黒曜
夕日の中にオレンジの筋が漂う感じが好きです
死とはなんでしょうか
誰からも思い出されないこと?
肉体的に消えること?
この世から誰からも忘れ去られ肉体すらチリになればどうなのでしょう
「今晩は、とても寒いですね」
「こんばんは。ええ、コートを着ても端から冷気に寄り添われていしまいます」
ふと思うこの二人のこんばんわは、とても美しいなと
日本の挨拶はいつもその後が続くためにある
こんばんわ、というただの交わす言葉でなく話すための今晩は、になる
だから今晩わでなく今晩はである
左様ならも同じ
そう片隅で考えながらもスマホの画面には間違いだらけの文面でばんわ~と可愛い絵文字を
散りばめたメッセを送る私は滑稽だ
「ところで今日の御用はなんでしょうか」
「いえね、うちの人があんまりにもよく病気を患う性分でして」
そう言いながら白く細い華奢な手を頬に寄り添わせ困ったように微笑む着物姿の女
まるで時代劇から抜け出たような古風な雰囲気と黒く艶やかな髪をたたえている
「それはご心配でしょう、こちらにとても良い香があります」
もうひとり、こちらも純和風の顔立ちに黒く長い髪を頬のあたりで切り
後ろは簪で括りあげている女、こちらは着物ではなくなぜか男物のスーツにコートを着ていた
長身であるからか背筋のまっすぐ通った立ち姿かそれがよく合う様だ
黒曜石の瞳黒い長い髪白い肌美しい目鼻立ち
私はふと、スマホから視線を上げた。
男装の麗人はやはりこちらを見ていて私とめがあう
そしてその目線を右へ向ける
それを追い後ろにある棚の一つに止まる
私は彼女の意思を感じ取り棚に手を伸ばす
そして繊細な模様の施された陶器の香を彼女に手渡す
「有難う、八尋ちゃん」
「どう致しまして紫翠さん」
手に香のつるりとした感触と空気から感染した冷たさが紫翠さんの手にうつる
そしてゆるりと移動したそれからは強烈な甘い匂いがした
「まぁとても綺麗な香ですね」
「ええ、江戸時代頃の遊女が好んで使用していたものです」
紫翠さんはとても美しい微笑のまま赤い唇からずっときいていたくなるような声で話す
ここは骨董屋だ着物の人と紫翠さんを挟んで木のカウンター以外は棚と何かの物で溢れている
私はそんなカウンターに立つ紫翠さんの隣でいつもロッキングチェアに腰掛けている
二人が話始めるとまた手の中のスマホに私は目を向けた
「これで主人の病気もよくなりますでしょうか」
「それはまだわかりませんが・・・しばらく旦那様の枕元に置いてみて下さい」
心配そうな顔のままその瞳がカウンターに置かれた香を写し込む
その丸い眼がゆっくりと細められた
「有難うございます、試してみますわ。ではお代は?」
「いえ、使用されてからで結構です」
紫翠さんの手はまた香をとり、女の手に渡る
その香の甘い匂いは離れても私の鼻についた
「では、左様ならまたお越し下さい」
「左様なら」
店の中から出た着物の女はこちらを振り向きお辞儀をして出て行った
店を沈黙が満たす
椅子がゆらゆら揺れ紫翠さんの後ろ姿も私の視界でゆれる
その長い髪と長身が動いて足に履かれたヒールがカツンと音を立てる
「八尋ちゃん」
「はい」
紫翠さんは私の方を向くけど私はそれを見ようとせず視線をわざと下に向けた
「今日はもうお帰りなさい」
「え」
今度は顔を上げる。と、屈んでこちらを覗いていた紫翠さんの顔が間近にあった
私は椅子からしぶしぶ腰をあげる
ふと窓のそとをみるともう夕方で赤い夕日が店を照らし出していた
空気はひんやりしていてホコリが白く視界にたゆたう
箱や置物壺に骨董、様々なものがオレンジに染まり美しい
私はプリーツの効いた紺の制服をぱさりと手で払いスマホをスカートに仕舞い、
木と磨硝子の引き戸を開いた
振り向くと紫翠さんがこちらを向いて微笑みながらてを上げてくれていた
雨の音がする
雨の匂いもする
次の日は昨日のような冷たい夜でなく生暖かい雨だった
「ねぇねぇ聞いてよ」
「どうしたの」
私は憂鬱に学校の机に突っ伏してぼうと雨の降り注ぐ校庭を眺めていると窓に
制服と髪を巻いた女の子の影がおしゃべりを始めた
「最近パパの様子がおかしいの」
「えーどうして」
「なんだか夜に叫びながら起きて動揺しててなかなか眠れないみたいなの」
「うそ、怖いー病気?」
「うーんわかんない」
