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3.遺詔の行方

 命長元年(西暦640年、皇暦1300年)9月23日、中臣御食子(なかとみのみけこ)大臣(おおおみ)蘇我蝦夷(そがのえみし)の屋敷に呼ばれた。

 そこには蝦夷とその叔父の境部摩理勢(さかいべのまりせ)がいた。

 蝦夷は御食子の姿を認めると声をかけた。


「話は黒女から聴いている。中臣殿は亡き大王の言葉を聴いているのであろう?」

「直接聞いたわけではございません。ただその場の空気を知っていたのと、後はその場に立ち会っていた黒女から聞いただけです。」

「それで充分だ。私は田村王と山背大兄王の二人が呼ばれたことしか知らぬ。それでどちらが次の大王になるべきなのか、私は叔父上と話していたのだ。」


 すると摩理勢が言った。


「私の考えは決まっておる。山背大兄王以外に大王に相応しいものはおらぬ。国家のためにも蘇我氏のためにもそれが良い。」

「確かに叔父上の言われる通り山背大兄王は優秀な王だ。おまけに蘇我氏の地も流れており私も彼を支えたいとは思う。だが、まだ未熟なのではないのか?」

「いやいや、彼は父親に似て立派な人格者だ。大王にはちょうど良い。足らないところは我々蘇我一族が補えばよいのだ。」

「――と、叔父上は申して居るが汝の意見を聴きたい。」


 蝦夷と摩理勢は御食子の方を見る。

 御食子は息を呑みながら答えた。


「――畏れ多いことではありますが、今の山背大兄王様は驕慢です。」

「驕慢?」

「どういうことだ?」

「田村王様が自分よりも先に大王様に呼ばれた時のこの私を見る目は、まさに獲物を睨む蛇の如きでした。失礼ながら聖徳太子様とはかなり人格が異なると見て良いでしょう。」

「それはお前の主観であろうに。」

「まぁまぁ叔父上。御食子殿の話も聞いてからにしましょう。」

「黒女たちの話を聴く限りにおいて山背大兄王はかなり恐れられている人間だそうです。プライドが高いのか、大王様もよく群臣の話を聴くように忠告していました。そして田村王様には『天下を治めることは大任である』と、こう申したそうでございます。」


 二人は静まりかえった。

 それだけ聞くと次の大王には田村王が相応しいことは明白であった。


「そうか、では次の大王は田村王だな。一応、その遺言の信憑性はその場にいた女官たちにも確認を取ることとするが――」

「そんなバカなことがあるか!私は断じて認めぬぞ!どうして田村王が大王の器なのだ!」

「そうは言っても叔父上、先の大王の遺言では――」

「蝦夷!とにかく私は山背大兄王以外の大王は認めん!」


 そう言うと摩理勢は立ち上がって部屋を出て行った。


「こう言うことなのだ、御食子殿。」

「これは厄介なことになりましたな・・・・。」

「ああ、このままだとまたもや国が乱れることとなる。そこでだ、御食子殿。」


 蝦夷は御食子の方をまっすぐ射貫くように見て言った。


「蘇我氏と中臣氏の過去の因縁は水に流して一緒に国のために働いてくれぬか?」




 9月24日、亡き額田部大王は竹田王の陵墓に埋葬された。

 埋葬が終わった後、蘇我蝦夷は群臣を自分の家に招いて食事会を開いた。

 みんなが食事を食べ終わってそろそろ帰ろうとしたところに蝦夷は話題を切り出した。


「ところで皆さんは次の大王に誰が相応しいと思うか?」


 そして蝦夷は言った。


「先の大王が田村王様と山背大兄王様の二人にそれぞれ亡くなる前に詔を出している。まず、田村王様への詔はこうだ。

『天下を治めることは大任である。簡単に言えるものではない。汝田村王は謹んでよく考えるように。政治を怠ることがあってはならない。』

 大して山背大兄王様へはこうだ。

『お前は一人でやかましく騒いではならない。必ず群臣の言葉に従って慎むように。』

 この亡き大王様の詔を基に次の大王に誰が相応しいか考えたいと思うが、どうだ?」


 食後のくつろいだ空気が一瞬で静まり返った。誰も発言しない。


「誰が大王に相応しいか、意見はないのか?」


 再びの問いかけにも返事がないので、蝦夷は三度問いかけた。


「誰が相応しいのか、お願いだから意見を述べてほしい。」


 すると大伴鯨(おおとものくじら)が発言した。


「既に出ている大王の遺言のままに従うまでです。どうして群臣の意見を聴くことがありましょうか?」

「どういうことだ?詳しく述べてほしい。」

「大王様は田村王様に『天下を治めることは大任である。政治を怠ることがあってはならない。』と言ったのです。これを聴くと誰が高御座に昇るかは明白でしょう。誰がこれに異論を言うでしょうか?」


