事例1 尽くす。②
敵襲のアラームが響く中、トール達は指示に従い地表の防壁出口付近に集合した。既に他のマイアーレの面々も集まっている。
いざとなれば、眼前の扉が開かれ、パンツァーウルフミーネを抱えてマモノに突撃することになる。
そんな事態にならないで欲しいと必死の願いを込めながら、トールはパーソナルターミナルを操作し、視界に映像を表示した。
戦場を映したそれは、サポート情報なども表示され、リアルタイムで戦場を把握することが出来る。
「大丈夫だよ、トール!きっと何とかなるよ」
根拠は無いけれど、思いやりと元気に満ちたヒカルの励ましに、トールは救われる思いがした。
「……そうだね、きっと大丈夫だよね」
「おう! 大丈夫に決まってらぁ! もし防壁を突破されたとしても、俺がこいつで大丈夫にしてやるよ!」
パンツァーウルフミーネを振り回して叫ぶヤマガミは相手せず、戦場の映像に意識を落とした。
このあとの展開は、トールにも想像することが出来る。人類の対マモノ戦術は、ある程度の定石が出来上がっている。
まず、九十式大聴音機によって、マモノのおおよその位置を割り出す。そこへ、ヘッジホッグを撃ち込んで、可視状態にし、位置を特定する。その後にLCTで攻撃準備射撃を行い、最後に傑作兵器パンジャンドラムによる突撃で撃破する。これまでの戦闘から、これが最も勝率の高い安定した戦術であるとされている。
AR画面に、ヘッジホッグ発射までのカウントダウンが表示され、音声サポートが始まる。
「ヘッジホッグ対マ迫撃砲発射まで、5秒、4、3、2、1、発射」
防壁上から、ヘッジホッグが打ち出される。
マモノは、都市攻撃の際、不可視の状態で進軍してくる。まずはこれを打開しなくてはならない。
この兵器は、対魔力接触式信管を持つ対マ爆雷を、まるで網をかけるように24発同時に発射する。一つでもマモノに近づけば、残りの23発も一斉に爆発する。大ダメージを与えて不可視化を解除するのだ。
もし砲弾の近くにマモノがいなければ起爆しないので、爆発の閃光や煙で視界を遮ることはない。次にマモノがいる可能性の高い位置へ、次弾を撃ち込むのだ。
「5、4、3……弾着、今」
閃光が防壁上の兵士達の目を眩ませる。そして、わずかに遅れて爆音が辺りに響き渡る。この様子は、リアルタイムで都市全体に共有されている。映像と音声は、都市の各所に設置されたモニターで見られるほか、市民が持つパーソナルターミナルへも転送されている。
つまり、皆が理解したのだ。
マモノが来たと。
ヘッジホッグが爆発したということは、マモノがいるということだ。
都市全体が固唾を飲んで見守るなか、爆煙と砂煙の中から、マモノは現れた。
真っ黒なキチン質のような外皮に被われた体は、幅10メートル、長さ20メートル程の楕円体で、五対十本の節くれだった足で歩行している。
頭部などはなく、ただ胴と足だけの体躯だ。黒い体の隙間から、体内の赤い光が漏れ出している。
「タンク型だ!」「アナライズ飛ばせ!」
このタンク型と呼ばれるマモノは、敵戦力の主力タイプと目されている。単体での火力と防御力は人間が到底及ぶものではない。その上、都市に近づくと、歩兵型と呼ばれる小型のマモノを大量に放出する。
歩兵型は、タンク型より能力は劣る。
だが、それでも英雄クラスの進化種が、一対一でようやく相手取れるというレベルだ。
少なくとも人種のトールでは、数秒ともたずに八つ裂きにされるだろう。
魔法偵察担当班の分析魔法が、光の尾を引いて次々とマモノへ命中する。得られた情報は、全軍人のパーソナルターミナルへ送られ、視界に次々と表示されていく。
マモノ、タンク型、火属性半減、雷属性無効……。得られた情報を基に、LCTに属性魔力弾頭を準備していく。
一見すると船舶のような形状のこの乗り物は、タイヤとキャタピラの両方を持つ。防壁からは出るものの、ある程度の距離をもって敵と相対する。
LCTは、船でいう甲板にあたる部分に、大量の魔力弾頭ロケットを装備している。およそ千発のロケットを、ほんの数十秒で撃ち尽くすという恐るべき火力で、敵の防御を砕き、行動に制限を加える。
