案件3 暁の恋風⑥
髪を乱しながらも目だけはぎろりとした痩身の男は、自らの投擲した軍刀が吸血鬼の眉間を貫いた様をみて、ゆらりと歩き出した。
それは、間違いなくタケルが、毎日、薬を届けていた病人の男であった。
「広田様?」
「いいや、それは偽名だ。僕の本当の名は……今は置いておこう」
「はあ、ではとりあえず広田様。ご病気のお体で、寝ていらっしゃらなくても大丈夫でしょうか?」
「……君は相変わらず鬼のような度胸を持っているな。今はそれどころでは無いだろう」
そう言いながら、額から軍刀を生やして笑顔で立つ杉子へ向けて、歩を進めた。
杉子は、するりと頭部から刀を抜き去ると男へ優しく手渡してみせた。
「私は今、忙しいのです。お姉さまを頂かなければならないので。邪魔をするのなら、痛くしますよ」
「この娘に手を出すな、バケモノめ」
男は、そう言いながら取り戻した軍刀を、杉子へ突き入れた。が、するりと躱される。一足飛びにふわりと男の懐に入った杉子は、トンと手のひらで軽く押した。すると、まるでトラックにでもはねられたかの如く、男は吹き飛ばされた。
「どうも私は妖怪変化になったそうでして。お怪我をさせてしまったら、ごめんなさい」
男が頭から地面に叩きつけられ、ぼきりと嫌な音が響いた。タケルが悲鳴を上げそうになるが、それよりも早く男は立ち上がり、軍刀で杉子に切り付ける。不意を突くことが出来たのか、わずかに体勢をくじくことに成功した。
「そうか、奇遇だ。俺も半分くらい人ではない。先日、どこかの粗忽者のお嬢さんを悪鬼から助けたのだが、その時に受けた傷からやられたようでな。今では人と吸血鬼の間を行ったり来たりしている。……どうやら、お前も同じ吸血鬼に悪さをされたようだな」
右手、右足、左手、左足と四肢を順に切りつける。そして、止めとばかりに、胸を貫いた。これには杉子が僅かに顔をしかめた。
「すこうしばかり、痛くて傷の治りが遅いですわね。特別な刀をお持ちでいらっしゃる?」
「19年式の桜花軍刀だ。先の大戦で退役した弩級戦艦石見の退魔砲塔を鋳つぶして作られている。その刀を吸血鬼の腕力で振るうのだ。対妖魔には、それなりに効くだろう」
軍刀は日本刀の拵えで、刃渡り80センチに迫る大振りだ。人であれば、もはや息絶えているだろう。しかし、杉子は表情を変えずにその刃を掴み、するりと抜いて見せた。
「あら、力比べでは私の方が勝るようですね」
既に傷は治りつつあり、刀も奪い取った杉子は、悠々と立ち上がり距離を詰めようと歩み寄る。
「どうにも、あちらの方が強そうだ。僕は、先日来、吸血鬼の病をどうにか収めようと、この神域に籠って治療していたのだが、それが良くなかったようだ。心身ともに弱っている。血を啜らなければ吸血鬼になり切れぬ半端ものであるし、半分吸血鬼の病に侵されているので人としての体も脆弱だ」
この言葉に、タケルが真っすぐに男を見た。
「ならば、血を啜れば彼女を止められますか?」
「分からないが、可能性はあるだろう」
「ならば、私をどうぞ」
タケルは、男を見上げながらそっと目を閉じて見せた。
「いや、しかし……」
「迷っている暇がおありですか?」
タケルを見、迫りくる杉子を見、男は意を決したように片手でタケルを抱き寄せた。
その瞬間、タケルは首筋に灼熱を感じた。鋭い痛みから痺れ、そして恍惚へ。様々な感覚が交錯する中、急な脱力感で足元がおぼつかなくなる。
地面にへたり込んだタケルが見たのは、男が杉子を押さえつける場面であった。そこには、病にやつれた弱々しい男はいなかった。すっかり生気を取り戻しており、白磁のような美しい肌と艶やかな黒髪が映え、所作は俊敏華麗だ。
獣のような俊敏さで杉子を蹴倒すと、腹に軍刀を突き立てて地面にめり込ませた。
「少し大人しくしておけ、新米吸血鬼めが」
仰向けに倒れる天外杉子の腹に突き立つ軍刀をグイと、さらに地面へと押し込む。決して柔らかくはない土の地面に、軍刀がずぶずぶと沈んでいく。人の力では到底不可能であろう。
「あの、とても痛いので止してくださいません?」
「暴れられても迷惑だ、しばらく地面に縫い付ける。どうせ死なんのだ、大人しくしていろ」
そうして、杉子が動けなくなったのを確認すると、背後を振り返った。
「大丈夫か、櫻タケル」
「少しふらつきますが問題ありません。これで私も吸血鬼になるのでしょうか?急いでナフタリンでも飲んだら良くならないかしら」
「……君は本当に強靭な精神だな。そうならないようにしたつもりだ。恐らくただの貧血だろう」
呆れたような感心したような表情でタケルに微笑んで見せた。
「さて、この吸血鬼もどきの処置について、君の意見を聞こう、櫻タケル」
