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精霊指定都市のお役人  作者: 安達ちなお


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案件3 暁の恋風④

 タケルは、毎朝五時前に目覚める。

 目を覚ましてひと伸びすると、雨戸を開ける。天気が良ければ、ガラス窓も開けたままにする。布団を片付け、寝間着を着替えると、まずは水くみだ。

 大八商店は、かつての羽振りの良い時に掘った井戸が、敷地内にある。これが便利なのでタケルは大いに助かっている。水汲みがてらに手と顔も清めてしまう。

 そうして、次は朝食をこしらえるのだが、この頃には家主の八重子が火を起こしている。タケルとしては、手間が少なくて済む。八重子がそのうちにガスに切り替えると言っているので、もう少しすれば火起こしを気にする必要もなくなるだろう。


「おはようございます、おば様」

「はい、おはようさん」

 タケルは、下宿人であり女中ではない。なので、大抵の家事は、八重子とタケル、イズミの三人で手分けする。けれど、下宿代でだいぶ親切にされていることを知っているので、タケルとイズミは、進んで多めに家事や商店を手伝うのだ。

 お米は、朝のうちに一日分を炊いてしまうことにしている。炊き立てを口にするのは朝だけで、昼以降はお結びや粥にする。これが、手間が掛からなくて良い。

 タケルが米を準備し食卓を整えているうちに、八重子が汁や漬物を用意する。商店に並べる総菜の準備もあるので、八重子が包丁を持つことが多い。

 朝はのんびりともしていられないので、二人で食卓に着き、ささっと済ませてしまう。今朝はイズミがいないので、用意も片付けも少し早い。この後に商店用の品や食材が届くので、普段であればそれを片付けながら掃除をするところだ。


「今日は、掃除は忘れていいわよ。昨日のうちにイズミちゃんが、家中掃いて拭いてくれたから。今日も朝から配達でしょう?気にせず行っておいで」

「はい、それじゃあ遠慮なく。今日も牛乳一瓶と鶏卵をいただいて行きますね」

 配達の賃金は、品代薬代も含めて週ごとに前払いされているので、代金はその日ごとに精算できる。これをいつもの背嚢に詰め、途中で医院に立ち寄り薬袋を預かってから、水天神の長屋へ向かうのだ。今日は、カワウソの河太郎も一緒だ。イズミの意見を尊重し“ぽん太”は止して、河太郎と名付けた。その名を告げた時の、優し気に見つめる八重子の視線が気になりはしたが、タケルは可愛らしさに関する自身の感性を信じることとした。

 イズミが拾ったときはぐったりとしていたそうであるが、夕食に与えたお粥と焼き魚を平らげ、中々に元気そうである。

 ちょこちょこっと小気味よく歩く河太郎を足元に引き連れて、鳥居を抜けた先にある長屋の、一番奥の木戸をとんとんと叩く。


「おはようございます、広田様。今朝もお荷物をお持ちしました」

 室内に人の気配があるので、そのまま戸を開ける。

 相変わらず雨戸を半分ほど閉めた薄暗い部屋の隅に、やつれた男がうずくまっている。


「……入って来るな。何度も言わせるな」

 乱れた髪の間から、爛々と赤く光る瞳がタケルを捉えている。その視線を半分受け止め、半分受け流しつつ、微笑んで見せる。気が立っている者は、受け止めすぎても無関心すぎてもいけないというのが、タケルの対人の間合いの取り方だ。

「そちらこそ何度も言わせないでくださいな。薬も食べ物も、粗末にはできませんし、両方ともあなたには必要でしょう」

 普段であれば、男の気力が続かないのか、興味が無いのか、これ以上の会話は続かいない。だが今日は、珍しく食って掛かった。

「ああ、必要だ。僕は真に困っているからな。だが、そちらは違う。そもそも、金に困っていなさそうな君のような娘が、こんな病人への使い走りのような働きをするなんて、興味本位か娯楽の類だろう。そんな心持ならば、さっさと辞めてしまえ」

「そんなことは、ありません」

「なら、その革靴はなんだ。4円や5円はするだろう。金に余裕のある証拠だ」

「これは、下宿の女将さんの息子さんの物ですわ。あいにくと私は下駄を持っておりませんので、先だっての雪の日に“草履じゃあ凍えるでしょう”と女将さんが下すったのです。そんなわけで、本来の私は、まごうことなき純然たるオケラですから、精を出して稼がなくてはならぬのです。夢は大きく、帝国初の女流医師です。日々の生活費に加えて、今からコツコツと大学の学費を溜めています」

