三十三話
「なるほどのう。『煉獄』が現れたのか。それならそうと言ってくれればよかったんじゃ」
男はベリリガンの言葉を聞いて耳を疑った。男の脳裏には空中で癇癪を起こして大騒ぎするベリリガンがはっきりと張り付いていた。
「それであのアバズレはどこに行ったんじゃ」
「多分奥の方に行ったと思いますけど」
「チッ。あの女から目を離すと何をしでかすか分からん。前みたいに何か壊されたらたまったもんじゃないわい」
男はベリリガンの一言で以前、奥に行った女が毒の入った小瓶を割って大惨事になったのを思い出した。
「まあいいじゃないですか。『煉獄』はともかくとしてあの二人には負けなかったんですから」
「……そうか。実験自体は成功じゃったわけじゃしな。あの女に構って気を落とす方が無駄じゃい」
ベリリガンの機嫌が直ったところで男は本題に入る。
「先生そろそろ完成した薬をいただけませんか」
「そう焦るな。さっき成功が確認できたばかりなんじゃぞ。これからどんどん量産しちゃるわ」
そこに奥から女が底意地の悪そうな笑みを浮かべて戻ってきた。女が手に持った小瓶を見てベリリガンは驚きを隠せなかった。
「おい、クソジジイ。こいつがお前の言った完成品じゃねえのか」
「どうしてそれを」
ベリリガンは絶対に見つかることはないと確信していたのだ。動揺するのも無理はない。
「まさかグリーンスライムの中に隠すとはなぁ。お前もちったぁ頭が回るじゃねえか」
緑色の液体が怪しげに光る。
「どうして嘘をついたんです」
男の問いへの最適解をベリリガンは探し、笑顔を顔に貼り付け、答えた。
「いやぁーすまんすまん。実は前にもう一本分作っとったんじゃがこいつに食われてしもうての。儂も困ってたんじゃ」
女はにっこりと笑ってベリリガンを追い詰めていく。
「お前はずっとこっちの手の平で回ってりゃあ良かったんだよ。なぁ裏切り者さんよぉ」
「なっ」
女の言葉にベリリガンの口から思わず声が漏れる。
「素材集めの見返りとして他組織にウチの情報を横流ししてたんですよね」
「お前さんまで何を」
思わぬ方向からの追求にベリリガンの顔を汗が伝う。
「そろそろ正直に吐いたらどうだベリリガン」
先生ではなくベリリガン。男の声音も口調もベリリガンが今まで聞いてきたものとは全く違うものだった。
「いつから知ってた?」
それは嘘の肯定であると同時にベリリガンが組織に残るという選択を捨てたことを意味する。
「強いて言うならお前が初めて『蛇』と会った時だな」
その答えを聞いてベリリガンは自分が最初から疑われていたことを知った。
「最初から疑っとったということか」
「お前の性格は組織内でも随分と問題視されてた。研究のためなら殺しだろうが裏切りだろうが何でもする。今回が初めてじゃねえだろ。組織の情報引っさげて次の組織に寝返るのは」
研究に必要な素材のためならそこをナワバリとしている組織に研究の成果の提供と前組織の情報を流して取り入る。それを繰り返してベリリガンは自分の手では集めることができない素材を集めてきた。
今だってそうだ。薬の完成度向上を目指して『蛇』へ取り入るのはベリリガンにとって決定事項だった。
「カッカッカ……主らはわしがそれだけでやってきたと思っておるのか。笑わせるな。スコル!」
ベリリガンが呼んだ瞬間、洞窟の天井から一体の魔物が落ちてくる。その巨体を避けるため、男と女は後方に下がった。
裏切りがバレて命を狙われるのはベリリガンにとって初めてではない。所属した組織が増えれば増えるほど狙われることも多くなっていた。
「洞窟に天井部屋でも作ってたのか」
男は冷静に魔物を観察する。
ポイズンスコーピオン。砂漠を主な生息地とし、その硬い甲殻で身を守り、巨大なハサミのような前足と尻尾から出る毒で敵を狩る砂漠の狩人。
「主らの想像しとるスコーピオンとは格が違うぞ」
男は甲殻の色や全長からその名を口にする。
「希少種か」
男の推測をベリリガンは肯定する。
「いかにも。わしとこいつで今まで何人もA級を葬ってきたわ」
通常ならB級上位程度の能力だが希少種になれば話は違う。通常種の倍近い全長と遥かに硬い甲殻、毒も麻痺性から致死性に変わる。
「なぁ、もうこいつ潰してもいい」
女はいつのまにか両手に握っていた二本の斧の一本でポイズンスコーピオンを指す。
「やれるもんならやってみるがいい」
女はベリリガンの自信に満ちた声を聞いてポイズンスコーピオンの上へ跳躍。
【滅多斬り】
女はポイズンスコーピオンに向かってしっちゃかめっちゃかに両手に持った斧を振り回し、斬撃を飛ばす。
勝負は一瞬だった。女が着地した瞬間、ポイズンスコーピオンの身体がミンチになる。
「なっ……ああっ……あっああ」
ベリリガンは後ずさりするがそこには壁と実験器具があるだけで逃げ道はない。
「どうする?自分で舌でも切り落とすか?」
女は笑いながらベリリガンとの距離を詰めていく。
「……カッカッカ。なんてな」
ベリリガンは女が近づいた瞬間、魔法を発動。
【宣告する状態異常・麻痺】
フルネームを呼ぶだけで敵が麻痺するベリリガンの真の奥の手である。発動条件は名前を呼ぶ対象が半径5m以内にいること。
「ケリー・メリル。レイム・ドミニク。......かっかっかっかっか。わしの勝ちじゃ」
ベリリガンは勝利を確信しベリリガンは高らかに笑った。
「じじい。何笑ってんだ?」
ベリリガンは未だ平然として倒れない男と女を見てすぐにもう一度いう。
「......ケリー・メリル。レイム・ドミニク!」
そこでベリリガンはようやく理解した。
「......嘘をついていたのか」
ヴァネッサはベリリガンの表情が絶望に染まるのを見て心底嬉しそうに嘲笑を浴びせた。
「ギャハハハハハハハ。いい顔だよ。いつ見てもたまんねぇな。絶望に染まった人間の顔はよぉ」
ヴァネッサは真顔に戻り、斧を抜く。
「その顔のまま死ね」
ベリリガンの首が床を転がる。
「任務は達成した。本部に戻るぞ」
ヴァネッサは小瓶とベリリガンの首を持つ。
シュタインとヴァネッサは二つの任務を遂行し、洞窟を後にした。




