初異世界
平衡感覚を失ったわけではない。意識を失ったわけでもない。
しかし、今、自分がどこにいるのかが不確かになった。
今までに経験の無いなんとも不思議な感覚だったが、長くは続かなかった。
気が付くと、真面目お姉さんと手をつないだまま、見知らぬ街角に立っていた。
「どこやねん、ここ」
つい関西弁もどきが口から飛び出してしまった。
「第七世界ルクシオンの中心に浮かぶ惑星ユリシーズにおける最大の大陸であるアクエリアス大陸。その大半を支配する帝国の北東部に位置するコウリュウ市です。100万人を擁するコウリュウ大公爵領の中心都市であり、水と命と創造を司る大精霊コウリュウ様が精霊府を置くことを定められた精霊指定都市です」
お姉さんは、少し自慢げに紹介する。
違う、そうじゃない。そういう説明を求めたんじゃない。
このお姉さんは、真面目そうなのにちょっと残念っぽいな。
さて、どこから突っ込もう。
目に映る景色は、見慣れぬものばかりだ。
幅広な道はアスファルトではなく石畳で、多くの人影で混雑している。路上にマンホールや道路の標示、標識などは見当たらない。敷き詰められている石は、大きさや形に違いがある。工業的に大量生産されたものではなく、手作業で一つ一つ作り上げたのだろうか。それぞれの石が隙間なく組み合わされている。装飾的な様子はなく実用性を感じさせる。
きちんと歩道と車道が分かれているらしい。中央は幅が10m以上あり、馬車や台車が行き交っている。その両脇には20センチほど高くなった歩道がある。
自動車は走っておらず、大八車のようなものを見かけるくらいだ。
そして行き交う人影は、見るからに人間ではないものが多い。少なくとも地球人ではないだろう。角が生えた悪魔のような外見をしていたり、象ほどの大きさのアルパカに似た四足歩行の動物が歩いていたり、身の丈4メートルほどでひょろりひょろりと二足歩行するトカゲっぽいひとなどが大通りを闊歩している。
ゴウと音がしたので空を見上げると、青空と二つの太陽を背景として、翼を持つ大きな龍が悠々と飛んでいた。
目に映る景色から、一つの推測にたどり着く。
「もしかすると、ここは日本ではない……?」
「……先ほど申し上げたとおり、地球でもありません」
それはそうか。もしかすると群馬県あたりではないかと思ったが、そうでもなさそうだ。
職を探していたら異世界に連れてこられたというこの状況。変化が激しすぎる。気になる部分しか見当たらない。情報量が多すぎる。
極限状態に放り込まれたためか、前職で鍛えられたブラック企業脳のエンジンに火が入った。
こういう時は、慌てず騒がず、臨機応変かつ柔軟に対応するのが良い。
つまりは、とりあえず状況に流されながら、行き当たりばったりで行動してみよう。いろんな意味で大けがをしない範囲で。
声に出さずに腹を固めていると、真面目お姉さんがこちらをまっすぐ見ていた。
「すみません、自己紹介がまだでしたね。コウリュウ精霊府権能局水権能執行部権能執行課第三係のマオ・ウーです。これから、コウリュウ市及びコウリュウ精霊府の案内をさせていただきます」
背筋の伸びた綺麗なお辞儀であいさつされ、大いに戸惑った。
乱暴な扱いには慣れているのだが、丁寧な対応には不慣れなのだ。
「は…はひ、こちらこそよろしくお願いします!朝日春風といいます!」
少し噛みつつも慌てて腰を90度に折る。
「畏まらないでください。先ほどまでの伸び伸びした心持ちで大丈夫ですよ」
真面目お姉さん改めマオさんが、笑顔で通りを歩き出した。
「この道路は水車通りです。その名のとおり、通り沿いに水車を備えた建物が並んでいます。市の中央に位置する精霊府庁舎からまっすぐ南に延びている主要道路です。このまま、まっすぐ精霊府庁舎へ歩いて向かいながら、この市や仕事について簡単に説明いたします」
自慢げな雰囲気で歩くマオさんを追いかけるように歩き出し、ふと気づいた。
足元の石は、すべてフラットに隙間なく並んでいる。
でこぼこのアスファルトや狭い歩道より、ずっと歩きやすい。
