さくらびより
よみかたは、ひとそれぞれに。
今年もまた、桜の舞い散る季節がきた。
私は公園のベンチに座って、のんびりと彼を待つ。
昔は急かすように彼の背中を押したものだけど、のんびり屋の彼はぜんぜん焦ってくれなかった。
いつだって私のやることは、暖簾に腕押し。
約束した時間ぴったりにくることなんて一度もなかった。
そんな彼が予定よりはやく現れたものだから──私の方が緊張してしまう。
読みかけの本をぱたんと閉じて、私は立ち上がる.
膝に積もった桜の花びらがさらさらと舞い落ちた。
「久しぶり、元気にしてた?」
「うん、こっちはこっちで相変わらずだよ。そっちは?」
そんな他愛無い会話が、私には嬉しい。
ひらひらと舞う桜の花びらが、私たちを祝福してくれているようだった。
陽気な春の日差しのなかで、ふたり並んで、美しい桜に目を細める。
「綺麗だね」
「ふふ、それはどっちに言ってるのかな?」
私はにやりと笑って彼を見る。
彼もまた、にやりと笑って私を見ていた。
そんな彼を見ていると、背丈が伸びていることに気づかされる。
「昔は私とあんまり変わらなかったくせに」
納得がいかぬ、と私は憤って唇を尖らせる。
よく見れば髪も伸びて、その表情もどことなく大人びていた。
「あ、ごめん、これお土産──じゃないや、なんて言うんだっけ?」
「……知るかアホ」
間の抜けた顔で頭を掻く彼。
その姿に悪態をつきながらも、ふふ、と微笑んでしまう私がいる。
昔からコイツはこうやって皆を煙に巻く。
だから、ついたあだ名は「けむまき」くん。
「いいんちょ、けむまきがまた消えた」
「いいんちょ、けむまき知らない?」
「いいんちょ、けむまき探してきてくれ」
みんなよりちょっとだけ責任感が強くて、ちょっとだけ目立ちたがりで、ちょっとだけ出しゃばり──そんな私はもれなく彼のお目付け役となった。
時には不満に思ったけれど、今となってはそれもまた楽しい思い出だった。
もし私が彼とそうやって一緒にいなければ、今もこうして一緒にはいられなかっただろう。
そんな私の胸中を知ってか知らずか、彼はカバンの中身をあさりだした。
取り出した手にあったのは、よもぎ屋のきんつば。
それを片手に、すとん、と私が座っていたベンチに腰をおろす。
「相変わらず、本は読んでるの?」
「見ればわかるでしょ、私が本の虫なのは一生変わらないから」
私は彼の隣にちょこんと座りなおす。
彼の頭に花びらがいくつも乗っていて、それを取ろうと手を伸ばして──やっぱりやめた。
私と彼は並んでベンチに座る。
お互いのあいだには、私の好物であるきんつばが添えてある。
私は花より団子なのだ。
「太る体質じゃなかったろう、食べてみてくれよ」
「……ほんと、昔から一言多いよね」
眉間に皺をつくりながらも、つい、懐かしい味覚を思い出しては舌鼓をうつ。
私は本を読みながら、お茶を飲んできんつばを食べるのが習慣だった。
本は、一文字ひともじを大切に目で追って、一小節、一段落ごとに綴られた言葉を噛みしめる。
お茶ときんつばは、ちびちび、ちまちま、惜しむように食す。
大切なものは、なにひとつ取りこぼすことなく頂戴する。
何事も慎重に──それが私の流儀だった。
もちろん、一気呵成に飲み食いして、読み散らかすのも悪くはない。
が──私が好むのはどちらかというと前者である。
それは彼とのやりとりも同じこと。
「いい加減、付き合いなさいよ」
「見てる方がじれったいんだけど」
「あんまりノロいと、横からかっさらわれても知らねーぞ」
周囲からはそう言われたものだ。
牛歩よりも遅い私と彼の距離感は、びっくりするほど近づかなかった。
心配して騒ぐみんなをよそに、いいじゃない、と私は笑い飛ばしたものである。
