雇用契約
コウリュウ精霊府は、歴史を感じさせる重厚な建物だった。
基礎や床などは石造りで、扉や階段の手すりなど、人の手が触れる部分の多くは木製だ。要所には黒みの強い鉄が使われており、シックな雰囲気を強めている。
正面の入り口を入ると、テニスコート5面分はありそうな広いホールがあった。さらに、大人が横に10人並んで登れるような幅広の階段が、2階へ伸びている。
階段脇には、総合案内と書かれたカウンターがあり、二人の係員が待機している。日本では制服を着た女性が案内所や受付にいそうなものだが、ここでは小学生くらいの子供とガタイのいいひげ面のおっさんがいる。萎縮させたいのか和ませたいのか、よくわからない。しかし、カウンターの造りは、日本でのイメージとそう離れていない。
カウンターに限らず、建物や内装は、日本の常識をそこまで外れてはいない。
そして、どこも綺麗に磨かれており、汚れや傷は無く、経年劣化を感じさせない。
「朝日さんの世界の近代くらいの建築様式に似ていると思います。少し古臭く感じるのではないでしょうか?」
「いえいえ、かえって高級感が出ている気がします!」
むしろ他の部分が気になる。
先ほどからずっと気になっていることがあるのだ。
「まずは5階の人事部人的資源課へご案内します。雇用条件の確認と、諸々の事務手続きをします」
そう言ってマオさんは、先に立って階段を上り始めた。
これだ。
先ほどから気になっていたのだ。
5階へ行くというのに、エレベーターもエスカレーターも使わない。恐らく、どちらも無いのだろう。
街中に電線が無かったのだ。電気が無いのだろう。電気が無ければ電化製品は無い。受付カウンターには電話が置かれていなかった。屋内の明かりは、窓からの採光とガス灯のような照明だ。蛍光灯のような均一な光ではなく、炎の揺らめきがある。
マオさんに従ってフロアを歩きながら周囲を眺めると、パソコンやプリンターも無い。全て手書きで書類を仕事しているのかなぁと視線をあちこちに飛ばしているうちに、目的の場所に着いた。
マオさんが声をかけると、背が高いさわやかな好青年系イケメンがこちらへ来た。
「コウリュウ精霊府人事局のミナカと申します」
黒目黒髪だから、凄く日本人っぽい雰囲気。
身に着けているのは、見慣れたビジネススーツだ。よろしくと手を差し出されたので、少しとまどいながらも握ってみた。
「地球の日本から来ました無職19才の朝日春風です。この世界にも握手があるんですね」
「いや、あまり一般的ではないよ。君が日本出身だと知っているからね。この服も日本で買ったものだよ」
さらっと言葉遣いを崩してきたな。
ミナカさんのさわやかな微笑みとともに、ミーティング用と思しきテーブルへ案内された。私の向かいにさわやかミナカさんが座り、その隣にマオさんが真面目お姉さんの雰囲気を崩さずに座った。
「さっそくだけど、勤務条件の確認をするね。まずは勤務場所。この建物の3階、コウリュウ精霊府権能局水権能執行部権能執行課第三係です。業務内容は、主に権能の執行だよ」
分かるかっ!
いきなり知らない単語をつらつらと並べられても分からないよ。
「マオと同じ部署だね。簡単に言うと、大精霊であるコウリュウが持つ水に関する能力を、お客様のご要望に応じて行使する仕事をする部署……ということかな。ほら、ゲームとか漫画でよくあるでしょ。呪文を詠唱して精霊魔法を使ったり、儀式で精霊の加護を得たり。呪文や儀式を申請として捉えて、その申請内容などのチェックをするんだ。そして、決裁文書を作成して、魔法の発動や加護の付与といった形でその権能を行使する。要は、書類にハンコが揃えば精霊の奇跡が起こるということだよ」
「えぇ~……マジですか。精霊魔法とかって、そんなに夢もカケラも無い事務的な感じで処理されてたんスか」
驚きすぎて、ちょっと言葉遣いがおかしくなってしまった。
「とてもやりがいのある素晴らしいお務めです。私も執行課の三係です。日々の業務を通じて大精霊コウリュウ様の偉大さに触れることが出来ますし、多くの方々のお役に立てていることを実感できるので、毎日楽しく仕事をすることができています」
マオさんが、真面目お姉さんとしての本領を発揮し始めた。そして真面目なご意見の中に漂う社畜臭に、少し親近感を覚える。なんだかんだと、あのブラック会社に1年弱勤めていたのだから、私にも十分に社畜の才能はあるはずだ。
