二話
歩き始めて早五時間。僕たちは適当な岩に腰掛けて登っていく朝日を眺めていた。
僕もレイもあまり疲れていたわけではないけれど休める時に休んでおけというディル爺の忠告にならったのだ。
僕はレイが同行することになって生じた一つの懸念についてずっと考えていた。シュテーゲン家は絶対にレイのことを追いかけてくる。
レイは僕が落ちこぼれだったことで次女ながらシュテーゲン家の跡取りとして育てられた。長い年月をかけて育成してきたレイをシュテーゲン家がみすみす逃しておくはずがない。一家の人間が気付けば当然捜索隊が出されるはずだ。
そうなると明らかにこちらの部が悪い。見つかれば即詰みだ。
山に潜る?ダメだ。護石が切れたらすぐに死ぬ。ライエルンでお金を貯めてどこか遠くに行くのが一番現実的か。
「これからの話だけど」
僕がそう言うとこれからという部分に反応したのか嬉しそうな表情で俺と目を合わせた。
「うん」
「何事もなく街に着いたら僕は冒険者になろうと思うんだ」
レイは冒険者というワードに過剰に反応した。そういえば昔から冒険者の話の絵本が好きだったな。
「レイも冒険者になる」
レイがこう返すのも勿論分かっていた。
本当のことを言えば嫌だけど、レイがあの家で問題なくせいちょうすれば確実に始末人としての人生を歩んでいたのだ。冒険者と暗殺者に如何程の違いがあろうか。
それにレイは強い。それは揺るがない事実であり、僕が読んだ本ではそれが冒険者という職において重要なリソースだった。
「じゃあまずは、ギルドに行こう」
僕はバッグから『冒険者入門書』を取り出すと栞を挟んだページを開く。
レイが横から覗き込んで来たから僕とレイの間に本を岩に本を置いた。
「この本によると冒険者は資格も試験も必要ないらしい。最初は街に着いたら適当な店に雇ってもらう考えだったけどこんな訳の分からないやつが雇ってもらえるとは思えない」
「言ってすぐになれるみたいだね」
レイは一文を指していう。僕は頷く。
「でも誰でもなれるってことはその分バンバン人も死ぬんだと思う」
僕はかつて闘技場で相対したモンスターたちを思い出す。シュテーゲン家が殺すのはモンスターではなく人間だけど人間とは違う動きや感性を持つモンスターと戦っておくことは経験になる。みたいなことを言ってたなあ。
父さんの僕を見る凍てついた眼を思い出して少し震えた。
冒険者になるってことはあんな魑魅魍魎たちを討伐して金を稼いでいくってことだ。何の訓練もしない人間があいつらに勝てるとは到底思えない。一攫千金を狙える仕事と書いてはあるけどその裏で常に死体が積み上がっているのだろう。
「ここダンジョンって書いてあるよ」
「冒険者は未開拓の土地や手付かずの遺跡を調査して財宝を見つけたりするみたい」
「財宝!?」
レイの眼があからさまに輝く。
「でもお兄が冒険者を目指すなんて」
「俺も安全に稼ぐ手があるならそっちに乗るよ。でもそんなものはない。それに僕たちは既にモンスターとは戦ってるだろ」
僕が冒険者という職に踏み切ったのは僕達が決してモンスターと戦うのが初めてではないという点だ。初日にあっさり食い破られるなんてバッドエンドは恐らくない。基本は下級モンスターしかいないところでお金を稼いでたまにダンジョンに潜ってまとまったお金を手に入れて暮らしていく。それが僕が思い描いた生活だ。
レイを守るという必須事項が増えたけれど幸いレイはとにかく強い。レイが旅に加わろうが僕の計画は変わらない。
「そうだね」
「ねえ。何でモンスターたちは一向に襲ってこないの」
僕達の左前は幅の広い一本道で太陽が顔を出しているけど右後ろ側は森でここしばらくの間は木の陰から僕らを狙うモンスターがいるのは分かっていた。
「ああそれはこれがあるから」
僕は首にかけた紫色に光る石を持つ。
「それずっと気になってた。すっごく濃い魔力が出てたし」
「ディル爺がくれたんだけど魔除けの護石ってやつで魔力を貯めることが出来るらしい」
「それで」
「溜め込んだ魔力の量に比例して魔物に放つ威圧が大きくなるらしい」
「なるほど」
この石が今魔物たちには古龍にでも見えているのかもしれない。
「ディル爺が三日間魔力を貯め続けたらしいから下級の魔物は近寄ることも出来ないよ」
「流石ディル爺」
「でも欠点があって効力が」
「三日で切れるとか」
「だから効果が切れる前に少なくとも魔物がいないところまでは行かないと」
「じゃあもう行こっか」
僕とレイは話もそこそこにまたライエルン目指し歩き出した。
爛々と輝いていた太陽は月に役目を預けて規則的に西の空へと消えていった。
これが新しい生活を初めて一日目の夜だ。空には一点の曇りもなく無数の星が散らばっている。
この山道さえ抜ければ後は荒野でじきにライエルンも見えてくるはずだ。
山の踏破に一日半、荒野に一日半でライエルンに到着するのが理想的だがそれは無理かもしれない。
これまでの怯えたような視線とは違う挑戦的な視線を感じる。レイも警戒しているようだ。
一歩。また一歩。明らかに近づいている。距離は5メートル。後方に十、いや十二体。体格は僕らとあまり変わらない。四足獣か。
レイに目線を送る。戦闘だと意味を込めて。
僕は腰に携えた剣の柄を掴むと感覚を頼りに後方を向き、跳躍していた何かを刃で切り裂く。
「ギエ」と奇怪な喘ぎ声を吐くとそれは地面に落ちて絶命を示した。俺は無数の図鑑で見た全体絵にその風貌を当てはめる。
「ホワイトウータン」
白い毛が特徴的な魔物で常に十頭以上で行動する。最大の特徴は頭数に応じて恐怖心が消え、格上相手にも平気で挑むこと。でもこいつはこの森に生息する魔物じゃないはずだ。住処でも追われたのか。こんなのイレギュラーだ。
僕の脳裏にディル爺の最後の言葉が浮かぶ。
「絶対はない。どんなに万全の状態で進もうと必ずどこかで綻びが生まれます。それすらも越えて先へ進むのが冒険者ですよ」
この時のディル爺の言葉がやけに現実味があって説得力があったのを思い出した。
「レイ無事か」
「うん」
見るとレイも一匹斬り伏せたようだ。
息をつく間も無く二匹目が襲ってくる。
振りかざした爪を左に躱すとガラ空きになった脇腹に剣を突き立てる。
三匹、四匹と返り討ちにして分かった。こいつらにはおよそ駆け引きというものが存在しない。手当たり次第に数に任せて突撃するだけ。初級冒険者ならいざ知らず、少なくとも僕達には通用しない。
最後に飛び込んできた二匹を横に剣を振り絶命させ、周囲に残党がいないことを確認して剣を歪みに戻した。
勝利の喜びよりもこいつらを追いやったナニカのことが頭から離れなかった。