あとがき
この作品は、私が二度目の大学生四年生の時に、所属していた文芸サークルの広報誌に載せたものです。広報誌と言えば聞こえはいいですが、実質楽屋話ばかりでサークル外の誰かに読んでもらおうなんて気は(たとえそれが学内の友達であっても)さらさらありませんでした。
今となってはこうやって文字に起こすのも恥ずかしい「広報誌 字塊」。なぜこの名前になったのかは誰も知りませんでしたが、「とにかく字を書け、字は多ければ多い方がいい」と口酸っぱく言っていたという、数代前のリーダー(サークル長のことです)が名付けたというのが定説でした。
とにかく、そのサークル内数人に見せるためだけに書いていたこの作品をなぜ今回このように発表したかというと、ま、特にこれと言って明快な理由があるわけではないのですが、押し入れの中をかき回していたら「広報誌 字塊」が出てきたんですね。懐かしい気持ちになりながら読んでいたんですが、実にとんでもないことに気がついてしまった。ひとりだけべらぼうに面白くないやつがいるんですね。
誰だこんなふざけたことを書いているのは、と思って見たら私なんですね。これはしまった、いくら内輪だけとはいえこんなものを書いていたなんて、と思いました。ただ、アイデアはいい気がする、文章がひどいだけだから書き直せば見られるものになるんじゃないかと思い、筆を執った次第であります。
最初に書いたのが私の大学時代ですから、大分時は経っているんですね。今じゃ半ドンと言っても伝わらないでしょう。白黒テレビもすっかり懐古主義者の持ち物になってしまった。そういうところをたとえばカラーテレビにしたりだとか、修正をいくつもかけました。
ただ話の筋は変えないようにしようと、それは強い信念を持っていました。
特に第四章の、啓蔵が美代子さんに手編みのセーターを渡すところ、場面は純喫茶ですね。ここは現代風にカフェーにして、おそろいのバンダナを渡すなんてすると今の若者たちもピンと来るんじゃないかと思うんですが、そこは啓蔵の朴訥さを活かす意味で、純喫茶であり、手編みのセーターでなければならないんです。こういうところを気軽に若者たちに迎合していくのはイカンと、私は常日頃から口にしております。
とまあ偉そうに語ってきたわけですが、実は一箇所だけ大きく変更してしまったところがあることを白状いたします。
第七章の宇宙人襲来のシーンです。
当初の原稿ではここは亜米利加人となっていたわけですが、これから日本も貿易大国だ、国際化だという時に、もっとも身近である亜米利加人を泥や糞のように書くのは流石にイカンと思い、宇宙人に変更したのであります。時代の流れによってどうしても変えなければならない部分もあるわけであります。まあ仮に数年後に宇宙人が地球へやってきて、やあ地球人仲良くしようじゃないかなんて言われたら、これはまた書き換えなければならなくなる訳ですが、それはそれで小説の種が増える訳でありがたくもあります。
その時は宇宙人から地底人にでも書き換えようかしらん。
こんなことをだらだら書いて誰が読むのでしょうか。そもそもあとがきとは一体何のためにあるのやら。というわけで無駄に長く書いても仕方ないので(あのリーダーに見つからないことを祈りつつ)ここらでお開きとさせていただきます。