 すると中臣御食子が叫んだ。


「異議なし!」


 群臣が御食子の方を注目する。


「私は大王様が田村王様を呼ぶ現場にいたからわかる。」


 すると群臣が異口同音に述べた。


「私も大伴さんの言うことに異論はありません。」

「私もです。」

「私も異論はございません。」


 だが、三人だけ異論を唱える者がいた。


「私は山背大兄王様が高御座に相応しいと思うが。」


 こう述べたのは巨勢大麻呂(こせのおおまろ)であった。佐伯東人(さえきのあずまびと)紀塩手(きのしおで)もこの意見に同調した。


倉麻呂(くらまろ)殿はどう思われるか?」


 蝦夷は同じ蘇我一族の蘇我倉麻呂を指名した。


「私はここで即座に発言することは差し控えたいと思います。今しばらくよく考えてから後で言わせていただきたいです。」

「そうか・・・・。」


 蝦夷は悩んだ。数では田村王を推す意見が多いとは言え、有力豪族の巨勢氏や紀氏は山背大兄王を推している。蘇我氏の中にも山背大兄王を推す意見がある以上、ここで群臣の意見を決めることは出来なかった。


「わかった。今日はここでお開きとしよう。」




 群臣たちの協議の様子は斑鳩の山背大兄王の耳にも入っていた。


「どうやら叔父上は田村王を大王に据えたいらしいがどうしてなのか、解せぬ。君たち、すまぬが叔父上に理由を尋ねてくれないか?」


 叔父と言うのは蘇我蝦夷のことである。山背大兄王の母親は蝦夷の姉の蘇我刀自古(そがのとじこ)であった。

 山背大兄王の指示で三国(みくに)王と桜井和慈古(わじこ)の二人が蝦夷の家に派遣された。

 蝦夷は使いが来た事を知り再び群臣を集めた。蝦夷の側近である阿倍内麻呂(あべのうちまろ)、田村王を支持した中臣御食子、そして山背大兄王を推した紀塩手の三人を中心に協議が進められた。


「ここはやはり群臣の総意として亡き大王の詔通り田村王を大王に推戴する、とした方が良いのではないでしょうか?」


 阿倍内麻呂がいうと紀塩手も


「この際、やむを得ないな。高御座を巡って争いが起きても困る。」


と応じた。中臣御食子も我が意を得たり、と言う顔で頷き蝦夷に提案する。


「では、私共が他の群臣とも一緒に山背大兄王を説得するというのはどうでしょうか?」

「それは有難い。その際、こうも伝えてくれ。『どうして私が一人で高御座のことを決めるのでしょうか?これは亡き大王の詔のままに従うと群臣の間で決めた結果なのです。』とな。」

「承知しました。では行って参ります。皆さんも異存はありませんね?」


 御食子が辺りを見渡すと他の群臣も頷く。御食子たちは十人近い群臣と共に三国王らと山背大兄王の下へ向かった。

 御食子は意気揚々としていた。これまで日の目を見なかった中臣氏の自分が群臣を代表するポジションにいるのである。


(これは中臣氏の復権の第一歩だ。)


 斑鳩に向かいながら御食子はそう自負していた。

 斑鳩に到着すると三国王が蝦夷の言葉と群臣の協議の結果を山背大兄王に伝えた。


「なるほど、叔父上の言いたいことはわかった。また一人だけの使いをよこすのではなく、群臣総出で私の下へ来て下さったその誠意にも感謝する。だが、君たちの言う大王の遺言の内容はちょっと私が聴いたのとは違うようだ。」


 それを聞いて中臣御食子は「え?」という顔をする。


(一体、こいつは何を言いたがっているのか?)


 その後、山背大兄王の口から出た言葉は一同の想像を超える者だった。


「大王はこう言われたのだ。

『私は卑しい身でこれまで大王の政務を取るために骨を折ってきた。今まさに寿命が尽きようとしている。お前は私と一心同体だ。お前に対する寵愛は他の誰に対するものとも比べることは出来まい。国家の根幹は私の時代だけ良くしても意味がない。お前は先ず根本から政務を行ってくれ。謹んで適切な発言を心掛けてほしい。』

 その場にいた栗下女王たちが証人だ。天地の神々に誓っても良い。無論、私は高御座に固執する気はない。ただ本当の詔はこうだということだ。」


 そこまで言うと御食子の方を向いた。


「中臣氏は神と人との間を取り持つのが仕事のはずだ。私は神に誓ってこの言葉を申しておる。正しい詔の内容を叔父上に伝えてはくれぬか?」

「兄上の言う通りだ。」


 山背大兄王の弟である泊瀬(はつせ)王も御食子の方を向いていった。


「我が一族が蘇我氏の血を引いていることは天下に周知の事実。だから蘇我蝦夷殿を高い山のように頼もしく思っている。どうか高御座のことを容易く決めないように伝えてほしい。」


 これを聴いた御食子は腹の中で思った。


(これは厄介なことになるぞ。それにしても親の権威を笠に着るとは好かん兄弟だ。)


 そしてこの状況をいかに中臣一族の復権のために利用しようか、と考えるのだった。

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