案件3 暁の恋風①
「君はまるで、一輪の花のようだ。とても美しく、可憐で清らかで……いや、一輪の花という言葉では、君のすべてを言い表せない。鈴のような声音も、絹のように滑らかな指先も、暁の陽光のような柔らかな髪も、全てが美しい。この世で最も美しいといわれる夜景ですら、今では二番目だ。君の瞳に映る夜景こそが最も美しい。ただの麻布も、君が羽織れば高貴な女神の絹服になる。太陽のようなまぶしい笑顔、木漏れ日のような優しい微笑み。詩人が万の言葉を尽くしても、君のことを言い表せないだろう。そう、そうなのだ。つらつらと語ったが、どれも君を言い表せていない。何を言っても言葉が負ける。陳腐になってしまう。君をたとえるなら、そう、花だ。君はまるで、一輪の花のようだ。」
「なに、それ?」
突然、愛を語りだした春風に向けて、マオは愉快そうな表情で顔を寄せた。
「ジュゲム先輩からもらった次の仕事なんだけどさ。どこかで誰かが、秘めた想いを伝えたいと願ったみたいなの。情熱的で、素敵な愛の告白でしょ」
二人で羊皮紙を覗き込む。
「第四世界アキシオンの暁世界“天奈”からね。ここは確か、地球とよく似ていたと思うわ。愛を語らう余裕があるのは、素晴らしいことじゃない。それで、どう処理するの?ジュゲムさんは何て?」
「先輩は、ホラ……」
春風の指す先では、ジュゲムがワープロをいじっている。感熱紙に次々と印刷し、満足げな鼻歌を漏らしている。
「今回、執行強度の算出と執行形態の案作りは、基本的には私に一任されているの。ということで、まずは誰がどんな人に思いを寄せているのかを確認しないとねー」
「ふうん?」
「決して他人の恋愛ごとに対する出歯亀根性では無いからね。えーと、ほら、ストーカーとかだったら怖いじゃない。あとは……道ならぬ恋とか。だから、見てみようよ。ね?」
「そういう事にしておいてあげるわ。新人教育の一環ということにして、付き合ってあげる」
マオが水鏡を取り出し鏡面に手をかざすと、第四世界アキシオンに浮かぶ暁の惑星・天奈が映し出された。
そして、天奈の海上に浮かぶ島国……大和帝国の街並みへと焦点が移っていく。
☆
櫻タケルといえば、桜木町界隈では有名だった。
齢十四にして、女だてらに中学校に通っていることも理由の一つだ。女学校ではなく、男たちの中に飛び込み勉学に身を入れ、そのうえ高等学校も目指している。
子を産み“おしめ”を替える事こそ女性の天職であるとされたのは一昔前までのことだが、それでも学を成そうという女性は、まだまだ少ない。ましてや、男でさえ尋常小学校を出れば良しとされている昨今である。
また、その容姿も理由の一つだろう。10人が10人振り返るというわけではないが、顔立ちは整っている。背丈は低いが、美しい黒髪と人の良さが分かるまっすぐな瞳は、見る人を安心させ、知らず知らず好感を抱かせる。
だが、一番の理由は、純朴素直にして元気明朗かつ利発なその性格だろう。礼儀を失せず、かといって隔意を感じさせ無い振る舞いは、男女問わず多くのものが好ましく思っている。
そんな彼女だが、今は急いでいた。
今はまだ珍しい自転車を、颯爽と走らせて、早朝の街を駆け抜ける。明るい色の落ち着いた意匠の袴が風に揺れ、時折やや武骨な革のブーツが覗く。
何ともハイカラな装いに見えるが、決して色めいた約束事があるわけではない。
彼女が急ぐ理由は、彼女の背嚢の中にある。
中身は薬袋と牛乳、鶏卵が入っている。どれも病人に与えるものの定番だ。
ここ最近、毎日同じものを同じ場所へ届けている。
病人が出たと近所に知られると、聞こえが悪い。都会では、世間体を気にする裕福な家などは、滋養の付く食べ物をこっそりと裏口から届けさせたりするものだ。
そういった背景があり、タケルは毎日、学校に通う傍ら、この配達で日銭を得て生計を立てているのだ。
目的の家は、帝都北側にある黄竜天満宮の敷地にある。
水天神様とも呼ばれ、近隣の人がお宮参りや七五三などで訪れる、地域に根差した天満宮である。また、最近は鬼が良く出るので、退魔札を求める者も多い。神楽殿や本殿より手前、鳥居を過ぎてすぐの参道脇に、長屋が建っている。
幾人かが下宿しているらしいこの建物の、一番奥が配達先だ。
木戸をとんとんと叩き、声をかける。
「おはようございます、広田様。今朝もお荷物をお持ちしました。失礼いたします」
室内からごそごそと人の動く気配がするので、構わずに戸を開けて足を踏み入れる。
雨戸を半分ほど閉めているので、やや薄暗い室内。もう慣れたものだ。
