#2:爆発の舞台裏
――爆発の15分前、時刻は12時30分。新米警備員のアッシュはエンパイア・ステイツ86階の警備を担当していた。
ああ退屈だ。本当にこんな仕事、意味があるのだろうか。こんな超高層ビル、しかも何重ものセキュリティがかかったビルだ。こんなところに入ってくる不審者はきっと大馬鹿者だ。爆弾なんて持ち込もうものならすぐに警備員に捕まる。ああ退屈だ。それに薄給だ。俺は退屈のあまりあくびをした。
「あくびをするんじゃない」
そう言うのは上司のウィリアムだ。年を取って頭が固くなっちまったのか、いつも規則だのなんだのと口うるさく注意をしてくる。俺は奴のことをよく思ってない。多分他の奴らもだ。面倒くさいので適当に返事をすると、
「まったく。お前、今日が何の日かわかっているのか?」
いつもの説教が始まった。
「さあ、何の日でしょうか?」
俺は首をかしげる。
「あの同時多発テロの五周忌の日だ。我々はあのような悲劇を繰り返さないためにも規則を守り、集中して警備に取り組む義務があるのだ」
ウィリアムは俺に向かって言うというよりも自分自身に言い聞かせているようだった。そういえば今日はあの日だったか。やはり5年も経つと忘れてしまう。いつもは話半分に聞いていたウィリアムの説教だったが、今日ばかりは少しは真面目に聞いたほうがいいな。そう思っていると、ウィリアムは上司から無線に連絡が入ってきたらしく、
「はい……分かりました」
と返事をすると、
「少しここを離れる。くれぐれも警備を怠らないように」
と言って非常階段を使って下の階へ降りて行った。警備員は原則、階の移動にエレベーターは使わないのだ。下の階で何かあったのだろうか。そう思っていると、
「すいません」
野球帽をかぶった長身の黒人の男が話しかけてきた。近くにいると威圧感を感じるような大男だった。男は赤いTシャツにジーンズという正にアメリカ人という様な服装をしていた。
「なにかございましたか? その、不審物とか」
俺は聞き返す。ウィリアムが呼び出されていたこともあって俺も少し非常事態に対して警戒を強めていた。すると野球帽の男は、
「いや、ここのスプリンクラー、水の出る奴っすかね?」
と、奇妙なことを聞いてきた。俺は不思議に思いながらも、
「はい。そうですけども、それがどうかいたしましたか?」
と聞き返した。男は、
「いや、ただの確認っすよ。確認。ここまで準備したってのに俺がスカしちゃあ台無しだと思ったんでね」
男はまた奇妙なことを言うと、さっさと立ち去って行った。引き留めたほうがよかっただろうか。スプリンクラーから水が出るかどうかの確認なんて普通の奴はしないだろう。まさかあの男、放火でもしようとしているんじゃないだろうか。俺は男を追いかけようとしたが、もう男の姿は見えなかった。気づくともう昼時だった。俺は同僚にさっき会った男のことを伝えてから昼休みに入った。
俺がトイレにいた時、突然火災報知器が鳴りだし,スプリンクラーが起動した。トイレのスプリンクラーも起動し、俺にも大量の水がかかった。
最悪だなと思っていると、
轟音と同時に衝撃がやってきた。
個室の扉は衝撃によって打ち破られ、個室を出てみるとトイレの鏡もボロボロになっていた。何が起こったのかわからなかった。急いでトイレから出ると、そこには変わり果てたビルの姿があった。豪華な装飾も、たくさんの同僚も、跡形もなくなっていた。そこにあったのはむき出しになった鉄骨と粉々に破壊されたガラスの破片だけだった。フロアは黒煙に包まれ、火傷をしそうなほどの熱風が吹いていた。爆発が起きたのか?そんなこと……いや、これはきっと夢だ。俺はきっと夢を見ていたんだ。そう思いながら、俺は意識が遠のいていくのを感じた――
「おい! 大丈夫か?」
気づくと、俺の前にはウィリアムがいた。爆発音を聞いてこの階まで戻ってきたようだった。さらに後ろには下の階から来たであろう警備員たちが揃っていた。ざっと30人はいる。あれから俺はここで呆然と立ち尽くしていたようだった。