「……奨学金があるだろう。精を出すのは勉強にしておけ」

「そちらもあいにくと、高等学校までです。大学の奨学金は、男性のみなのです。お偉い方々は、女が大学で学ぶことなど、全く予見してらっしゃらないのでしょうね。さ、お荷物はこちらに全部置かせていただきました」

 それでは……と部屋を辞す。

 暗くよどんだ室内から、爽やかな晴天の下に戻ると何とも心が晴れやかになった気がする。男の赤く光る瞳の恐ろしさを、青い空と白い雲が忘れさせてくれる。


「きっと、あの方、鬼憑きだわ」

 物の怪は、人に憑くことがある。狐憑きや鬼憑きと呼ばれ、故郷でこれが出ると村人が総出で対処したものだ。タケルとて、物の怪やその類のものを見るのは初めてではない。故郷では鬼火を見かけたことがあるし、狐憑きとなって取り押さえられ加持祈祷を受けることになった人を見たこともある。それに、狐憑きは医者の領分でもあるので、いささか知識を仕入れてもいる。やつれや錯乱、赤目などが鬼憑き特有の症状と言える。

 だが、情緒の不安定なところは見えるものの、あれほど落ち着いているのは珍しい。


「そうだね、そのとおりだ。あれは邪悪の権化みたいな大妖魔がツイていそうだ」

「あら?」

 不意に声をかけられきょろきょろと見渡すも、辺りに人影は見えない。ぐるりと巡った視線は、足元の河太郎で止まった。

「お前かい、河太郎」

「話が早くて助かるよ。勘の鈍い奴だと聞いていたから、もう少しもっさりとしているかと思ったけど、思いのほか察しが良いじゃないか」

 どこからどう見てもカワウソにしか見えない河太郎が、得意げな様子で賢しげに鼻をふんふんと鳴らしている。

「お前、妖怪変化だったのね。しかも、随分こまっしゃくれている様子じゃない。昨夜から今まで、よく黙っていられたわね」

 しゃべる動物などというものは妖怪と断じて間違いないだろうが、それにしては何とも朗らかな口ぶりだ。

「いや、妖怪というより神獣と言ってもらいたいね。さっきまでは、こうじゃなかったんだけど。黄竜天満宮の神域に入ったからかな。水天神のお告げが聞こえたんだ。ひどく察しの悪い娘がいるから、良い塩梅で助けてやってくれって。するとこんな風にしゃべれるようになっていた。まあ、天神様の言いつけを守って悪さをするつもりはないから、安心しなよ。神域で嘘は付けないよ」

「まあ、喜んでいいのか怒って見せればいいのか、よくわからない言い方ね。とりあえず、悪い子では無さそうで良かったわ」

「うん、理解が早くて助かる。水天神様が言うには、どうにも今日のタケルは好事も厄事も山盛りの、大忙しらしい。悪いことは言わないからオイラの言葉を聞いてくれると助かるな」

「水天神様のご利益とあれば、聞かないわけにはいけないわね」


「じゃあ、早速だけど、早く帰った方がいい。家に戻るんだ」

 河太郎が声を低くして忠告すると、計ったかのように、かんかんと陰陽寮の鐘が響いた。

 タケルは、河太郎と顔を見合わせると、空を仰いだ。

「あら、二つ打ち。邪気でも流れたのかしら。確かに気を付けなくっちゃいけないわね」

 陰陽寮といえば、帝国政府の中でも一流と呼び声高い官庁である。時を管理し、正邪を占い、時には鬼退治をする。槍働きは陸軍と海軍に奪われつつあるが、それでも権威は揺らがない。

 例えば今のように、魑魅魍魎の気配があると、街のあちこちに設置された鐘を鳴らして知らせる。

 今は、かんかんと二つ打ち鳴らし、少し間をあけてまた二つ鳴らしと、これを1分ほど繰り返す“二つ打ち”が鳴っている。この二つ打ちは、“邪気あり”を知らせるものだ。物陰の奥、闇の中、ふとしたところで鬼に出会うかもしれない。そんな易が出た時に、街に触れるための注意報である。

 これが、三打、四打となるにつれ、危険の度合いが増す。鐘を打ち鳴らし続ける連打ともなれば、皆が家に引きこもり、あるいは神社仏閣に逃げ込む大騒ぎになる。

「そうね、早めに帰って、戸締りをしましょうか。さ、ぽん太……ではなくて、河太郎、急ぎますからね」

 河太郎を抱き上げると、念のため天満宮の手水舎で穢れを流してから帰路についた。


 帰り着いた大八商店でタケルを待っていたのは、困惑した顔の八重子と、警邏の巡査であった。

 タケルの級友である天外杉子が、殺人の容疑で追われ、昨晩から失踪しているというのだ。

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