部屋の隅に、乱れた髪と落ちくぼんだ瞳の、しわがれた男性がうずくまっている。生気を感じない真っ白な肌から、不調を見て取れる。
「……入ってくるな。いつも言っているだろう、玄関先にでも置いておけ」
「何をおっしゃるのですか、食べ物を地べたに置くなんて。神域ですから邪気は付かずとも、とんだ不衛生ですよ。ただでさえ、滋養が必要なんですから、少しは食べ物に気を配って下さいな」
言いながら、背嚢の中身を取りだし、並べていく。
「今日は私が手作りした卵粥も持ってまいりました。体のためにと思って、お試しください」
「余計なことをせずに、さっさと行け」
怖くなるほどタケルを凝視し、口元を手で覆い、呻くようにつぶやいた。
「承知いたしました。お辛いでしょうけど、何かあれば、お言いつけ下さいね」
「……すまん、有難く思う」
「いいえ、臥せっていると気が滅入りますものね。こう見えても私、医学を志しておりますの。あなた様がお元気になられるのでした、そんなに嬉しいことはないんですから」
それでは……と部屋を辞す。
空を見ると、そろそろ日が高くなりつつある。
「あら、いい時間かしら。急がなくちゃ」
慌てて自転車を漕ぎ出し、何とか始業前に校舎へ滑り込めた。
中学校は、尋常小学校を卒業した男子が通うものだ。
女子であれば、尋常小学校を卒業して学業を終える。進学するにしても、高等小学校か女学校へ進む。
しかし、高等女学校からは、ごく一部の者が女子師範学校へ進学できるが、大学へ入ることは出来ない。
これら進学上の都合から、タケルは男性に交じって、中学校へ通っている。
出来得るならば、大学まで進学したい。その思いがあるからこそ、日々、勉学にお勤めにと、身を粉にして動き続けられる。
学校では、早い時には朝6時から、遅くなる時には19時まで講義を受ける。
生徒は男性が主なので、タケルら数少ない女性陣は、講義室後方に立って、わら半紙に書き取りをする。墨壺を腰に下げておくのだが、上手に時間をやり繰りしないと、墨を磨っておくことも難しい。
講義中に墨汁を切らした時などは、女生徒同士で墨壺を貸し借りして乗り切ることもある。
一所懸命に講義に耳を傾け、筆を走らせ、合間の休憩時間には墨と筆を整え、習い事を復習する。もちろん、その間は常に立ち続ける。
一日が終わるころには、いつも足が棒のようになっている。そうして、クタクタになって下宿へ帰り、翌朝早くには、配達に出る。
そんな毎日だが、時には時間に余裕ができる。
例えば今日。土曜日の半ドンだ。
正午に合わせて、帝都中に空砲の音がドンと響く。それを聞いてすぐに、第一外国語の独逸語教師が白墨を置き、「終いだ」と呟いて退室していった。
教室中が、賑やかになる。
買い食いをしよう、いや大通りに出て店々を冷かそう、いやいや電車に乗って上野まで足を延ばそう。放課後の予定に胸躍らせる級友を尻目に、タケルは帰り支度をした。
「あらタケルお姉さま、今日はお帰りですか?岡公園で桜狩りをしようって、皆で話していたのですけれど」
同級生の杉子が、タケルの袖口をそっと掴む。杉子は、天外家の令嬢ながらタケルを慕ってくれており、何かにつけて親しんでくれる。
「ええ、ごめんなさいね、杉子さん。今日は下宿のおば様のお手伝いをしなくっちゃ。ソメイヨシノも、もう七分咲きだものね。次には必ずご一緒するわ」
「きっとですよ。皆、タケルお姉さまとお話ししたくて堪らないんですもの」
「私もよ」
心底からの言葉だ。学友たちと過ごすひと時は、何とも胸躍る楽しい時間なのだ。
本心を言えば、彼女たちと一緒に露店で冷やし飴か桜餅でも買い求め、桜を見ながら公園を散策したい。
最近は日が伸びてきたので、逢魔が時……夕刻まで余裕をもって見ていられる。近頃は治安が良くなったと言われているが、それでも夜は物騒な事件が多い。
帝都であっても、学生が友人と出歩くことが出来るのは、日の出ているうちだろう。
名残惜しい思いはあれども、踏ん切りをつけて自転車を漕ぎ出した。
タケルの通う第三中学校は、帝都の中央からやや北側に位置する。少し足を延ばせば、公園や遊園地、動物園がある。南に5分も歩けば街中に出るし鉄道駅も近い。もともと人が訪れる界隈であるのだが、春の陽気も手伝って、通りには人が多く出ている。
帝都といえど、まだまだ車どおりは少ないので、自転車での移動は大いに捗る。
山の手通りから線路を越えて桜木町に入り、もうすぐ下宿にたどり着くというところで、行く手を遮る者が現れた。