「次は雇用条件を確認するよ。健康保険と厚生年金、それに雇用保険は加入する方向で準備するね。それと、住民税は特別徴収でいいよね。所得税も源泉徴収するので、年末まで勤務している場合は年末調整するよ」
現実感が、えげつない。
社会保険は嬉しいし、税金関係をしっかりやってくれるのは、ありがたいんだけどさ。
「なんか、すっごい現実的な単語の羅列ですね。ファンタジー感が、微塵もしないっす」
「君は日本人だから、日本のルールを守っておくと、後々で良いんじゃないかな。コウリュウ精霊府は、多くの異なる世界から多様な人材が集まっているんだ。君に限らず、職員それぞれの事情に応じて働きやす環境を整えるようにしているんだ。出身世界に合わせた対応というのは、特別扱いではないよ」
「いや、それはありがたいんですけど……。もうちょっと剣と魔法のファンタジー世界に対する夢やロマンを残しておいて欲しかったです」
「それじゃあ、ファンタジーっぽいものをひとつ。コミュニケーションのため、相互意思伝達の権能を、君に付与するよ。簡単に言うと、相手の発言などが、君の知っている単語や概念に置き換わって認識することができるようになるんだ」
「マジすか? めっちゃ便利じゃないですか。良いんですか?」
「業務上必要だからね。外国であろうと異世界であろうと、会話にも読書にも困らなくなるよ。置き換えようがない言葉は、そのまま聞こえたりするけれど、普通にコミュニケーションをとるだけならば、あまり困らないと思う」
これで海外旅行でも困らないね。予定はないけど。なんだがとっても得した気分。
「通勤方法はどうする? 日本からここまでの移動手段を、こちらで用意できるよ。けれど、異世界からの通勤は手間か時間がかかるから、この街に居を構える人が多いかな。もし君がこの街に住むのなら、賃貸物件を紹介できるし、職員宿舎も準備できるけれど」
「いやぁ、さすがにいきなり一人暮らしするお金は持っていないです。それに、急に引っ越すとなると家族が心配するかと思いますし」
先日まで一年間働いてはいたが、蓄えなんてあって無いようなものだ。
そんな状況でいきなりどことも知れず引っ越しをしようとしたら、心配されそうな気がする。これでも、家族に超愛されているんで。
……愛されているよね?
「職員宿舎は無料だよ。敷金、礼金、家賃なし。水道光熱費も無料。2LDKでお風呂、トイレ、キッチン付き」
「入居します」
何その優良物件。
思わぬところで憧れの一人暮らしを実現できるなんて。
家族は……何とかなるでしょ。
「了解、宿舎の用意は出来ているから、今日にも入居できるよ。ただ、こちらの世界にいる間、君が地球に不在になってしまうと、ご家族や友人が心配するかもしれないよね。だから、時の流れを調整して、こちらの世界にいる間は、地球では時間が経過していないことにしようか」
ちょっと何言っているか分かんないですね。
「ちょっと何言っているか分からないです」
「簡単に言うと、こちらでどれだけ過ごしても地球に戻れば一秒も経過していないことになるということだね。逆に、地球にいる間は、こちらの世界では時間が経過していないことにしておこうか。これなら安心だよね」
「安心できないですよ! どエラい事をしようとしていませんか?! 1人雇うのに世界の時間をどうにかしようとしちゃわないでください!」
「大丈夫、大丈夫。よくあることだから」
よくあるのかよ。
ファンタジー的な魔法的な何やかやで、上手いことやってくれるんだろうと納得しておこう。
「あ、でもそうなると、元の世界から見た時、私ってものすごい勢いで年を取ることになりませんか? こうしている間も、地球の時間が止まっているわけですもんね」
「こちらの世界にいるときは年を取らないようにしておこうか。これで浦島太郎も逆浦島太郎も回避できるよ」
ミナカさんは当然のように話を進めている。
そろそろミナカさんのさわやかな笑顔が、胡散臭く見えてきた。
「それと、お給料は、一部を魔力で支給することができるけど、どうする? 例えば月給20万円のうち、19万円を現金で、残る1万をマジックポイントとして支給するといった感じだね」
えぇ~、魔力を貰えるとか急に言われても困る~。
「ちなみに魔力ってどのくらいあれば、どの程度のことができるものなんですか?」
「999のMPを使用して、すべての魔力を解き放ち暴走させた場合、隠しボスに3000くらいのダメージを与えられるよ」
とりあえず魔力は月に1万を貰うことにした。
ドレアムくらいなら倒せるね。




