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#1:濡れ衣

――街中に響き渡る轟音と悲鳴。ビルからは絶え間なく黒煙(こくえん)が立ち上り、窓から手を伸ばして必死に助けを求める人々の姿も見える。ビルの周囲には無数のヘリが飛び回り、地上ではパトカーのサイレンが鳴り響く。そこは間違いなく地獄だった。

 僕はただそこに立ち尽くすことしかできなかった。僕にはきっと何かできたはずなのに。

 今でも鮮明に思い出す。あの日は雲ひとつない晴天だった。そして照りつける日差しが嫌に(まぶ)しかった――



 2019年、8月20日。僕は今、アメリカ最大の都市、ニューヨークの街を歩いている。五年前、テロに巻き込まれて亡くなった、僕の両親を(とむら)うためだ。テロが起きたワールドキングタワーの跡地は、最寄り駅のコートラント駅から歩いて15分ぐらいの場所にある。だけど、僕は花を買うために、少し寄り道していくことにした。もう少し歩くと大きな花屋がある。そこで何本か弔花(ちょうか)を買って両親に供えようと思っていた。

 今日のニューヨークは快晴。鋭い日差しが僕の肌を焼く。街を歩く人々も皆サングラスをしている。


――5年前の今日も雲一つない快晴だった。あの日を境に僕の生活は変わってしまった。さらに、僕はあの日から不思議な力を使えるようになった。『鉄』を操る力だ。



 花屋が見えた。ニューヨークの大通り沿いにあるだけあって結構、規模がデカい。店内にはかなり沢山の人がいるみたいだ。僕と同じように弔花を買うために来ている人もいるのかな。そういえば、英語圏では弔花のことはシンパシーフラワーと言うんだっけ。

 花屋に着いてドアを開けると、花の華やかな香りが僕に押し寄せてきた。華やかな香りではあるのだけど、たくさんの花の香りが混じったこの香りは、少し僕には苦しかった。僕はできるだけ早く買い物を済ませようと、少し早歩きで目当ての花を探す。

 僕が探しているのは白い菊の花だ。折角だから、何か特別な花を供えようと花言葉を調べたりもしたけれど、結局はこれに落ち着いた。たくさん並べられた花のせいで少し狭くなっている通路を抜けながら、ようやく白い菊の花を見つけることができた。僕は菊の花を何本かとってレジに向かう。レジには列ができていた。

レジに向かう途中、白い服を着た長身の女性とぶつかった。

「すいませ……」

 僕がそう言い終わらないうちに、彼女が悲鳴を上げた。

「財布がないわ! あなたが盗んだのね!」

彼女は怒りを込めた瞳で僕を睨みつけた。

 僕が、盗んだ? もちろん、身に覚えはない。突然のことに困惑してると、僕の後ろから、警察の制服を着た大きな男がものすごい勢いで僕に迫ってきた。

 まずい。捕まる! 僕は盗んでないのに!――

 僕の頭は恐怖に支配され、冷静な判断ができなくなっていた。

 咄嗟(とっさ)に僕は花を持ったまま店を飛び出してしまった。



 どうして逃げてしまったのか。逃げてしまったらまるで僕が犯人だと言っているようなものだ。

 そんなことを考えながら、僕は大通りをできるだけ人気のないところを目指して必死に走る。警官も僕を追いかけて走る。警官は強面(こわもて)で体格はよく、歳は30になるかといった風に見えた。がっちりした見た目の割には足が速く、少しでも気を抜いたら追い付かれそうだ。細かく何度も曲がって裏路地に逃げ込んだ。なんとかあの警官をまけたけれど、さて、これからどうしよう。そう思っていると、

「見つけたぞ! 窃盗犯め!」

さっきの警官が鬼のような形相(ぎょうそう)でこちらに迫ってくる。こんなに早く見つかるなんて。そう思ってふと足元を見ると、そこにはこれまでの僕の足跡が黒くくっきりと残っていた。いつの間に黒いペンキでも踏んでしまったのか。いや、違う。これは何か黒い粉だ。この粉、どこかで見たことがあるような。



 そんなことよりも、逃げないといけない。逃げることが正解だとは思わないけど。でも、あの警官に捕まるよりは、他の警官に捕まるほうがまだマシだ。もし彼に捕まったら交番まで無事でいられるかどうかも怪しい。それぐらいには怖かった。

僕は近くの古い建物に外階段があるのを見つけたが、階段を登るには体一つ分届かない。この手の建物は防犯上、1階部分には外階段がついていないことが多いからだ。咄嗟に偶然足元にあった鉄パイプを手に取ると、僕の『能力』で鉄パイプの先を鋭く変化させ、壁の割れ目に突き刺した。そして、突き刺した鉄パイプを手掛かりとして体一つ分ある壁を登り切った。警官は僕が何をしたのか理解できていない様子だった。

 僕は階段を覆う柵を変化させて外階段の中に入った。そして、そこから全速力で階段を登っていく。どうやら警官は中から入ることを選んだみたいだ。

 警官が非常階段に入るのが見えた。警官との距離はちょうど2階層分まで広がってたけど、上った後のことは全く考えてなかった。

 階段を上るのと、能力を使ったのとで、体がかなり疲労しているのが分かった。屋上まであと数回の折り返しだ。警官も必死に階段を上ってくる。僕が疲れていたこともあって、その差は少しずつ狭まっていた。



 突如、何かが爆発したような轟音が少し遠くから聞こえた。僕は急いで階段を昇りきると、爆発音の鳴った方向を見た。少し遅れて警官もやって来た。

「嘘だろ……」

 思わず声が出た。そこにはどす黒い煙をごうごうと出しながら燃えるNY最大のビル、エンパイア・ステイツがあった。

 まさかよりにもよってこんな日にこんなことが起こるなんて。

 警官も驚きを隠せないみたいだ。この煙の色、この景色、あの時と同じだ。五年前のワールドキングタワーの事件と。底知れない怒りが胸の奥から湧いてきた。あんな日をもう二度と繰り返しちゃいけない。こんなこと、絶対に許しちゃいけない。

 気づくと、手に持っていたはずの花はなくなっていた――



元素コラム 第一回

鉄 Fe 原子番号26 

本編では主人公の阿蓮祐が操る元素ですね。この鉄という元素は元素の中でもかなりメジャーなのではないでしょうか。さて、皆さんの中に鉄の元素記号に違和感を持った方はいるでしょうか?そう、鉄は英語で『iron』ですが、なぜか元素記号は『Fe』なのです。ならばFeは何の言葉を元にしているのでしょう?実はFeはラテン語で『鉄』を意味する『ferrum』からきています。このように元素一つ一つにつけられる元素記号にはラテン語など、英語以外の言語由来のものも実は多いのです。

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