意外と技術が発達しているのかもしれない。
「あなたの住む世界と違うところはありますか?」
めっちゃあるわ!違うところだらけ過ぎるわ!……と思ったものの、そこまで明け透けに話すのもどうかと思ったので、何でも無い様に取り繕ってみることにした。
「そうですね、自動車が走っていないですね。あと、電柱もないです」
人通りは多いが、動力付きの乗り物は見当たらない。
この道での使用が禁止されているのか、この世界には存在しないのか。どちらだろう。
電柱や電線も見かけない。
道路の両脇には、歩道に沿って石造りの水路が流れている。道路沿いに建つそれぞれの建物は、水路から動力を得ているのか、水車を設置している。
電力ではなく水力が生活の主軸なのだろうかと予測していたころだ。
本当は、往来を行き交う不思議生命体や異世界人について色々と聞きたかった。
奇抜な格好をした男性や見たことが無い三足歩行の動物など、気になるものと次々にすれ違っている。
けれど、どこにタブーがあるか分からない。なので、とりあえず当たり障りの無さそうなところから口にしてみた。
日本であれば、例えばセーラー服を着てキツ目の化粧をしたひげ面のおじさんを公道で見かけても、指を差さないという明確なルールが存在する。
しかしこの世界のルールがわからない。
一例を挙げるならば、今すれ違った男性。
上から下まで黒い衣服で統一し、随所にシルバーのアクセサリーを着けている。
右目の眼帯にはいかにもそれっぽい文様が描かれている。加えて、右手には、包帯が巻かれている。包帯には見たことがない文字のようなものがびっしりと書かれている。今にも「右目が疼く」とか「静まれ、俺の右腕」とかクールでイカすセリフを宣いそうな雰囲気だ。
日本では指を差して笑うべきシーンだが、ここではアレが正装なのかもしれない。あるいは喪に服している姿なのかもしれない。
天下の往来で地雷を踏みぬく粗相は避けたい。それとなく眺めながらも、見て見ぬふりをする。
などという思考を知り得ないお姉さんは、笑顔で説明を始めた。
「よくお気づきですね。金属機械や微小精霊、ホムンクルスなどの活用になると、この世界はまだまだ発展の余地が大いに残されています。けれど、なんといっても大精霊コウリュウ様のおひざ元です。その加護で、安定した豊かな生活を実現しています。大災害や疫病の拡大は起きませんし、大規模戦闘行為も無縁です。食事は、好みにもよりますけど、全13世界の中で、最も美味しいといわれています。特に甘味は自信をもってお勧めできますよ」
「へえ、そうなんですか」
よくわからない単語が色々と出てきているが、取り合えず適当に相打ちしておく。
決してコミュニケーションの手抜きをしているわけではない。
今自分がいるこの場について、何も知らない。何かを決断し行動する前に、少しでも情報を得ようとする高度な戦略なのだ。
興味深げな表情で頷いて見せると、マオさんが、脇道を指さした。
脇道の石畳は、他と違い化粧石が使われている。
街路樹や花がしっかりと手入れされており、ちょっとお洒落な雰囲気だ。
「あの通りは、美味しいお店が多くて有名なんですよ。オープンテラスのカフェとかレンガ造りのおしゃれなベーカリーとか。職場から近いので、私もよくランチに来ます」
なんですと?
「それは……つまり……お昼に休憩時間があるということですか……?」
「え?は……はい、あります」
「それは就業規則に書かれているだけではなくて、実態は伴っているものですか?お昼だからとコンビニおにぎりをつまんでいたら、“口じゃなくて手を動かせ”と怒られて、実質10分も休憩できないヤツじゃないですか?」
私の言葉を聞くほどに、お姉さんの目に涙が溜まっていく。
完全にかわいそうな子を見る慈愛に満ちた目だ。
「大丈夫ですよ、正午から一時間の休憩があります。業務の状況によっては時間をずらして休むこともできます。お昼の混雑時間を少しずらして休憩をとって、ランチにデザートをつけてゆっくり楽しむこともできます」
「この世界で働かせてください!」
このあとめっちゃ就職した。