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精霊指定都市のお役人  作者: 安達ちなお


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案件2 伝説の聖なる勇者英雄王子の復活④

「堪え難いわね。全く堪え難いわ」

 イオス王国の王女アルシノエの蒼ざめた瞳が、ヒュドラを捉えている。足止めをすることに成功していた魔法障壁が、たった今、破られたのだ。


 戦端が開かれてから半日、ひと時も休まず、街に面した王城のテラスから、眼下の戦闘を眺めてきた。

 アルシノエには、たとえ命を捨てる事になろうとも、この街を守り抜きたいという思いがある。アレクサンドリアを守るためならば、身命を賭すことも厭わない。


 国境に迫る四か国の侵攻軍に対処するため、兵を全て出し切り、アレクサンドリアの兵力は底をついていた。防衛の戦力を捻出するため、住民から義勇兵を募り、金銭と武具を惜しげもなく与えた。自身の身辺に付いている人間も、防衛に回した。戦闘の訓練など受けていない学術系の魔法使いや狩人、土木作業員や事務吏員までも、協力を願い動員した。


 それでも、状況を覆すことはできず、徐々に攻め込まれている。不利な戦況は、彼女の心をじりじりと焼くように苦しめた。

 そして、ヒュドラが障壁を破壊し街に足を踏み入れ時に、その心痛は最大に達した。そして、命を捨てる覚悟が定まった。

 蒼い輝きを放つスターサファイアの指輪へ、魔力と魂を込める。イオス王国の王家に伝来するこの指輪は、建国前から信仰される精霊の力を宿していると言われている。


「祖霊にして地母神たるコウリウスよ。魔を排し、邪を退ける力を与え給え……」

 アルシノエの言葉に、父祖伝来の指輪の輝きが増していく。

 先ほどまでは、魔を退ける魔法的な障壁を城壁に構築することで、街外へのヒュドラの足止めが成功していた。これは、王族が王城内にとどまっている時に自動的に発動する特殊な魔法である。王城に残る唯一の王族であるアルシノエの存在が、魔法の発動を維持していた。


 しかし、それは破られた。

 彼女は今、自身の魔力と魂を投げ打ち、魔法を構築しようとしている。


「我が身命を糧に、その力の顕現を!」

 アルシノエの眼前に蒼い光の塊が現れ、ヒュドラへ向けて高速で飛翔する。城壁を超えて街の中心部へ向けて進みつつあったヒュドラの頭の一つを、易々と貫き、撃ち砕いた。

 忌まわしき邪蛇は、石造りの建造物を幾つも破壊しながらたたらを踏んだが、すぐに立て直して前進を再開した。


「くうぅ……」

 苦痛の声を噛み殺しながら二射目を放ち、二つ目の頭を吹き飛ばす。


 アルシノエのジョブは、プリーストである。本来は、攻撃魔法を持たない。聖石に魔力と魂を込めることで、無理やり攻撃魔法を発動している。それも、特大の威力の魔法を。

 その負担は尋常ではない。魔法を発動するたびに、生命を削っているといっても過言ではない。


 だが、アルシノエの犠牲が報われることはない。二射目が二つ目の頭部を破壊するころには、破壊したはずの一つ目の頭部が既に再生している。

 それでも次々と魔法を繰り出す。

 ヒュドラは破壊された頭部を次々と再生させるので、ダメージは与えられない。しかし、足止めには成功している。


「ぐっ……」

 一射ごとに身体と魂にダメージを受け、アルシノエの口から、苦痛の声が漏れる。魂へのダメージは、単なる肉体の負傷より、深く激しい。堪えようのない激痛だけではなく、魂が損傷することで深刻な後遺症が残ることもある。

 しかし、次々と魔法を放ち続ける。アルシノエには、何のためらいもない。


「フィラデルフォスが……私の愛する弟フィルが守ろうとした街ですもの。命を懸けて……いえ、命を捨てようとも、全身全霊を燃やし尽くしても、守るわ」


 アルシノエの弟……イオス王国第一王子フィラデルフォスといえば、最早その名を知らぬ者はいない。魔王ヘポヨッチを倒した5人の英雄の一人として知られている。

 勇者として、半ば伝説となり、全世界に知られている。


 だが、王子や英雄、勇者などの肩書や称号には、何ら興味は無い。アルシノエは、ただフィルだけを愛していたのだ。

 何かがあったわけではない。気が付いた時には、彼の存在が特別なものになっていた。そのすべてが愛おしかった。


 年は一つ違うだけだが、「姉さま」と呼び、慕ってくれていた。

 アルシノエを見かけると、いつもあどけない笑顔で駆け寄ってくれた。

 詩文や歴史が好きで、常に本を持ち歩いていた。時々、「素敵な恋愛の短編詩を見つけたんです」と本を届けてくれた。

 首都アレクサンドリアの近くに牧場を持ち、多くの牛を飼っていた。彼は当時まだ13歳であったが、文官の補助受けながら経営し、きちんと収益を上げていた。「今からしっかりと知識と経験を積んで、いずれは姉さまの治世でお役に立ちたいです」と言ってくれた。


 イオス王国は、性別にかかわらず最初に生まれた子が全てを受け継ぐ、長子相続が原則だ。つまり、現国王の第一子であるアルシノエが王権を受け継ぎ、女王となる。

 また、イオス王国の慣習では、異性の兄弟姉妹と結婚をして共同統治をすることがある。もちろん、あくまで統治上の婚姻であり、両親が同じ場合には子を設けず、養子を迎え後継者としていた。