その後に、内部に搭載しているパンジャンドラムを敵へ向けて走らせるのだ。
魔力を用いた防御を突破するには、それを上回る魔力による攻撃が必要である。しかし、影響するのは単純な魔力量だけではない。攻撃側の質量や速度によっては、少量の魔力であっても防御を貫くことができる。
LCTは、この理論を実践する兵器だ。魔力を詰め込んだ金属を大量に高速でぶつけ、防御力を奪うのだ。
「LCT発射まで、5秒、4、3、2、1、発射」
数多の魔力ロケット弾が、次々と発射され着弾していく。煙でマモノは全く見えないが、濃密な弾幕は確実に敵の装甲を破壊しているはずだ。
「パンジャンドラムを出せ!」
自走式の魔法爆雷とも呼べるこの兵器の作りは、至って簡素だ。二つ車輪と、その間に備え付けられた推進用の噴射機と魔法爆雷。これだけである。その最大の特徴は、無人走行で敵に接近出来ることにある。
ヘッジホッグとLCTによって地面は抉れ、高濃度の魔力が乱舞し、空気は灼熱の如く熱せられている。この、到底人が足を踏み入れられないであろう領域で、敵にとどめを刺すための兵器。それがパンジャンドラムなのだ。
ズタズタになった地形を、LCTから発進した20台のパンジャンドラムが走破していく。煙の中にパンジャンドラムが姿を消して十数秒後、爆発音が響いた。
次々と連鎖的に響く爆発音は、パンジャンドラムのものであることが容易に想像出来る。次第に爆発音は散発的になり、そして止んだ。
「やったか?」「観測、急げ!」
軍人達が状況確認に躍起になっていると、次第に煙が晴れていく。そこには無傷のマモノがいた。
「あり得ない……!」「ダメージを負っているはずだ、観測はまだか?!」「次の攻撃、急げ!」
軍が混乱する中、マモノは悠然と動き出した。触手のようなものを数本前方に伸ばし、くるくると一つにまとめだした。前方につきだされたそれは、まるで戦車砲のようだ。ギチギチと形を整えながら、赤い光を強めていく。
トールの視界一杯にアラームが表示された。
「敵の攻撃が来るぞ!」「備えろ!備えろ!」
近くで誰かが叫んだ。その声と同時に、マモノの砲が火を吹いた。
赤く輝く一条の光が、LCTへ襲い掛かった。鋼鉄と魔法防御装甲の塊であるはずの兵器は、数秒で紙切れの様にひしゃげ、吹き飛ばされた。赤い光は、そのままLCTの背後の都市防壁へとぶつかる。
その激しい衝撃は、トールのところへも届いた。
「うわぁ!」
悲鳴をあげながら床へ伏せると、同じように伏せているヒカルと目が合った。恐怖に染まっていたヒカルの顔が、トールを励ますように、笑みに変わる。地が揺れ、防壁が軋み、揺れと轟音で立っているのも難しい。
「防壁への送魔量を上げろ! 限界まで!」「応戦しろ! 何でもいいから撃て!」
指示が錯綜し皆が右往左往する十数秒が過ぎ、マモノの砲撃が止んだ。攻撃を受けていた部分の防壁は、大きく削れ、歪み、五メートル程の穴を開けていた。
「あり得ない……! たった一度の砲撃で」「変異体か?!」「防壁は修復、急げ!」
混乱する都市を嘲笑うかの様に、タンク型マモノは無数の歩兵型マモノを放出し始めた。1メートルほどの体長で、タンク型に似た形状の歩兵型は、30体ほどで群れるように防壁へと迫っている。
これまでの戦いを、トールは絶望の眼差しで見つめていた。そして、この戦況では、いつマイアーレに特攻の命が下されてもおかしくない。手の中のパンツァーウルフミーネが、ずしりと重く感じる。そんなトールの内心を見透かすかのように、パーソナルターミナルに指示音声が流れた。
「マイアーレ各員は、出動に備えよ。カウントダウンは無い。扉が開き次第、防壁外へ出て、敵を迎え撃て」
これを聞くなり、ヤマガミが勢いよく立ち上がった。
「敵は約30、俺らも30人だが、援護が入る!負ける筈がねぇな!一人一殺だ!」
笑いながら自信満々に言い切る彼の言葉に励まされ、周囲の皆も意を決した表情でパンツァーウルフミーネを握りしめている。