男は、杉子を押さえるために軍刀から手を放さずに、近くで身構えるタケルを振り返った。
「対処法は二つある。一つ目は、この娘を滅ぼすことだ。心臓に杭を打ち朝日に当てれば、灰となって……」
「ダメ!」
最後まで言い終わることなく、タケルによって言葉を打ち切られる。
「杉子さんは私の掛け替えのない友人です。出来るものならば助けたいのです。広田様、何とかなりませんでしょうか」
すると、広田と呼ばれた男は苦々しく呟く。
「ならば、二つ目。官憲に引き渡すことだ。未だ海外の妖魔は珍しい。陰陽寮か軍が、喜んで引き取るだろう」
「でも、それでは、人として生きられないのではないでしょうか」
「鬼や妖怪として扱われるのだ。当然、人権は蹂躙されるだろうな」
「なりません!」
タケルが持ち前のしっかりとした眉をきりりと上げて、断固拒否の意を示した。
「広田様、お助けいただいているところ、本当に申し訳ございませんが、何とか彼女がまっとうに暮らしていく方策は無いものでしょうか」
タケルの言葉に、男が無表情になる。そして、まっすぐにタケルを見つめた。
そこへ、足を引きずりながら坂伊乃が追いついた。
「櫻さん、そんな得体のしれない下衆な男の言い分を、真に受けちゃあいけない。いけ好かない木っ端妖怪など、海軍に引き渡してしまおう」
「坂伊乃家の倅か。ちょっと静かにしていてくれないか。今は僕と彼女が話をしている」
敵意を存分に含んだ坂伊乃の言葉に、強い反発の視線と言葉が返ってきた。体の幅が倍ほども違う偉丈夫の坂伊乃が、上からのぞき込むように睨みつけても、煩わしそうに視線を返すだけで、些かも怯まない。
「なんだ、俺を知っているのか。ならば話は早い。櫻さんに良からぬことをしようというのなら、弓ヶ浜中を引きずり回した後で宍道湖の底に沈めてやるからな」
「勇ましいな。さすが、海軍閥の総領たる坂伊乃伯爵家だ。だが、今は家名など関係の無い。この事態をどう収める?」
「聞けば、お前は吸血鬼に齧られているそうではないか。では、軍か警察に引き渡す。杉子さんは……やむを得ないが、これも同様にするしかあるまい」
「そして、僕も彼女もそこでお終いだ。いや、僕らが大人しく縛につけばよいが、もし軍や警察で押さえられず、誰彼構わず襲い掛かり吸血鬼を量産すれば、未曽有の大災害になるぞ」
「では、どうする」
地面に縫い付けられた杉子を挟んで白熱する二人と、憂いを帯びた瞳でそれを見つめるタケルが沈黙に包まれた。それを破ったのは、のんきな声だった。
「困ったときのオイラの出番さ。水天神様の神域で、その眷属たるオイラがいるんだ。少しばかりの無理は通せる」
河太郎がちょこちょことタケルによじ登り、その頭の上から全員を睥睨した。
「とはえ、現状ではこれ以上のご利益を起こすには“セイガンキョウド”というのが足りないらしい」
「何?」
「何だ?」
「はて、どういうことかしら?」
河太郎の言葉を理解できない三人が、揃って首を傾げた。
「今回の件の発端は、一人の男が、愛する女性へ想いを伝えたいという強い思いから始まったのさ。それが無ければオイラは水天神様の眷属にならなかったし、天外のお嬢さんはどこかの吸血鬼に齧られっぱなしだし、坂伊乃の坊ちゃんは岡惚れのまま終わっただろうね。そして、さらなるご利益を得るには、最初と同じ願いをより強く想わなければならないということさ。さ、“一輪の花”の愛の詩を聞かせてくれ給へ」
ニヤリと悪人の顔で笑う河太郎に、タケルと坂伊乃は訳が分からず首を傾げるばかりだった。が、一人気まずそうにしている男がいる。
「さあ、比呂佐和の旦那。気取っていないで白状しなよ。でないとオイラは手を貸せないし、皆を助けられない。そうなるとタケルが悲しむだろうなあ」
比呂佐和と呼ばれた男は、気まずそうな顔から、追い詰められた表情へ、そして観念したような表情へと百面相を展開した。そして意を決したように口を開いた。
「櫻タケル、君はまるで……」
☆
机の上には、決裁文書や稟議書、資料、書き損じの紙などが山を作っている。
「一つの案件に決裁が24回に稟議4件か。通常の案件としては、破格に手間をかけたな」
椅子にふんぞり返って座り、腕と足を組んだジュゲムが、極上の微笑みで春風を見下ろしている。金色の髪が、いつも以上にキラキラと輝いて見える。見下ろされる春風は、教科書に載りそうなほど整った姿勢で、土下座を披露している。
「ハルカの弁を聞こうか」
「へい! 説明させていただきやす! え~、この度は手前の粗相にて、ご迷惑をおかけいたしまして……」
「いや、そういうのはいい。端的に」
「はい。いや~、最初はもうちょっと手際よく進めるつもりだったんですよ。想いを伝えるにはどういう手法が良いかなと悩んで……。参考にするために昔の書類を眺めていたら、眷属を作ったという案件があったんですよ。これは面白そう……ではなくてですね、効果的であると考えた次第でして、やってみたんですよ」
