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精霊指定都市のお役人  作者: 安達ちなお


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文書配送室のミュラと噂話

 出勤した春風は、ジュゲムを見て大いに驚いた。

 毎朝ジュゲムに驚かされるのが、もはや日課になりつつある。


「それ、どうしたんですか?」

「昨日のうちに手に入れた。すぐに習熟して、ハルカに追いついて見せるさ」

 ジュゲムが指を動かすたびに、一字ずつ文字がタイプされていく。指さばきは滑らかとは言えないが、ブラインドタッチでガチャガチャと文章を紡いでいる。

「ちなみに、私が使っているのは、パソコンというものにワープロソフトをインストールしたものなんですけど……」

「知っている。昨日聞いたからな」

「じゃあ、ジュゲム先輩が使っているそれが、パソコンじゃないというのも……」

 ジュゲムが指を動かすたびに、ガチャガチャという音が響き、紙に一文字ずつ印字されていく。時折タイプミスがあると、砂消しゴムで削り、一文字分ずらして紙をセットし、続きを打ち始める。遜色なく文字が並んでいるところを見ると、打ち直しにも慣れているようだ。


「知っている。まずはこのタイプライターを使いこなしてみせよう。その後にワードプロセッサーを習得する。パソコンは、その次だな」

「分かってるなら、良いんですけど……」

「問題ない。コイツを手に入れるとき、店員にあれこれと徹底的に訊いた。すぐにハルカに追いついてみせるさ」

「ジュゲム先輩は、いつもやる気に溢れていて前向きで、すごいですね」

 春風は、ジュゲムに対する尊敬の念を、これまで以上に強くした。

 これまでも、高い意識でより効果的かつ効率的に業務を遂行しようという彼の姿勢を好ましく思っていた。それが、前回の件で、春風がパソコンを使って見せると、これを習得しようとすぐに自分で勉強を始めたというのだ。

 以前に勤めていた会社では、パソコンを満足に使えないご老体が幾人もいた。あるいは、せいぜいワープロソフトを扱える程度の人もゴロゴロいた。そして、そういう人達は、自ら学ぼうとせず、誰かに丸投げするばかりであった。

 そんなご老体達より、はるかに年上であるはずのジュゲムだ。だが、全く見知らぬ技術や道具であっても、自ら考え学ぼうと行動している。分からないことがあれは、頭を下げて春風に尋ねてきた。そのフットワークの軽さには、素直に好感を覚える。


「一人のビジネスパーソンとして、当然の振る舞いだ。さて、今日のハルカの仕事は、この書類の送達だ。文書配送室へ行って係の者に聞けば色々教えてくれるだろう。あそこの係員に一人、とても親切な者がいる」

 そう言って向けた視線の先には、50センチほどの書類の山が五つ並んでいる。

「がってんです!」

 春風は、乳母車にも似た木製の台車を引っ張ってきて、書類を詰め込んだ。これをガラガラと荷物用の昇降機まで運び、順番待ちの列に並ぶ。順番が来たら、昇降機の木製の台に乗せて、ロープで固定する。そして、昇降機の舵を握る巨人族の女性オルメカに「一階まで」と伝える。すると、「あいよ!」と威勢のいい返事と共に階下へ搬送されるので、自分は階段で一階へ先回りする。そして、三階から昇降機が下りてきたらロープを外し、台から車を降ろす。台車が手元に戻ってきた段で、一時間が経過している。

「手間と言えば手間だけど、これはこれで面白いんだよね」

 最近は、何でも手動で始末をつけるやり方にも慣れてきた。階層移動の手段には転送魔法などもあるが、春風は昇降機を気に入っている。最初の内は上手くロープを絞ることも出来なかったので、昇降機が空いている時に、オルメカに頼んで何度か練習させてもらった。今なら荷運びのバイトだってこなせるはずだ。

 文書配送室は、一階の東側中央の一区画を占めていた。ドアは付いておらず、開け放たれた出入口は、常に誰かが、書類を手に行き来している。


「こんちはー」

 一応挨拶をしながら入室すると、出入口脇のデスクに座っていた女性らしき人影が、近づいてきた。というのも、顔中に包帯が巻かれていて、顔つきが判別し難いのだ。目と口は出ているので、女性ではないかと想像できる。