「そうだよね、やれるよね。私たちがやらなきゃ、この都市が……ミーネンロイマーが……」
ヒカルも、悲愴な表情で目前の扉を見つめている。トールは、もう手足の感覚も無く、目眩と吐き気を堪えながら立ち尽くしていた。ヒカルが少しでも不安を漏らしたなら、手を取ってこの場から逃げ出しただろう。
しかし、彼女は戦うことを選んだ。トールだけが逃げるわけにはいかない。
トールが震える膝と格闘しながら、歯を食い縛って前を見つめていると、金属の擦れるいやな音がした。目の前の扉が動き出したのだ。第二層の扉が開き、続いて第一層の扉が開き始める。そして、第一層の扉が完全に開かれ、トールの足元に陽の光が射し込んだ。
最早、目前に扉は無い。歩兵型のマモノが、目視出来るほどに防壁に近付いている。
「行くぞぉ!」
ヤマガミの気合いとともに、マイアーレは戦場へと飛び出した。
トールを除く全員が。
トールは、動けなかった。何か考えがあってのことではない。ただ、怖かった。恐怖から、躊躇いが生まれてしまった。
だが、一つの想いがトールを突き動かした。ヒカルだ、彼女を守らなくては。
その思いが頭をよぎり、皆に大きく遅れたが、一歩を踏み出すことが出来た。トールが駆け出した時には、他の皆は遥か先を走っていた。懸命に追いかけるが、魔力でも体力でも劣るトールが、ヒカル達に追い付けるはずもない。
前方では、投擲されたパンツァーウルフミーネがマモノを貫き、触手を振るったマモノが兵達の命を奪う、死と血にまみれた光景が広がっている。
そして、見てしまった。100メートルほど先で、3体のマモノに囲まれるヒカルの姿を。既にパンツァーウルフミーネは無く、軍学校でも随一と言われるヒカルの風属性攻撃魔法は、マモノに傷つけることすら出来ていない。彼女の命は、あと一秒だろうか、二秒あるだろうか。
必死に足を動かすが、トールのステータスでは絶対に間に合わない。それでも、諦める訳にはいかない。
トールの脳裏には、様々な思いや考え、感情、衝動が巡っていた。
怖がってなどいなければよかった。どうせこうなるのだから、腹を決めていればよかった。いやマイアーレに選ばれた時点で、ヒカルを連れて逃げていればよかった。いや、都市が陥落しようというのに、どこへ逃げるというのか。
ああ、自分にもっと強い力があれば。そうすれば、この都市も、ヒカルも、守れるだろうに。彼女を守る力を与えてくれるのなら、神でも悪魔でもいい。自分の命と引き換えでもいい。
混乱する頭と心を抱えて遮二無二、体を動かしていたはずなのに、気が付くと動けなくなっていた。眼前の光景も、止まって見える。知覚機能がオーバーヒートしたのか?何か奇跡でも起きたのか?
戸惑うトールの前に、一人の男が立った。黒い髪に黒い瞳、黒いチュニックを纏うその姿は、まるでマモノを擬人化したようにも思える。黒い衣服から覗く真っ白な肌が、異様に不気味に見える。
「良い、実に良い。聞こえたよ、キミの素敵な叫び声が。その願い、叶えてあげるよ。どうだい、嬉しいだろう? 涙を流してキスしてくれよ? ただし、ボクは神じゃなくて悪魔の方なんだ。代償を貰うよ。君がとっても嫌がるものが良いなあぁぁ。どうする? それでも、このボクの救いの手を取るかい? どうする?」
甲高い声で早口に捲し立てる様子は、トールに強い恐怖と不快感を植え付ける。もし眼前の男が、この時間停止のような状態を作り出しているのだとしたら、奇跡を起こせるのかも知れない。
いや、これは頭がおかしくなった自分の妄想なのかも知れない。千々に乱れる思考を誘導するように、男がさらに言葉を紡いでいく。
「親切なボクが、幾つかキミに教えてあげよう。まず、今この状況は夢だろうか現実だろうかと、混乱しているね。現実さ。だけどキミがボクの提案に乗らなければ、この奇跡は夢マボロシとなる。キミが気にかけているあの娘も、ほんの数秒で肉片になるだろうね」
男が心底楽しそうな笑顔で、ヒカルを指差す。