なんとなくクラスメイトのそんな会話が耳に侵入し私の鼓膜を震わせる
影の少女達は話続ける
「それがねなんか欝?とかかもって病院にいくんだけどね今度」
「うわ、マジなやつじゃんヤバァイ」
「そーなのドン引きなんだけど。」
「それでお母さんお父さんと別の部屋に寝るから私の部屋に来るんだよ」
「やだー」
「でしょ?まぁしょうがないんだけどさ」
そうしているうちに鐘が鳴り教室の中は先生が入ることで静寂となる
なんとなく今日も学校が終わる
帰り道に私はその店に入る
夕暮れの道でその角は朝には見えない
「今晩は紫翠さん」
「今晩は、雨は止みましたか」
私は髪で水を飛ばしながらいいえと答えた
まぁ、つぶやくと紫翠さんは濡れてもいない綺麗な髪を垂らしてタオルを手渡してくれる
タオルで水を拭いているとカツンと音がして動いた気配
何かを凝視していた
側に寄る
「なにをしているんですか」
「一つ増えていまして」
覗き込んだ紫翠さんの手元には人の切られた指があった
飛び退く私
「ふふ、驚ろかずとも。本物ではありませんよ」
「えっ・・・」
もう一度凝視していた物の近くまで行きよく見るとそれは確かに生々しさもない血もない
作り物とわかる指だ
「どうしてこんなものがあるんですか」
「八尋さんは指切りを知ってますか」
「え、ああはい約束とかのですか」
「そうね指切りげんまん指切ったら?」
「ハリセンボン」
「飲ます。と終わりますけれど、これは遊女がよく使ったんですよ」
「へぇ」
いつものように夕日は私が入った時から動かない
「遊女の客は口ばかりでいつ来るのかもわかりませんそこで約束をしました」
「あ、針千本飲んだり指を切ったり・・?」
「始めた人はそうだったかもしれませんがほとんどがこの作り物の指を送ったりしたそうですね」
「やっぱりそうですよね」
「けれど不倫や浮気、遊女の遊びで死刑になることもありました」
「へぇ・・・怖いんですね」
「まぁほとんどが女の人ですが」
「男が死刑にはならなかったんですか」
「そうですね。三行半があるように。間男なら裁かれましたが」
確か・・・と思う三行半は昔夫が妻に文句を三行半文面どおり書けば離婚できて
間男なら女の浮気相手かな
「昔のほうが男の人も浮気とか寛容でしたよね」
「今でもありますよむしろ男女関係なく」
「なんだかわかりません、どうしてそこまでするんでしょう相手が居るのに」
「恐らく愛情が欲しいのでしょうね。それは偽物の愛情なのですが」
「悲しいですね」
「人の感情ほど移ろうものもありません」
「人の感情だけでなくいろんなものは移ろいやすいですよ」
私がちょっと拗ねたように言ったのを感じ取る紫翠さんが慰めるような口調になる
「けれども人は一人では生きていけません」
それは安い言葉で紫翠さんらしくないなと考えたとき
店の磨硝子に人影が写る
二人の男女だ
少しづつ大きくなる影は輪郭で人となりを映す
着物の影法師が長い髪の螺旋を描き、一人はこの前の客と理解でき
もうひとりの体は男とわかる。スーツと長身
「今晩は、ずいぶんな雨ですね」
「いらっしゃいませ、お客様」
ガラリと引き戸を開けやはりこの前の女が美しい顔を歪め微笑み
白い病的な腕を男に絡めたまま挨拶する
相手の男はというとまるで女の幻想的な美しさと対比するようにやつれた頬に垢だらけ肌
どこか焦点の合っていない目をしていた
女は男を引きずるように歩いてくる
「先日はお世話になりましたわ」
「それは良かった、お力になれたでしょうか」
「ええ、このとおり主人とお礼をしにきましたの」
男の意識は空を彷徨い今にも倒れそうだが女はそれを気にする風でもなく話しづつける
「それはわたくしにも嬉しい限りです」
「まだ一週間ほどなのですけれどまだ一度も病気には至っていませんの」
「では、お礼をということですが」
「ええ。お支払いするわ」
「では、こちらに魂を」
紫翠さんが水晶球をいつの間にか手のひらに乗せていた
それをみて女が不思議そうな顔をする
「魂?」
「彼は貴女の旦那様ではありません」
「何を言っているの」
「貴女の姿はうつしみで貴女の理想であり執着でありそして陶酔している関係です」
「だから、なにをいうのかしらお金ならここに」
「いいえ貴女が欲しいのはあなたの愛した男性の魂ですですから対価は貴女自身なのです」
「私が彼を?いいえ彼が私をほしがったのよ」
