第二話
陽は高く上り、ナターシャの森に差し込む光が神秘的な輝きを放っていた。
メルは、聖なる泉へと向かう足取りを緩めることなく突き進んでいた。この調子で歩けばあと数刻で着くはずだ。幸いにも、道は踏み固められ、通りやすくなっている。何百年も昔から、村の女たちが通ってきた道。そこには、自然と泉へと続く道が出来上がっていた。
「わあ!!」
ふと、メルは道端に咲くめずらしい花を見つけた。
マルクスの花──。
魔法のような白い光を発する、不思議な花である。濁りのない、澄んだ水のあるところでしか咲かない美しい花だ。それが、無数に咲いている。
「きれい」
メルはしゃがみこむと白く発行する花の部分を手で包み込んだ。ぼんやりと明るい光が手の隙間から漏れ出ている。そっと隙間から覗き込むと、マルクスの花は白だけでなく、赤や黄色、青といった、色とりどりの光を放っていた。それはまさに幻想的な光景だった。
「こんなにきれいな花が咲いてるなんて」
メルはマルクスの花を一輪摘み取ると、笑みを浮かべた。お父さんとお母さんに見せてあげよう。きっと、びっくりするだろう。
マルクスの花は、メルの手の上で白い光を放ち続けていた。
立ち上がり、再び歩きだそうとしたメルの前に気が付けば一人の男が立っていた。黒いロングコートを羽織った、白髪まじりの中年男。長身で髪は短く、獅子のように逆立てている。眼光はするどく、鋭い目つきでメルを睨み付けるように見つめていた。
「ひっ!!」
メルは思わず、悲鳴をあげた。いったいいつの間にいたのだろうか。気づかぬうちに数十歩手前にいる。
「………」
男は、無言でメルを見ていた。
「………」
メルも、無言で男を見つめ返す。
(な、なに、この人……)
恐怖で言葉が出ない。こんな森の中で、何をしているのだろう。
「………」
男は、何をするでもなくメルを見つめていた。次第に、メルの警戒心が薄れていく。
目つきは鋭いが、きれいな眼をしている。身なりを気にしないのか、角ばった顎の周りには無精ひげが生えていた。背中には、大きな板のようなものを背負っている。布でぐるぐると巻かれているため、よくはわからないが、大事なもののようだ。ベルトでしっかりと固定されていた。
年のころは40代前半といったところか。ミステリアスな雰囲気を醸し出す、不思議な中年男性だった。
「あ……、あの……」
何も言わない男に、メルは恐る恐る声をかけた。男は、なおも無言だ。
「何か、ご用ですか…?」
こんな森の中で、もっと他に言いようがあるだろうと思いながらも、メルはそれ以外の言葉が思い浮かばなかった。
男は表情を崩すことなく、低い声でこたえた。
「道に……」
「………?」
「道に、迷った」
「は……?」
メルの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
道に迷った?
彼女の見つめる先、聖なる泉へと続く一本道と、彼女が通ってきたナターシャ村へと続く一本道、二人はその中間に立っている。つまりは、一本道だ。方向はさておき、迷うような場所ではない。
「あの、どちらに行こうとしてるんですか? ここから先は泉で遮られてて行き止まりですよ。ナターシャ村に行くんでしたら、この道をまっすぐ行けば……」
「グランファシルに行きたいのだが」
「グランファシル!?」
思わぬ言葉に、メルは素っ頓狂な声を上げた。
グランファシルといえば、元グラン王国の首都の名前だ。今は、パルメラ属領となって別の名前になっている。
メルは、ごくりとつばを飲み込んだ。
「あの、グランファシルでしたら、まったく見当違いの場所ですよ。この道はどちらも通りませんから」
「……そうなのか」
男はまったく動じた様子もなくこたえた。何を考えているのか、よくわからない。
「あの、よろしければ地図でも描きましょうか?」
「いや、いい。方角さえ教えてもらえれば」
メルは訝しく思いながらも頭の中でグランファシルの位置と現在地を照らし合わせた。
広大な旧グラン王国。大小さまざまな町や村がある。メルの住むナターシャ村はグランファシルから東に位置する。途中、いくつもの町や村が点在するため、辺境といえば辺境だ。
方角だけで言うなら、西にあたるが……。
「ええと、グランファシルでしたら、あっちの方角です」
彼女が指差す先は、横に広がる深い森だった。道と呼べるものさえない。
「そうか」
男はそう言って、なんの躊躇もなく森の中へと足を踏み入れていく。
「え、ええ!? そこから行くんですか!?」
思わず、メルは声をかけた。何を考えているんだ、この男は。
「ここを真っ直ぐ行ったほうが確実だ」
それよりも迷子になる確率のほうが高い。
メルは止めようとしたが、気が付けば男の姿は深い森の中へと消えていった。