「次に気になるのは、この状況を打破する代償として、一体何を求められるのだろうか? コレが気になるだろう? そうだなぁ、出来るだけキミが大事にしているものを滅茶苦茶にしたいんだけど……なるほど、なるほど、キミは絵を描くのが好きなんだね。それじゃあキミから絵を取り上げよう。そうか、右利きか。でさ、この場を切り抜けたあと、キミは右腕を失う。それが代償だ」
男は、にやりと嫌らしく笑いながら、トールの右腕を優しくまさぐる。
「最後に一つの条件を付ける。ボクのことも、ボクから得る力のことも、全てを誰にも伝えては行けない。この約束を破ったら……そうだな、あの娘をボクなりの方法で滅茶苦茶に可愛がってあげるよ」
ここまで笑いながら甲高い声で喋り続けていた男が、急に居住まいをただしてトールに向かい合った。そして、その右手を差し出した。
「さあ、どうする? ボクの手を取るかい? 決断までのタイムリミットは、あと3秒だ。3、2……」
「力をください」
トールが即答すると、男は顔を歪めて、笑いをこらえるような仕草をしながらトールの手を取った。そして、赤く輝く親指大の魔石をどこからか取り出して、トールの胸に押し当てた。
「契約完了だ、トール。ボクの名前はマルシュアスだ。悪魔マルシュアス。それでは、幸運を祈るよ」
その言葉を合図に、トールの体を黒いキチン質が被い始めた。
☆
ヤマガミは、血を吐きながらラジウム水の瓶を掴んだ。
最初の一撃は大成功だった。パンツァーウルフミーネは、見事に歩兵型のマモノの土手っ腹を貫いた。一体を撃破したのだ。
だが、その後に仲間を支援しようと攻撃魔法を放ったのが悪手だったようだ。
ほとんどダメージを与えられなかった上に、敵を凶暴化させたようで、暴れまわる触手に巻き込まれ、近くにいたマイアーレの仲間が3人ほど肉塊に変わった。
ヤマガミは、持ち前の身体能力で、何とか直撃は避けた。だが触手が胸をかすめただけで強烈な衝撃を受け、地に転がっている。
教官の言葉に背くことになるが、もはやラジウム水で捨て身の攻撃をするしかない。このラジウム水は、高濃度の魔力を宿したラジウムを溶かしこんだ水である。身体能力と魔力を爆発的に高めるが、服用したものは確実に死ぬ。個人差はあるが、早ければ数分で体が崩壊を始める。たが、やるしかない。
横を見れば、ヒカルがマモノに囲まれている。猶予は無い。ヤマガミが意を決したその時、一陣の黒い風が吹き抜けた。
黒いキチン質に被われた体は、見るからにマモノだ。だが、その形状は明らかに人である。その人型のマモノは、瞬く間にヒカルの前に躍り出ると、歩兵型マモノを殴り付けた。
ただの殴打だ。
しかし、その一撃でマモノは粉微塵に吹き飛んだ。軍学校では他の追随を許さぬ魔法の名手であったヤマガミやヒカルですら、太刀打ちできなかったマモノ。それをいとも簡単に粉砕した。
これを脅威と見たのか、他のマモノが一斉に襲い掛かる。だが、人型のマモノは、その全てを一撃で粉砕した。20あまりの歩兵型マモノが、10秒後には粉々になって地面に散らばっている。
「何だよ、あいつは……」
ヤマガミの呟きは、耳障りな轟音にかき消された。都市へと距離を詰めつつあったタンク型マモノが、人型マモノへ砲塔を向けたのだ。赤く光る砲の周辺に、莫大な魔力が集まるのを感じる。
都市防壁を破壊する威力なのだ。防ぐ術はない。
だが、人型マモノは、たじろぐこと無く魔法の詠唱を始めた。その詠唱は、火属性中級攻撃魔法のものだ。軍学校で学ぶことが出来る魔法で、一般的な軍人であれば誰でも使うことが出来る。そして、誰もが一度は見たことがある魔法だ。
だが、目の前には見たことの無い魔法が練り上げられていた。
英雄級の魔法にも匹敵するのではないかという膨大な魔力を、中級攻撃魔法の規模に圧縮した、超高濃度の魔力が渦巻く炎の塊。目を開けていられないほどに白く輝く火球が、轟音をあげながら放たれた。
炎と魔力が尾を引く白い光球は、大地を削りながら直進し、魔力を集めつつあったタンク型マモノの砲に直撃した。濃密な魔力同士の衝突は、爆炎と衝撃波を生み、その余波数百メートル離れたヤマガミの所まで届いた。
「やべぇ!」