「え、ええ。なんとか。トイレにいたので助かりました。」
俺は答える。
「そうか、それはよかった。こいつらは50階から85階を担当している警備員だ。お前も客の救助に協力してくれるか?幸い火事も起きていない上にガス漏れも発生していないみたいだ。このフロアにももしかしたら生存者がいるかもしれない」
ウィリアムが言う。
「はい。わかりました」
口ではそう言いながらも内心、俺はまだこの現状を把握しきれていなかった。
「そこの方々、助けてくれませんか!」
突然どこかから男の声がした。まだ生存者がいたらしい。すぐに救助に向かわないと。
「待ってろ! どこにいる! すぐに行く!」
ウィリアムが応答する。
「いました!」
一人の警備員が答える。男は瓦礫の中に埋まって身動きが取れないようだった。男は野球帽を被っていたが、俺が爆発の前に会った男ではなかった。男は白いYシャツを着ていた。
「今助けてやる。下手に動くなよ」
警備員たちが瓦礫をどけようとする。すると突然、警備員たちが苦しそうにして倒れていった。
「おいどうした! お前たち!」
ウィリアムが叫ぶ。もしや有毒ガスか? とにかく警備員たちを助けないと。そうしている内にも次々と警備員たちが倒れていく。
「お前たち! いったん引け! どこかから毒ガスが漏れ出しているみたいだ!」
警官たちは急いで彼の元から離れる。
「そんな。ひどいじゃないですか。善良な一般市民をあろうことか警備員が見捨てるだなんて」
白いシャツの男が言った。俺は驚いた。奴の近くの警備員はみんな倒れてしまっている。なぜ奴だけが無事なんだ?ウィリアムや他の警備員たちも驚いている。
「それに、毒ガスじゃありませんよ。これは」
男はそう言うとがれきの中から体を抜いて立ち上がった。瓦礫に埋もれているように見えたのは単に瓦礫の隙間に体を入れていただけだったのだ。ということはこいつ、まさか。
「お前がやったのか?」
ウィリアムが困惑した声で聞く。男はにやりと笑うと俺たちに向けてエメラルド色をした氷柱のようなものをいくつも生成して、撃ってきた。それらは壁に当たって砕けるとさらに小さな氷柱へと変化し、俺たちに襲い掛かる。結晶が激しく弾ける音がバチバチという。それはまるで機銃の掃射を浴びているようだった。
「貴様……」
ウィリアムが苦しみながらも男に銃を向け、発砲した。だが男はエメラルド色の結晶で壁を作って銃弾を防いでしまった。
「銃は効かないですよ。それにどうやらもう、貴方たちしか残っていないみたいですよ」
男は言う。確かに俺たち以外の警備員は全滅していた。凄まじい力だ。人間じゃない。きっと俺たちも成す術もなく殺される。そう思っていると、
「アッシュ、お前はこの事態を下にいる警察に伝えろ。ここは俺が食い止める」
ウィリアムの足にはいくつもの氷柱の破片が刺さっていた。
「でも、さっきの攻撃で無線が……」
俺は困惑していた。
「お前が直接伝えるんだ! さあ早く!いけ!」
ウィリアムは叫ぶ。俺はそんなこと無理だろうと思った。
けれどここでいかなかったらウィリアムの覚悟を無駄にすると思った。俺は無我夢中で非常階段へ走った。
「無駄ですよ」
男が氷柱を仕掛ける。だがそれは俺の元へは届かなかった。代わりにウィリアムの鈍い声が聞こえた。
「俺にかまうな! 行け!」
それが俺が聞いた最後の言葉だった――
元素コラム 第二回
アメリシウム Am 原子番号 95
今回は能力者こそ登場しましたが、その元素を紹介するとネタバレになってしまうので今回はこのエピソードの舞台でもあるアメリカの名前がついた元素、アメリシウムを紹介します。アメリシウムは主に煙感知器に利用される放射性元素です。まさに今回のエピソードに登場したスプリンクラーにも使われているかもしれませんね。名前の由来は周期表で見たときに真上にあるユロピウムがヨーロッパ大陸から名づけられているので、それに対比させてアメリカ大陸からアメリシウムと名づけられました。