「ほう」
「そしたらですね、思っていたよりいろんな要素があって、もう大渋滞だったんですよ。なので、状況が変わるたびに行き当たりばったりの……いえ、臨機応変な対応をしていたらこうなったといいますか。だって、横恋慕だったり、吸血鬼が出てきたり、大正ロマン的なハイカラなモダンで前時代的だったり、もー、しっちゃかめっちゃかじゃないですか!」
「なるほど」
「変化する状況に合わせて眷属に指示を出すために神託課に依頼を出したり、先の展開を知るために予知予見課にお願いをしたりとアレコレやっていたら、もう収集が付かなくなって……!」
「それで?」
「……あとはジュゲム先輩のご存知のとおりです。場当たり的に対応するために文書を作り倒して、何とか乗り切りました。半分くらいはマオとジュゲム先輩に手伝ってもらいました……」
「今回は、随分とやらかしたものだな」
「やっぱり私、やらかしちゃいました?!」
「大精霊コウリュウに眷属を作るなど、どれくらいぶりか?」
ジュゲムがちらりとマオを見遣る。
「そうね、正確なところは分からないけど、以前は七千年前に検討したという記録はあったわ。ということは、前回はそれ以上の昔じゃないかしら。きっと今回の件は、今後一万年くらい、語り草になるかもしれないわね」
「おおう……歴史に名を残してしまった」
春風が土下座をしながら打ちひしがれて見せると、ジュゲムがニヤリと笑って見せた。
「ああ、今回の件は本当に素晴らしい。ハルカもマオも、本当によくやった」
「あれ? 私、怒られるんじゃないんですか?土下座しなくていいんですか?」
「ドゲザというものが何なのかは、よく分からないが、椅子に座りたかったら座ればいい」
おや、様子がおかしいぞ、と首を傾げながらも、春風は椅子に腰かけた。
今までは案件一つにつき、決裁文書一つで対応してきた。それが、今回のありさまだ。てっきり絞られるものかと思っていたのだが、どうにも気配が違うようだ。
「費やした時間は、他の通常の案件と同程度だ。しかし、状況に合わせてこれほど柔軟に対応して見せた。これは偏にハルカによる業務の効率化が奏功した証と言えるだろう。つまり、今までと同じ時間で、今まで以上に素早く、精度の高い仕事が出来るようになったということだ。本件は、見直す点は多いが、良いモデルケースとなるだろう」
「あれー? てっきり“やらかし”を怒られると思ったんですけど」
拍子抜けした顔の春風へ、マオが優しく微笑む。
「大丈夫よ、ハルカ。眷属の件だって、課長の決裁を受けているんだから、ハルカ一人の責任にはならないわよ」
「ホントに? 書類に上司のハンコが押してあっても“俺のせいじゃねえからな!”とか“俺はメクラ判だって言ってるだろ!”とか言われて責任を押し付けられることは無いの?」
「無いわ、大丈夫よ。そろそろ前職のことは忘れましょう」
「うん、忘れる。忘れた」
春風とマオが手を取り合ってじゃれていると、ジュゲムが自信に満ちた笑みで春風を見つめた。
「さて、今回の件では成果もあったが、課題も見つかったな。ハルカ、分かるか?」
「へい、明らかに行き当たりばったりでした!」
「そうだ。正確に言えば、準備不足であったと言えるだろう。先の展開を読んで情報収集し、適切に対応していれば、この半分の労力で済んだだろう。そして、準備不足の原因は、経験不足にある。それなりに場数を踏めば、“この状況であれば、どの程度の準備をすればよいか”という匙加減が分かるはずだ」
「あ、確かにそうかもしれないです。あの第四世界の状況とか常識を知らなかったから手間取ったところがいっぱいありました。それに、眷属を作ることがヤバいことだって知ってれば、出来心で手を出さなかったです。まさか局長決裁が必要な案件とは思わなかったです」
「……局長案件など、本来は係長以上が担当するものなんだが。まあ、ハルカなら何でも有りだろうな」
「褒めているのか馬鹿にしているのか分からないリアクションはやめて下さいよ。喜んでいいのか落ち込むべきなのか分からないっす」
「褒めているし馬鹿にしているし、呆れている」
「えー純粋に褒めて下さいよー。ナデナデしてくださいよー」
「……まったく、手に負えんな。ハルカ、経験値を溜めるために件数をこなしてもらうぞ。明日からは、困難案件以外は全て一次対応をハルカが担当しろ」
「マジすか?」
「とりあえず、今、手元にある案件をメールで送っておく。明日から一日10件をこなせ。お前が経験を備えたら、誰より役立つ人材になるぞ」
「はい、大車輪で気張ります!」




