七話
風邪や重力を全く感じさせない直線的な軌道によって森はとっくに遥か彼方。僕とレイは荒野の上を飛んでいる。
「これいつ落ちるんだ」
驚いたのは僕達は一切風圧を受けない点だ。身体の周りに魔力の膜が覆っている。
「全く落ちる気配ないよね」
最初こそビビっていたものの十分もすれば流石に慣れてくる。この無限飛行状態からの脱出法について僕には一つの仮説がある。
「紙を取ったら落ちるんじゃないかな」
言い出せなかった理由は取った瞬間に何の予告もなく落下するんじゃないかという不安が拭えなかったからだ。
「なるほど。......って取ったら真っ逆さまで、取らなければこのまま一生飛び続けるってこと」
僕はミラさんの言葉を使う。
「ミラさんは無限はないって言ってた。この空の旅にも終わりはあるはず」
ただ問題は落ちた時のこととこのまま飛んだらどこで落ちるのかってこと。墜落死なんて絶対に嫌だ。
「川か湖の上でとるのは」
「それしかない。確か荒野を抜けてライエルンに近いところにディバラ湖があったはず」
身体の向きや手足を動かす程度のことが出来るのは確認済みだ。
僕達が湖の上に落下することを決めてからようやくその時が来た。
視界にディバラ湖を収め、いやでも緊張してしまう。幸運なことに軌道はディバラ湖の上を通っている。
正念場だ。
ディバラ湖の上、僕達は背中に貼られた紙を剥がす。予想通り、重力に従って僕達の体は湖に向かって落ちていく。
レイの右手を掴み、手繰り寄せてギュッとレイが上になるように抱きしめる。
背中にハンマーで叩かれたような衝撃を受けると吸い込まれるように水中に沈む。
ここで気絶したら死ぬ。強く強く強く。
歯を食いしばって気絶を避け、輝く水面を目指す。
浮上してすぐに呼吸の乱れを整える。
「......レ......イ......」
「こっちだよ。お兄」
後ろを振り向くと水で髪の毛が張り付いたレイが笑っている。一瞬抱きしめそうになったが、冷静に考えて、岸まで泳ぐ。
「結構楽しかったね」
レイの顔を見ればわかる。本心で言っているのだと。
「お兄ちゃんはこんな空旅ごめんだよ」
レイは僕の返しに笑った。
陸地に上がってすぐにその場に仰向けになって倒れこむ。踏める大地があることがこんなに素晴らしいことだとは思わなかった。
「少し休もうか」
隣から聞こえた声に同意して、目を瞑った。
目を開けると、燦々と輝いていたはずの太陽が沈みかけていた。
半日近く寝たんじゃないか。隣を見れば疲れていたのかレイもスヤスヤと寝息を立てて眠っている。
夜は魔物が活発になるからとっとと街に着きたい。
僕の目には小さくはあるがバッチリとライエルンの街が写っている。ライエルンは平地ではなく丘の上にある。命がけの飛行には相応のメリットがあった。もう二日は歩き続けなければならなかったはずだ。
全身が痛むが歩けないほどではない。レイは大丈夫なのか。ぱっと見はなんともなさそうだけどこればっかりは本人に聞いてみないと分からないな。
しばらくは起きそうにないか。僕は敵襲に備え察知を発動した。後ろに計六つの反応。明らかに僕達を狙って動いている。
何で僕達を?僕達には護石が。護石があるはずの首前で手を動かすが付いていない。落ちた時に落としたのか。僕は意を決して察知に神経を注ぎ込む。
四足獣。......ダークハウンドか。振り返ると、ダークハウンドは僕めがけ向かってくる。黒い毛皮と赤く鋭い目つきが特徴的な魔物だったよな。敵の攻撃は爪と牙。
剣を抜いて、先頭のダークハウンド目掛けて走る。
僕は先頭のダークハウンドの口を貫いて、続けざまに攻めてきた一匹も躱して横から縦に腹を切り裂く。
ほか四匹は二匹だけで事足りると思っていたのか、攻めてきてはいなかった。離れた四匹を睨んで威圧する。
「まだやんのかよ。犬っころが」
猛スピードで逃げていくダークハウンドの背中を見送って、剣を支えにして倒れこむのを防ぐ。眠気はないが栄養不足と背中を中心とした痛みは心身ともに蝕んでいた。
「お兄」
レイが心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫じゃないよね」
レイは昔から大丈夫?の代わりに大丈夫じゃない。という。レイがいうには大丈夫と聞くときは大概大丈夫ではないから疑問形は適切ではないとかなんとか。
そして僕はそう聞かれると決まってこういうんだ。
「大丈夫じゃないかな」
「レイさまに任せなさい」