執念2
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知り合いもいない土地勘もない田舎町で大槻は、食事なんてとる暇もなく凶悪犯罪に埋もれていた頃が懐かしくなる事がある。
自分が一気に老け込んでしまったような虚しさを感じて、灰色のカタカタと軋む椅子に腰掛けた。
一軒しかないコンビニで買ってきたトンカツ弁当を机に置いて、ため息をついた。
県警の建物内。鉄筋コンクリート二階建てのここにも、例外なく冬の暖かい日差しが届いている。
刑事課長は、椅子にもたれたままうつらうつらと居眠りをしていた。
昨日は、迷子になった番犬を発見して手柄をたてた課長。机の上には、犬の飼い主が感謝の気持ちでくれた蜜柑が、袋に入ったまま置かれている。大槻も、一つもらって食べた。甘くて美味しい蜜柑だった。
────平和すぎて……俺は、こんな所にいていいのだろうか。
割り箸を裂いた瞬間、胸の奥にくすぶるギラギラとした感情に触れる。血が飛び散るような現場で、ほんの些細な犯人からの手がかりを見つけ、血眼で犯人を探し出す。
彼らは皆、自分を見つけ出して欲しいと言葉に出さないテレパシーみたいなものを発信していると大槻は考えていた。
罪を罰せられるのは、恐ろしく。生活を脅かされることに嫌悪しつつ、それでも犯人は、『いつか誰かに見つけて欲しい』と願っているんだ。
罪を一人で抱え込み生きていく重圧よりも、罪を誰かに見つけ出され、自分の抱えこんだものを解放して、そして自分自身にその罪を振り返り、反省して、償うという行為に奮い立たせて欲しいはずだ。
それに手を貸すのが、自分に与えられた使命だと大槻は信じている。
それこそが、生涯をかけて突き進む道だと、信じている。
「大槻さん!」
背後から突然明るい声をかけられて、大槻は持っていた割り箸を危うく落としそうになる。
「なんだよ! いきなり話かけんなよ!」
相手は、交通課の芦原 彩乃だ。
「そんなとこで、一人でお弁当食べるなら休憩室で食べましょうよ! 藤くんも一緒ですよ。はい、行きましょう」
「ちょっ! 勝手に俺の弁当持っていくなよ!」
彩乃は、トンカツ弁当と大槻の飲みかけの烏龍茶のペットボトルを手に休憩室に駆け込んだ。
大槻は、仕方なく割り箸を片手に彩乃を追いかけた。正確には、弁当を追いかけた。
「あ、大槻さん。来たんすか? なーんだ、ハーレムだったのに!」
休憩室には、交通課の婦人警官が四人いた。お世辞にも若いとは言えない年代のご婦人方。彩乃は唯一、大槻と藤の同世代だ。
ココアを飲みながら藤は残念そうにため息をついた。
「やっだー、藤くんたら、おばちゃん達喜ばせないで!」
肩をバシバシ叩かれながら、藤は楽しそうな笑い声あげている。
「おばちゃんなんて、とんでもないっすよ! 皆さん、綺麗なお姉さまばかりで僕幸せですから」
アハハ、オホホと昼のワイドショーを匂わす笑い声が県警の休憩室に響き渡る。
大槻は思わず肩の力を抜いて、彩乃から奪い返したトンカツ弁当に箸を入れた。
「ね? こっちで食べた方が楽しいでしょ?」
大槻の表情の変化に彩乃は得意気な顔をする。県警の中でも異質な扱いを受けている大槻を、彩乃はずっと気にかけていた。
「そういえば、藤。昨夜の遺体の身元わかったのか? 司法解剖の結果も、もう出てるだろ」
藤は、飲みかけのココアを喉の奥でぐっと詰まらせむせた。「大丈夫?」と世話好きな彩乃は藤の背中を撫でた。
「その話題、昼休み中にしなくてもよくないっすか? 酷いや、大槻さん。人が優雅にティーブレイクしていたのに」
「何が、ティーブレイクだよ……お前、刑事だろ? しっかりしろよ。これ食ったら鑑識にいって、防犯カメラの映像の解析だ。交番勤務か地元勤務が長い奴を同席させて、怪しい車両が映ってないか調べる」
「昨夜の……って自殺じゃないんですか?」
咳き込みながら俯いた藤に代わって彩乃が質問をした。他の婦人警官たちは、異質な大槻を興味深い眼差しで見ていた。
「自殺と決まったわけじゃないだろ」
「でも、安佐仲さんは自殺だって断言してたし新聞にもそうやって書いてありましたよ」
今朝の新聞の地元版の小さな小さな枠の中に、たった一文。女性の身元不明の遺体があがったことと、遺書がみつかり、自殺であったことが書かれていた。大槻もそれを読んでいた。
何か言い返そうか……大槻は、悩んだがトンカツ弁当を食べて押し黙ることにした。彼女はどんな経緯で、どんな不安を抱えて死に至ったのかを調べて誰もが納得できるような条件を満たさなければ、自殺とは断定できない。
執念と信念を持って事件と向き合う。そうして見えてくる真実にこそ、意味がある。
藤が「あーあ、午後も交通安全週間の手伝いだと思ってたのにな」と愚痴をこぼす。その頭を大槻は、置いてあった雑誌でパコンと殴った。
休憩室には、昼のワイドショー並みの笑い声が響いた。