近場にいる生存者を集め、ありったけの魔力でバリアを構築する。エルフの血を引き、軍学校では主席を争うヤマガミの魔法であっても、爆発の余波を防ぐので精一杯だ。
強烈な爆風が去った後には、大きく抉れた大地とタンク型マモノの残骸だけが残っていた。
☆
外縁部駅まで辿り着き、周りに人の目が無いことを確認すると、トールはマモノ化を解き、その場にへたりこんだ。人目につかぬよう、駅前のレモネードスタンドの脇まで這って進んだ。
魔力も体力も限界まで消耗し、今にも意識を失いそうだ。
だが、着衣には傷ひとつ無く、パンツァーウルフミーネやラジウム水瓶などの装備もそのままだ。戦場に立った形跡は微塵も残っていない。魔法を放った右腕に残る強烈な痛みが、先程の戦いが夢ではなかったと主張している。
痛みをこらえて動かそうとするが、ピクリとも動かない。
「あの悪魔……マルシュアスの言ったとおりだ……」
トールの右腕を代償とすると言っていた。これが、その結果なのだろう。
「ボクはね、嘘はつかないんだよ」
いつの間にか、トールの前にマルシュアスと名乗った男が立っていた。先程と変わらず、ニタニタと気分が悪くなる笑みを浮かべている。
「右腕は、二度と動かない。ああ、でもあの力を使っているときは別だよ。マモノと化している間は、万全の状態になる。というわけで、コレからもガンバりたまえ」
「これから……?」
困惑するトールを見て、マルシュアスは笑みを一層深めた。
「そう、コレからも。明日以降、この都市には何度もマモノが攻め寄せる。キミがあの力を使わなくては撃退出来ないくらいの戦力で。もちろん、キミは戦わなくても良いんだよ? その代わり、この都市は陥落し、あの娘は……おっと、これ以上は止めておこう。ああ、ちなみに力を使う度に、キミは何か代償を支払う必要があるよ。次は何を失うのかなぁ。目かな、足かな?」
「そんな……」
「それと、念のために重ねて言うが、キミがボクと契約し、あの力を手に入れたことは、誰にも伝えてはいけないよ。もし、誰かにバレたなら、その時はあの娘やこの都市に代償を支払わせるとしよう。ああ、今回は初めてだからサービスをしておいたよ。キミはあの戦闘から逃げ出したことにしてある。皆が、キミは最初からあの場にはいなかったと認識しているはずだ」
クククという愉快そうな笑い声が、トールの不安をあおり、胸をざわつかせる。
「実に良い契約が出来て、ボクは満足だよ。それじゃあ、ボクはこれで。キミのこれからの健康と活躍を祈っているよ」
慇懃無礼に頭を下げると、男は最初からそこにいなかったかのように姿を消した。
その直後、トールの前に二つの人影が現れた。ヒカルとヤマガミだ。二人の生存を確かめ回復魔法をかけてからあの場を離れたのだが、こうして無事な姿を確認でき改めて安心した。
装備は傷だらけだし、髪はボサボサで顔は砂埃で汚れている。でも、無事に生きている。
「良かった、二人とも無事で」
笑いかけるトールに、二人の表情は暗い。憮然とした面持ちで、ヤマガミが口を開いた。
「よく分からねえが、俺達は生き残ったよ。でも、マイアーレは八割が戦死した。皆、勇敢に戦った……お前と違ってな」
ヤマガミの眼差しは、刺すように冷たい。
「仲間を見捨てて敵前か。最低だよ、お前。教官もお前を探している。逃げずに出頭しろよ」
その言葉に、トールは血の気が引いた。救いを求めてヒカルを見ると、彼女は無表情でトールを見下ろしていた。
「……信じられない。皆、命をかけて戦ったのに、一人だけ逃げ出すなんて。私、トールのことを信じてたのに」
「違うんだよ、ヒカル。僕は、君を……」
そう言いかけたトールの脳裏を。マルシュアスの言葉がよぎる。マルシュアスのことや、あの力のことは、だれにも話してはならない。
何も言えず黙るトールへ冷たい視線を送りながら、ヒカルとヤマガミは去っていった。
「どうすれば良いんだよう……」
トールは、泣きながら一人で自室へと帰った。もう絵を描くことはできない。
未練がましくクローゼットの中を覗くと、絵の中のヒカルは、満面の笑みを浮かべていた。