 顔だけでなく、体中に包帯を巻いており、甘くスモーキーな香りを纏っている。とても芳しい。


「ああ、いらっしゃい。おや、水の権能執行課のアサヒ・ハルカさんだね。知っているよ、君のことは。私はミュラ。どうぞよろしく」

 そういってミュラは、右手を左胸に添えて、腰を折った。恐らく挨拶だろうと推察できたので、春風もお辞儀をしつつ、挨拶した。

「はい、朝日春風です。よろしくお願いします」

「おやおや、聞いているとおり礼儀正しく真面目な娘じゃないか。好きだよ、そういう娘は」

 表情は読めないが、何となくニヤリと笑っているのではないかなと春風が想像を巡らせていると、ミュラは一歩下がって室内を示して見せた。

「ここで仕事をしているのは私と孤児達と……後は君のように書類の送達収受に来る者くらいだ。遠慮せずお入り」

室内に足を踏み入れた春風の感想は、一言だ。


「すごい」

 壁一面に、棚がずらりと並んでいる。上は天井まで、横は部屋の隅から隅まで。そして、棚は一つのスペースが縦横50センチほどで、各部署のプレートが付いている。どのスペースにも、何かしらの書類や小包が入っている。上の方の棚へ書類の出し入れするためか、大きな梯子がいくつも設置されている。


「部署ごとの棚が設置してあるから、書類を、送付したい部署の棚に放り込めばよい。大体が右から順番に並んでいる。精霊長公室、総務事務総局、企画調整局、人事局、各権能局という風にね。場所が分からなければ、私に聞いてくれても良いし、子供たちに聞いても良い」

 その言葉のとおり、室内では子供たちが、書類を分別しながら次々と棚に放り込んでいる。

 春風は、何となく子供たちを真似て、作業を始めた。書類には、どれも宛先が書かれている。総務事務総局庶務課、生命権能執行部権能執行課、精霊府監査議員事務局監査課、第十三世界監視委員会……。それぞれの棚へ、書類を入れていく。こんなにたくさんの部署があるのかと、改めて驚く。

 手を動かしていると、慣れのためか、どんどんスピードが上がっていく。しかし、それでも周りで同様の作業をする子供たちには敵わない。手早く次々と書類を分別していく。


「この子達は、孤児だ。ここで文書の整理をする仕事で日銭を得ているのさ。難しいことは分からないだろうが、この部屋の中のことなら、君より詳しい」

 たばこサイズの木の枝の様なものを咥えながら、ミュラが少し誇らしげに言う。

「皆、手際が良くてすごいですね。もしかするとみずちも、ここで働いているのかな」

「なんだ、知り合いの子が、精霊府で働いているかい?」

「ええ、みずちっていう子です。青い長髪で食いしん坊の、10歳くらいの女の子です」

「ああ、子供たちは大勢いるから、全員の名前は分からないのだよ。時々見かける子のことかな。山ほど書類を持ってきて、あちこちの部署の棚に放り込んでいるよ。この部屋ではなく、他の部署で働いているのだろうね」

「へえー。ミナカさんの言葉は、嘘じゃなかったんだ。本当にここで働いていたんだ」

 この言葉に、ミュラが興味深げな声音で食いついた。


「おや、君はあのミナカ先生のお知り合いか」

「ええ、ご飯を奢る者と、奢られる者の関係です」

「それは随分良い関係だ。ミナカ先生と言えば、人事局でも札付きだからね。なるほど、なるほど。不思議な新人が、よりにもよって水の権能執行課の第三係に配属されたと聞いていたけど、これで腑に落ちたよ。いや、内臓の無い私が腑に落ちるというのも変な話だが」


「え?私って“不思議”扱いなんですか?変人扱いされているんですか?やっぱり第三係って、鼻つまみなんですか?」

「とんでもない。水の権能執行課といえば、誰もが羨む花形部署だ。多いんだよ、行きたくても行けないと嘆いている者は」

「そうなんですか?」

「そうなのだよ。権能執行課はいずれも人気なのだ。加えて、メリーアン課長閣下が注目の的だからね。あれほど活動的な課長は、中々いないものだ。必要とあれば、他の部署に手を出し、口を出して巻き込んでいく手腕は、辣腕と言えるだろうね。精霊府内に敵も多いが味方も多い。そして、敵と味方のどちらからも評価されている」