たしかに、彼が私のことをずっと見つめていてくれるなんて、そんな保証はどこにもない。
ぽやんとした彼である。
ひょっとしたら風に吹かれて流されて、どこかに浮いて飛ばされてしまうのかもしれない。
けど、まあ、それはそれで仕方がない。
焦って無理に近づいたって、お互いの気持ちにヒビが入るだけなのだ。
いつだって自然体──それがふたりの歩く道のりだと思っている。
「ちょっと痩せた?」
「まさか、ろくに運動だってしてないのに」
「はは──なんてね」
そうおどける彼に、私は呆れ顔で溜息をつく。
歳相応に成長して、世辞のひとつでも言えるようになったかと思った私がバカである。
こいつはやっぱり成長してない。
見てくれは大人になったけれど、中身はまだまだ子供のままなのだ。
そんな彼に、ちょっと安心している私がいた。
「あ、背がけっこう伸びたんだよ」
「知ってる、気づかないほど私は間抜けじゃない」
「──そっか、気づかないわけがないか」
「そう言われると、なんか私がいつも気にしてるように聞こえる」
「髪型も変えてみたんだけど、どうかな?」
「チャラそうに見えないこともないけど、ま──いいんじゃない?」
私がぱちりとウインクすると、彼は照れたように頬を撫でる。
相変わらず仕草が天然であざとい。
そんな彼の笑顔にやられる私も私である。
気づけばつられて笑っていた。
私はずれかけた眼鏡を指で押し戻して、彼の顔をじっと見る。
相変わらず、その表情は優しい。
にこにこと微笑んで、怒った顔など見たこともない。
私はどちらかというと眉間に皺を寄せているタイプである。
だから、こういう理由もなく笑顔になれる人がうらやましかった。
惹かれた理由はそんな純朴なものなので、とても他人には聞かせられない。
ちなみに昔、友人たちに話したところ、それは恋だと大爆笑された。
やつらは一生許さない。
「さて、行かなきゃ。もう時間だ」
「そう──残念」
彼がゆっくりと腰をあげて、私はしばらくその姿を見上げていた。
彼の高い背は日差しを遮って、私に影を映している。
その姿に意を決して、私もそっと立ち上がる。
「またくるよ。今度来るときは、もうちょっといい話題をもってくるね」
「うん、期待しないで待ってるから」
私はその言葉に浮かれながらも、しれっと冷静さを装った。
先に立ち上がった彼のほうが、名残惜しそうにじっとこちらを見つめている。
その場を去る者のほうが残念というのは、あるかもしれない。
「こんどこそ、時間はちゃんと守るからさ」
「いいって、無理しなくて」
首を振る私に、だから待ってて、と彼は言った。
「待ち合わせに遅れて相手が帰ったときほど、どうしたらいいか分からないときもないからさ」
「あー、あれは私が悪かったけど、初デートで15分も遅刻するあんたもあんただからね」
「仕方がなかったんだ、のぼりとくだりの電車を乗り間違えちゃって──」
「はいはい、その言い訳はもう100回も聞いた」
美しく儚い去り際は、過去の話を蒸し返してろくでもないことになっていた。
私と彼は、いつもこうである。
なんだかいい雰囲気になりかけては、いつの間にかすれ違っていた。
なんでこうなるのか、とちょっとだけ後悔する。
けれどきっと、男女の仲なんてこんなものなのだろう。
「じゃあ、また来るね」
「うん、待ってる」
私が小さく手を振ると、彼も小さく手を振った。
そして、ベンチには残されたのは、きんつばがひとつ。
桜の花びらに埋もれるように、じっと食べてもらえるのを待っていた。
すぐに春は終わり、夏が来る。
きっと秋と冬が通り過ぎて──私と彼はまた会うのだろう。
感じ方は、人それぞれに──ひとのまにまに。