「それは幻想にすぎません。貴女の魂を見せて差し上げましょう」
ぐるりと視界が反転した
足元の床は木の感触がぐんにゃりしたゼリーになり
淡い夕日は夜になり朝になる
朝のホテルである男女が気だるげに会話をしている
「もう会うのはやめてくれないか」
「どうして」
「娘にたまたま見られたんだよ、もし感づかれでもしてみたら」
「わかりやしないわ」
男はあの呆けた男だった
また場面がかわる嵐のような突風が襲い、私は落ちる落ちた先はどこかの家の寝室だ
あの男が別の女と寝ている指には結婚指輪がある
そこにあのホテルの女がゆっくりと近づき何かをベットに置く歪んで笑う唇は着物の女のものだ
男の目が緩く開き女を視界に映し驚くと同時に女がナイフを振りかざし男の指を落とす
鮮血と共に血が飛び指が飛ぶ
わけのわからない叫び悲鳴と指のない手が女の首を絞める
その女はいつの間にかすり替わっていた
着物の女は消え息のない男の妻が冷たく横たわる
その後ろに美しく細く鮮血のように赤い女の唇がやはり歪んだ
停電かという一瞬の暗闇のあと私は店に戻っていた
そこには男は消え着物の美しい女は居らず普通の傷んだ髪をショートにしたOL風の女がいた
「どうされますか?対価を支払い貴女の欲しいものを手に入れますか」
「それとも諦めますか」
紫翠さんが区切るようにハッキリと聞く
「いいえ、諦めません。でも」
「でも?」
「幸せは自分で手に入れます」
唇を歪めて笑うことなく微笑んだ彼女は振り返って磨硝子を開いた
また静寂の訪れた店で紫翠さんをじっと見つめる
「なにかしら?」
「めずらしくお客さんが来たのに・・」
「あの人が幻想でなく現実の物を求められたのですから仕方ありません」
「同じじゃないですか」
「それはどうでしょうか」
私はなんとなく釈然としないまま店を出ることにした
引き戸に向かった私をみて紫翠さんがいう
「雨が酷くなる一方ですので傘を差された方がいいですよ」
雨が視界を白くするほど降る
数メートル前が見えづらい、まるで皆すれ違う人間が人形のよう
私は赤い傘をさしながらぬかるんだ道を歩いた
すると目の前に男が飛び出してぶつかる
あっと言う前に二人で倒れる
私は後ろに、相手前に倒れ見えた顔は呆けた顔のくすんだスーツの短髪で長身の男
この人・・・
男がくるなと叫んだ私の後ろへ向かって。
振り返るとさっきの女がナイフを持ち微笑んでいた
「奥さんも貴女も消えてくれれば私は幸せになるわ」
男が少しづつ後ずさる女も少しづつ近づく周りに人が止まり始める
2人が影のように黒く染まったように見えたころそこから血しぶきが吹き出して私の制服が染まる
どこからか誰かの悲鳴がした
ごとり、と固まる私の足元にあの綺麗な香が転がった甘い匂いが漂う
そばにヒールの先が写る
ヒール黒い細身のパンツ黒い長い髪と簪がみえ、紫翠さんと目が合う
「だから傘を差すように言いましたのに」
「紫翠さん」
残念そうな悲しそうな顔の男装の麗人は傘をさしてもいないのに濡れていない
「人は一人では生きていけませんこれは気持ちの問題でなくそれしか道がないということです」
「寂しいからや支え合うということではなかったんですね」
まわりが随分騒がしく誰かがケータイで警察を呼ぶ声が聞こえる
「そうです、何をするにも社会がある限り人は人から逃れられません」
「それしか選択肢がないんですね」
真っ赤な傘が上から更に濃い赤い色を浴びマダラ模様にただれてゆく
「そして結果はその人の関係により出される」
「自分でなく相手がですか?」
「相手に陶酔して自分を映すんですよ良くも悪くも」
「他人は自分ではないのにそう思うのは滑稽ですか」
雨の中見たことのある影が視界の端にある、あの巻き毛の少女の影
傘をさしてもいない
「自分と他人が同じになることはないんですよ」
「それでも関わり合うのはどうしてなんですか紫翠さん」
なんだか泣きたい気持ちだ、けれど香の甘い匂いが思考をぼんやりと霞ませる
「貴女がそれを私に渡して頂ければわかります」
私は足元の香を恐る恐る拾い紫翠さんに渡そうとする
けれどその前に嗅いだ甘い匂いがなぜか渡したくはないもっと嗅いでいたい気にさせた
一瞬の躊躇を見た紫翠さんが
「それが執着ですよ八尋さん」
と私に向かってほほえんだ
次があればバットエンドにならないといいな