「へえー、そうなんですか。私、まだ精霊府で働き始めたばっかりなんで、そういうのってよう知らないんですよ。勉強になります」

「そうかい。では、もう少し聞かせてあげよう」

 そう言いながら、新しい木の枝を取り出して咥えた。


「アサヒ・ハルカくん、君も咥えるか?」

「それ、なんですか?」

「ミルラの木を削ったものだよ。良い香りのする防腐剤の様なものだ」

「あ、防腐剤はノーセンキューで」

「そうかい。さて、次はジュゲム先生について話そうか。仕事の腕は群を抜いているし、外見も整っている。ということで多いのだよ、崇拝者が。他の部署が引き抜きたがっているけれど、メリーアン課長閣下が手放さないらしい」

「へえー。確かにジュゲム先輩はすごいです。ヤギ係長は、先輩に頼りっきりって感じですね」

 ミュラがニヒルに笑う。

「そうだろう。ヤギ君の下馬評と言えば、“優柔不断”に“無風の風車”、“昼行燈”と言ったところだ。思い当たるところは、あるかな?」

「いやー、そこまでではないと思っていたんですけど、皆がそう言うなら、そうなんですか?」

 春風としては、ヤギに減点する要素を見出していない。むしろ人柄は好ましいくらいだ。


「それは難しい質問だね。優柔不断とは言うけれど、彼の場合は易々と断じないだけだ。風車は風が吹けば仕事をするし、夜になれば行燈が必要になる。要するに、使いようなのではないかな、あの人材は。おっと失礼。偉そうに語ってしまったよ。君は、相手から言葉を引き出すのが上手だね。噂どおりだ」

「噂どおりって……私って、どう噂されているんですか?」

「常に冷静沈着で、人格は高潔。仕事は完璧で、抜かりない。伝説級の新人だ」

「おっとぉ、そいつぁ誰の話ですか?どこかのドイツ人と間違えとりゃしませんかい?」

 思わぬ評価に、春風の舌が絡まる。

「……噂どおりのひょうきん者だね。いや、面白いよ。私は大好きだ」

「からかいましたね?」

「からかいました。いや、すまない。でも、おかげで私は君のことが好きになったよ。君が良ければ、友達にならないか?アサヒ・ハルカさん」

「ええ、私なんかで良ければ、ぜひ!」

 春風は、満面の笑みで答えた。彼女の自己評価は、極めて低い。自分などという無価値な凡人を好いてくれるのであれば、誰でも何でもウエルカムだという程度には。そして、少し会話をした程度の仲だが、ミュラの人柄を好ましく思い始めていた。


「では、君の右手をこちらに」

 春風が右手を差し出すと、ミュラはそれを両手で押し戴き、自身の額に当てた。呪文を唱え、まじないを終えると、顔を上げて笑って見せた。

「これで君と私は友人となった。君が苦境に陥ることがあれば、それがどのような状況であっても、私は必ず手を差し伸べよう。だからと言って、同じことを君には求めない。私のために、君が傷つく必要はない。それが私の友情だ」

「いやいや、それは不公平ですよ。大丈夫です、困ったときはドーンと私を頼って下さいね!」

 春風の言葉に、ミュラは「ふう」とため息をついて見せた。


「きっと、君が窮地に陥ることの方が多いと思うよ。誰もが羨む花形部署の権能執行課に配属されて、人気者のジュゲム先生と親しくして、同じく人気者で受付カウンターの華であるジョンに気に入られている。何となく波乱万丈の気配を感じないかい?」

「そう聞くと、何だか私が物語の主人公になったみたい。すごい!」

「……まあ、楽しんでいるならそれで良いのかな」

「ところで、受付のジョン君って、やっぱり結構モテるんですね」

「ああ。彼は、恋多き男だね。まあ誠実だよ。少なくとも、交際期間が重なることは無かったはず。あだ名はチーターにシュトルデルに……色々だ。悪人ではないよ」


「うーん。あだ名の意味がさっぱり分からないよ」

「それは健全で何より」

 ミュラは、春風を見つめて優しく微笑んで見せた。

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