案件3 暁の恋風⑤
「どうしたんだい、櫻さん」
汗を流して自転車を走らせるタケルを見つけ、坂伊乃光政は手を挙げて呼び止めた。もうじき黄昏時を迎える帝都の街並は、二つ打ちの鐘が鳴ったこともあり、人通りが少なく閑散としている。そんな中、いつもは溌剌としていながら平常心を失わない彼女が、ばかに慌てた様子であるのが気になった。もちろんそうでなくとも、見かければ呼び止めたことに違いはないが。
「ああ、サカイノ様。実はちょっと人探しを……いえ、ちょいと用足しで急いでいまして。あの……つかぬことを伺いますが、私と同じような格好……袴に革靴、栗色の髪を後ろですっきりとまとめた女学生をお見掛けしませんでしたか?第三中学校の校章を付けていますし、もしかするとまだ、学生かばんを持っているかもしれません」
警察に追われているという不名誉を告げるには抵抗があり、かといって何か手掛かりがあれば逃したくないという思いもあり、普段のタケルには無い何とも歯切れの悪い口ぶりだ。もちろんタケルは、杉子が無法なことなどすまいと確信している。けれど、他人はタケルのようには思わないかもしれない。
「何だ、人探しか。さて、その特徴だと、貴女の同級生という事かな。それでいて明るい髪色ということは、天外家のお嬢さんかな」
「杉子さんをご存じですの?」
坂伊乃にずばり言い当てられて、目を丸くしながら口に手を当てた。
「貴女の級友で女性となるとほんの数人しかいないから、自然、簡単に推測できるさ。それに実は、天外家とは家族ぐるみで付き合いがある。良くは分からないが、あまり大げさにならぬように、杉子さんを探せばよいのか?」
「ええ、昨夜から戻っていないらしくて。お昼前からあちこちを当たってみているのですが、今どこにいるのかさっぱり見当が付かないんです」
タケルの言葉に、坂伊乃は大いに驚いた。
「それは一大事じゃないか。それに貴女も。少し休んだ方が良い、大八商店まで送ろう」
「いえ、私が探さないとならぬようで。信じていただけるかどうか……水天神様のお言葉があったのです。私が……“櫻タケルが天外杉子を探せば、見つかるはずだ“と」
「水天神様の? 不思議な話だが、貴女の言葉だ、嘘はあるまい。よし、俺も手伝おう。もう暗くなる。可憐な女性が一人では危なかろう」
二人連れ立って、日の傾き始めた街を歩き出した。
夕刻であっても、街灯がそこかしこに立つ帝都は、十分に明るい。とはいえ、鐘がなっては誰もがのんびりもしていられない。路上に人影は少ない。
「もし騒ぎを大きくしても良いなら、俺の友人に声をかけて、手伝わせても良いんだが。これでも顔は広い方だ。声をかければ、それなりに数は揃う。兵学校の友人は体力自慢が多いから、街中を駆け回らせるのに使えるだろう。警官に何人か“俺、お前”の仲の奴がいる。声をかければ、きっと悪いようにはならんと思うが」
「それが、その……」
既に警察は彼女を探しているはずだが、告げていいものかと言いよどむ。そんなタケルを、坂伊乃は真摯にまっすぐ見つめる。がっしりとした体躯の坂伊乃が、待てを命じられた従順な子犬のごとく、黙ってタケルの言葉を待っているのだ。その瞳を見て、腹を括ることとした。
「ええ、もう洗いざらい全て白状しましょう。実は昨晩、岡公園で亡くなったお方があったそうなのですが、その近くに杉子さんがいらっしゃったそうで、巡査さんが仰るには、彼女がその件に何か関係しているかもしれないとのことなのです」
「それは、一大事も一大事じゃないか。しかし、俺の知る限り、彼女は悪行には馴染まない。何かに巻き込まれたのじゃなかろうか。いや、それを勘ぐるのは後に回して、彼女を探さないといけないな。警察は既に探しているだろうが、いや、それでも声をかけてみるか……うーん」
「男のくせに蝶々としゃべくり倒すなよ、意地くさいなー」
「なに?」
タケルの言葉に混乱しながらも考えをまとめようと苦心する坂伊乃へ、背嚢から顔を出した河太郎がしかめっ面を見せた。
「櫻さん、この……イタチは? 物の怪の類かい?」
「何だいコイツは、不調法な言いぶりだね。イタチじゃなくて、由緒正しき、誇り高きカワウソ様だよ。総身に知恵が回りかねている奴は、これだから相手にしたくないんだ」
河太郎が鼻をふんと鳴らせば、坂伊乃もいつに無く気色ばんで見せる。
「これが神獣?ただの行儀の付いていないイタチの変化に見えるな。官憲にでも突き出してしまおうか」
「ほう、勇ましいじゃないか。オイラは、天下の大精霊にして首都島根の守り手である水天神様の眷属だ。軽率な振る舞いをすると、後々大いに後悔することになるぞ」
「天帝陛下の座するこの出雲の地は、こんなちんけでけったいな変化風情が足を踏み入れてよい場ではないのだがな」
「なんだと、この腐れデクの坊め。オイラの高貴さが見て取れないとはね」
熱を帯びていく二人に、タケルがぱんぱんと手を叩いた。
「はいはい、お二人とも興奮しなさんな。さっきまであんなに気を張っていたのに、なんだかすっかり毒気を抜かれちゃったわ。それで河太郎、私はあなたを信頼しているのよ、その後、杉子さんの居場所はやっぱりわからない?」
