第7話 神様の御使い
ここは、空高くにある「天上の国」。ここには、神様や天使が住んでいます。天上の国には悩みは苦しみはないと言われておりますが、実は、それは真っ赤な嘘です。神様だって、悩みはあります。天使だって、苦しみます。
——ほら、今も神様が頭を抱えていますよ?
「はあ……」
「神様、どうかなさいましたか?」
溜息をつく神様に、1人の天使が問いかけました。
「ああ、これをどうしようかと思ってな……」
神様がそう言って指差したのは、そばに置いてあった大きなカゴ。そしてその中に大量に入っている、ピンク色でハートの形をした、小さい何かでした。
「それは……『幸せの種』ですね」
「そうだ。最近、地上には『苦しみのいばら』が蔓延っておる。あれはその棘で刺したものの幸せや前に進むための力を吸い取っていってしまう。だからあれを抜き取り、この種を蒔こうと思ったのだが……」
ちらりとカゴの方を見て、神様はため息をつきます。
「……今、わしは忙しすぎてな。地上に行く暇がないのだよ」
そう。神様にだって、仕事があります。やりたいことがあっても仕事が忙しければ、神様とは言えども何もできません。
神様は困ったように、うーむ、と再び頭を抱えました。
すると、天使が言いました。
「神様。私に行かせてください」
「なに⁈」
「私が神様の代わりに、幸せの種を蒔いてきます」
天使は本気です。真剣な目で、神様を見つめています。でも、神様は動揺を隠せません。
「し、しかし……私は何ともないが、お前の場合は……苦しみのいばらの棘に刺されたら、力を吸い取られて、最悪の場合、消えてしまうかもしれぬ」
「分かっています」
「幸せの種を蒔くと同時に苦しみのいばらを抜かなければ、種を蒔いた意味がない。あれは魔法の類で何をしても、すぐに蘇る。しかし、抜けばすぐに枯れる。つまり苦しみのいばらに触れるのは決定事項。おそらく棘をその手に刺すことになるぞ?」
「分かっています。でもいいんです。私も地上に生きるものたちが、苦しみのいばらに幸せを吸い取られているのを見ていられません!」
そこまで言われてしまうと、もう神様も止めようがありません。
「……分かった。この種をお前に託そう。ただし、無茶だけはするな。そして、なるべくいばらに刺されないようにな」
「分かりました」
天使は力強く答え、カゴを手にして、雲の切れ間から梯子を下ろします。
そして地上へと降りていきました。
「……ああ言っていたとはいえ……あいつはすぐ無茶するからなあ……大丈夫か……?」
神様は不安そうに呟き、ため息をついてから、仕事を再開しました。
天使は光のはしごを降りながら、地上を見ます。
ひとの目には見えなくても、天使には見えました。生きるものたちから幸せと生きる力を奪っていく苦しみのいばらの姿が。
「早くあれを抜いて、幸せの種を蒔かなくっちゃ」
天使はそう強く思ったのでした。
天使は地上に降り立つと、すぐに目の前のいばらに手をかけます。しかし、その棘で手を刺さないようにと気を使うと、うまくいばらが抜けません。天使は早々に棘に刺されないようにするのを諦め、いばらを握って引き抜きました。そうすればいばらは、一瞬で消えてくれます。その代わり、天使の力も少し削がれてしまいました。しかし、今のところはなんともありません。まだまだ大丈夫です。
天使は今までいばらの生えていたところに、幸せの種を蒔きました。
「さあ、次!」
天使はそう言って、次のいばらに手をかけました。
カゴの中身が半分になった頃。
天使は川の岸辺に座り込みました。
「つ、疲れた……」
天使は傷だらけになり、力も無くなってきてしまっていたのです。今ではもう、空を飛ぶのでさえ一苦労です。もう少し力が残っていれば一度天上の国まで戻って休むこともできるのですが、今は天上の国に戻る力もありません。
天使は、疲れたようにため息をひとつ。そして少しだけ眠ろうと目を閉じました。
「……お疲れですか、天使様?」
隣から、不意に声が聞こえました。
(……人間?)
目を開けようとしましたが、疲れのせいか、その重い瞼はなかなか開きません。
「ふふ、お疲れのようですね。私もですよ。さっき、ようやく仕事が終わりましてね。それにしても、ひどい傷ですよ」
(どうして……人間には、姿は見えないはず)
そう。天使は人間の目には見えません。なのになぜ、この声の持ち主は天使の姿が見えるのでしょう?
天使の頭にそっと触れた手がありました。その瞬間、何か暖かなものが流れてきたのを感じました。それの正体くらい、天使ですからすぐに分かります。
(——癒しの呪いだ……)
頭の中に、一瞬だけ、術者の姿が見えました。
その人は優しそうに微笑んでいます。
かさり、と近くで音がしました。
そしてゆっくりと、その人はいなくなってしまいました。それと同時に、天使は眠りの中に引き込まれていきました。
目が覚めました。
辺りはゆっくりと明るくなってきています。
「……あれは、夢?」
天使は不思議そうに呟きます。どうしても、現実に起こったこととは思えなかったのです。
天使が立ち上がろうとして地面に手をついたとき、何かがかさり、といいました。
(この音……)
見てみると、そこには寝る前にはなかったはずの飴がありました。
「……夢じゃなかったのかも」
天使はくすりと笑って飴を口にします。それはとろりと甘く、元気の出る味でした。
気を取り直して立ち上がり、自分を見回しました。傷はもうありません。自分でも驚くほどの傷の治り方に、天使はやはりあれは夢ではなかったのだと確信しました。
天使はカゴを手にします。
さあ、もうひと頑張りです。
昨日と同じように、天使はいばらを引き抜き、種を蒔きました。ただ、ひとつ昨日と違ったところがありました。それは——。
「……不思議。全然昨日よりも疲れない」
そう。いばらによって力が削がれているはずなのに、全く疲れないことでした。
(あの人のおかげかな)
天使は考え、通りすがりでしかなかったはずのその人に、心の中でありがとうを言ったのでした。
天使は残りの幸せの種を蒔き終えると、昨日の夜にたどり着いた川の岸辺に戻りました。
出来ることならその術者に会い、直接礼を言いたかったのです。
果たして、夜にその人は現れました。
その人もまた、川岸に座り込んでいたのでした。
「昨日はありがとうございました」
天使が言うと、その人は驚いたように天使を見て、
「いえ、お役に立てたのなら、私も嬉しいです」
と笑いました。
「それにしても、本当に助かりました。癒しの呪いだけでなく、守りの呪いまでかけてくださったなんて」
天使がそう言うと、その人は首を傾げます。
「私は癒しの呪いしかかけておりませんが……」
『あ、守りの呪いは私ですよ』
術者の声とはまた違う声を聞き、天使は驚きました。その声の方を向くと、暗闇に紛れて黒猫がちょこりと立っていました。
天使には分かりました。その猫がこの術者の守護霊であることに。
「ありがとうございます、猫の守護霊さん」
天使はその猫にも礼を言い、呪いをかけてもらったお返しに、2人に今までの話を全て話しました。
そして2人に別れを告げ、天上へと帰っていきました。
天上の国に着いてから、天使が神様に沢山の労りの言葉を言われたのは、言うまでもないでしょう。そして、天使を助けた術者とその守護霊には、神様がこっそりと祝福を贈ったとの噂が天上の国に流れたと言います。