不本意入学、おめでとう。ここからは戦いの時間だ。
おはよう。
なんだか雲行きの怪しい日が続いているね。
どうやら台風が近づいているっぽいけど、大丈夫だろうか。
・・・休講になる日は大学の掲示板に連絡が掲示されるから、自主的な判断だけでなく、大学側にも確認を取るように。・・・といっても、君たちは学生専用の個人ポータルで調べればすぐにわかるようになっているんだけどね。
それでは、私が今学期やる中では最後の授業を。
ちなみに、8月11日(月)は前から言っているように補講で、大羅可杉夜教授に「指示待ち」の授業を行ってもらおうかと思っている。
そして、この補講日に、前期の授業で学んだ事柄を自分なりにまとめ、考えたことをレポートにして提出してもらおうと思っている。枚数は自由で、パソコンの使用のみを認める。
半年間、正確には半年も行っていないが、「不本意入学者」だと自分で少しなりと思う君たちに講義を行うことが出来て、非常に楽しかったし、また私自身学ぶことが多かったと思う。
この授業で私が話してきたことが、「不本意」の脱却に有益であるか否かは私にはわからない。・・・それを決めるのは君たちだと私は思っている。
君たちが自分たちで学び、努力し、研鑽し、切磋琢磨し、今感じているであろう「不本意」を打破し得るということがいつ起こるかは分からない。
明日かもしれないし、一か月後かもしれないし、半年後かもしれないし、一年後、五年後、十年後・・・・・・或いはもっと先かもしれない。
それでも、前回話した通り、「学問に優劣はない」ということと、もう一つ。
「「不本意」は脱却したら終了ではない」ということを覚えておいてほしい。
例えば、「大学不本意」の人の場合、編入なり、大学院進学なり、留学なり、仮面浪人なりで自分が「不本意な」大学を出ることが出来ればおしまい、というわけではない、ということだ。
逆に言えば、そこからが「始まり」である。はずである。
君たちが何かを「不本意」だと感じ、そこからの「脱却」を敢行しようと思うのは、「脱却」した先の何かを得たいからではないのか。それを得て、何かを成し遂げたいからではないのか。
その観点から考えると、「不本意」からの脱却は、始まってすらいない終わりですらもない、序盤の序曲の序章といったものだろう。
これは是が非でも忘れないでいてほしい。
そして、最後だから、君たちに賛辞を送りたい。
「不本意入学、おめでとう」
そして、いつか「不本意」から脱却した時のために。
「不本意からの脱却、おめでとう」
「不本意入学」を果たさない限り、「不本意からの脱却」は起こりえないし、自らを奮い立たせて勉強しよう、ということもないはずである。
だから、学問の優劣を問うより、「不本意入学」を嘆くより、「不本意からの脱却」で燃え尽きるより。
「不本意入学」を果たして、「不本意からの脱却」を果敢にも試みて、「不本意からの脱出」の先を希望を持って満喫して欲しい。
決して立ち止まってはならない。
決して自らの現状に泣き崩れてはならない。
そんな暇はないのである、「不本意からの脱却」を試みるには、「不本意の先」を見るためには。
諸君、不本意入学、おめでとう。
ここからは、戦いの時間だ!
今からレスポンスペーパーを配るので、いつものように自分の情報と、感想等を書いて提出するように。
半年間ありがとう。
本講義の試験は本日から一週間後まで、学生専用Web講義システムの方で受講者全員に公開しているので、忘れずに受験してほしい。