことが出来る。
「きいぃぃええぇぇい!」
裂帛の気合いと共に体当たりし、剣を毒婦の心臓へ突き込んだ。
「姉さま?!」
愛弟の驚く声を聞きながら、アルシノエは腰を入れて、更に刃を押し込む。
「うげぶふぅ!」
心臓と肺を貫かれて、流石のマケマケも口から血を吐き、うめき声を漏らした。どくどくと流れ出る血が、アルシノエの白い肌と蒼い髪、亜麻色の衣服を赤に染めていく。常人であれば即死する傷だ。だが、それだけである。
「ぐふふ、心臓を潰されたくらいで死んでたら、命が幾つあっても足りないんだよね」
血を吐きながらも不敵に笑ったマケマケは、纏っていた布を放り投げ、即座に攻撃魔法を放つ。全身の呪術的紋章が光り、四つの腕が呪印を結ぶ。一つの腕から四つの光が照射され、合計十六の光線がアルシノエへ向かう。秒速30万キロメートルに迫る速さのそれは、並の魔物や低位の悪魔程度あれば瞬時に焼き尽くす熱量を持っている。
その速度は、見てから回避出来るものではない。しかし、アルシノエの前に構築された魔法盾が、マケマケが放った全ての攻撃を防いだ。この速度でこれほどの防御魔法を構築出来る者など、マケマケを除けば世界に一人しかいない。
「な、な、なんじぇ?! なんじぇその女を守るの? フィル君?!」
「落ち着いてください、マケマケさん。それに姉さまも」
フィラデルフォスが、アルシノエの前に立ってマケマケから守りつつ、グラディウスの柄を掴み姉の更なる暴挙を押さえ込んでいる。
「どして?! どしてよ、フィル君! 妻の私より、その女を取るのぉ?」
「妻? ただの淫売ではなくて?」
アルシノエの笑顔が、エグいほどに深まる。
「へ? 妻……ですか?」
フィラデルフォスが、きょとんとした顔でマケマケを見る。
「そ、そうだよぉ! 最後の戦いの前に、私が結婚しようって言ったら、フィル君は“この戦いが終わったら”って言ってくれた……。だから、私……」
「あ、それは覚えています。魔王が目の前に現れて、僕が剣を抜いたところでその話をされたので“その話は、この戦いが終わったらにしましょう”って。あの……なので、すみません。何か行き違いがありそうです」
フィラデルフォスの言葉が紡がれるにつれ、マケマケの顔から表情が消えていき、ついには石像のように固まった。それに追い討ちをかけるように、アルシノエが冷たい声で言い放つ。
「フィルは王族です。軽々に市井の者が近寄ってよいものではありません。ましてや結婚などと……。この子の婚姻相手は私と決まっているのです」
「それじゃあ、私、出来ないの? フィル君と結婚……出来ないの? け、け、け……結婚……出来ない……」
マケマケは、呆けた顔でぶつぶつと何かを呟いている。その瞳は、焦点が合っていない。彼女がショックを受けたときに、無意識に行う癖である。脳内から嫌な記憶を追い出すため、思い付いた呪文を適当に詠唱し続けるのだ。
普段であれば、ヘソで茶を沸かす魔法やキュウリをほどよく蒸し焼きにする魔法などを垂れ流すだけなのだが、今回は違った。
「まずい、邪神マルシュの眷族を呼び出している!」
フィラデルフォスが気付いたときには、既に手遅れだった。黒いキチン質のようなものに体中を被われた魔物が、次々と地面から湧いて出た。子供の背丈ほどの大きさだが、黒い外皮の隙間から漏れる赤色の魔力から、並の魔物ではないことが伺える。
フィラデルフォスは、即座に抜剣し魔物を攻撃していった。召喚された魔物は、一体ではそれほど強くない。フィラデルフォスが剣を振るうと、鎧袖一触の如く、あっさりと消し飛んでいく。とは言え、この場にいる他の者では、到底抗い得ない。ただの衛兵では、その外皮に刃を突き立てることすら出来ないだろう。
勇者たるフィラデルフォスの魔力と剣技があって、初めて可能となるのだ。もし彼がいなければ、この世界は今日、壊滅していただろう。
自身は傷一つ負わず、周囲に被害が出る前に魔物を殲滅し終えると、流石のフィラデルフォスも、冷や汗を拭った。しかし、マケマケを止めねば、更なる魔物が召喚されるかも知れない。その思いでマケマケに視線を向け、愕然とした。今度は積層型立体魔方陣を構築した彼女が、先ほどまでとは比べ物にならない魔物を呼び出していた。
天にそびえる巨大な魔物。王城より大きなその体は、先ほどの小型の魔物と同じく、黒い外皮に被われている。
「これは……」
フィラデルフォスは、戦慄した。倒すことは出来る。だが、首都アレクサンドリアの中でも人口が密集しているこの場所で、周りに被害を出さずに倒すことが出来るか?
無理だ。でも、やらなければ。
決意し、握りしめた剣に魔力を籠めたとき、どこからか飛来した物体が魔物に衝突した。
下方から現れたそれは、包帯を纏った人のようにも見える。巨大な魔物を遥か上空まで持ち上げると、蒼色の光を纏う奇妙な魔法を放った。そして、その蒼色の光が触れたところから、魔物が砂に変わり、消滅していく。
フィラデルフォスが今までに見たことがない魔法だ。そして、勇者の目をもってしても、その真髄を見抜くことが出来ない。
魔物を完全に消滅させた人影が、マケマケの前に降り立った。
「祭りの時は喧嘩しない。そう教えたはずなんだけどね、私は」
頭から足の先までを包帯で隠し、腰に小さな四つの壺を括り付けた姿は、神話に登場する女神ミュラを彷彿とさせる。
フィラデルフォスは、一目で理解できた。戦って勝てる相手ではないと。
そしてまた、アルシノエも理解していた。かつて降臨した、創世神コウリウスの御使いと同様の神性を帯びていることを。
たが、この場に一人だけ、事態を飲み込めない人物がいた。
マケマケだ。
「ま、まさか、邪神マルシュの眷族の中で最も強大なアレを、一撃で倒した? 私も見たことがない魔法で? わた……私、結婚も出来ないし、魔法でも負けるの? 嫌だぁ! しょんなのいやじゃあ!」
「おや、癇癪か。いいだろう、付き合ってやるよ、少しだけならね」
マケマケは、自身の持てる様々な攻撃魔法を、矢継ぎ早に繰り出した。
周囲を絶対零度の極寒へと変える魔法、雨の如く雷を降らせる魔法、灼熱の炎を叩きつける魔法、魔力を純粋な破壊力へ変換して叩き付ける魔法……。いずれも、魔法を打ち消されるか、発動前に潰された。既に錯乱していたマケマケだが、得意の魔法がことごとく封じられ、ついにプッツンした。
「こ、こ、こーなったら、もう全力全開だぁー!」