「うーん、どうにもご神託がはっきりなくって。タケルが探せば何とかなると言った後は、なんとも“想定外だよ、困る”とか“アンテナ一つしか立ってないみたいで、電波が悪い”とか“とっ散らかってきた!”とか要領を得ない気配ではっきりしないんだよ。天満宮で初めて声を聴いたときは、もう少ししゃっきりしていたのにな」
「なんだ、それなら簡単じゃないか、櫻さん。この河太郎を天満宮へ連れて行けば、水天神様のお言葉をいただけるんじゃないか?」
これに、タケルと河太郎が、ぱちりと手を打ち鳴らした。
「サカイノ様、名案です」「ナリが大きいくせに頭が回るじゃないか」
「では急ぐとしよう。櫻さん、自転車を借りてよいか? 俺が漕ぐから、貴女は後ろへ乗ってくれ」
「あら、でもそれは……男女が相乗りするだなんて破廉恥だわ」
「櫻さん、今は緊急事態だ。まったく下心が無いのだから、何ら問題はないはずだ。最早、仕方がないことなのだ。さあ」
目を輝かせる坂伊乃が、タケルを乗せて自転車を漕ぎ出した。 気が付くと、日は落ち辺りは夕闇に包まれている。街灯の明かりだけがたよりとなる街では、もはや人も車も見かけない。
天満宮まであと一町というところで、「あっ」と声を上げた。
「杉子さん」
夕闇の街を一人で歩く、級友の天外杉子を見かけたのだ。
自転車を飛び降り駆け寄るが、タケルはその姿にかすかな違和感を覚えた。
「あら、お姉さま。ごきげんよう」
普段の清楚な笑みではなく、何となく湿った艶っぽさを纏っている。
坂伊乃が息をのみ、背中で河太郎がきゅうと低く鳴いた。そんな気遣いを意に介さず、ゆらりゆらりとタケルへ向けて歩を進める。
「ああ、こんなところでお姉さまに会えてよかったです。先ほどから、もう、お腹が減って仕方が無かったのです。流石に知らぬ人にお願いするのは恥ずかしかったので」
そう言いながら満面の笑みで近寄ってくる。普段はまっすぐで清らかな為人の杉子だが、今の彼女から、タケルは何とも嫌な気配を感じ取った。その目が赤く光っている。
「ねえ、お姉さま、一口齧らせてくださいな」
「鬼憑き…」
「ええ、お姉さまの仰るとおりです。ホラこの様に」
言いながら、自身のそばに立つ街灯の柱部分に手を伸ばす。10センチほどの鉄柱を掴むと、そのまま握り潰して、ねじ切って見せた。
ぎりぎりという金属の破砕音が、無人の街に響きわたる。
「櫻さん、天満宮はすぐそこだ。神域へ走るぞ、掴まれ」
坂伊乃は、タケルの背中と足に手を回し横抱きにすると、そのまま走り出した。
「ああ、お姉さま。追いかけっこだなんて、そんな楽しそうなことを」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべ、わざと遅れながら後を追った。
「俺はドイツに渡っていたときに、西洋の鬼どもを見ているが、どうもそれに似ている気がする。奴らは親しい人の血肉を喰らうので、吸血鬼と呼ばれていた。そうして、餌食になった者共も、吸血鬼となってしまうのだ」
いつもは泰然と構える坂伊乃も、このときばかりは青い顔でまなじりを吊り上げている。
「では、杉子さんも、どこかでそれにやられて?ああ、どうにかして治せないものかしら」
「わからんが、ひとまずは我々の安全を求めよう」
天満宮の鳥居が見え、神域まであとわずかと言うところで、坂伊乃がもんどりうってひっくり返った。
見れば、ソフトボールくらいに丸めた街灯の鉄柱部分を杉子が投擲し、それを足に受けた坂伊乃がひっくり返ったらしい。タケルも手を擦りむき、唇を切り、口の端から血を流している。
「神域は少しばかり嫌な場所だわ、他の場所で遊びましょうよ」
ころころと笑いながら歩を進める杉子を見て、坂伊乃がにやりと笑って見せた。
「それはつまり、ご利益があるということだな。であれば、何とかなるかもしれん」
そう言った坂伊乃の顔に、杉子の靴裏がめり込んだ。そして、そのままグリグリと嬲るように踏みつけて見せた。
「あら、坂伊乃様。三文字苗字の伯爵家の貴公子様が、随分と素敵な恰好をなさっていますね。砂にまみれて地に伏して……あら」
嘲るような言葉も意に介さず、その足を掴んで叫んだ。
「俺が時を稼ぐ。櫻さん、イタチを連れて神域に走るんだ」
タケルは、わずかの逡巡もせずに駆けだした。神域であれば、天満宮の境内であれば邪を退けることが出来るかもしれない。すぐそこに可能性がある。であれば、試すだけだ。
全速力で鳥居を駆け抜けたところで、いつの間にか追いついた杉子に後ろから抱きすくめられた。
「ああ、お姉さま。ここは清らかで本当に忌々しい空気です。とはいえ、私を退けるほどでは無い様ですね。神仏のご加護は、西洋の妖魔にはご利益が薄いと言われておりますが、そういう事なのでしょうね」
そうして、抱きすくめたタケルの首筋に唇を当てる。
「杉子さん、貴女やはり鬼に憑かれて妖怪変化になってしまったの?」
「よく分からないのです、気が付いたらこうでした。けれど、これだけは分かります。お姉さまに齧りついて、その血を頂きたいのです」
杉子がタケルの首筋にきりりと歯を立て、その肌から玉のような血の雫が見えた。その瞬間、ひゅんと飛来した軍刀が、杉子の額にざくりと突き立った。
「え?これは?」
「あら、とっても痛いですわ、お姉さま」
二人が困惑する中、鳥居脇の長屋の一番奥の戸から、やつれた長身の男がゆらりと姿を現した。
「僕が君を助けるのは、これで二度目だな。櫻タケル君」