 アルシノエは、フィル以外の配偶者を迎えるつもりはなかった。二人で統治をおこないつつ、いつまでも仲睦まじく過ごすのだと確信していた。


 しかし、暗黒の魔導士にして魔王であるヘポヨッチが現れた。そして、フィルが聖神シュアスの加護を受けた勇者になってしまった。

 世界の存亡をかけた死闘の渦中に、フィルを送り込むわけにはいかない。彼をアレクサンドリアに留まらせるため、ありとあらゆる手を尽くした。

 宥めすかし、説得し、時には物理的に魔法的に拘束した。それでも、止めることはできなかった。

 彼は行ってしまった。「僕が身命を賭すことで人々を守れるのであれば、僕はそうしたいのです」と笑顔で言う彼の決心を、変えることが出来なかった。

 そして、彼がアレクサンドリアに戻ることは無かった。


 魔王ヘポヨッチとの決戦でフィルが帰らぬ人となった。

 そう聞いた時のアルシノエの狂乱は、いまだに語り草となっている。魔王ヘポヨッチが滅んだことで世界が歓喜に沸く中、彼女は悲嘆の谷底へ突き落されたのだ。


 その後、フィルが生きている可能性が僅かでもあるかもしれないと捜索隊を各地へ派遣した。学者達に、失われた人を蘇らせる呪文を研究させた。フィルが戻った時のことを考え、国内の文化芸術へ多額の投資を続けた。彼が命を懸けて守ったアレクサンドリアを、守りたかった。


 しかし、最早その思いを遂げることは無理であると理解している。現在、敵を駆逐する戦力は、無い。自身の命を捨てても、僅かの間、ヒュドラの動きを止めることしかできない。

 けれど、それでも良いと開き直っている。

 フィルは、命を懸けて世界を守ったのだ。その思いに殉じて、この街を一秒でも長く守るために、死のう。


 アルシノエが魔法を使うたびに、体と魂に負担がかかり、ついには血を吐いた。


「姫様!」


 身辺に残した唯一の侍女が、悲鳴を上げる。城内の人員はほとんど防衛戦に出向いている。女や子供も、槍と弓を持たせて送り出した。プリーストの魔法で心身を強化したから、それなりに働けているはずだ。


「大丈夫よ、何の問題も無いわ」

 自分が死ぬことに、何のためらいもない。愛するフィルのいない世界など、留まる価値はないのだ。


 ああ、でもやっぱり会いたかった。愛する弟を抱きしめ、その笑顔を見たかった。自分が死ぬことなどは、もうどうでもいい。最期に、一目会いたかった。


 アルシノエは、魂を削る苦痛の中でひたすらに愛する人を想い続けた。

 そのとき、奇跡が起きた。


 一瞬の眩い輝きの後に、二つの人影が目の前に現れた。

 一人は、イオス王国では見かけることの無い、黒目黒髪の女性だ。もう一人は、その後ろに侍従のごとく控えている。

 黒髪の女性は、まるで人ではないかのような神聖さを感じさせる顔立ちであり、只人では無いことが分かる。そして、アルシノエですら見たことが無い、滑らかな美しい黒い衣服を纏っている。


 その神々しさから、明らかに人ならぬ存在であると理解できた。

 アルシノエは、すぐに膝をつき頭を下げ、礼拝の姿勢をとった。

 首を垂れるアルシノエに、神の御言葉が降り注いだ。


「我は、創世神コウリウスの使いなり」





 第五世界フェルミオンに降り立った春風が最初に見たものは、蒼みがかった長髪の美女だった。おそらく、この国の王女様だろう。

 王城のテラスは建物の三階部分にあり、アレクサンドリアの街並みを一望できる。

 九つの首を持つ巨大な蛇が、暴れまわっている。

 急がないとやばいなぁと、目の前の女性に向き直った。


「あ、どーもどーも。コウリュウ精霊府の方から来ました。怪しいものではないです」


 怪しまれていないよねと、少しびくびくしながら神鏡を取り出した。


「ご注文の品のお届けに伺いました。あ、ここに受け取りのサインかハンコをお願いします」

 神鏡を見る美女の目が、大きく見開かれた。





「汝が願いは、聞き届けられた。この鏡が、奇跡を起こすであろう。さあ、その名を示すがよい」


 その言葉と共に神の御使いが差し出したのは、美しい鏡であった。

 アルシノエが普段使っている、金属にメッキをして磨いた鏡ではない。透きとおった氷や水晶を一流の職人が貴金属で飾り付けたような、幻想的な美しさを持つ鏡だ。


 そして、神の御使いから、成約の証として名を示すよう求められた。真名を求められたのだと、すぐ察しがついた。

 真名とは、その者の魂に刻み込まれた真実の名前である。真名を伝えるということは、自身の生殺与奪の全てを相手に預けるに等しい。たとえ親族であろうとも、伝えることはない。


 アルシノエは、国王である父にも、王妃である母にも伝えていない。

 その真名を、即座に差し出した。何のためらいもなかった。

 そして、鏡を手にしたとき、それが正しかったことを知った。


 アルシノエの手の中で鏡が蒼く光り輝いた。蒼い光は瞬く間に拡がり、アレクサンドリアの街を包み込んだ。

 光が晴れ、視界を取り戻したアルシノエが見たものは、蒼い閃光を放つ斬撃がヒュドラを一撃のもとに打ち倒す光景であった。

 彼女が魂と生命を犠牲にしても足止めしかできなかった邪蛇を、一閃で葬り去ったのだ。

 蒼い光を放つ斬撃。それは、英雄とも勇者とも呼ばれた少年が得意とした剣技であった。


「フィル!」

 遠目だが、間違えようがない。

 ヒュドラを打ち倒したその人は、彼女が再会を夢見ていた、愛する男性であった。

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